えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
MOVIX橋本でアン・リー監督の「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」を見ました。素晴らしい映像美にぼくの心はみたされました。
見終わった後、この物語のトラって何だろう、と思いを巡らせましたが、答えは出ませんな。その問いはぼくの心のな中の小さな何かのひっかかりとして、あり続けるのかもしれません。物語ってそういうもんだ。
繰り返して、この映像美は劇場の大きなスクリーンで見ること、お薦めです。
http://www.foxmovies.jp/lifeofpi/
見終わった後、この物語のトラって何だろう、と思いを巡らせましたが、答えは出ませんな。その問いはぼくの心のな中の小さな何かのひっかかりとして、あり続けるのかもしれません。物語ってそういうもんだ。
繰り返して、この映像美は劇場の大きなスクリーンで見ること、お薦めです。
http://www.foxmovies.jp/lifeofpi/
この前、初めてオペラというものを見て、それがモーツアルトだったので、モーツアルトってどんな人だったのだろうと思い、ミロス・フォアマン監督の「アマデウス」を見た。
三十五歳でその生涯をふいにたたれたモーツアルトから二十七歳で逝ってしまったブルーズ・マン、ロバート・ジョンソンを思い受かべてしまったのは、映画で描かれた破格の彼の自由と反逆の精神によるのかもしれない。映画で描かれていたアントニオ・サリエリとの確執って本当なのかな。非常な貧困の中で死んでいったらしいのだが、その最後のオペラが王や貴族のために書かれたオペラではなく、庶民向けの劇場で演じられた「魔笛」であるという。あっ、今、アマデウスくんの高笑いが聞こえてきた気がした。
「紅の巻」につづき、読んだ秋山真志さんの著した「職業外伝 白の巻」です。「白の巻」で紹介される職業は、イタコ、映画看板絵師、宮内庁式部職鵜匠、荻江流二代目家元、琵琶盲僧、蝋人形師、チンドン屋、流しの職業に就かれた八人の方々。目次を見るだけでわくわくしてしまいます。おもしろかった。チンドン屋、いまでも、健在なんですね。イタコはめっきり数が少なくなったそうだけど、沖縄のユタはどうなんだろう。
昔、ぼくもこの本が紹介するような職業に興味を惹かれたことがあって、一つはNHKのテレビで見た宮内庁での古文書やら古美術を修復する仕事、もう1つは宮大工。そんな仕事をする自分もあったろうに、その選択はしなかったのでした。好きなことを仕事をするのも、仕事にしてしまたことが好きで好きでたまらなくなるのも、最高なことだ。
あー、今日は成人式、みんな、これから素敵なことが待っているよ、いいじゃないですか。
東京都写真美術館で「北井一夫 いつか見た風景」展を見た。懐かしい既視感のようなもので胸がじんじんと騒ぎ、目がうるうるしてしまいました。写真って、その基本は好きなものを撮るってことなのかなあ、と思った。北井一夫さんの写真って、どこにでも旅している感じとカメラを向ける北井一夫さんの心の目線がとても低くからなのが、ぼくにとってとてもいい感じなのです。アメリカにロバート・フランクという写真家がいましたね、日本に小津安二郎という映画監督がいましたね、そんな人たちのことを思い出した。
すべては過ぎ去ってしまえ、過ぎ去ってしまえ、と思うことがあるのは、どうしてなんだろう。けれど、北井一夫さんの写真みたいな何かは残るでしょう。稚拙なものかもしれないけれど、きっと、ぼくでも好きなものなら、素敵な写真が撮れるはずさ。カメラが欲しくなってしまった。
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1714.html
飴細工師、俗曲師、銭湯絵師、へび屋、街頭紙芝居師、野州麻紙紙漉人、幇間、彫師、能装束師、席亭、見世物師、真剣師、日本にはいろんな職業があるものだ。秋山真志さん著した「職業外伝 紅の巻」を読んだのです。とてもおもしろかった。あぁ、あさっては成人の日ではないか。これから何かの職業に就こうという人も、リストラなどという変なカタカナで最近では呼ばれている解雇にあった人たちにも、この本はお薦めです。仕事観、職業観が広がり、さらには、生活、生活から紡がれる人生っていろいろあっていいんだなぁ、楽しいなぁ、と思いました。この本に出てきた彫刻家の平櫛田中の言葉をはたちになるみなさんの門出のはなむけに送りたい、とも思います。
「今日もお仕事、おまんまうまいよ、びんぼうごくらく、ながいきするよ」
レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」を読了したけれど、なんだかとっても難しかった。終章あたりでイスラム教への苛烈な批判と仏教の繰り返して尽きない称揚はこの文化人類学者らしからぬ、と思ってしまった。ぼくは仏教的な何かは好きなのだけど、何か違和を感じてしまった。
仏教といえば、ぼくは禅の十牛図が好きです。論理や修辞を越えた何がかあるような気がするのです。ぼくにとって大きな哲学は過ぎ去ろうとしているのかもしれない。
レヴィ=ストロースのこの「悲しき熱帯」でのイスラム教批判は彼のユダヤ人という出自と関係しているのだろうか、と不謹慎なことを考えてしまった。すみません。出自に安住せずに絶えず問い続けることこそ、彼の思想の初めの立ち位置なのだ、とも思い、なくなっていく言葉と人たちを祈りのように見つめるときもある。そこが好きです。いつか、この難しい本を再読してみたい。
仏教といえば、ぼくは禅の十牛図が好きです。論理や修辞を越えた何がかあるような気がするのです。ぼくにとって大きな哲学は過ぎ去ろうとしているのかもしれない。
レヴィ=ストロースのこの「悲しき熱帯」でのイスラム教批判は彼のユダヤ人という出自と関係しているのだろうか、と不謹慎なことを考えてしまった。すみません。出自に安住せずに絶えず問い続けることこそ、彼の思想の初めの立ち位置なのだ、とも思い、なくなっていく言葉と人たちを祈りのように見つめるときもある。そこが好きです。いつか、この難しい本を再読してみたい。