えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
大江健三郎の著した『みずから我が涙をぬぐいたまう日』を読む。これは何度目かの再読かもしれない。明治から昭和にかけての特殊な時代の天皇制の天皇というテーマの『みずから我が涙をぬぐいたまう日』は、同じテーマの『月の男』も所収して一冊の本となっている。
これを読めば、いかにも三島由紀夫の『英霊の聲』や戦後、最も読まれた作家の切腹という自死に反訴していることは明かであるようなのだけれど、むしろ、『みずから我が涙をぬぐいたまう日』の方が「少国民」と呼ばれた大江自らの少年期の愛国の真情、情熱がほとばしるようなのだ。『みずから我が涙をぬぐいたまう日』に書かれた昭和二十年八月十五日までは、そのような真情が、八月十六日には、跳躍し、戦後となる。むしろ、戦争を忌避した日本浪漫派を出発した三島由紀夫に戦争の終わりは来たが、戦後は来なかったのではなかろうか? 永遠と続く戦争と終戦の永劫回帰のような中で、三島は遂には死者の後を追い、自害したことを最も理解しえた作家は大江健三郎しかいなかった。三島の死を多くの作家は狂気のように扱ったが、大江のみ自らのこととして、引き受けて批判しようとして、小説を書き、その小説の『みずから我が涙をぬぐいたまう日』の本意は「天皇陛下が、オンミズカラノ手デ、ワタシノ涙ヲヌグッテクダサル、という祈求の叫び」ということらしい。この本にある「*二つの中篇をむすぶ作家のノート」にはこんな詩の断片が記されており、その言葉は常に大江という作家の心のどこかにあったという。
純粋天皇の胎水しぶく暗黒星雲を下降する
もう一つの中篇は『月の男』で、それは現人神たる天皇に謁見することを希求するNASAの訓練から逃亡したアメリカ人を主人公とする物語で、その主人公の緊張は、テレビで報ぜられる月の人類の到着で極点に達し、天皇の言葉を希求するのだった。戦後民主主義と戦後憲法の擁護者であった、大江健三郎は文字通り、その一条を含めた日本国憲法の擁護者であったのかもしれない。今では天皇こそ平和の擁護者だという声も聞かれる。しかしながら、作家は「著者から読者へ」というあとがきで、このような否定でも肯定でもない言葉を記してもいて、それは読者にアンビバレンツの疑問を投げかけるようでもある。引用して、この感想を了とします。
天皇制を持っている国家と、そうでない国家とは―旧憲法のもとではもとより、新憲法のもとでも―すっかりちがう、一般的な国家像とはちがったその特別な国家に、われわれは生きているのだと、とくに若い人たちに繰りかえしいいたい気持を、ぼくは押さえられません。しかもそれをエッセイの文体では自分には書けぬ、危険な多様性を持った、ある深みまで、『みずから我が涙をぬぐいたまう日』は表現しえているのではないか、と僕は―希望的な観測も含めて―考えています。
『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(大江 健三郎)
鈴本演芸場五月上席昼の部に行って参りました。見た演目を書き出してみます。柳亭市助くんの「元犬」、二つ目の林家たけ平くんの小話、三増紋之助師匠の曲独楽、鈴々舎馬風師匠の漫談、古今亭菊之丞師匠の「長短」、立花家橘之助師匠の浮世節、柳家三三師匠「道灌」、春風亭一朝師匠の「湯番屋」、ロケット団の漫才、桃月庵白酒師匠の「代脈」でお仲入りとなりました。ダーク広和さんの奇術、林家つる子師匠の「皿屋敷」、柳家さん喬師匠の「真田小僧」、林家一楽師匠の紙切り、主任の林家正蔵師匠の「一文笛」。
印象的な噺を少し。春風亭一朝師匠の「湯番屋」で大爆笑。やはり春風亭一朝師匠は春風亭一之輔師匠の師匠にあたる人なのです。林家つる子師匠の「皿屋敷」の演ずるお菊さんがよかった。柳家さん喬師匠の「真田小僧」も面白く、揺れない紙切り名人の林家一楽師匠の飄々とした味。林家正蔵師匠の「一文笛」の迫真の人情噺に身をのり出すように聴いていました。寄席はパラダイス。
登戸駅近くのNAMNAM Spaceというところで開催されている『パレスチナ あたたかい家』と題された展覧会に行ってみました。一部屋のスペースに新進の作家のパレスチナ支援のためのいろんな絵や作品が並んでいます。このような展覧会を見に来るのは、ぼくのような、かわりもの、はぐれものの老人ばかりで、閑散としていると思いきや、それなりの人の入りで、ぼく以外は若い人ばかりであるのを、ぼくは希望と感じたのです。きっと、みんなの思いは一つ、虐殺がやむことを願うばかり。
この展覧会は、満州国という植民のイスラエルと同じような過ちを犯し、敗戦し、敗戦の前にはガザのようの爆撃にあい、二発の原爆を落とされ、平和を謳う憲法を持つにいたった、戦災の後も、何度も災害からの復興をした、そのようの日本人らしいインデペンデントな素晴らしい展覧会であるし、戦争に抗する多様な表現であると思うのです。一昨日は憲法記念日でありましたが、そう、平和を謳う憲法こそ今や深い部分で日本らしく、日本人の美しい心のようであります。この停戦を願う小さな展覧会は、灯された希望そのものだ思ったのです。
Palestine,Our Warm House
夏井いつきさんの著した『夏井いつきの世界一わかりやすい俳句の授業』を読みました。この本を読んで、俳句とは文学や文芸であると同時に、工芸であるように感じたのは、俳句が五七五の型や季語を有するからかもしれません。それはアメリカの黒人たちが育んだブルースが明瞭な型を持ちながら、とても自由であることに似ているような気もするのです。森羅万象のさまざまなこと、小さなことの美しい気付きをこのように表現できてしまう俳句は何て素晴らしいのでしょう。
夏井いつきの世界一わかりやすい俳句の授業
法事のために九州に向かった。神奈川県の新横浜から小倉まで新幹線で四時間半かかり、小倉でホテルにチェックインし、そこからまた日田彦山線で池尻に向かう。二両連結のローカル線は六角精児さんのNHK のテレビ番組「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」の趣で、コージー大内さんに「おんぼろトレイン」で歌われた。
田川市の法事の会場に着けば、親戚の人たちが、はるばるやって来たぼくを喜んでくれて、こそばゆい感じ。喪主はぼくのいとこでバツイチの独り者のはずだが、はてどうしたことか、女の人と二人で挨拶している。会場を出るとき、挨拶をする喪主に結婚をしたのかと尋ねれば、まだしておらず、これからして、籍を入れるという。なんだが、しんみりする会が喜ばしい会でもあり、喪主の天国に行く御母堂も喜んでおられれるような気がしながら、喪主とは別のいとこの車に乗せてもらい、小倉に戻ったのだった。
このようなことがあり、いささか、賞味期限切れ、使用期限切れのぼくだけれど、その方面でいとこのように頑張ってみようかとなんだか少しは思いもした。縁は異なもの味なもの。ならぬようにしかならぬのだけれども。詠んだ句、一句。
出逢いあり春の田川の古鉄道
(写真は撮っておらず、帰りの新幹線に乗る前に小倉駅で撮りました。)
新宿の末廣亭の令和六年四月下席昼の部に行きました。見た演目を書き出してみます。二つ目の春風亭㐂いちくんの「牛ほめ」、柳家花いち師匠の「結婚記念日」、ホンキートンクの漫才、古今亭駒子師匠の「阿武松緑之助」、春風亭三朝師匠の「たらちね」、林家ペーさんの漫談、古今亭菊之丞師匠の「町内の若い衆」、桂扇生師匠の「宗論」、柳家小菊師匠の粋曲、吉原朝馬師匠の「源平盛衰記」、柳家小里ん師匠の「へっつい幽霊」でお中入りとなりました。春風亭一花師匠「権助提灯」、笑組の漫才、春風亭正朝師匠の「蜘蛛駕籠」、金原亭馬の助師匠の「権兵衛狸」、鏡味仙志郎師匠と仙成師匠の曲芸、主任は春風亭一之輔師匠で「天狗裁き」。
印象に残った噺は古今亭菊之丞師匠の「町内の若い衆」や桂扇生師匠の「宗論」でした。「権兵衛狸」は金原亭馬の助師匠のためにあるような噺ですな。春風亭一之輔師匠で「天狗裁き」は大爆笑。満員御礼の末廣亭は、パラダイスのような寄席です。
濱口竜介監督の『悪は存在しない』を見る。初めの方は少し眠たくなったけれど、ストーリーが展開し始めると、目がはなせなくなっていました。
今は亡き青山真治監督を映画をなんだか思い出してもいました。ストーリーは単純なんだけれども、モンタージュの手法を使ったシーンほ饒舌である気がした。これには濱口監督の尊敬する小津安二郎を思い出す。昔、鎌倉の大きな市民会館みたいのところで、小津安二郎の『東京物語』を見たことがあるのだけれど、映画の後、濱口竜介監督が登壇し、いろいろなシーンの紐解き、謎解きのような解説をしていて、映画を作る側では、このような見方をするのかと、感心したことがあったのです。
この『悪は存在しない』は、ラストのシークエンスに、どう受けとめていいのか、ぼくは当惑してしまう。映画の背景となる寒村は、ぼくが近頃、渓流釣りをしに行くところのようだ。その光の美しさ。ともあれ、ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員大賞)受賞、おめでとうございます。
映画『悪は存在しない』公式サイト - EVIL DOES NOT EXIST
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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