えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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東京都現代美術館に『GNKYO 横尾忠則』展を見ました。横尾さん自身がプロデュースした大展覧会を見ながら、横尾忠則さんはかっこいいと思い、横尾さんの絵画に内包されているエネルギーに圧倒されていました。ポスターから絵画へ、今でも、枯れることなく、ぼくが思うに奇想の人、横尾忠則さんはグラフィックというか、具象の二次元の表現の圧倒的なアバンギャルドだと思う。描き続けてきた三叉路や滝の絵のシリーズも面白い。近年の「寒山拾得」(中国唐の時代の高僧、寒山と拾得のこと。文殊菩薩もんじゅぼさつ、普賢菩薩ふげんぼさつの生まれ変わりといわれる。二人とも奇行が多く、詩人としても有名で、禅画の画題としてよく用いられている)の絵は横尾さんの人生の今の到達点でもあるかのようだ。図録を買ったのだけれど、それに横尾さんのインタビューが掲載されていて、近ごろでは自分の人生はもう残り少ないと感じておられて、描いても、描かなくても、毎日アトリエに行くそうだ。百歳を越えても、もちろん、描き続けてください。

併設されていた『Journals 日々、記す』展もおもしろかった。この『Journals 日々、記す』展の照屋勇賢さんのマクドナルドの包装紙を切り抜いて、ニューヨークのマディソンアベニューの実際に生えている樹木を造形したいくつもの作品を見ていたら、感動して、鳥肌が立ってきていた。これらは照屋さんによれば「高校生の時に授業で聞いた「どんぐりには樫の木の記憶が入っている」というアリストテレスの自然哲学を思い出し紙袋の中で眠っている森を呼び覚ましてやろう、と考えた」ということだそうです。これらは二十一世紀のアクチュアルで、未来すらも呼び覚ます概念の具象だとも思いました。

GENKYO 横尾忠則 [原郷から幻境へ、そして現況は?]

MOTコレクション
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メリーナ・レオン監督の『名もなき歌』を見ました。

この映画の物語は実話に基づき、1988年のペルーのリマで出産したばかりの子どもを盗まれたインディオの二十歳の少女とある新聞記者が出会うところから、それは動き始める。緩やかなサスペンスがモノクロームのイタリアン・ネオレアリズモのような手法で描き出され、昔のペルーの闇が浮き上がってくる。ラテンアメリカの映画はほとんど見たことがなかったのだけれども、メリーナ・レオンさんが初めて監督をした作品に何か意志のような、新年のような強いものを感じた。

この映画で描かれた状況の8年後のペルーの日本大使館で起きた「在ペルー日本大使公邸占拠事件」を思い出す。この事件を引き起こした14人の所属するトゥパク・アマル革命運動にも、その14人を全員を射殺した当時のアルベルト・フジモリ政権にも、ぼくは共感できなかった。ただ、その14人の中にたくさんの十代の少年や少女がいたことを、ただただ悼むことしかできなかった。

ペルーのこの若いメリーナ・レオン監督はそれがどんなに痛ましいことであろうと、昔を忘れるな、と声低く、世界に耳打ちしているかのようなのだ。そして映画『名もなき歌』のラストに「名もなき歌」がどんな歌なのかが明かされる。その歌にぼくは泣かずにはいられない。

映画『名もなき歌』公式サイト
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旅の帰り道、何度も訪れたことのある富士川・切り絵の森美術館に行ってきました。

常設展示に海外の作品がふえていたりして、ほーっと感心します。

切り絵って見ていると、それは美術品でもあり、工芸品でもあるようで、さらに二次元でもあり、三次元でもあるような、そんなところに惹かれます。そのようなことが際立つかのような企画展「紙わざ大賞展 in やまなし」も開かれておりました。これって紙でできているの? 手で触れてみたくなりますが、そこは我慢我慢。

企画展「紙わざ大賞展 in やまなし」開催中!
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山梨県南巨摩郡早川町に旅をした。





何回かやってきたこの町には、早川町の名前通りに早川が流れていて、たくさんの南アルプスの山々からの支流も流れ込んでいる。フライフィッシングもこの旅の目的の一つです。

おばあちゃんたちの店の駐車場に駐車の許可を取ろうと、話をすると、南アルプス邑野鳥公園のわきを通って早川に流れ込む黒桂河内川は台風か何かで起きた土砂崩れによって立ち入り禁止だという。ちなみの「南アルプス邑野鳥公園」の「邑」は「むら」と読み、「黒桂河内川」は「つづらこうちがわ」と読みます。かわりに案内された名もなき川に行こうと、ウェイダー(釣り人がはく腰の上まである大きな長靴)をはいて、歩いていると、軽トラックのおじさんに、釣りですか、釣れましたか、と声をかけられたので、ぼくは、これから行くところです、と答える。軽トラのおじさんは、川の橋と橋の間に、三月に魚を放流したので、いないこともないよ、今度の八月八日に魚を撒くからその時は釣れるよ、などと教えてくれる。

おじさんにいわれた通りに、人が一人歩けるほどの吊り橋と吊り橋の間を、釣りをしながら川上にあがったけれど、魚影やライズ(魚が虫を食べようと水面にあがってきて、水面が少しふくらむ)は見えず、釣果はゼロ匹でした。

帰りに、また四十分ほど、駐車場まで歩かなくてはならない。水を通さないウェイダーを着て、炎天下を歩いていると、熱中症で倒れるかと思いました。夏用にウェットタイプの水に濡れるウェイダーがある理由がわかりました。

それにしても、この早川町を縦断して通る県道三十七号線、南アルプス街道を歩いていると、ひっきりなしにダンプカーが走っていて、道を片側通行にして、そこかしこに警備員がダンプを誘導していて、たくさんの工事をしている。リニアモーターの新しい新幹線のための工事をしていて、巨大な土塁が高く積まれているのを見て、悲しくなる。リニアモーターカーだって? スピードなんてもういらないよ。この町にも何らかの名目でお金が入ってきているのだろうか? 近くには野鳥のサンクチュアリである南アルプス邑野鳥公園もあるというのに。新しい新幹線はこの町を耳をつんざく騒音をたてながら通過していくだけ。挨拶ぐらいはしろよ。こんちきしょう! 巨大な土塁を見ていると、涙が出てきた。川の水の中、森の木々から見る世界のことをぼくは思っていました。

夕方、昔、早川北中学校であった宿、ヘルシー美里に着いた。ここだけは、いつもと変わらず、ぼくを迎えてくれました。

翌朝、釣りをしに近くの川まで行こうと歩いていると、昨日と同じ軽トラのおじさんに、釣れましたか、と声をかけられた。ぼくは、これから行くところです、と答えると、あまり川の奥までは撒いていないから、と教えてくれた。ふと、魚を放流するのも大事だけれど、魚を定着させることも大事ではないかと、僭越ながらも思った次第です。

フライフィッシングを野山に出て、してみて、思ったこと。渓流に降りる、入渓ポイントというのを探すのがとても大変です。近所の相模川のようにはなかなか川まで降りられません。インターネットの情報で見つけた、踏み跡を行けば安全に降りられるという入渓ポイントを見つけ、草ぼうぼうの厳しさに、躊躇し、足腰の弱い、体力に自身のないぼくは下りられなかったこともあるよ。

釣行の釣果はゼロでも面白く、ほろ苦くも楽しく、どこか考えさせられる旅となりました。

いつかぼくのカーティス・クリーク(誰にも知られたくない秘密の川)が見つかりますように。
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佐藤成史さんが文を書き、神谷利男さんが絵を描いた『鱒虫釣人戯画』を読みました。

なんか、あたくし、フライフィッシングにはまりつつありますな。佐藤成史さんはフライフィッシングの世界では誰もが一目置く、巨匠的な存在であるらしいのだけれども、新参者、未熟者のおいらは知らなんだ。

ところどころ、行き過ぎた文明への批評をにじませながらの、釣りを通してのナチュラリストの視線にぼくはぐっと魅かれてしまうのです。

神谷利男さんの絵も直球、ど真ん中の素敵さです。さぁ、本を読み終わったら、山へ行こう、川へ行こう。

鱒虫釣人戯画(ますむしつりびとぎが)
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オリンピックの開会式をテレビで見ました。初めの方はつまらないと思い、チャンネルを切り替えてしまった。

また、チャンネルを合わせると、各国の入場行進でした。次から次へと世界のあらゆる国、地域の選手たちが入場してきて、ぼくの知らない国も多く、その国の中には香港、台湾、パレスチナという名前もある。一度もメダルを取ったことのない小さな国々が次々と入場してきて、ぼくは、これらの国々や地域の選手こそ、本当のオリンピックの主役ではないかと思った。彼ら、彼女ら、アンサング・ヒーロー(unsung hero)にぼくは惜しみない拍手をテレビを見ながら心の中で送っていました。

賛否両論ありの今までにない、今まで通りではないオリンピックで、オリンピックは政治的ではあってはならないともいわれるけれども、ぼくは、オリンピックは国と国との間の憎しみ、民族と民族との間の憎しみ、地域と地域との間の憎しみをどう乗り越えるかということを愚直に追究しつづけていって欲しいと心貧しくも願っております。

いろいろあるけれども、男子と女子のバレーボールの試合は、テレビでぼくは見ずにはおれません。
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暑い日本の夏、涼を求めるかのように、町田市国際版画美術館で『浮世絵風景画―広重・清親・巴水 三世代の眼―』を見に行きました。

江戸の歌川広重、明治の小林清親、大正から昭和の川瀬巴水の三代の浮世絵版画の展覧会です。見ながら、広重や清親の絵の中の人物が、なかなか生き生きと描かれているのに気付き、巴水の版画に登場する人物のほとんどが背中を向けている姿で描かれていることにも気付く。その背中越しの姿から、川瀬巴水の人となりを思い、失われていく日本の何かに対する強い気持ち、いかんともしがたいノスタルジー、郷愁にいつも打たれてしまう。川瀬巴水こそ、ぼくにとって特別な画人です。

前期と後期ですべての展示替えが行われるそうです。後期も見に行きたい。

浮世絵風景画―広重・清親・巴水 三世代の眼―
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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