えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

entry_top_w.png


今日はジョン・レノンの命日なのでした。

高校生のころこのアルバム"John Lennon/Plastic Ono Band"を聴き、ショックを受け、日本語のライナーノーツにあった今野雄二さんの訳詞を読みながら、むさぼるように毎日聴いていたことがある。時を同じくして古本屋でジョン・レノンのプレイボーイ誌での長編インタビューを片岡義男さんが訳していた「回想するジョン・レノン「ビートルズ革命」改題」という本を見つけてむさぼるように読んだ。たいそう重たい内容の本はビートルズ解散直後のインタビューであった。このインタビューからぼくはぼくがたいそう好きで影響されたことを引用してみる。

「(ロックンロールは)くだらないものが入り込む余地がないほどに原始的だから(大きな意味を持つのです)。最良のものだけが、ビートをとおして伝わってきますから。

黒人は、音楽をとおして、ボディとマインドをひとつにしたのです。すぐれたロックンロールは、すぐれた、という言葉の意味がどうであろうと、リアルなので、どうしても伝わってきてしまうのです。真実の芸術に関してはすべてこういうことがあるのですけれど、ロックンロールの中にはほんとうのものがあることに気がつきます。なにをもって芸術と呼ぶかはその人の勝手ですけれど。真実なものは、だいたいにおいて、単純です。

音楽は非常に重要で、例えば、ブルースがありますけれども、そのブルースに対してジャズ、つまり、白人中産階級の、グッド・ジャズがあるわけですし、ブルースのほうが、よりすぐれているのです。リアルだからです。倒錯していませんし、あれこれ考えていじりまわしたものではなく、コンセプトでもないからです。例えて言うならば、ひとつの椅子であるわけです。椅子のデザインでもなく、よりすぐれた椅子とか、もっと大きな椅子、といったものでなく、こったデザインの皮ばりの椅子でもありません。すわるための椅子であり、ながめたり評価したりするための椅子ではありません」

ぼくは、今のこんな世の中に生きていて、いつも想像してしまう。もしも、ジョン・レノンが今を生きていたなら、どんな歌を歌っていて、届けてくれているのだろうか? 今夜こそ、夢の中で聴かせてもらえるかもしれない。おやすみなさいZZZzzz.....






entry_bottom_w.png
entry_top_w.png


散歩はぼくの趣味でもあるので、鎌倉の東の方の一社五寺を歩いて巡りました。

鎌倉宮では偶然に珍しいかもしれない神前結婚を見たりしてしまいました。

今回の一番のお目当ては竹の寺とも呼ばれる、報国寺です。竹って美しいです。それにあいまって、禅の凛とした空気。まっすぐ青く伸びる竹。

杉本寺ではこれも偶然ですが今年は秘仏の十一面観音が御開帳になっていて拝んできました。

今日はひとりでぶらぶらしたのですが、なんか、カップルで来ると、不思議にゴールインできそう、などと帰り道に思いました。

鎌倉奥深し。
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png
矢部宏冶さんの著した「日本はなぜ、「原発」と「基地」を止められないのか」を読む。この二つに関しては、なんか、どうしてだろうと、近頃いつも思っていたのだけど、この本からはその答えとなるだろうものを少なからずもらったような気がした。

最近、日本の社会のこととか考えると明日が漠然と暗く不安なのだよ。それに足して、ものごころついたころから、世の中、少しづつ悪くなっていって、そのあげくの果てが戦争前夜かもしれない今の日本だという気も大いにする。

これはある人の詠んだ琉歌だという。

「花ゆうしゅぎゆん
人知らぬ魂
戦ねいらぬ世ゆ
肝に願てぃ」

なんて、美しいのだろう。けれども、それよりも大切に思えることもあって、それは残されていく言葉すらも持ちえずに過ぎてしまったあなたたちの空に消えようとする言葉にもならない言葉なのです。





entry_bottom_w.png
entry_top_w.png


横浜のそごう美術館に「トーベ・ヤンソン展 ~ムーミンと生きる~」を見に行った。今年はトーベ・ヤンソンの生誕100年なのだそうだ。ムーミンの生みの親はフィンランドの偉大なる画家でもあったのだ。

すごく混んでいた。永遠のムーミン人気です。

ムーミンが第二次戦時下に生まれたのを知った。震えるような線で小さく小さくノートに書きとめられたのだと思う。それが戦争の終わりとともに開花した。フィンランドの驚くべき現代史を少し考えてしまう。その初期のムーミンの原画はほんとうに小さいものだった。その小ささも、何か秘密を打ち明けられるようでかわいいなぁ。

この展覧会は今日まで開催されているそうです。

https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/14/tove/
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png


散歩はぼくの楽しみでもあるのです。ある曇ったり晴れたりの秋の日、二子玉川駅から砧公園までをぶらぶら歩いてみました。今年も秋が来てよかったです。
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png


レンタルDVDでアキ・カウリスマキ監督の「浮き雲」を見る。なんか、良かったです。

アキ・カウリスマキ監督が、何かのインタビューで勝者、いわゆる勝ち組には興味はないというようなことを言っていたけれど、この映画の主人公のカップルは二人、時を同じくして失業してしまったという設定。その二人に次から次へと不幸がふりかかります。けれども、ラストは見事なハッピー・エンドで、やはり幸せなことが起こるのには、理由なんて必要ないのだなと思う。

この映画は1996年の映画でアキ・カウリスマキ監督の当地、フィンランドでは、誰もがものすごい不況で苦しんでいたころ。もともとはもっと非情な結末を考えていたらしいのだけれど、やっぱ、みんなに希望みたいなことを見せたいと思ったのだろうか。しかも、カウリスマキ映画の常連であった名優、マッティ・ペロンパーの早すぎる死が、そのまわりの社会状況とともに、痛みの追い打ちをかけ、それが、ラストの意外なほどの明るさとなったのかもしれない。

ヒーローは誰も出てこないんだけど、なんか、見終わった時、心が戻ってきて、胸がほんわかするような映画です。この幸せの余韻にひたっておやすみZZZzzz.....
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png
小浜司さんの著した「島唄レコード百花繚乱 - 嘉手苅林昌とその時代」を読む。

大和が言の葉咲きあふ国ならば、沖縄って、唄咲きあふ国で、床の間に刀ではなく三線が飾られるところなんだなぁ。日本の南の島の唄の聖地は、アメリカでいえば、ニュー―オーリンズのようで、きっとアメリカ人が心とか魂をなくしそうになったなら、ニューオーリンズに行くのではないかしらと思い、そのようなところが日本にとって沖縄でもあるのかもしれないとも思う。

この本の二部構成は一部は「A面 島唄レコード名盤・珍版」で二部が「B面 スケッチ・嘉手苅林昌」と題し、特に興味をそそられて聴く、ならぬ読んだのは「B面」の方。沖縄民謡、俗謡を歌う嘉手苅林昌という偉大なブルーズ・マンの破格の人柄が小さなエピソードの積み重なりで描かれ、誠に興味深かったです。

さて、古酒をちびりちびりやりながら、林昌さんのブルーズの中にある自由に憧れて、「白雲節」、「海のちんぼらー」、「廃藩の侍」とか聴こうかな。








entry_bottom_w.png
<< 前のページ 次のページ >>
[305]  [306]  [307]  [308]  [309]  [310]  [311]  [312]  [313]  [314]  [315
plugin_top_w.png
カレンダー
05 2025/06 07
S M T W T F S
4 7
12 13
16 18 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
えいちゃんのお奨め

ライブのお知らせ

ぼくのTwitter

plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
最新コメント
[05/19 Pg Soft]
[05/04 ペコ]
[12/23 ロンサム・スー]
[07/27 gmail account]
[08/29 えいちゃん]
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
ブログ内検索
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
最新トラックバック
plugin_bottom_w.png
Copyright えいちゃん(さかい きよたか) by えいちゃん All Rights Reserved.
Template by テンプレート@忍者ブログ