えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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きららさんのひまわりヨガどころ(http://walls-and-bridges.com/kirara/)でのライブパーティーに行った。午後の四時過ぎから、木村秀子さん(http://blog.goo.ne.jp/slowfast_1973/)のピアノの演奏でみかねぇさん(http://pocopana.web.fc2.com/index.html)が歌い、きららさんが踊る。いくつもの歌が歌われるのが、流れとなり、今日のテーマである海のかわいらしい物語を聴くようでもあった。秦野での海のオペラッタ。オペラッタってのはオペラのような大きなワグナーのように荘厳なものではなく、庶民のオペラッタ。バケラッタ、オペラッタ。

「闇鍋人生、人生でたとこ勝負、ごった煮飛び入りライブ」とタイトルされた二部の飛び入りライブではぼくも歌ってしまった。お父さん、お母さん、子供たちの前で歌ったという感じ。みんなが鳴らす打楽器の鳴り物が楽しい。新しい歌も一曲、歌ってしまった。最近はめったに歌など作らないのだけど、なぜか作ってしまったんだな。オペラッタのト書き風に言うと、登場人物二人、いつも雨を降らす雨女と漂流してたどりついたリュックを背にした会社を首にされた男で、場所は雨の降る続ける水の島で晴れてるときも何故か雨は降り止まない。こんど聴いておくれ。いっぱいいろんな人も歌った。楽しかった。

今日、一番感動したのは人間のすばらしいパフォーマンスではなかったのです。蛍がいるというので夜、川原まで見に行った。森の闇の中を子どもたちのがやがやわいわいいう声を聞きながら歩いて抜けて、すると小さな川と田んぼがあって、そこかしかに蛍が見つかる。子どもたちの歓声。ぼくの頭の上をゆっくり光が移動してゆく。本当の蛍ってともしびみたく淡くなくって、ほんのかすかに青みがかって強くつよく白く光る。こんな歌を歌っているのかも。

「ぼくは光ってる。きれいでしょ。ぼくを発見してよ。ぼくは生きている」

蛍さんたちのコンサートでした。
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竹橋の国立近代美術館に「ゴーギャン展」を見に行った。ゴーギャンというとサマセット・モームの「月と六ペンス」という小説を思い出す。どの流派にも属さない19世紀末の絵かきの異端児、反逆児は月のような手に届かない最高に美しいもの求めながら、六ペンスに苦しんでいた。つまり、貧乏とまわりの無理解。34歳で絵筆を取り始め、55歳で1960年代のロックスターのように薬物の過剰摂取によって南の島で逝ってしまうまで終生、それはつきまとった。

「我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこに行くのか」という大きな絵が飾られた部屋の中に入ったその時、ぼくに鳥肌すら立ったのだった。

「月と六ペンス」のことを一生懸命ぼくに話してくれた友だちには、最近会っていないけれど、どうしているんだろう? 今度会ったときには、きみに新しい歌を聞かせてあげる。
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昨日の昼、家のパソコンが調子悪くなって、結局、リカバリーCDというのでやっと直った。Windowsのサービスパック3というのをメッセージにまかせてインストールしてしまたったのが原因だた推測した。メールが消えた。いろんなソフトを再インストールした。おれの時間と労力を返せと言いたくなった。iTunesはCドライブにしかインストールできないのか? メーラーは古いNetscapeをやめて、Operaを使うことにした。ブラウザもOperaで、たまに動かないページのときのみInternetExplorerを使うことにする。

パソコンって便利だとは思う。アマゾンでCDや本を買えるし、知らないことを調べたり、ブログで友だちの近況を知ったりできるし、ハローワークの求人票も家で見れてしまう。このVAIOも8年目ぐらいだろうか? ただ、人の時間をこの道具は無駄に食べてはいないか?

機械より人間とか生き物の方が好き。
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高尾山に自転車で行ってきた。往復で40km以上です。薬王院にお参りをしながら、頂上まで登った。山道を登っていると、たくさんの鳥の声が聞こえる。修験道の霊験あらたかなこのお山は、いろんな生き物の暮らす清水と緑豊かなお山であるらしい。このお山に高速道路のトンネルを造るという計画が30年前からあり、着工されつつある。疑問というか反対!

この前、ジョー・ヒルという人の「20世紀の幽霊たち」とい小説集を読んだのだけど、その中に「木だって幽霊になる」という書き出しで始まる「死樹」という小説があって、本当に短いその物語に感動した。庭の大木を伐った主人公が、その庭で急に風が吹き、何かがむせび泣く気配を感じるという話だった。

ぼくは、この高尾山でも自然が蹂躙された草木や生き物の泣き声を聞くことになるのだろうかと思い、さらに、ぼくの住んでいる相模原も子どものころは、森も深く、カブトムシやクワガタもたくさんいて、雑草ばかりの原っぱが続いていて、その景色が幽霊みたく今でもここにあって、幻みたく見えたりもするのです。

高尾山の自然をまもる市民の会のホームページ
http://www.naturetakao.com/
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群馬の田舎に廃校になった小学校が温泉になっているという。前々から気になっていて、行ってきた。神奈川、東京、埼玉、群馬と行く長い下道のドライブをした。途中、ちょっと迂回して秩父の山の中の道路など通ったりした。目的地、奥利根に入り、車を止め、煙草を吸っていると緑色に光る黄金虫を見かけた。歩いていた。

午後の2時半ぐらいにやっと到着。早々にチェック・インする。受付におじいさん一人。今夜の泊まり客はぼく一人だというけれど、本当に小学校であった。昼の校庭の陽だまりに眠くなる感じだ。二階にある客室自体は昔の畳敷きの日本旅館という風でとてもこぎれいで感じがいい。その客室名に札として「宴虫」とある。「宴虫」、ぼくのことだろうか?

さっそく、別棟の温泉に行ってみる。大きな窓に深くなりつつある初夏の緑がまぶしい。お風呂はとても熱かった。湯船のところに蛇口があったんで、水をうべて入ってしまいました。そのためにこの蛇口はあるのかな? どうせ、今夜はぼく一人だし。

お風呂に入った後、小さい昔の小学校の中をぶらぶらする。昔の理科室だったらしいところが、談話室というのになっている。たくさんの本も本棚にあった。そして、またぶらぶら、廊下の外からけろけろの鳴き声がする。けろけろ、けろけろ。もりああおがえるだそうだ。天然記念物。けろけろ、けろけろ。

部屋に戻った後、外に散策に出かけた。川沿いの道をてくてく歩いていると、道端の草を摘みながら歩いているおばあさんを見かけた。何を摘みながら歩いているんだろう。川岸に行き、ぼーっとする。濡れた石をひっくりかえすと小さい虫がいた。ぶよとかになるんだろうか?

部屋に帰ってしばらくすると、夕食です。食堂は昔、講堂であったところという。アップライトのピアノが置いてあります。「赤とんぼ」とか「からすの赤ちゃん」とか聞こえてきそう。山菜の天ぷらだの、山女魚の焼き魚だったのですが、そこにさっき草を摘んでいたおばあさんがいたのです。こういうことだったのか。山女魚はかなりおいしかったです。

食事をした後、また温泉に浸かり、部屋の戻り、来る途中で買った、「谷川岳」という日本酒をちびりちびり飲んだ。川のせせらぎが聞こえ、小学校のころよく行った夏のキャンプを思い出したりしていると、うとうと眠くなってきた。すると、目の前に小学生の男の子がいる。男の子はぼくの財布から落ちた五百円玉を拾い、こう言う。
「これなあに」
「これは五百円玉だよ」
とぼくは言う。
「うそだあ。こんなの見たこともないよ」
と言って、男の子は、きらきらした目で五百円玉を見ている。
「はいっ」
と言って、その五百円玉を返してくれた後、こう言う。
「下に行ってみんなとトランプしようよ」
下の階から子供たちの遊ぶ声が聞こえた。
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この前、なんだか黄色いバラの入った花束をもらう機会がなぜかあって、その黄色いバラを見てると、Ry Cooderの"Chiken Skin Music"に入っている"Yellow Roses"、「黄色いバラ」が聴きたくなった。ぼくは、なぜか初恋の歌とばかり思っていたのだけど、よく聴いてみるとこんな詞であった。

「ぼくはきみの黄色いバラをうけとった
もう終わってしまったという意味なんだね
そんなことをきみが言った時、きみの心は壊れてしまった
ぼくがうそを言ったことがないのをきみは知るでしょう

きみの写真のそばに黄色いバラを飾ろうと思う
花びらがきみの写真に落ちて
ぼくの涙を隠してくれるでしょう
花は少しずつ枯れて、なくなってしまっても
黄色いバラがさようならを言っても
ぼくは、きみを愛しているのでしょう」

詞だけではこの音楽の美しさは語れないのだけど、"Chicken Skin Music"というアルバムのそれぞれの歌に登場する放浪するアウトロウの胸ポケットにはこの美しい黄色いバラがいちりん、挿されているのではなかろうか?

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ロッキング・オンからの忌野清志郎追悼号を読んだ。おもしろかったです。一晩で読みました。1987年、1988年、1995年、2004年の清志郎のインタビューと清志郎逝去直後の仲井戸麗一と坂本龍一のインタビュー集でした。清志郎って色んな面があって、複雑なというか、引き裂かれている人なんだなぁと思った。静と動、悪と聖性、計算高いビジネス・マンと破滅的な芸術家、自信と諦め、フォークとロック、シャイと外向、虚と実、作り話と事実・・・。便利女の話とか本当なだろうか? インタビュアーの渋谷陽一氏と仲が良さそうなのも以外です。この前、RC SUCCESSIONの"RHAPSPDY NAKED"を聞いていたら、清志郎がMCでこんなことを言っていたけど、このまれに見るシンガーは、生涯に同じことを何度も言っていたのではないだろうか? 一人で道を切り開いてきた彼は、今でも空の上で。

「すごい人気だ。自信がわいてきた」

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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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