えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

この前、うらたんざわ渓流釣場の人気の少ないフライフィッシングとテンカラ釣りの専門エリア、ヤマメクラシックⅠというところで釣りをしていた時のこと、毛鉤を変えて結びなおして、ふと誰かの強い視線を感じ、顔あげた瞬間、大きな黒い冬毛の鹿と目が合い、驚きました。その鹿は、バンビのような茶色い毛ではなく、黒い毛でおおわれ、その体躯の大きさと野生に生きている生きものの威厳に、ぼくはたじたじとなり、恐ろしさも感じ、襲われたら命の危険すらあると思い、そーっとその場を離れつつも、勇気をだして写真をパチリ。
後から考えれば、人の姿を見た鹿が、非難せねばと考え、あの川の向こうの狭い岩場に行ったのかもしれず、怖がっていたのは鹿の方かもしれません。あの決して目をそらさない、大きな黒い野生の鹿の強い視線が今でも、まざまざと思い出され、忘れられません。野生の生きものは素晴らしい、そう思わずにはいられません。ぼくは夏の終わりにここで、ヤマカガシという赤い蛇を見たこともあります。そう、野生の生きものは素晴らしい。
素晴らしい野生のあるうらたんざわ渓流釣場は素晴らしい。けれど、今度、このうらたんざわ渓流釣場のヤマメクラシックⅠやヤマメクラシックⅡで釣りをするときは、クマよけの鈴をつけねばなるまい。
(後に、友だちに指摘され、教えてもらいました。あの動物は、鹿ではなく国の特別天然記念物のニホンカモシカだったにちがいありません。)


高森顕徹さんの著した『嘆異抄をひらく』を読みました。新聞の下段広告に大きく掲載されていて、いつか読みたいと思っていた本です。「嘆異抄」は親鸞の高弟である唯円が親鸞の没したあと、さまざまな親鸞のいったことの説、間違った異説に嘆き、親鸞のいったことはこんなことであった、と書き記した昔の本です。
昔、吉本隆明の『最後の親鸞』を読み、まったく何が書いておるのかわからなかったぼくですが、この『嘆異抄をひらく』を読み、すこしは解った気になれましたが、それでものみこめない、実感としてわかないすべての生きとし生けるものを救いたもうという「弥陀の本願」の顕現であるらしい「南無阿弥陀仏」の念仏であります。そりゃ、そうだ、ぼくのような人間は自分で自分を救うことなど、あたわず、仏の願いのあらわれでしか救えないのです。
ところで、「嘆異抄」の第三章、原文での「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」にふれるたびに考えてしまうことがあります。アドルフ・ヒットラーも往生を遂ぐのだろうか? やはり悪いことを行ってはなりませぬ。その一つの答えとして、『嘆異抄をひらく』に倣いつつ原文の第一章を引用し、この項を了とします。
「「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり」と信じて「念仏申さん」と思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。
弥陀の本願には老少善悪の人をえらばず、ただ信心を要とすと知るべし。
そのゆえは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生を助けんがための願にてまします。
しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきがゆえに、悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに、と云々。」


中川五郎さんの著した『ぼくが歌う場所 フォーク・ソングを追い求めて50年』を読了しました。
ディスクユニオンでビニールに包装されたこの本を見て買ってしまったのだけれど、その値段が3,080円で中川五郎さんのエッセイにしては随分高い本だなと思ってしまいました。家でビニール袋を開けてみて、本の中を見て、その値段に納得しました。『ぼくが歌う場所』は2段組み285ページの大著で、中川五郎さんの50以上に及ぶ歌手人生でのありとあらゆるよしなしごとが書かれており、読みごたえがあります。
若かりし日のダメ人間の五郎さんのことも赤裸々に述懐されております。これはダメだわ、五郎ちゃん、とぼくは読みながら、思わずつぶやいてしまう。ぼくもダメ人間でもあるのですが…。
五郎さんの50年間の歌手人生でぽっかりと1980年代の10年間の空白があって、その間のことについては、この本にはほとんど書かれておりません。五郎さんはその頃は本の著述や編集でまったく歌わなくなってしまったのだけれど、その10年間の大きな成果がチャールズ・ブコウスキーの翻訳とこの異端のアメリカの作家の日本での紹介です。その後、1990年代、少しづつシンガーとして復活して、今が一番、ミュージシャンとして充実していると、ぼくは思う。これから何度でも五郎さんのライブには足を運び、アルバムが出されたなら、聴きたいと思い、そして、その真摯な中川五郎さんの歌をしっかりと受け止め、ぼくは五郎さんに声援を送りつづけたいと思っております。


この前、友だちと一緒に行ったうらたんざわ渓流釣場でのこと。もう釣場を上がろうかとという頃合いに、なかなかルアーでの釣りで釣りあぐねている友だちに、ルアーではなくフライフィッシングの面白さを見せてあげようと、今から水の上に浮かべるフライをよく見ていなよ、といい、ぼくはフライを遠くには投げずに、目の前にポトリと落としました。次から次にフライを虹鱒たちが覗きに来ます。フライを咥える寸前で急いで逃げる鱒、そろそろと近づく鱒、魚たちのざわつきが、心なしか聞こえるかのようです。
友だちもその魚たちの様子に面白いね、と感想をもらした瞬間、水の中を猛スピードで垂直に登ってくる流線型の小さな生きものが見えました。その流線型の生きものがぱくっと毛鉤を咥えるやいなや、ぼくは竿を立てます。フッキングできた。
釣りあげてみると、初めてのぼくが釣るおちびちゃんの山女魚でした。初めてのぼくの釣った山女魚だ、やったー! ありがとう、大きくなったら、また会いに来てね、と心でつぶやき、そのおちびちゃんに伝え、水の中に放つと、水の向こうへするすると泳ぎ去り、見えなくなりました。
(川の滝のような写真はうらたんざわ渓流釣場の上流にあるパラダイスと呼ばれる美しい堰堤です。)


親戚のある行事で九州に行きました。半世紀近くぶりだろうか、福岡県の北九州市の小倉駅から日田彦山線で父の実家のあった田川郡の真崎の最寄り駅、豊前川崎駅に向かう。
会えば、親戚は懐かしいと歓待してくれます。親戚はみんな九州におり、ぼくの父だけ関東に移り住んだという歴史もあって、従兄弟から車の中で、すぐに空になるビール瓶とお酒の徳利、日本酒の一升瓶が一本づつならぶ父の六人兄弟の豪快きまわりない大酒の宴会の話を聞き、酒井家が小倉藩の武士の出であり、維新の戦争の時に負け、田川の山の中で半商半農で身を立てる話も聞く。
日田彦山線のここら辺りは、明治以降に炭鉱となり、八幡製鉄所とともに、近代化、第二次世界大戦後の復興を支える、屋台骨ともいえる地域となる、そんな数奇な運命の所。
帰りの雨降る列車の中、二日酔い気味ながら、田舎の風景を見て、ぼくはとても穏やかな気持ちになりました。


クリストファー・カーの著した『最期に見る夢―終末期体験の奇跡』を読みました。友人の島田啓介さんが訳しています。アメリカのホスピスの医師の書いた本です。
延命治療を絶って、日々を過ごし人たちの見た夢や会話から人生とは何だろう、と考える。読み進めるのが時に辛くなる。特に「死を語る子どもの言葉」など。それは誰にでもやってくることなのだけれども。
ぼくはフロイト、ユングの説く夢に関心があって、ユング派の医師である河合隼雄さんの本は本当にたくさん読んできたけれど、この『最期に見る夢』を読みながら、夢とは解釈したり、分析、解析したり、ましてや、それで占ったりするものではなく、そのまま感じ、生きるものではないだろうか、と思いました。
「夢の解釈を越えて」の章の献辞、アメリカのカトリック教会、厳律シトー会(トラピスト)の修道司祭、作家のトマス・マートンの言葉をあげて、この拙文をしめくくりたいと思います。
「人生とは問題を解くことではなく、神秘を生きることだ。」


この前、うらたんざわ渓流釣場に行った時のこと、ぼくは人気のいない下流のエリアで、ロッドを振り、フライを投げておりました。そして、ネットをはみだすほどの初めての尺越えの、虹鱒を釣りあげたのです。
びっくりして、ぼくは記念の写真も撮らずに、すぐに魚を水の中に放してあげました。大概は放した魚は一目散に川の流れの向こうに向かうものですが、その大きな虹鱒は、ぼくの近くの辺りの水の中でふた回りほど泳いで円を描き、ゆっくりと流れの向こうに消えて行きました。その姿から、ぼくは水の中の生きものから何かの友愛のような信号を送られたような気持ちになったのです。
ぼくは思うことが身勝手でナイーブすぎますかな?
あー、なんて裏丹沢の紅葉がきれいなのでしょう。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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