えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

下部温泉にはよく行くのだけど、そのあたりの観光地には足をのばしたことがないと思い、身延山久遠寺まで出かけてみた。
日蓮宗の総本山は人里離れた、山奥にあって、まわりには山村しかないような地なのであった。長く急な石の階段を息を切らせながら登ると、そこに大きな寺があって、日蓮上人の入滅のところだという。寺の中に入れば華美な黄金の伽藍が数人のアメリカ人かイギリス人の観光客と数人の参りに来たおばあさんのみいて、静かさが広がっていた。
日蓮上人というと、その生きた鎌倉時代でも一種の異端と呼ばれていて、その理由は他宗を批判、攻撃していたこと、もう一つは現世の社会改革というようなことを積極的に唱えていた、ということらしい。畢竟、日蓮は時の権力と鋭く対立し、弾圧を受け、佐渡ヶ島への流刑の話は有名で、そのような人がこのようなひっそりとした山奥で最期の時を迎えたことが、不思議なことでとともに、何か納得できるようなこととも感じた。そして、寺の脇の古びた社務所のようなところで、おばあさんから御札を授けてもらったのだけど、その物腰のやわらかい、やさしくおだやかな表情に数百年の時の流れも感じたのです。
さて、日蓮宗というと、「銀河鉄道の夜」を著した宮澤賢治の信心した宗教でもあるわけだけど、賢治の入会した日蓮の教えから端を発した国柱会の説いたは「八紘一宇」は日本のアジアへのある人は進出といい、ある人は侵略ともいい、ある人はアジアの欧米からの防衛ともいう、それを後押しした思想めいたものの大きな一つであることに、驚いたりもする。賢治のコスモポリタニズムと国粋主義は賢治自身の中でどう矛盾し、統合されもするのだろうか。
鎌倉時代の仏教といえば、日蓮上人よりも一遍上人に惹かれたりするのだけど、一遍や時宗、踊り念仏の話は、いつかまた別項に。
そんなことを考え、思い、山寺を歩いていたのです。


東京国立博物館の「飛騨の円空 千光寺とその周辺の足跡」展を見に行った。円空というと片手に乗るぐらいの小さな木の仏像を想像していたのだけど、人の丈以上もある大きな仏像は迫力満点でした。木がそのまま神や仏に化身したかのような像に森や山を崇拝し、そして、目覚め、仏陀となるというようなことを思ってしまった。とても簡素、素朴な彫り方は、彫らないことで、何か自然の命を表しているかのようなのです。生涯、山や森を旅した円空の足跡は、例えば、岐阜を旅すれば、そこかしこにある。托鉢のお礼にとみんなの幸せを祈りに込めて木の仏像を置いていったそれは数え切れないらしい。
ぼくの心は昔の飛騨の山の森に入ってゆく。
http://enku2013.jp/




経済小説の大家の小説家、城山三郎の異色作「辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件」を読む。あたかも、明治時代の終りのころに起こった足尾鉱山の鉱毒事件の栃木の谷中村の被害民の霊が城山さんの筆のりうつったかのようなな鬼気迫る小説であった。今は無き谷中村の人たちのために尽くした田中正造の最期の数年間と田中亡きその後の数年間を描いているのだけど、物語は何の光明も解決も見いだせずに、唐突に終焉し、ぼくは戦慄した。不正をはたらく天下国家に挑み戦うことのみが、その悲惨さを射止める光の矢であるかのようだ。
このような事件は時を越え、忘れたころに蘇ったかのように昭和にもあったし、さらに、今でも、と思う。水俣病の被害民を聞き書きした「苦海浄土」を著した石牟礼道子さんは尊敬する人として田中正造をあげていたことを思い出した。今を生きるぼくは、怖がってばかりもいられない。彼らの千分の一、もしくは万分の一としてでも、ぽつねんと声をあげます。
田中翁の短歌を一つ、
「少しだも 人のいのちに 害ありて 少しくらいは よいと云ふなよ」
このような事件は時を越え、忘れたころに蘇ったかのように昭和にもあったし、さらに、今でも、と思う。水俣病の被害民を聞き書きした「苦海浄土」を著した石牟礼道子さんは尊敬する人として田中正造をあげていたことを思い出した。今を生きるぼくは、怖がってばかりもいられない。彼らの千分の一、もしくは万分の一としてでも、ぽつねんと声をあげます。
田中翁の短歌を一つ、
「少しだも 人のいのちに 害ありて 少しくらいは よいと云ふなよ」


MOVIX橋本でアン・リー監督の「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」を見ました。素晴らしい映像美にぼくの心はみたされました。
見終わった後、この物語のトラって何だろう、と思いを巡らせましたが、答えは出ませんな。その問いはぼくの心のな中の小さな何かのひっかかりとして、あり続けるのかもしれません。物語ってそういうもんだ。
繰り返して、この映像美は劇場の大きなスクリーンで見ること、お薦めです。
http://www.foxmovies.jp/lifeofpi/
見終わった後、この物語のトラって何だろう、と思いを巡らせましたが、答えは出ませんな。その問いはぼくの心のな中の小さな何かのひっかかりとして、あり続けるのかもしれません。物語ってそういうもんだ。
繰り返して、この映像美は劇場の大きなスクリーンで見ること、お薦めです。
http://www.foxmovies.jp/lifeofpi/


この前、初めてオペラというものを見て、それがモーツアルトだったので、モーツアルトってどんな人だったのだろうと思い、ミロス・フォアマン監督の「アマデウス」を見た。
三十五歳でその生涯をふいにたたれたモーツアルトから二十七歳で逝ってしまったブルーズ・マン、ロバート・ジョンソンを思い受かべてしまったのは、映画で描かれた破格の彼の自由と反逆の精神によるのかもしれない。映画で描かれていたアントニオ・サリエリとの確執って本当なのかな。非常な貧困の中で死んでいったらしいのだが、その最後のオペラが王や貴族のために書かれたオペラではなく、庶民向けの劇場で演じられた「魔笛」であるという。あっ、今、アマデウスくんの高笑いが聞こえてきた気がした。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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