えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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東京国立博物館に『横尾忠則 寒山百得展』を見に行きました。



中国の唐の時代にいたとされる風狂の禅師、寒山と拾得を百体描いたというもの。(実際は百二体。)寒山拾得は昔、友川カズキの歌「犬」の詞のなかで「寒山拾得の喝」というフレーズを高校生のころ、聴いてずっと気になっていました。山奥に住む脱俗の笑う聖者の二人を横尾さんがたくさんの絵に描いておられます。絵が風狂をするというのは、こういうことなのかとも思い、とても惹かれます。

常設展でも日本や中国の古い禅画の「寒山拾得」が展示されておりました。



不気味で面白い笑い顔の超俗がぼくを惹きつけます。

午後からは鈴本演芸場で落語を聴きました。



今日は二代目橘屋文蔵の二十三回忌追善興行ということで、いつも通りに飄々として楽しい林家正楽師匠の紙切りの後、三代目橘屋文蔵師匠の親子、夫婦の人情噺「子別れ」の下の段。ふと気づくと、ひとつ席をおいて隣の年配の男の方が涙ぐみ、熱くなった目頭を手で押さえておられます。つられたいうことでもなく、しずまった客席でぼくの胸もじーんとしてきます。いい噺だなぁ。

帰りに不忍池の寛永寺の弁天堂に参りました。



御神籤をひくと大吉。

「大吉 運勢

 何をしても あとはよくなる見込みがあり、目的を変えてもよい運です。
 意志を強くもち努力すれば竜が天に昇るように出世します。

 第2番

 おみくじ

  「言」
 聖人は尺の壁を貴ばずして、寸の陰を重んず。
 時は得難くして失い易し。」

ゆめゆめうたがふことなかれ
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『落語紙芝居 古今亭志ん生シリーズ 火焔太鼓/替り目』を見ました。ほとんど、動画の残っていない古今亭志ん生の落語、その落語の音声に林家正楽師匠の切り絵が映し出されて、それが動いて、とても楽しい。

林家正楽師匠の切り絵は寄席で何度も見ましたが、飄々として、面白く、素敵です。そして、志ん生の夫婦ものの落語って、破天荒な自分のことを話して笑わしているんじゃないかねとぼくは思ってしまいます。その落語の深さと切り絵の軽妙さが合わさって、とてもとてもいいのです。








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今日は秋の彼岸の入りの日、お墓参りをし、帰りの足で亀ヶ池八幡宮に詣でました。善縁と健康をお願いし、御神籤をひくと大吉。

「第三十四番 御神籤

 かき曇る
  空さえ
   晴れて
 さしのぼる
   日かげ
 のどけき
  我こゝろ
    かな

 こゝろすなおにし身もちを正しくすればますます運よろしく何事もおもうまゝになるでしょう
 欲をはなれて人のためにつくしなさい
 大吉
 
 運勢 大吉」

ゆめゆめうたがふことなかれ
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新渡戸稲造が著し、須知徳平が訳した『武士道』を読む。その昔、司馬遼太郎が昭和という時代を批判しつつ、武士道の電気のようなものがどこか日本人に残っていた時代まではよかったが、それが失われ、日本の国家も日本人も堕落してしまったというようなことをインタビューで話していて、その武士道は何だったのかと思い、この『武士道』を読んでみたという次第。ぼくは司馬遼太郎が称揚する明治がそれほどよい時代とは思えない。ぼくは、明治維新によって多くの武士の精神を有していたと思われる若者の命が争った双方で失われ、明治以降の日本を作ったのは残りかすの卑怯者ではなかったかとも思ってしまう。だからこそ、孤立の士であり新渡戸の盟友でもあった内村鑑三は『代表的日本人』を英文で書き、同じく孤立の士であった新渡戸稲造は英文で『武士道』を書いたのではなかろうか?








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クリストバル・レオン監督とホアキン・ホシーニャ監督の共同監督による『オオカミの家』を見ました。紙粘土細工で作られた強迫観念の悪夢の中を女の子がさまようかのような映画でした。

普通の映画というよりかは、そのアバンギャルド性は、現代美術館で上映されているかのような映画で、この南米チリ発の映画で、チリの山奥にあった「コロニア・ディグニダ」という宗教コミューンから発想されているという。閉鎖的なそこは、ドイツから逃れたナチスのヒトラーユーゲントを教祖とし、男児への性虐待どころか、当時の軍事独裁政権の庇護を受け、拷問や虐殺すら行われていた。その軍事独裁政権を後ろから支えていたのが、米ソ冷戦下のアメリカ合衆国政府。反戦歌を歌ったフォーク・シンガー、ビクトル・ハラの殺されたチリのもっとも闇の深い現代史のある時の話。

さて、映画に戻れば、歴史を繰り返すことののいようにと、南アメリカ文学のマジック・リアリズムのような容赦ない悪夢が続くかのようであった。

『オオカミの家』公式サイト
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最近、よく俳句を作るようになりました。これでおいらも俳人かい? 作った順に並べると時の移り変わりを感じるよ。いいもんだなぁ。

雨降らぬ梅雨の青空蝉はじめ

朝早く蓮の咲くのを聞いたことなし

夜の風アイスをほうりバスを待つ

入道雲フロントガラスにまた立ち昇る

油蝉駐車場での死骸なり

雷の雲間に青空見えにけり

掃き掃除散っては咲くよ百日紅

夏越えの鱒を釣らずに草を釣る

ロマンスカー窓から見えた鰯雲
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山田洋次監督の『こんにちは、母さん』を見ました。

主演の吉永小百合さん、やっぱ、スターのピュアな輝きがあるなぁ。しかし、こんなお母さんがいたらどうなんだと、ぼくはひとりごちてしまいます。もう一人の主役である大泉洋くんもはまっています。大泉くんの出演している映画は、ぼくはいっぱいよく見ているのですよ。教会の牧師役の寺尾聡さんもいい感じです。黒澤明の『夢』をなんだか思い出します。いい人をこれだけ自然体でできる役者もいそうでいませんね。それから脇役の女二人組、YOUさんと柄元萌さんも効いていますね。YOUさんの自然体。柄元萌さんは小津安二郎の映画の中の高橋とよみたいで、とてもいいのです。

さて、この前、茅ヶ崎市美術館で『小津安二郎 その審美眼』展を見たからか、なんだか、ぼくは『こんにちは、母さん』の映画の居間に出てくる調度品が気になってしかたない。すると、吉永小百合さん演じる母さんの住む古い足袋屋の台所に、あたかも小津映画から抜け出てきたかのような場違いな赤いケトルがあるではないか。この赤いケトルは、松竹映画の伝統の家族劇は確かにここにありますよと、小津先生、見ていてくださいと、山田洋次監督がそこに置いたのではないかしらなどとぼくは考えてしまいます。

締めくくりは苦いながらも、ほんの少し甘酸っぱくて、幸せな気分の中、エンドロールが始まっていました。山田洋次監督、本当にいい映画をありがとうございます。

映画『こんにちは、母さん』公式サイト|大ヒット上映中
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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