えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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おれは人から怒らない人かと思われているらしいかもしれないのだが、自分が怒っている夢をしばしば見る。

今朝も見た。おれは、前に務めていた会社で取引していたある営業マンに、おまえのところのシステムはなぜ、まともに動かないのかと、怒っていたのだった。夢の中で、売る時にはいいことばかり並べて言って、いざ導入すれば、異常停止してばかり、何度、夜中に会社に臨時で出社したことか、おまえの言っていたいいことはみんな嘘かと、怒っていた。あのころ、そんなことがあったけ? 今でもあの人の顔を思い出すとムカムカ腹が立ってくる、そんな人がいたかもしれないなぁ。誠実のかけらもなかった。おれはその時、平気で嘘を並べ立て、高い商品を売りつける、嘘つきの営業マンがいることを知った。おれはそういう人を軽蔑を込めて「モノウリ」と呼ばさせてもらうことにした。

ロックは怒りの音楽とも言われるけど、数年前、あの大御所のRolling Stonesがアルバム"A Bigger Bang"の中で"Sweet Neo Con"という曲を演奏していて、それは、おまえは自分のことをクリスチャンだと思っているが、おれに言わせれば、ただの偽善者、おまはは自分を愛国者と呼ぶが、おれにはおまえはクソみたく無能と、歌われるけれど、"Neo Con"とはまさしくネオコンのことで、ネオコンとは新保守主義と呼ばれる自由競争万歳、資本主義万歳みたいな連中のことで、彼らのことをMick Jaggerが怒りにかられて皮肉まじりに歌っているようなのだ。

今、イギリスのパンク・バンドTHE CLASHの"SANDINISTA!"を聴いていて、このアルバムのリリースされた1980年当時の時代や状況、社会に対しての怒りがぶちまけられ、それがラフにとっちらかったままのようなところが、生々しくてかっこいい。昔、見たドキュメンタリー映画の中でTHE CLASHのリーダーのJoe Strummerは、資本主義より社会主義の方がましだと答えていたけれど、Joeにはそう答える理由があり、彼のお兄さんは、ばりばりの右翼の活動家、ナオ・ナチだった。その兄ちゃんが自殺してしまい、その死に衝撃を受け、いろいろ考えるようになったと言う。このアルバムはニカラグアのサンディ二スタ革命に捧げられたもので、音の方はパンク・ロックというより、レゲエ・ロックという感じで、カリプソみたいな曲もあるし、ゆるい混沌としたスウィングに乗って、社会と個人の間をよろめき、地面に這いつくばってほふく前進するような詞が、その暗喩と象徴によって想像を羽ばたかせてくれる。その想像の羽ばたきによって、悪夢、nightmareは、夢、dreamに変わる。


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一度聴いたら忘れられないような歌声があるものだけど、それがこのCandi Statonなのだ。マイクとかスピーカーのコーン紙が破れたような声なののだが、それがかっこいい。変声期の男子のようにも聞こえてしまう。濁った音が美しいではないか。破れた声が美しいではないか。アラバマからの風に乗って破れたハートの歌が聞こえるではないか。忘れられなくなっっちゃうのよ。

このアルバムでは、その彼女の歌声のバックであのアラバマ州マスクル・ショールズの白人と黒人の混成部隊のFameレーベルのサウンドが支えている。管楽器、ベース、ギター、キーボード、ストリングス、ドラムスが緻密に混ざり合い、そして、そこからもたらされる幾層にも重なったディープさと柔らかくはねるリズムが最高なんだ。このレーベルのオーナーのRick Hallってのも、凄いやつだと思うよ。メンフィスにStaxがあれば、マスクル・ショールズにはFameがあると言われ、Staxに並ぶ、南部の最も重要なインデペンデント・ソウル・レーベルだったのだな。

1960年代のアメリカ南部の産んだ奇跡の歌と音ですな。


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ギターのブリッジ・ピンを変えてみた。サドルを変えた時は、本当に見違えるほど音が変わったのだが、ブリッジ・ピンはそれほどでもなかったな。けれど、さらにボディーに弦が響くように感じます。水牛製にしてみたのだが、気になることもあって、これを作るために野生動物を殺傷しているのだろうかということだ。なんか嫌だなと少し思うのだった。

日本にしか生息しないニホンカワウソは数年前、絶滅したと言われている。英名で"Nipponia nippon"と呼ばれ、その名前の一部"nippon"という名前が付けられているトキも絶滅を危惧されている。全世界で1200羽も満たない数しか生息していないらしい。環境省の配下にある生物多様性情報システムというところが発表している日本の絶滅危惧種のリストを見ると、その多さに驚いてしまう。2955種! 英名で"Japanese wolf"と呼ばれるニホンオオカミは明治時代に絶滅してしまった。彼らは日本の自然の中で、人間様天下の世の下、傍流におしやられてしまった者たちのような気がする。

動物を殺傷するとはどういうことだろうか? 昔、ぼくは菜食主義を実践したことがあって、あるキャンプ・ファイヤーの夜にそのことを友だちに言うと、友だちはこう素っ気なくこう答えたことがあった。

「生き物を殺して食べることはいいことだ」

その言葉を聞いて、ぼくは菜食主義をやめた。その友だちも、今、多分、日本の中で傍流にいるに違いなく、もろもろの今は会わなくなってしまった、メイン・ストリートから運命のように外れたならず者の男たち、女たち、友だちを元気にしているのだろうかと思い浮かべてしまう。そして、ニホンオオカミやニホンカワウソが戻ってくる日を夢見てしまう。

生物多様性情報システムのページ
http://www.biodic.go.jp/J-IBIS.html

レッド・リスト(地域的に孤立している個体群で、絶滅のおそれが高いもの)のページ
http://www.biodic.go.jp/rdb/rdb_f.html
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実は、ぼくは、日本人のブルースの演奏にあまりブルース・フィーリングを感じたことがない。なぜだろうと思う。余り日本人のブルース・マンを知らないというのもある。この前、東長崎のSpoonfulで聴いたROIKIさんの弾き語りは良かったなぁ。あと、吾妻光良・アンド・スウィンギング・バッパーズは大好きだし、吾妻さんのギターも大好きだけど、やっぱ例外かな。ホワイト・ブルースもほとんど聞かない。1960年代のローリング・ストーンズが最高のホワイト・ブルース・バンドだと思っているのは、その他のバンドを知らないだけなのか? けど、DOORSのブルース・アルバム"L.A. Woman"はいいなぁ。後は何かあっただろうか? ぼくが知らないだけ? 黒人たちのブルース以外に何かブルースはないか? 思い出したよ。憂歌団だ。

ぼくのお勧めのライブ・アルバム・シリーズ。この「生聞59分!!」は憂歌団の絶頂期のライブです。木村秀勝のボーカルとリズム・ギター、内田勘太郎のリード・ギター、花岡憲二のベース、島田和夫のドラムス。泣くのがブルースかもしれないが、泣いてばかりいるのがブルースとも限らない。ギターをきゅんきゅんチョーキングするばかりがブルースとは限らない。歌だ。4人の男たちが一緒になって奏で、そして、それぞれの楽器で歌って、騒いで、ストンプしている。このアルバムのラストは「憂歌団のテーマ」。歌っているよ。

「俺たちゃ 憂歌団
やくざな 憂歌団
俺たちが歌えば女がさわぐ
キャー・・・」

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秋も深まり、いよいよ12月で冬到来ですな。夜もどんどん長くなってきた。長い夜は家で音楽鑑賞などいいですよ。お勧めアルバムの紹介です。


その1

CLASSIC AFRICAN-AMERICAM BALLADS from SMITHSONIAN FOLKWAYS



これはアフリカン・アメリカンの古いフォーク・バラッドを集めたもの。ブルースは余り入っていないのだけど、この種の音楽にそれほど明るくないぼくのような入門者向けの1枚なのだ。古い録音集なのだが、音がすごく良くて、バラエティーのとんでいて、しかも一曲一曲が珠玉の名演揃い。ポップス以前のアメリカン・ミュージックがここにある。


その2

Grounation The Mystic Revelation of Rastafari




Count Ossie率いるThe Mystic Revelation of Rastafariが奏でるラスタファリアンの宗教儀式であるナイアビンギを録音したもの。これは超お勧め。詠唱とパーカッションのポリリズムに重たく反復するベース、しばしばオーネット・コールマン的な、もしくはアルバート・アイラー的なサックスが絡んでいく。重たいのだが聴いているうちにポジティブな聖なる霊気に包まれ、とてもいい気持ちになれます。ニューオーリンズを出発した帆船が音楽を奏でながら、永遠とカリブの海を巡っている空気もあります。信じがたいほど高度な音楽性も感じる。素晴らしすぎる。


その3

JOHN LENNON MENLOVE AVE.



Phil Spectorに持ち逃げされたテープがJohnの死後に発見されて、それらが1曲目、3曲目、4曲目、5曲目に入っていてそれが素晴らしい。ストレートなロックン・ローラーでありながら、なんとも繊細でブルージーな彼の本性がPhil Spectorの作るウォール・サウンドの向こうにはっきりと見れるのです。John Lennonって寂しがり屋だね。5曲目の"To Know Her Is To Love Her"でJohnがイエーって叫ぶところがあるんだけど、これがRock'n' Rollだと思う。


その4

A NEW SOUND FROM DEEP SOUTH SPACY SONG STAR DONT MADE IN OKINAWA



どんとの追悼コンサートのエンディングのBGMでかかっていたこのアルバムの2曲目「おめでとう」が忘れられない。君がこの世界に生まれてきたのは深い深い不思議なわけがあるんだよと歌い始めるこの歌の3年後に逝ってしまうとはと思う。一人沖縄での自宅録音。アルバム・タイトルでは"NEW SOUND"と謳っているけど、テクノ風の打ち込みサウンドが今聴くとノスタルジック。どんとはいい曲書くなぁ。


その5

introducing ROLAND KIRK and featureing IRA SULLIVAN



4曲目の"Our Love Is Here To Stay"がインスツルメンタルの最高のジャズ・バラードだと思う。何度、この演奏を聴いてため息をついたことか。あぁ、美しい。後にDinah Washingtonの歌う同じ曲を聴いて驚いた。Rolandらは原曲とはまったく違うメロディーを奏でていたのだから。そういうのがジャズってやつだな。


その6

Burt Bacharack MUSIC FROM BUTCH CASSIDY AND THE SUNDANCE KID



アメリカ西部開拓時代の二人のならず者を描いた映画「明日に向かって撃て」のサウンド・トラック。この映画のテーマ曲ともいうべきB.J. Thomasの歌う"Raindrops Keep Fallin' On My Head"が何とも耳に残り、忘れがたい。アメリカの自由って感じで映画も良かったなぁ。ポール・ニューマンやロバート・レッドフォードがかっこよくて、キャサリン・ロスがきれいだった。


その7

PHYLLIS DILLON ONE LIFE TO LIVE



"Perfidia"の名唱で知られるPHYLLIS DILLON嬢のビーズのような小唄集ですな。この1960年代後期のジャマイカのこういう音楽にはアメリカのサザン・ソウルと同じようなフィーリングを感じてしまって惹かれてしまう。それと、なんともこの時代のジャマイカのリズムが柔らかくディープに弾んで気持ちいいです。


その8

Blues After Hours ELMORE JAMES AND THE BROOM DUSTERS



このアルバムにはおもしろい逸話があるのです。あるブルース・バーでこのアルバムをかけていたところ、そこにブルースとか知らないサラリー・マンが単なるバーだと思って入ってきた。このアルバムの曲がずっと流れる中、そのサラリー・マンがいきなり椅子から立ち上がって、こうわめいたそうな。いつまで同じ曲ばかりかけてんだ?! わめいたリーサラさんよ、その気持はわかるが、ブルースは素晴らしい。ワン・パターンであろうがなかろうが、いいもんはいい。今、改めて、このアルバムを聴くと、Elmore以外にもう1本、ギターの音が聞こえるが、Eddie Taylorであるという。職人だ。それにやっぱ、このElmore Jamesの歌、そのファンキーでストロングな歌いまわしが、ぼくの胸をかきむしる。このジャケットも趣があるなぁ。


その9

THE BAND MUSIC FROM BIG PINK



Bob DylanとRichard Mannuelが作詞作曲したこのアルバムの1曲目の"Tears Of Rage"は恐るべき曲だ。ベトナム戦争のさなか、フラワー・ムーブメントのアメリカで傷ついた父が娘に語りかけるような歌なのだ。わかりずらいDylanがらみの詞のつたない意訳。

「独立記念日にはおまえを腕に抱えて連れていったのだけど、
今、おまえは、私たちを脇に追いやり
私たちのすべてを置いて行く
太陽のそばにいたような親愛なる娘が、父にそのようなことをするなんて
素直だったおまえがいつでも嫌だと反抗する

怒りの涙、悲嘆の涙が溢れ
どうして私は泥棒呼ばわりされるのか?
私のところに来ておくれ、私たちは弱く
生きることは儚いのだから

おまえが私たちの受け応えから逃げ出すことが
私にはひどく辛い
信じられない全ての嘘の教えと
財布の中のように
今は、心は、黄金で満たされているけれど
さらに悪くなり
これはどのような愛なのだと思う

怒りの涙、悲嘆の涙が溢れ
どうして私は泥棒呼ばわりされるのか?
私のところに来ておくれ、私たちは弱く
生きることは儚いのだから

私たちはおまえの行く道を指し示し
砂におまえの名前を引っかいた
おまえが立っているその場所以外にはないと思っていたとしても
私はおまえが、私たちが見続けているうちに見つけた
真実のようなものを知って欲しい
私の多くのまわりの人がそれを子供のようだと思うとしても

怒りの涙、悲嘆の涙が溢れ
どうして私は泥棒呼ばわりされるのか?
私のところに来ておくれ、私たちは弱く
生きることは儚いのだから」

アルバム全編において土臭い大地と空の間を二本の足で漂流するかのような夢を奏でた傑作です。


その10

THE BUD POWELL TRIO



ぼくが一番良く聴いた、聴き続けてきたジャズ・ピアノのアルバムがこれです。実は1曲目から8曲目が病前で9曲目から16曲目が病後であったりする。ぼくはどちらも好きです。


その11

PHAROAH SANDERS THEMBI




"Astral Traveling"でLonnie Liston Smithがローズのエレクトリック・ピアノを弾いているんだが、これがかっこいい。この曲、宇宙を旅しているというより、ぼくの耳には蝶になって熱帯の密林をはばたいてさ迷っている絵が浮かんだりします。2曲目以降、Pharoahのサックスが東洋的瞑想的に暴れまくります。


その12

THE CHEIFTAINS THE BELLS OF DUBLIN



あと一ヶ月もせずにクリスマスではないか。クリスマスって何だ? キリスト教徒のお祭り? 救世主が生まれた? しかしだなぁ、神の御名において戦争をしててもいいのか? あの人は、戦いもせず逃げもせずに命を差し出したというのに。で、このCheiftansのクリスマス・キャロル集は大好きなのです。キャロルとは祝い歌というような意味だそう。アイルランドのクリスマスって寒そうだな。けれど、いつかそんな冬に旅してみたい。ダブリンの街をさ迷うんだ。イエーツの詩を口ずさみ、ジェームズ・ジョイスの足跡がどこかにないかと探し、Cheiftansの奏でるようなアイリッシュ・トラッドの聞こえてくるパブでビールやミルク・リキュールを飲んで大騒ぎをする。酔いつぶれた翌朝、さて、ぼくは、妖精の森を抜け、古い教会にたどり着き、ぼくの内にも外にも、きみの内にも外にも平和と穏やかさが訪れるのを祈るのだろう。アーメン。


チャオ・・・








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東長崎のブルース・バー、スプーンフルで知り合った垂水くんが江古田にある江古田倶楽部というブルース・バーでのオープン・マイクが面白いと言っていた。ずっと気になっていたので、今夜、はるばる相模原から池袋の先まで足を伸ばした。今は亡き忌野清志郎が言っていたことを見習っているんです。どこにでも、ホイホイ行って歌うんです。弾き語るおれは放浪するRobert Johnsonなんだなんて…。

江古田倶楽部に入ると、古いジャズが大きな手作りのスピーカーでかかっていて、すごくいい音。今日のライブのためにマイクがセッティングされていて、なんとギターの位置には高級そうなコンデンサー・マイク。なんか、驚いた。こだわりだなぁ。ぼくはこのステレオ・セットでマスクル・ショールズ録音のサザン・ソウルのアナログ・レコードを聴きたいなどと思ってしまう。今度、来たらリクエストしてみようかなぁ。しかし、そんなところ以外ではこのお店、本当に商売っけがなくて、大丈夫か?

オープン・マイクは期待していたとおり、個性的なつわものが集まっていた。日記みたいな自作のフォーク・ソングを歌う男の人。古いブラジルのサンバ・カンソンを歌う女の人。JB Lenoirみたいなかん高い声で、いやもっとキンキンした声でRobert Johnsonのブルースを日本語にして歌う男の人。女トロンボーンに男バンジョーで古い1920年代とか1930年代ののりのニュー・オーリンズ・ジャズを奏でるコンビ。面白かった。

歌った後、ぼくは思うことがあった。型にしばられるのは好きではないのだけど、弾き語りでの自分しかない自由奔放な何かのスタイルみたいなものを見つけたい。そして、バンドでは、いつか、オーディエンスの口がパッかり開いて塞がらないような完璧でグレイトでファンタスティックなサウンドをガーンとぶちかましたい。いつになるか分からんが、しばし待たれよ。

(左の写真が垂水くん、右の写真がニューオーリンズ・ジャズ・コンビさんです。)

江古田倶楽部のページ
http://www.ekodaclub.com/

垂水くんのブログ
http://ameblo.jp/taru414/

J B Lenoir & Freddy Below - Live 1965

http://www.youtube.com/watch?v=1PXAfqr-Hc4
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その一

こんな夢を見た。友だちの車に乗せてもらう。ぼくの他にもう一人、乗っている。総勢3名。ぼくは助手席にいる。車が見慣れた坂を猛スピードで登っていく。フロント・ガラスに映る風景が横になり、逆さになり、あっと思ったら、車は道を飛び出し、空にいて落下しつつある。下のほうに川が見える。多摩川か何かだろうか。あそこに着水すれば助かるかもしれない。車を地面に対して水平にするように重心を移動すると水平になった。みるみる川が近づいて来る。川に車が着水する。車の中に水が入ってくる。車が沈んでしまわないうちに外に出なくてはならない。ドアを開けて外に出る。辺りを見回すと、川というより大きな池のような貯水池のようなところ。向こうの方に監視棟のようなものがある。あそこまで泳げば助かる。水に少しの毒が入っているようだが、口に含むぐらいならば、無害だ。泳ぐ。監視棟にたどり着き、そこに上がり、ストーブで暖を取る。


その二

こんな夢を見た。年始の仕事始めに会社に行く。システム開発会社だ。コンピュータに向かい仕事を始める。通達がある。今日は嘱託社員の吉永小百合さんの家で年始パーティーがあるので、出席せよとのこと。上司らしき人と吉永邸に向かう。見たことも無い大きな家で、しかもぼくの家の近くであった。入り口でガード・マンらしき人がドレス・チェックをしている。何やらシックなネクタイをしていないと入れないらしい。ぼくはネクタイをしていないのに気づき、上司に断りを入れ、自宅までネクタイを取りに行く。家に入り、ネクタイのかかっているところに行く。そのネクタイ掛けにはぼくの生涯で首に回したいろんなものが掛けてあって、幼稚園のころ首に巻いていたエンジ色のリボンまである。なんでこんな幼稚園のころのものがあるのかと母に聞いてみると、母は、それをしていれば大丈夫だと思っていたなどと答える。シックなネクタイがなかなか見つからないが、緑と白の柄のネクタイを見つけ、ちょっと派手だけど、これなら大丈夫かと思い、首に巻き、自転車に乗り、吉永邸に向かう。


誰か精神分析をしてください。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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