えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

この前の大きな大戦がヨーロッパで起こるころベルギーからヒットラーの政治を嫌い一人の青年がパリに逃れてきた。彼の名はフリードマン・エンドレ・エルネーといい、写真室の現像助手として細々と生計を立てていたのだけど、同じくポーランドからヒットラーの支配を嫌い逃れてきたゲルタ・ポホイルという女性の出会い、恋に落ちる。ゲルタはエンドレに、妙な一案を授ける。ニューヨークからやってきた裕福な写真家、ロバート・キャパという名前で売りだしてはどうかと。そして、不思議なことにロバート・キャパという名前をかたり初めてから、フリードマン・エンドレ・エルネーの写真は売れ始め、雑誌に掲載される。
いつしか、エンドレから写真術を得たゲルタも同じく、ロバート・キャパとしてエンドレと共同して写真を発表し、ロバート・キャパの名ははスペイン内戦を撮った写真によって、決定的なものになっていく。けれども、独立心旺盛な進取の女性であったゲルタはロバート・キャパではなくゲルダ・タローという名前で写真を発表していくようになる。エンドレと行動を別にしたスペイン内戦の取材の時、ゲルタは不慮の事故により、二十七歳で夭折してしまう。その知らせを聴いたエンドレは三日三晩泣きとおし、数ヶ月、部屋に閉じこもっていた。ゲルタの生きているころのエンドレを叱咤激励する声、もう半歩、前に出て写真を撮るのよ、という幻の声を何度も聞いたのかもしれない。
さて時は過ぎ、パリもヒットラーの軍隊に陥落し、エンドレはニューヨークに逃れる。しかし、彼にはまだ撮らなければならないものがたくさんあった。アメリカとカナダとイギリスの連合国のフランスのノルマンディー海岸の上陸部隊に従軍カメラマンとして参加した。兵士たちとともに、雨あられのような銃弾のふりそそぐ遠浅の海のなかをエンドレは進んで行く。彼の武器はカメラのみ。その時、エンドレの耳にこだまするのは、ゲルタのあの声で、こう語りかける。
「エンドレ、振り返って写すのよ、写真を撮るのよ、勇気を出して、あなたはロバート・キャパよ」
横浜美術館で「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」という展覧会を見て、こんな物語を想像してしまいました。
http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2012/capataro/index.html


船橋敦監督のドキュメンタリ映画「フタバから遠く離れて」をオーディトリアム渋谷で見た。この前の原発事故で故郷を避難せざるえなくなった福島第一原子発電所の立地の町、双葉町の埼玉の高校の校舎での日々のドキュメンタリ映画であった。例えば、一時帰宅を許された住民をドキュメンタリストのカメラは追う。たった四時間の時間しか与えられずに帰ってみたその場所は、一面の瓦礫の野原のようになっており、カメラに写された親子は亡くなった母のために、基礎だけとなった瓦礫の野原にある我が家に花をたむけ、線香を焚こうとする。父が青年の年齢に怒声のような声をかける、その言葉は、水に手をつけるなよ、瓦礫をさわるなよ、というものだった。一面に広がり続ける放射能に汚染された瓦礫の野原は、ドキュメンタリの映画で見ると、信じがたいような、不謹慎な言い方でもあるが、神話の世界に紛れ込んだかのようでもあり、恐るべき光景だ。
双葉町の町長である井戸川克隆さんは、この映画の中で町は原発立地した四十年は潤ったと言っていた。双葉町の人たちは出稼ぎ労働から解放されて、立派な図書館や病院もできた。しかし、近年は町は慢性的な財政赤字で立ちいかなくなり、震災以前の事故で凍結していた原子発電所の七号機と八号機の建設の再任可を認めたところであった、と言う。町は歳入として年に四億円を数年間にわたり得るはずだったが、町に戻れなくなった今、原発の誘致自体が失敗だった、とも井戸川町長は言っていた。
この映画の公開の後、町議会との対立や体調不良もあり、辞任されてしまった井戸川町長の言葉を、心貧しくも応援のような気持ちも込めて引用します。
「双葉町は永遠に
私たちは前例の無い避難という過酷な状況に置かれています。いつまでも海原を漂流するわけにはいきません。早く上陸地を国が準備して、再興できる日を求めてきました。しかし、時間が足りませんでした。
放射能のないところで平和な、皆が集える町ができることを祈り町民の安寧を願って、私は本日、双葉町長の辞職申し出をしました。
私の今までの取り組みから次のことを申し上げたいと存じます。
1 事故に負けない
原発事故で負けるということは、今のまま、何もしないことである。
双葉町民には負けてほしくない。勝ってそれぞれ生き抜いてもらいたい。今はそれぞれの地に離れて住もうとも、廃炉が完了して故郷から放射能の危険が去り、自然と共生出来るようになったら再結集しよう。
我が子どもたちへ、この悔しさを忘れることなく、何としても生き抜いて何倍も幸せな双葉町を再建していただきたい。そのためにも負けないで学び、求められる人になれ。世界の雄になってもらいたい。
(1) 負けないということは以下のことを忘れないこと
①避難してくださいと国から頼まれたこと。
②東電と国は事故を絶対起こさないと言っていたこと。
③町と県と東電には安全協定があること。
④事故は我々が起こしたものではないこと。
⑤正式な謝罪と見舞いがないこと。(形のあるものではないこと)
⑥自分の権利は自分以外に行使できないこと。
⑦被ばくさせられたこと。
⑧放射能の片付けをさせられること。
⑨20msv/yで町へ帰ること。(一般公衆の限度は1msv/y以下)
(2) 勝つためには何をしなければならないか
①事故の原因者を確定すること。
②我々の受けた損害のメニュー作成すること。
③損害の積算をすること。
④回復の請求をすること。
⑤回復の限界と代替を請求すること。(仮の町、借りの町)
⑥立証責任の不存在を共有すること。
⑦気づくこと。
⑧水俣の住民の苦難を学ぶこと。
⑨広島・長崎の住民の方に聞くこと。
⑩避難先の皆さんの恩を忘れないこと。
⑪多くの町民が健全な遺伝子を保つこと。
⑫ウクライナの現実を確認して同じテツを踏まないこと。
(3) 町民の力を結集すること
①役割分担をすること。
・汚染調査 ・除染問題 ・賠償問題
・住居問題 ・職場問題 ・健康問題
・墓地問題 ・学校問題 ・中間貯蔵施設問題
などの調査研究する組織をつくり町民の不利益を解消すること。
②事故調査委員会をつくること
事故の報告書には避難を強制された住民の実態が語られていない。外部に任せていたらいい加減に処理されてしまうので、委員会を町独自に構成して正しい記録を残さなければならない。
2 主張する権利を行使する
①見守り隊の組織
②法律家の組織
③文書学事の組織
④ボランティア活動組織
⑤被ばく被害者団体の組織
などを組織して国民の主権と被害者の復権を勝ち取らなければならない。
3 この世には先人の教えがある
(1) 温故知新
歴史から新しい発想が出てくる。自分が直面している問題について語られています。遠くは私たちの祖先である標葉藩が相馬に滅ぼされたこと、会津藩が長州に負けたこと。しかし、負けても滅びる事もなく私たちは生きてきました。先人達に感謝し、これからは私たちが町の存続を引き継ぎ後世に繋がなければなりません。今度の事故は前例がありません。今は子どもたちを放射能の影響によるDNAの損傷を避けて暮らし、幾多の困難に負けずに 双葉町の再興に向かって、生き延びましょう。
(2) 人生に五計あり
中国、宋時代の朱新仲が教訓として伝えた人生の処世訓とされるものです。生計、身計、家計、老計、終計があり、生き抜く考えが記されています。
(3) 八正道と言う道
昔、釈迦がインドで行われていた求道について、新しい道があることを説いたとされています。
正見 : 正しい物の見方
正思惟 : 正しい思考
正語 : 偽りのない言葉
正業 : 正しい行為
正命 : 正しい職業
正精進 : 正しい努力
正念 : 正しい集中力
正定 : 正しい精神統一
今の私たちにはこのような精神にはなれません。この言葉は東電と国あるいはこの事故を被害者の人権を無視して矮小化しようとしている勢力に猛省を促す言葉として捉えてほしい。願わくば、双葉町の子どもたちに人生の教訓の一部として、心に刻んでほしい。
この事故で学んだことは多い。我国でも人命軽視をするのだと言うことがわかった。国は避難指示と言う宣戦布告を私たちに出した。武器も、手段も、権限もない我々はどうして戦えるだろうか。
白河市にアウシュヴィッツ博物館がある。ナチスがユダヤ人を毒ガスで虐殺したことは衆目の事実だ。福島県内では放射能という毒で県民のDNAを痛めつけている。後先が逆だ。この状態から一刻も早く避難をさせること以外に、健康の保証は無い。その後に十分時間をかけて除染をやれば良い。
人工放射能に安全の基準を言う実績が少ない。20msv/yで住めると言う人が家族と一緒に住んで示すことが先だろう。その安全が確認出来たら福島県民は戻ればいい。これ以上モルモットにするのは、外国の暴君が国民にミサイルを撃つのと変わり無い。
福島の復興なくして日本の再生はないとは、人口減少の今、将来の担い手を痛めつけていては、真に福島の復興には繋がらないと心配している県民は少なくないと思う。双葉町は原発を誘致して町に住めなくされた。原発関連の交付金で造った物はすべて町に置いてきました。
原発の誘致は町だけで出来ない、県が大きく関わってはじめて可能となる。私たちは全国の人たちから、「お前たちが原発を誘致しておいて被害者面するな」という批判を受けている。私たちはどこにいても本当の居場所がない今、苦悩に負けそうになりながら必死に生きている。子どもたち、高齢者、家計を支えなければならないお父さん、お母さんたちの悲鳴を最初に菅総理に訴えた。変わらなかった。そのために私は野田総理に国民としての待遇を訴えたのです。しかし、今の町民の皆さんは限界を超えています。何とか国には町民の窮状を訴え、町民には叱られ役をやり、マスコミに出されるようにしてきました。
県にも窮状を訴えています。最近も質問をしました。回答は具体的な内容ではなく失望しました。知事は福島の復興のために双葉町に中間貯蔵施設を造れと言うので、双葉町の復興はどうするのですか、と聞くと答えてくれません。そこで、踏み込んで私に町をくださいと言いましたがやはり答えませんでした。これでは話し合いになりません。
環境省の局長にどうして双葉に二つの場所を決めたのですかと聞いたら、分かりませんと言いました。では会議録をみせてくださいと聞いたら、後日ありませんと言う返事でした。このようなことで、調査だけで建設はしないからと言われて、ハイいいですよとは言えません。
町には古くから先人が築いてきた歴史や資産があります。歴史を理解していない人に中間貯蔵施設を造れとは言われたくありません。町民の皆さんが十分議論した後に方向を決めていただきたい。若い人に決めてもらうようにしてほしい。
今まで支えていただきました町民の皆様、双葉地方各町村をはじめ福島県内各市町村の皆様、国及び福島県そして事故発生時から避難救済にご支援いただきました国民の皆様、国会議員の皆様、全国の自治体の皆様、埼玉県と埼玉県議会の皆様、県民の皆様、加須市と加須市議会の皆様、市民の皆様、さくら市の皆様、医療界の皆様、福祉関係の皆様、貴重な情報の提供された方、最後に国内並びに世界中からボランティアのご支援をいただきました皆様、この避難を契機にご支援いただきました多くの皆様に支えられて、ここまで来ることができました。心から感謝を申し上げまして、退任のご挨拶に代えさせていただきます。
長い間誠にありがとうございました。
平成25年1月23日
双葉町長 井戸川 克隆」
http://nuclearnation.jp/jp/
双葉町の町長である井戸川克隆さんは、この映画の中で町は原発立地した四十年は潤ったと言っていた。双葉町の人たちは出稼ぎ労働から解放されて、立派な図書館や病院もできた。しかし、近年は町は慢性的な財政赤字で立ちいかなくなり、震災以前の事故で凍結していた原子発電所の七号機と八号機の建設の再任可を認めたところであった、と言う。町は歳入として年に四億円を数年間にわたり得るはずだったが、町に戻れなくなった今、原発の誘致自体が失敗だった、とも井戸川町長は言っていた。
この映画の公開の後、町議会との対立や体調不良もあり、辞任されてしまった井戸川町長の言葉を、心貧しくも応援のような気持ちも込めて引用します。
「双葉町は永遠に
私たちは前例の無い避難という過酷な状況に置かれています。いつまでも海原を漂流するわけにはいきません。早く上陸地を国が準備して、再興できる日を求めてきました。しかし、時間が足りませんでした。
放射能のないところで平和な、皆が集える町ができることを祈り町民の安寧を願って、私は本日、双葉町長の辞職申し出をしました。
私の今までの取り組みから次のことを申し上げたいと存じます。
1 事故に負けない
原発事故で負けるということは、今のまま、何もしないことである。
双葉町民には負けてほしくない。勝ってそれぞれ生き抜いてもらいたい。今はそれぞれの地に離れて住もうとも、廃炉が完了して故郷から放射能の危険が去り、自然と共生出来るようになったら再結集しよう。
我が子どもたちへ、この悔しさを忘れることなく、何としても生き抜いて何倍も幸せな双葉町を再建していただきたい。そのためにも負けないで学び、求められる人になれ。世界の雄になってもらいたい。
(1) 負けないということは以下のことを忘れないこと
①避難してくださいと国から頼まれたこと。
②東電と国は事故を絶対起こさないと言っていたこと。
③町と県と東電には安全協定があること。
④事故は我々が起こしたものではないこと。
⑤正式な謝罪と見舞いがないこと。(形のあるものではないこと)
⑥自分の権利は自分以外に行使できないこと。
⑦被ばくさせられたこと。
⑧放射能の片付けをさせられること。
⑨20msv/yで町へ帰ること。(一般公衆の限度は1msv/y以下)
(2) 勝つためには何をしなければならないか
①事故の原因者を確定すること。
②我々の受けた損害のメニュー作成すること。
③損害の積算をすること。
④回復の請求をすること。
⑤回復の限界と代替を請求すること。(仮の町、借りの町)
⑥立証責任の不存在を共有すること。
⑦気づくこと。
⑧水俣の住民の苦難を学ぶこと。
⑨広島・長崎の住民の方に聞くこと。
⑩避難先の皆さんの恩を忘れないこと。
⑪多くの町民が健全な遺伝子を保つこと。
⑫ウクライナの現実を確認して同じテツを踏まないこと。
(3) 町民の力を結集すること
①役割分担をすること。
・汚染調査 ・除染問題 ・賠償問題
・住居問題 ・職場問題 ・健康問題
・墓地問題 ・学校問題 ・中間貯蔵施設問題
などの調査研究する組織をつくり町民の不利益を解消すること。
②事故調査委員会をつくること
事故の報告書には避難を強制された住民の実態が語られていない。外部に任せていたらいい加減に処理されてしまうので、委員会を町独自に構成して正しい記録を残さなければならない。
2 主張する権利を行使する
①見守り隊の組織
②法律家の組織
③文書学事の組織
④ボランティア活動組織
⑤被ばく被害者団体の組織
などを組織して国民の主権と被害者の復権を勝ち取らなければならない。
3 この世には先人の教えがある
(1) 温故知新
歴史から新しい発想が出てくる。自分が直面している問題について語られています。遠くは私たちの祖先である標葉藩が相馬に滅ぼされたこと、会津藩が長州に負けたこと。しかし、負けても滅びる事もなく私たちは生きてきました。先人達に感謝し、これからは私たちが町の存続を引き継ぎ後世に繋がなければなりません。今度の事故は前例がありません。今は子どもたちを放射能の影響によるDNAの損傷を避けて暮らし、幾多の困難に負けずに 双葉町の再興に向かって、生き延びましょう。
(2) 人生に五計あり
中国、宋時代の朱新仲が教訓として伝えた人生の処世訓とされるものです。生計、身計、家計、老計、終計があり、生き抜く考えが記されています。
(3) 八正道と言う道
昔、釈迦がインドで行われていた求道について、新しい道があることを説いたとされています。
正見 : 正しい物の見方
正思惟 : 正しい思考
正語 : 偽りのない言葉
正業 : 正しい行為
正命 : 正しい職業
正精進 : 正しい努力
正念 : 正しい集中力
正定 : 正しい精神統一
今の私たちにはこのような精神にはなれません。この言葉は東電と国あるいはこの事故を被害者の人権を無視して矮小化しようとしている勢力に猛省を促す言葉として捉えてほしい。願わくば、双葉町の子どもたちに人生の教訓の一部として、心に刻んでほしい。
この事故で学んだことは多い。我国でも人命軽視をするのだと言うことがわかった。国は避難指示と言う宣戦布告を私たちに出した。武器も、手段も、権限もない我々はどうして戦えるだろうか。
白河市にアウシュヴィッツ博物館がある。ナチスがユダヤ人を毒ガスで虐殺したことは衆目の事実だ。福島県内では放射能という毒で県民のDNAを痛めつけている。後先が逆だ。この状態から一刻も早く避難をさせること以外に、健康の保証は無い。その後に十分時間をかけて除染をやれば良い。
人工放射能に安全の基準を言う実績が少ない。20msv/yで住めると言う人が家族と一緒に住んで示すことが先だろう。その安全が確認出来たら福島県民は戻ればいい。これ以上モルモットにするのは、外国の暴君が国民にミサイルを撃つのと変わり無い。
福島の復興なくして日本の再生はないとは、人口減少の今、将来の担い手を痛めつけていては、真に福島の復興には繋がらないと心配している県民は少なくないと思う。双葉町は原発を誘致して町に住めなくされた。原発関連の交付金で造った物はすべて町に置いてきました。
原発の誘致は町だけで出来ない、県が大きく関わってはじめて可能となる。私たちは全国の人たちから、「お前たちが原発を誘致しておいて被害者面するな」という批判を受けている。私たちはどこにいても本当の居場所がない今、苦悩に負けそうになりながら必死に生きている。子どもたち、高齢者、家計を支えなければならないお父さん、お母さんたちの悲鳴を最初に菅総理に訴えた。変わらなかった。そのために私は野田総理に国民としての待遇を訴えたのです。しかし、今の町民の皆さんは限界を超えています。何とか国には町民の窮状を訴え、町民には叱られ役をやり、マスコミに出されるようにしてきました。
県にも窮状を訴えています。最近も質問をしました。回答は具体的な内容ではなく失望しました。知事は福島の復興のために双葉町に中間貯蔵施設を造れと言うので、双葉町の復興はどうするのですか、と聞くと答えてくれません。そこで、踏み込んで私に町をくださいと言いましたがやはり答えませんでした。これでは話し合いになりません。
環境省の局長にどうして双葉に二つの場所を決めたのですかと聞いたら、分かりませんと言いました。では会議録をみせてくださいと聞いたら、後日ありませんと言う返事でした。このようなことで、調査だけで建設はしないからと言われて、ハイいいですよとは言えません。
町には古くから先人が築いてきた歴史や資産があります。歴史を理解していない人に中間貯蔵施設を造れとは言われたくありません。町民の皆さんが十分議論した後に方向を決めていただきたい。若い人に決めてもらうようにしてほしい。
今まで支えていただきました町民の皆様、双葉地方各町村をはじめ福島県内各市町村の皆様、国及び福島県そして事故発生時から避難救済にご支援いただきました国民の皆様、国会議員の皆様、全国の自治体の皆様、埼玉県と埼玉県議会の皆様、県民の皆様、加須市と加須市議会の皆様、市民の皆様、さくら市の皆様、医療界の皆様、福祉関係の皆様、貴重な情報の提供された方、最後に国内並びに世界中からボランティアのご支援をいただきました皆様、この避難を契機にご支援いただきました多くの皆様に支えられて、ここまで来ることができました。心から感謝を申し上げまして、退任のご挨拶に代えさせていただきます。
長い間誠にありがとうございました。
平成25年1月23日
双葉町長 井戸川 克隆」
http://nuclearnation.jp/jp/


詩人、佐々木幹郎さんのエッセイ集「瓦礫の下から唄が聴こえる 山小屋便り」を読む。2011年3月11日を前後した数年の間に新聞や雑誌、文芸誌に載せられたエッセイを集めた本。震災の前の穏やかな山小屋の日々とその後の祈りにもどこか通じる決意の日々、詩人、言葉を生業とする佐々木幹郎さんはその言葉が試されていると言う。楽しい山小屋でのブランコ作りやツリー・ハウスを建てる話、シングル・モルト・ウィスキーの故郷、アイラ島の旅の話、津軽三味線の話、山小屋や旅の仲間たち、そして、それらの間に重たい話が折り重ねられる詩人の日常を覗きみた。おもしろかったです。そして、ぎりぎりの問いが、言葉の集まりとなって発せられ、はっと心が動かされた。
ぼくも幹郎さんの山小屋へ行ってみたいな。その時はとっておきの歌を歌うよ。生きている人のためにも、死んでしまった人のためにも、獣たち、鳥たち、伐られた木々や花のためにも。


やっぱ、ごきげんな好みの新しいバンドを見つけるとうれしい。Alabama Shakesの"Boys & Girls"ってアルバムを聴いています。古いサザン・ソウルやノーザン・ソウル・マナーのガレージ・サウンドはちょっとだけパンクの香りすらただよいます。アラバマ州っていうと、スタックスのテネシー州のメンフィスのスタックスと並んで、そのいなか町、マスクル・ショールズにはフェームのレコーディング・スタジオがあって、いくつもの伝説的な名演を生んだところ。バンド名にアラバマと付いていて、このアルバムはテネシー州のナッシュビル録音でカトリーももちろん盛んだけど、ここも確かにソウル・ミュージックの一つの聖地でもあるのだろう。伝統ってやつを感じてはいけませんか? ていうか、南部臭いアメリカの音楽って大好きです。バンドの4人がそれぞれの楽器で、みんな、歌をうたっています。ソウル万歳! ロック万歳!
http://hangout.altsounds.com/reviews/147796-review-alabama-shakes-boys-girls-album.html


「原発、いのち、日本人」というインタビュー集を読む。各界のいろんな人がインタビューで原発のこと、いのちのこと、日本のことを語っています。
いろんなインタビューの中で、例えば、小説家の浅田次郎さんが日本ペンクラブの視察で見たチェルノブイリの灰色のマトリョーシカの話が重く恐ろしくもあった。浅田さんというと三島由紀夫を尊敬する元自衛隊員の小説家。そんな彼の戦時中の児童疎開の話に日本人の劣化が実感される。
その他の人のインタビューも読みつつ、利権とお金がすべてという考え方が日本を狂わしてしまったのかと思う。
最後に出てくる詩人の谷川俊太郎さんのインタビューもおもしろかった。谷川さんは「鉄腕アトム」の歌の作詞家で、アトムの動力は原子力なのです。谷川さんは年をとったアトムを思い浮かべインタビューでこう述懐する。
「今、アトムとかウランちゃんは逆に攻撃されているわけでしょう。昔はあんなに人気があったのに、あの当時は、原子力っていうものは平和利用、すばらしいという時代だったからね。
・・・
今、アトムに「原子力、今もう、ちょっと問題なんだよ」って言っても、あの方、「そうですか」って言って何かにこにこ笑ってそうな」
同席した女優の木内みどりさんはこんなことを言っている。
「私は今日教わりました。やっぱり群れないで、一人で、自分の耳で聞いて、自分の頭で考えて、自分が決めた方に向かって歩いていくことが大切なんですね」
詩人はこうしめくくる。
「一人ひとりがそれをやると、そうとう変わると思うんだけど、みんなやっぱりメディアに左右されちゃうんですね。僕なんか、ずっと一人で家にいたい。デモには行きません。歩くなら一人で歩きたいです」
高名な尊敬すべき詩人に僭越ながらも、デモの中にでも、一人で歩き始めている人もいっぱいいると思いますよ。
いろんなインタビューの中で、例えば、小説家の浅田次郎さんが日本ペンクラブの視察で見たチェルノブイリの灰色のマトリョーシカの話が重く恐ろしくもあった。浅田さんというと三島由紀夫を尊敬する元自衛隊員の小説家。そんな彼の戦時中の児童疎開の話に日本人の劣化が実感される。
その他の人のインタビューも読みつつ、利権とお金がすべてという考え方が日本を狂わしてしまったのかと思う。
最後に出てくる詩人の谷川俊太郎さんのインタビューもおもしろかった。谷川さんは「鉄腕アトム」の歌の作詞家で、アトムの動力は原子力なのです。谷川さんは年をとったアトムを思い浮かべインタビューでこう述懐する。
「今、アトムとかウランちゃんは逆に攻撃されているわけでしょう。昔はあんなに人気があったのに、あの当時は、原子力っていうものは平和利用、すばらしいという時代だったからね。
・・・
今、アトムに「原子力、今もう、ちょっと問題なんだよ」って言っても、あの方、「そうですか」って言って何かにこにこ笑ってそうな」
同席した女優の木内みどりさんはこんなことを言っている。
「私は今日教わりました。やっぱり群れないで、一人で、自分の耳で聞いて、自分の頭で考えて、自分が決めた方に向かって歩いていくことが大切なんですね」
詩人はこうしめくくる。
「一人ひとりがそれをやると、そうとう変わると思うんだけど、みんなやっぱりメディアに左右されちゃうんですね。僕なんか、ずっと一人で家にいたい。デモには行きません。歩くなら一人で歩きたいです」
高名な尊敬すべき詩人に僭越ながらも、デモの中にでも、一人で歩き始めている人もいっぱいいると思いますよ。


このまえ見た映画「ライフ・オブ・パイ」の原作であるヤン・マーテル著「パイの物語」を読了した。メルヴィルの「白鯨」という小説を思い出した。「パイの物語」も「白鯨」も海洋の物語で百科全書的だと思ったのです。「白鯨」は鯨捕りについてのありとあらゆることが書いてあるとするならば、「パイの物語」は漂流ということについてのありとあらゆることが書かれているような気がした。しかも、一頭のリチャード・パーカーと名づけられたベンガル虎と漂流するのです。そして、謎を残す読後感に、記憶ということは、あったことも、本当はなかったことも、等しく人の人生にとっての真実なのかもしれない、と思い、目眩のようなものも、ぼくは感じたのです。いつか、パイはあのリチャード・パーカーに再びまみえる時が来るような小さな予感を残して本をとじた。


山梨県身延の下部温泉から西に少し行ったところにある富士川切り絵の森美術館に寄ってみた。小さな美術館に飾られた切り絵を見て回ったのだけど、素晴らしかったです。光と影の絵が連想させる懐かしいそのようなものに静かにたたずんだ。そして、幻燈のような酒井淳美さんの切り絵にいつまでも見とれていたのです。田舎の小さな美術館にいるのは、ぼく一人で、あたりまえのように時間はゆっくりにしか流れなかった。
http://hikari-no-kirie.main.jp/index.html
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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