えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
この前、諏訪敦彦監督の「風の電話」を見ました。1970年代のATG制作の映画を思い出しました。けれど、今という時代をその矛盾や痛みも含めて写しとられています。
ハルを演じたモトーラ世理菜さんは、本当の実在するかのようにハルとなっていました。スクリーンを見ながら、被災して近しい人たちをなくした高校生がそのまま演じているかと思ってしまっていました。
傷痕を確かめ、癒すかのようなロードムービー。映画館で見ていると、まわりからすすり泣きが聞こえてきました。
風の電話のある電話ボックスは本当にあって、今日も誰かが訪れているらしいのです。
映画『風の電話』公式サイト
こんな夢を見た。ぼくはどこかにのライブハウスにいる。あたり一面の壁に落書きだらけのライブハウスは大学生の頃の軽音の部室のようで何やら懐かしい。そこのライヴハウスは壊れかけたような間仕切りで、ミキシングコンソールのあるところが区切られている。そこには窓にはガラスははまっていない。ぼくはミキサーの隣にいる。客席は全部で五十席ぐらきて三十席ほど埋まっている。ちらほらと若い女子がおり、なぜだか、その人たちは、昔の大学時代に出会った人のようでもあるのだ。そのステージに死んでしまったぼくの友だちがアコースティックギターも持って現れ、歌い始める。その歌は河島英五の「酒と泪と男と女」であることにぼくは驚く。ぼくの知っている彼はロックンロールやブルースの英語の歌しか歌わなかったのだ。いつのまに、こんな日本の歌を歌うようになったのだろうとぼくは感心し、それにしても、相変わらず歌がうまいなと思う。
そこで目が覚めた。ところで、死んだ人に心のどこかで引け目を感じてしまうのはぼくだけだろうか? と同時に生も死もつながっているとも思う。だから悪夢ではないこんな夢を見るのかしら。夢で会う彼らは、いつも、とても穏やかなのです。
そこで目が覚めた。ところで、死んだ人に心のどこかで引け目を感じてしまうのはぼくだけだろうか? と同時に生も死もつながっているとも思う。だから悪夢ではないこんな夢を見るのかしら。夢で会う彼らは、いつも、とても穏やかなのです。
岩井俊二監督の『ラストレター』を見ました。
岩井俊二監督の映画は『ラブ・レター』のころからずっと見続けています。はるか昔、『ラブ・レター』を見たころは、沈滞する日本映画界にすごい才能がついに現れたものだと思い、率直に驚きました。そして、ついに、最新作では人の死とその続きを描くようになることに、ぼくは年月が流れることは悪いことでもない、いいことなんだよ、と思ってしまう。
今までの岩井映画を振り返ると、『ラストレター』はとっても地味だけど、奇をてらわないまっすぐな映画になっていて、その中に普遍的なメッセージが光り、これぞ日本映画というような未来もずっといろんな人に見続けられていきそうな名作になっています。
『ラブ・レター』から『ラストレター』へ、岩井俊二監督もすっかり巨匠となっていて、『ラストレター』に託された公にされたかのようでもある私信の中のメッセージは、ぼくの心の中の深いところに届きました。
岩井組オールスターキャストの松たか子さん、豊川悦司さん、中山美穂さん。今回抜擢の福山雅治さん。どれも素晴らしい演技の中で、豊川悦司さんのやさぐれた怪演技が光る。高校生役の広瀬すずさんと森七菜さんが自然でかわいらしい。悲しくも、急逝した木内みどりさんは『ラストレター』が最後の映画出演となってしまった。
これは岩井俊二監督の自伝的要素の多く入っているとか。ぼくも手書きの手紙とか好きです。
映画『ラストレター』公式サイト
山崎洋子さんの著した「女たちのアンダーグラウンド 戦後横浜の光と闇」を読了しました。「天使はブルースを歌う 横浜アウトサイド・ストーリー」の二十年後の続編です。「天使はブルースを歌う」では横浜を彷徨い歩いているうちに見つかったあるもの、歌われることのなかった歌をブルースに託したというような印象だとすれば、この「女たちのアンダーグラウンド」では、それを垂直の方向に、多少曲がりくねっても深いところに降りていくようであった。何か、横浜が魅力的に感じたなら、その深いところに降りて行ってもいいと思う。町や街は記録とともに記憶でもあるとぼくは思うのです。横浜よ、忘れないでくださいと、ぼくは空と地から声を聞いたような気がするのです。
この前、竹橋にある国立近代美術館と国立近代美術館工芸館に行きました。国立近代美術館では「窓展 窓をめぐるアートと建築の旅」と「MOMATコレクション」を見ました。
「窓展」の戦後の近代のアンリ・マティスの窓を描いたものから現代美術のポーランドの劇作家、タデウシュ・カントルの窓から覗きこむインスタレーション作品まで、おもしろかったです。第二次世界大戦以降の現代の歴史は、テレビとかコンピューターのモニターとかスマートフォンまで、いろんな窓が増えていって、人々がそれを家の中でも外でも覗き見ている、そんな時代でもあるらしいことを思ってしまう。その窓に入って、窓に映り込み、それを見られ、そして、見ていたりすると同時に、人は分裂的にその窓の枠外に飛び出したいのではないかしら。
「MOMATコレクション」はいわゆる、膨大な所蔵作品の代表作の常設展で、日本の近代以降から現代の絵画を戦争画も含めて、見通せるような内容でした。戦争協力の戦争画なんて嫌だな、と思いながら、何か懐かしい感じがするのが不思議です。熊谷守一などは戦争協力の絵を描かせられるのが嫌で、戦中は身を潜めて、目立たないように目立たないように生きのびた、そんな人もいるのだけど、藤田嗣治とか、自身の名を汚しているとも思うのですが、後悔とかなかったのだろうか?
さて、国立近代美術館工芸館はいつも素通りしていた所で、こんないい美術館であることを知りませんでした。「パッション2020」という展覧会をしていました。展示場が小さくて、所蔵作品のほんの一部の展示だと思う。近々、金沢に立派な美術館でできて、国立近代美術館工芸館も移転するという。金沢というと九谷焼ですな。ぼくは九谷焼の黄色い招き猫を持っているのだよ。なんでもかんでも東京に集中すればいいってもんじゃない。ぼくは、金沢に国立近代美術館工芸館、国立工芸館というらしいそれができたなら、旅して訪れたいと思う。
山崎洋子さんの著した名著「天使はブルースを歌う―横浜アウトサイド・ストーリー」が去年、二十年ぶりに復刊されて、再読した。横浜の過去、光がまぶしければ、闇もまた濃い、というようなドキュメンタリー。この本が1999年に出版された時、この本に登場する最も重要な一人であるゴールデンカップスにキャリアを始めたギタリスト、エディー藩はこう言ったとこの本の「二十年目―新版のためのあとがき」に書かれていた。
「山崎さん、続編を書かなきゃ駄目だよ」
あれから時が流れ、横浜が何も変わっていないことに、あることがきっかけで気が付いて、山崎洋子さんが続編を書き始めたのは二〇一五年。今、横浜は、巨大ギャンブル場、カジノの誘致で揺れているようにも見える。今の金だけの世の中かい? 横浜のことは横浜に住む人が決めればいいとぼくは思いながら、横浜をこよなく愛したぼくの大好きな音楽評論家、平岡正明が生きていたら、きっとカジノ誘致には大反対しただろう、とも思う。そして、今、ぼくは「天使はブルースを歌う」の続編「女たちのアンダーグラウンド―戦後横浜の闇と光」を読み始めたところです。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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