えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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相模大野で行われているジャズ・フェスティバル、もんじぇ祭りに行く。午後の4時半ごろ着いて、いくつかのバンドや人たちの演奏を聴き、友だちのバンド、Ann-スミ☆アヤコBand-を見て帰ろうと思っていたのだけど、その後、ビッグ・バンドが演奏するというので、それを1曲だけ聴いて帰ろうと思って聴いたら、これが素晴らしく、前の方にまで行って、最後まで聴いてしまった。おまけにラストの花火まで見たよ。

このビッグ・バンド、グリーンエース・ジャズオーケストラでアマチュアの地元相模原のオールドジャズを演奏するビッグ・バンドで、もんじぇ祭りでぼくの見たのは総勢18人。アマチュアのビッグ・バンドで多くは、きっちりまとまりすぎちゃって、スウィングしなくて、というのが多いような気もするのだけど、このグリーンエース・ジャズオーケストラは、まず自由に音がスウィングしていて、楽しい。それに幾層にも重なって出てくる音が、リズムにスウィングという芯を持ちながら、なんともやわらかくふくよかで、ぼくを夢の世界に誘ってくれます。スタンダード「サテンドール」なぞが演奏され、わーっと目の間を広がる音を聴きながら、これはどんな高級ステレオでも再生が不可能だととも思い、生演奏の素晴らしさも再発見しました。

今日のもんじぇ祭りはぼくにはFULLSWINGとparty de SaKaIが楽しみですね。また行こうっと。

もんじぇ祭り
http://mangez.jp/
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サザン・ソウルとか日本ではディープ・ソウルとか呼ばれている音楽が好きなのです。サザン・ソウルとは何かと問われれば、それは1960年代にアメリカ合衆国の南部で隆盛を極めた音楽でレーベルで言うとオーティス・レディングのスタックスとかジェムズカーのゴールドワックスが有名で両者ともテネシー州メンフィスにレコーディング・スタジオを構えていた。南部とはどこだろう? そこはフロリダ州、ジョージア州、ノースカロライナ州、サウスカロライナ州、バージニア州、ウェストバージニア州、アラバマ州、ケンタッキー州、ミシシッピ州、テネシー州、アーカンソー州、ルイジアナ州、オクラホマ州、テキサス州の十六の州で、ぼくが最近はまっているフェームというレーベルのスタジオのあったところはアラバマ州のマスクル・ショールズという片田舎にあって、そこはもはや地方都市ですらない。そんな土地からたくさんの素晴らしいソウル・ミュージックが発信されていった。このマスクル・ショールズにあったレコーディング・スタジオは南部の精霊に憑かれた何やら魔法らしきものを持っていて、そこで録音されたソウルミュージックは暖かく、柔らかく、けれど、芯があり、とても深く、何とも言いあらわすことのできない味わいを持っている。わかりやすい例をあげるならば、パーシースレッジの「男が女を愛する時」のあのサウンドなのです。アレサ・フランクリンはここで自身の初めてのソウル・ミュージックを吹きこんだという伝説の地でもある。

さて、前置きが長くなってしまったが、このフェームというレーベルでのジミー・フューズの二枚のアルバムが素晴らしい。"Steal Away"と"Why Not Tonight"。ぼくは昔はジミーのすこしかん高い声が苦手だったのだが、不思議に今はやわらかくぼくの心にすっと入ってきて、南部の夢の景色が胸に広がっていくようだ。逃亡奴隷を歌った古いゴスペルやスピリチュアルに起源をもつかのようなジミー自身が作詞作曲したソウル・ミュージックを代表する名曲"Steal Away"をつたないながらも意訳してみますね。さぁ、もしもよろしければ、古いレコードに針を落としてこの名曲を聴いてみましょう。南部から風が吹いてきますよ。

明日じゃだめなんだ、今なんだよ
もう遅すぎる、待ってっこないさ
そう、だから逃亡しよう
どうか、逃亡しておくれ

あれこれ考えるのはやめにして、心に決めてしまおうよ
みんなはもう眠ってしまった、時間のむだずかいはやめにして
もう遅すぎる、待ってっこないさ
そう、だから逃亡しよう
どうか、逃亡しておくれ

きみに尋ねるのなんて間違っていたよ
きみといっしょになるには他には方法はないのさ
みんなが承認するのを待っていたら
ぼくたちはどこにも行けなくなるよ
そんなのはいやさ

もう誰にも聞かない
自分で決めようと思う
もう遅すぎる、待ってっこないさ
そう、だから逃亡しよう
どうか、逃亡しておくれ

だってぼくにはきみが必要さ
ぼくのそばにいておくれ
そうだよ、最愛の人
きみが必要さ、ぼくを導いておくれ
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お盆休みを取れなかったのでふいに思い立ちこの八月の十八日と十九日の土曜と日曜に小さな旅に出てしまった。真夏のささやかな思い出つくりで長野県の松本に向かったのは松本市美術館で草間彌生の展覧会が開かれているからです。松本は草間さんの故郷でもあり、松本市美術館はもとから草間彌生のアートのコレクションも充実していて、それも合わせての展覧会ということでおもしろそうだ。鈍行列車にゆられること朝から五時間以上でやっと松本の駅についた。

(ここから少しネタばらしがあります)






「永遠の永遠の永遠」というこの展覧会で始めて、草間さんの十代のころに母を描いた、点々のある素描を見た。これは草間芸術の原点の一つでもあると思う。最新作のカラフルで大きな絵を見て、それが、舞い上がりつづけながら原点に戻ってきたようなそんな感慨を覚えた。十代のころ草間さんは、本当のところは、自分の芸術がこれほどまでに世界に認められ、受け入れられると思っていたのだろうか。「星たちの消滅」と題された大きな作品が二点、展覧会の順路の最後の方に飾られていた。もしかして、星とは点々、ドット、網のことで、もしもそれが消えてしまったら、草間さんもぼくも他の誰一人いなかったことになるのではないですか、と心のなかで草間さんに問いかける。そして、ラストの「魂の灯」の無数の灯り。森羅万象の命たちが星となって明滅しているかのようだ。ぼくの心にうつりました。
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町田市立国際版画美術館に「隆盛する戦後の版画」と題された展覧会に行ってきました。欧米のその時代その時代の最新の版画をたくさん見れました。有名どころでは、やはりアンディー・ウォーホールやロイ・リキテンスタインのいわゆるポップ・アートと呼ばれる大きな原色的色使い版画を見とれました。結構、楽しい感じです。ミック・ジャガーを題材にしたリチャード・ハミルトンの作品とか、どこかで見たことがあると思いましたが、思い出せません。特に惹かれたのはジョナサン・ボロフスキーの自身の夢を描いたものとかホルスト・アンテスのネイティブ・アメリカンのホピ族の神話を描いたもの。版画って美術であると同時に工芸でもあるといつも思います。その手工業のようなところもおもしろい。
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勤めてる会社が赤坂にあるということもあり、金曜の夜には毎週、首相官邸前や国会議事堂まわりで行われている脱原発・反原発の抗議集会に足がむいてしまう。そのあたりは、いつも、本当にたくさんのおじいさん、おばあさん、お母さんが声をあげている。そんな人たちがたくさんいて、孫や子どもたちのためにここに来たのだろうか、と思う。お祭り騒ぎと揶揄されることもあるこの集まりだけど、そんなこともなく、ぼくは行くたびに、逆に沈黙のような深い静かさすら、なぜか感じてしまう。祈りといういつもの言葉でさえ、陳腐に感じてしまう。決められた8時になると、手書きプラカードをバッグに入れて帰りを急ぐそんな人たちを見る。あの2011年3月11日より前のおおよそ3倍の空間放射線量の中で、ぼくは日々暮らしている。それに驚いてしまう。
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オリンピックやっていますね。中学生のころバレーボール部だったからか、バレーボールだけは見てしまう。このスピード感がたまりません。

注目してしまうポジションはセッター。あぁ、昔なつかしの猫田勝敏選手、今をときめく竹下佳江選手。二人とも世界を代表する努力の名選手、そして、コートの中のボールを扱う魔法使いで、自分では打たずにチームの仲間にトスを渡します。

このスポーツ、いろんなフォーメーションがあるけれど、そのほとんどを日本のチームがあみだしたことを、みんさん、ご存知ですか。

昔はリベロなんてポジションはなかったなぁ。これはいいことだと思います。サッカーのキーパーみたいなものだろうか? ちがうか?

がんばれ、日本! がんばれ、女子バーレー! 復活、男子バレー! あと1本、あと1本! いけー!
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行きつけの本屋さんに「柳田國男と遠野物語 日本および日本人の原風景」というムックがおいてあって、おもしろそうだなと買ってしまい、やっぱおもしろくて一気に読めてしまった。

2012年は柳田國男没後50年だそうだし、2011年は「遠野物語」発行100周年だそうだし、その二つにはさまれて、東北の大震災といういたましい災害があったことが、何かの符号のようにも思える。空の向こうからこの民俗学という日本独自の学問の創始者の負けるな、東北、おまえたちは強いという励ましの声が聞こえてはきはしないだろうか? 地図を開けば、宮澤賢治の花巻、柳田國男の「遠野物語」の遠野、製鉄所と漁師の町である釜石が横に並んでいるのを見て、何か想像をかきたてられもする。

さて、この「柳田國男と遠野物語」、大人が読む柳田國男の絵本といった趣で、写真、文章ともに充実していておもしろい。柳田國男とはどんな人かと訊かれれば、このムックにある一つの章「吉本隆明の柳田民俗学」での吉本隆明「無方法の方法」からの引用「わが柳田國男は、いわばお話の学者である。その意味は、民話や説話の学者ということではなく、その本質がお話である学者という意味である」につづけて、こう書かれてもいるのです。

「柳田國男の作品群の力は、物語の力であり、文学の力である。
何をもって文学と見るか。
いろいろな考え方があろうが、それは読んだものの精神を変化させる力をもった物語、文章だと考えている。魂を揺さぶる力といってもよい」

その昔、吉本隆明の「共同幻想論」を読んだことがあるのだけど、何が書いてあるのか、難しくてほとんど分からず、けれども、そこには柳田國男のたくさんの引用から紐解かれた、天皇制論、国家論が語られているらしいことは憶えているのだけど。

ある時、会社帰りに友だちと飲んで酔っぱらい、電車の中で世間話となり、「柳田國男」って「やなぎだくにお」なのかなぁ、「やなぎたくにお」なのかなぁなどと話していると、隣にいた知らない男の人が、いきなり話に割り込み、「やなぎたくにお」だよ、と教えてくれたことがあった。なんか恥ずかしかったです。

あー、「遠野物語」を再読したくなりました。









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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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