えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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こんな夢を見た。

「ぼくが夜、眠っていると、体が浮き上がってくる。どんどん浮き上がって、天井まで昇ってくると、ぼくは、またいつものように、体が魂から離れていっているのだろうかと思う。屋根を突き破り、空の上まで昇っていくと、また元の体に戻れるのだろうかと、危惧する。すると、空を遊泳し始めた。遥か下界をのぞみながら、空を滑っていく。そんな風に滑空しつつ、あるところに着地する。

そこは少し湿っぽくて温かい所で、人もたくさんいて、タイ語のような異国語が聞こえる。東南アジアのどこかかもしれない。広い道を歩いていく。車はほとんど走っていない。歩いて行くとホームレスといいうか、浮浪者というか、そういう人たちが道一杯に広がって、暖かい寝袋のようなものにくるまって、眠っている。道を通れないじゃないか、困ったなぁと思い、どうしようかとしばらく思案するけれど、意を決して、その人たちをまたいで行くことにする。またごうとすると、ポケットからぼくの家の鍵が落ちる。あっと思うと、一人のホームレスの人がその鍵を拾ってくれて、いいねぇ、家があるのなんてと声をかけられた。ぼくはどうもと言い、以外に恐くなくて、いい人たちなんだなぁと思う。

さらに道を歩いて行くと、古い木造の平屋の学校のような建物がある。そこに入っていくと、やっぱり学校で中学生ぐらいの子どもがたくさんいる。その子ども、男の子に声をかけてみる。ここはどこなのかと英語で聞くと、何やら場所は教えてくれないけれど、二十二世紀のどこからしい。ぼくは二十一世紀、2010年のJAPANから来たのだよと教えてあげると、ああそうと男の子は言う。ところで二十二世紀にJAPANはどうなっているのと聞くと男の子は、もう今はJAPANは実はないんだと答える。ひとり言のように男の子は、日本には本当に残念なことをしたとつぶやく。日本には本当に残念なことをした。ぼくは、アメリカという日本ととても親しい国があったんだけど、どうなったのかと聞く。男の子ははぐらかすようにして、何も答えない。

そこで予鈴みたいな音が教室に響く。教室にいる男の子も女の子も帰ろうとする。すると、教壇の備えられている丸くて白くて腕の二本付いたロボットみたいなものの赤い目がぴかりと光りだし、首を左右に振る。教壇に固定されていて、自分で動くことはできないけれど、松本零士の漫画「宇宙戦艦ヤマト」に出てきたアナライザーみたいだ。そのロボットがしゃべり始める。しゃべり方とか言葉とかからこのロボットは女性という設定らしい。

ロボットは、今日のみなさんは少しお行儀が悪かったですね、みんな、わたしにハイタッチをして帰りましょうと言う。男の子も女の子も一列にならんで、ロボットの細い腕の手に一人一人ハイタッチして帰っていく。ぼくの番だ。この時代はロボットに監視されているのかと思う。何か嫌な感じだ。ロボットの脇に白いタオルが落ちているのが目に入り、そのタオルを手に取り、ロボットの腕をからめとり、ぼくは締め上げようとする。ロボットは何をするんですか、やめなさいと何度も言うけれど、ぼくはやめない。すると、ずんぐりしたロボットの胴のあたりから無数の先に吸盤のような物が付いた棒のようなものがすごい速さで出てきた。ぼくは危ない、ぶん殴られると思い、身をかわそうとするが、かわせず、その吸盤みたいなものが当たるが、当たる直前にその棒のようなものは、速度と力を弱めた。なんだ何にも痛くない。しかし、なんだ、このヘナヘナの猫パンチはと思うと、お腹の底から笑いがこみ上げてくる。くっくっくっ、と笑いを我慢できない。どうしても笑いが我慢できない。このロボットはやさしいやつなのかも。くっくっくっと笑いがこみ上げてくる。なんだこの猫パンチは。笑いが我慢できない。なんだこの猫パンチは」

そこで目が覚めた。心霊SF巨篇であったよ。
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JAYWALKというバンドのボーカリストが覚せい剤取締法違反というので逮捕されてそのバンドのCDが出荷停止だという。ミック・ジャガーやキース・リチャーズが同じようなことで逮捕されて、ローリング・ストーンズのCDが出荷停止になったことはあっただろうかと思う。さらに、ポール・マッカートニーが同じようなことで逮捕されて、ビートルズが出荷停止になったことはあっただろうか? 昔、ショーケンこと萩原健一は同じようなことで逮捕されて、テレビ・ドラマや映画からはほされたけれど、コンサート・ツアーは続けて、その時のライブが「アンドレ・マルロー・ライブ」というライブ・アルバムにもなっている。そのアルバムを聴くと、ショーケンは、歌いながら、おれの真似すんなよ、仕事がないぞ、嫁が逃げたぞ、とかってわめいていて、なんともいとおしい、いかれた道化師だと思った。そして、キース・リチャーズが捕まった時は、その捕まった国がカナダで、終身刑になる可能性もあったのだけど、ストーンズ・ファンの盲目の少女のカナダ政府への嘆願とキース自信の盲人のためのチャリティー・コンサートの開催により放免になったのだった。

麻薬をすると三つの悪いことがあるとも思う。

一つは、逮捕されてしまうかもしれないこと。芸能人とか政治家は逮捕されても、一年後とかに、なんだかもとの鞘に収まっているということがよくあるのだけど、芸能人でも政治家でもないぼくたちはそうは行かない。田中角栄なんて人は逮捕された後も、闇将軍などと呼ばれ、当時の政治を支配していたという噂もあるけれど、ぼくたちはそうは行かないのだ。

一つは、身体にも精神にも悪影響はなはだしいこと。昔、深夜に見たテレビのドキュメンタリーで、覚醒剤中毒で入院した女性を取材していて、その女性はやけに普通の声でハキハキと、医師に、毎日同じ内容の新聞が配達される、どうしてなのかと訴えていた。ものすごく怖かったです。

一つはお金が途方もなくかかること。お酒を飲む人なら分かると思うのだが、お酒も覚え始めは少量ですぐに酔ってしまうのではないか。しばらくすると、量が増えていくのだけど、麻薬の場合は倍々に増えていって、元々、その筋の人からしか手に入らない高価なものだから、お金をどんどんたくさん使うことになってしまう。

お金がどんどん無くなり、健康の損ない続け、社会生活において圧倒的ハンデを背負うという三重苦が待っているかもしれないのを、興味本位で試そうとするお若いさん、よく憶えておきなはれ。そんなやついないか?

麻薬とは呼ばれないが、アルコールというものがある。酔っ払って、素っ裸になって、公園でわめき続けるような人もいるらしいのだが、もっと悪いのは、電車の中とかで酔っ払って暴力とかを振るう人もいるらしい。そういう人は酔いから覚めた後、酔っていてすいませんなどと言うが、もし運転中ならば、車を酔っ払って運転して事故を起こしたら、二重どころか四重、八重の重罪になることを知らないのだろうか? 事故を起こしました、すいません、酔ってもいました、すいません、ではないだろうか? お酒は理由にならんだろう。

などと考えていたら、おぁ、居酒屋行って、一杯、呑みたくなってしまう。
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町田のボックスというライブ・ハウスのセッションでWilson Picketの"In The Midnight Hour"を歌ったのだけど、この曲、キーがEのブルースみたいなシンプルな曲なんだが、いい曲なんだ。この曲の入った"In The Midnight Hour"というアルバムも素晴らしく、コーラスグループFalconsでのPicketの熱い名唱が聴ける"I Found A Love"も入っている。さて、"In The Midnight Hour"だけれど、いきがった不良が見せる限りなく熱いロマンチックを感じるのです。作詞作曲Wilson Pickettご本人のこの詞を訳してみました。

「おれは真夜中まで待っているよ
そのころには、おれの愛が転がり始める
真夜中まで待っているよ
そのころには誰もいなくなるのさ
きみを導き、抱きしめるだろう
すべてのいいことを話してあげよう
あの真夜中に

星たちが輝くまで待っているよ
きみの瞳がきらきらするのを見て
真夜中まで待っているよ
おれの愛が輝き始める
本当に愛せるのはきみだけ
あの真夜中に

真夜中まで待っているよ
そのころには、おれの愛が転がり始める
真夜中まで待っているよ
おれの愛が輝き始める
きみとぼく、おまえとおれ、ただそれだけ」

まぶしく熱い愛です。





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古友だちの大久保くんに誘われて、自由が丘のマルディグラに彼自身がリーダーするところの大久保圭造グループを見に行った。彼の演奏を聴くのは本当に久しぶりであった。全編、大久保くんのオリジナルの楽曲のみの演奏であったのには理由がありそうだ。一部の終了後、ぼくは大久保くんにどうだっかと訊ねられ、ダラー・ブランド、好きでしょうと答えていたのだった。そして、二部の終了後にまたどうだったと訊ねられ、大久保くん、チャーリー・ミンガス好きでしょうと答えた自分は、少々、不謹慎な人間であるかも。お久しぶりのベースの諏訪真くんは、このバンドは古い昔を懐かしむ学芸会的なおやじバンドにはしたくないんですと言っていた。

ダラー・ブランドもチャーリー・ミンガスもぼくの褒め言葉であったのは分かりずらかっただろうか? お客さんに多分受けやすいスタンダード・ナンバーを演目から一切外し、ユニークなオリジナルで突き進む大久保圭造グループ、いいではないか! 平凡であるかのような非凡というか、どこにでもあるどこにもないようなジャズを指向するこのバンドは、勇気ある道を踏み出しておるよ。リスペクト!

(帰り間際に大久保圭造グループとぼくの歌っているバンド、チェアーズのコラボレーションの話も出てきたが、チェアーズはロケットで長い宇宙旅行に今、旅立っているよ。)
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世界でもいいし、身の回りでもいいのだけど、何か事件のようなことが起こると、ぼくはいつもこれをジョン・レノンはどう歌うのだろうかと思いをめぐらし想像する。それはぼくにとって、一番頼りになる羅針盤のようなもので、あぁ、ジョン・レノンはこの時代をどう歌うのだろかなと想像してみる。

ぼくは今日、忌野清志郎の新しいアルバム"Baby #1"を買ったのだけど、今はまだ、未聴で、それは、RCサクセション解散直前の未発表の録音集なのだ。ここでもぼくは考え、思ってしまうのは、キヨシロウは今の時代をどう歌うだろうか? そんなことを想像していたら、昔、じゃがたらの江戸アケミが、おまえはおまえのロックをしろと歌っていたのを思い出し、キヨシロウが歌うこんな架空の詞が頭に浮かんだのだった。

「おれはあつかいずらいぜ
おれは空気読まないぜ
だっておれは自由、自由」

昔から日本の社会にある同質性を強いるような空気に強い違和感をぼくは持っていた。違った人間が違ったままで生きれるらしいアメリカという国のアイデアというものに惹かれもし、アメリカという国にはそんなアイデアがあって、実際のその例外のようなことを取り除くようなことがアメリカの20世紀の歴史だったのかもしれなくて、それは未だ進行中であるのかもしれないとも思う。ぼくは集団嫌いの変人のはみだしもののようなところがあって、それはそれでいいし、どこにでも一人でポツンと行ってしまう。まわりが黒くても黒くなれないし、まわりが赤くても赤くはなれなくて、彼女の髪の毛は狂気のオレンジ色なのだよとチャールズ・ミンガスはベースを弾いたのではないか? ぼくは真っ赤な水玉もようを着たピエロにも憧れる。

キヨシロウは今の日本をどう歌うのかと、再び思いをめぐらすと、ぼくにはキヨシロウのこんなリフレインも聞こえてくるようなのだ。

「ベイビー、逃げるんだ
ベイビー、逃げるん、逃げるんだ」

そして、この文章をこの前の2010年1月14日に逝ってしまったニューオーリンズから来たはみ出し者の歌い人、ボビー・チャールズに捧げます。




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乃木坂にある国立新美術館にルノアール展を見に行った。美術館にはルノアールの絵の明るい光があふれていた。ルノアールは絵を描くことが幸せだと言い、七十歳を越える生涯、絵を描きつづけて生きたのだけど、貧しさから脱した時は五十歳を越えていた。小説家であり前衛芸術家の赤瀬川源平はあるNHKの美術番組でセザンヌをを高く評価し、ルノアールを芸術家としては二流に位置するらしいイラストレータだと見下していたのが気になり、実物をたくさん見てみたいと思っていたのです。

見終わった後に、意味や言葉を越えた幸せ感がいつまでも残る。ルノアールはたくさんの女の人の絵を描いたけれど、どの絵の女の人たちも、きれいな光に包まれ、うっすらと上品に優しくほほ笑んでいるのが素敵だ。あっ、またほほ笑んでいるとぼくはいくつもの絵を見て、みとれてもいた。ぼくはルノアールを光とほほ笑みの芸術家だと思います。
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ずっとユングという心理学者に興味を持ち、惹かれてきた。だからか、ときたま変な夢を見るけれど、変な夢を見るから、ユングに訊ねたくなる。この前、こんな魚の夢を見た。その夢とはこんな夢です。

ある人と熱帯魚を売っているような店にいる。その店でぼくとそのとある女性はペアの魚を買うが、それは、ニジマスの稚魚のようなうなぎにもどじょうにも見える魚で、その魚を持って家に帰る。

その家には、浴槽が二つあり、その二つの浴槽でそれぞれの魚を飼うことにする。一つの浴槽に水を入れ、それに魚を一匹入れ、それを女性が見ることにする。もう一つの浴槽にも水を入れ、もう一匹の魚を入れ、それをぼくが見ることにする。ぼくは浴槽の魚を見るが、なぜか苦しそうで、口をパクパクさせている。そして、その内、その魚の動きが口を下を向けた不自然な状態で止まってしまった。死んでしまったのかもしれないと思い、すると、悲しみがこみ上げてきて、別の浴槽を見ている女性のところに行き、死んでしまったよと、ぼくは言う。女性は、ぼくの方の浴槽を見て、この動かなくなった魚を自分の方の浴槽に移せば、自分の方の魚が、起きてと声をかけて、魚が再び動き始めるかもしれないと言う。

ぼくは動かなくなった魚を掬い、もう一匹の魚のいる浴槽に入れてみる。もう一つの浴槽に手を入れると粒々の藻のようなものが手にまとわりつき、そうか、少しは濁ったような水の方が栄養が豊富で魚にとっては生きやすいのかなと思う。魚を入れると一つの浴槽にいる二匹の魚は、不思議なことに、つれそうかのように「ll」の形で静かになっている。もしかして一匹の魚が一匹の魚に声をかけているのかなと思い、そこで目が覚めた。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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