えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

佐藤成史さんが文を書き、神谷利男さんが絵を描いた『鱒虫釣人戯画』を読みました。
なんか、あたくし、フライフィッシングにはまりつつありますな。佐藤成史さんはフライフィッシングの世界では誰もが一目置く、巨匠的な存在であるらしいのだけれども、新参者、未熟者のおいらは知らなんだ。
ところどころ、行き過ぎた文明への批評をにじませながらの、釣りを通してのナチュラリストの視線にぼくはぐっと魅かれてしまうのです。
神谷利男さんの絵も直球、ど真ん中の素敵さです。さぁ、本を読み終わったら、山へ行こう、川へ行こう。
鱒虫釣人戯画(ますむしつりびとぎが)


オリンピックの開会式をテレビで見ました。初めの方はつまらないと思い、チャンネルを切り替えてしまった。
また、チャンネルを合わせると、各国の入場行進でした。次から次へと世界のあらゆる国、地域の選手たちが入場してきて、ぼくの知らない国も多く、その国の中には香港、台湾、パレスチナという名前もある。一度もメダルを取ったことのない小さな国々が次々と入場してきて、ぼくは、これらの国々や地域の選手こそ、本当のオリンピックの主役ではないかと思った。彼ら、彼女ら、アンサング・ヒーロー(unsung hero)にぼくは惜しみない拍手をテレビを見ながら心の中で送っていました。
賛否両論ありの今までにない、今まで通りではないオリンピックで、オリンピックは政治的ではあってはならないともいわれるけれども、ぼくは、オリンピックは国と国との間の憎しみ、民族と民族との間の憎しみ、地域と地域との間の憎しみをどう乗り越えるかということを愚直に追究しつづけていって欲しいと心貧しくも願っております。
いろいろあるけれども、男子と女子のバレーボールの試合は、テレビでぼくは見ずにはおれません。
また、チャンネルを合わせると、各国の入場行進でした。次から次へと世界のあらゆる国、地域の選手たちが入場してきて、ぼくの知らない国も多く、その国の中には香港、台湾、パレスチナという名前もある。一度もメダルを取ったことのない小さな国々が次々と入場してきて、ぼくは、これらの国々や地域の選手こそ、本当のオリンピックの主役ではないかと思った。彼ら、彼女ら、アンサング・ヒーロー(unsung hero)にぼくは惜しみない拍手をテレビを見ながら心の中で送っていました。
賛否両論ありの今までにない、今まで通りではないオリンピックで、オリンピックは政治的ではあってはならないともいわれるけれども、ぼくは、オリンピックは国と国との間の憎しみ、民族と民族との間の憎しみ、地域と地域との間の憎しみをどう乗り越えるかということを愚直に追究しつづけていって欲しいと心貧しくも願っております。
いろいろあるけれども、男子と女子のバレーボールの試合は、テレビでぼくは見ずにはおれません。


暑い日本の夏、涼を求めるかのように、町田市国際版画美術館で『浮世絵風景画―広重・清親・巴水 三世代の眼―』を見に行きました。
江戸の歌川広重、明治の小林清親、大正から昭和の川瀬巴水の三代の浮世絵版画の展覧会です。見ながら、広重や清親の絵の中の人物が、なかなか生き生きと描かれているのに気付き、巴水の版画に登場する人物のほとんどが背中を向けている姿で描かれていることにも気付く。その背中越しの姿から、川瀬巴水の人となりを思い、失われていく日本の何かに対する強い気持ち、いかんともしがたいノスタルジー、郷愁にいつも打たれてしまう。川瀬巴水こそ、ぼくにとって特別な画人です。
前期と後期ですべての展示替えが行われるそうです。後期も見に行きたい。
浮世絵風景画―広重・清親・巴水 三世代の眼―


横浜聡子監督の『いとみち』を見ました。
青森弁がきつくて、自閉的になって悩んでいる高校生、十六歳の女子の物語は津軽三味線の音楽の話でもありました。その十六歳の女子、相馬いとを演じる駒井蓮さんがかわいらしいのだけど、とてもリアル。監督の横浜聡子さんも、駒井蓮さんも青森出身なのだそう。
見ながら、青森の何気ない風景の中を旅しているようでもあります。青森は、昔、青春18切符で旅した時、岩手の盛岡から秋田に向かう列車の中で、通り過ぎてしまっていた。太宰治とか寺山修司の故郷で、三上寛さんとか、偉大な詩人、作家がいっぱいいます。主人公の相馬いとが冒頭のシーンで読みながらうたた寝をしてしまうのは、永山則夫の『なぜか、海』で彼は青森の出身であった。永山則夫が死刑になった時、国家とか権力というのはこういう風に人を殺して、その大きな集団の中に自分も確かに存在して、そんなことが理由であろうか、とてもいたたまれない嫌な気分になったことを思い出す。
さて『いとみち』は音楽によって自由になれて、それによって人とも何かの結びつきができて、それが多分、「いとみち」ということで、とても素敵な映画でした。
それから、豊川悦司さんは年をとっても、とてもかっこいい。こうありたいものです。
ところで、生で聴く太棹の津軽三味線の音は、ベンベンと叩く太鼓とギターとベースが合わさったようなハードロック的な爆音です。青森の人ではないぼくだけれども、津軽三味線には昔から伝えられてきたソウルがあると感じてしまいます。
映画『いとみち』公式サイト


また、うらたんざわ渓流釣場でフライフィッシングをしました。
もう竿をしまおうかなと思った時に、強い引き。ぼくは竿を立てたり、フライラインをたぐったりて数分間、魚との綱引きをしていました。魚が見えるとかなり大きい精悍な虹鱒で、ぼくのランディングネット、リス捕りあみ(フライフィッシングをする人のための網で人気商品)に入るか入らないかの大きさで、リス捕りあみは長い方の内径が28センチなので、この虹鱒は尺越えではないか。
やっと取り込み、いつものように針をはずそうと片手でフォーセップ(フライフィッシングで使うハサミみたいな針はずし器)に手をかけ、リス捕りあみの手をゆるめた瞬間、虹鱒はリス捕りあみごとバサッと身をひるがえし、バーブレス(魚をリリースするために針の返しをつぶしている)にした針をはずし、逃げでいました。
ぼくはつり上げる時、心のどこかで、魚が針をはずして逃げてしまえばいい、といつも思っていたりします。では、なぜ、フライフィッシングをしているのか? 野山を歩くのが好きだというのもあるし、フライフィッシングというなかなか釣れない釣りで、釣れた時、魚の命のぷるぷる、ぶるぶるがフライラインを通して直に伝わってくるようで、そのドキドキが嬉しくもあるのです。
そして、魚を放つ。お魚さん、さようなら。たっしゃでな。また、会う日まで。魚が泳ぎ去っていくのを見るその数秒がなぜか大好きです。おいらっておかしなやつかい?
(で、写真は家に持ち帰った魚のいないリス捕りあみに、いつか、人のいない山奥の渓流で釣りをする時、持っていこうと夢見ているクマよけ鈴なのです。)


ブレィディみかこさんの著した『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』を読みました。ベストセラーとなった『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中で、みかこさんの中学生の息子さんが授業で「エンパシー」とは何ですか、と先生に訊かれ、他者の靴を履くこと、と答え、たくさんの読者から「エンパシー」とは何ですか、と話をされ、この本を書いたものこと。
このエンパシーとは、他者への共感や同情を表すシンパシーとは違い、他者の考えや感情を想像する、ということらしい。
さて、『他者の靴を履く』によれば、1980年代のイギリスの首相、マーガレット・サッチャーは、今は、まったく評価されず、イギリスに長い混迷をもたらした人といわれているという。曰く、サッチャーには身近な人、自分の近くで働く人たちへのシンパシーはあったが、エンパシーはまったくなかった。
今の保守党の党首であり、サッチャーの治世から30年後のイギリスの首相である、ボリス・ジョンソンですらサッチャーには批判的で、その同時代に、就任演説で「自助、共助、公助」などと唱える日本の今の首相はどうだろう? 自助でウィルスから防疫できるのかい? 欧米では次の100年を決める絶対に負けられない戦争だと思って、政府は財政出動しているきらいもある。
などと、ぼやきのような抗議をしつつ、この本で久しぶりに大江健三郎の哲学を教え、大江が尊敬してやまない渡辺一夫の文章が引用されているのを読んだ。アナーキーとエンパシーが接合して問いを発するのは、このあたりだろうかと思い、はっと大切な何かを思い出したような気がし、その文の引用をします。
「渡辺は、「過去の歴史を見ても、我々の周囲に展開される現実を眺めても、寛容が自らを守るために、不寛容を打倒すると称して、不寛容になった実例をしばしば見出すことができる」と書き、これは悲しくも呪わしい「人間的事実の発生」だと嘆いている。そして、契約や法は、人間が弱肉強食を浄化し、死闘の悲惨から前進する意志をもって作ったものだが、嘘をついたり、人を殺したりしてはいけないという契約と同じように、寛容が不寛容に対して不寛容になってはならないという新たな契約が必要だとまで書いている。渡辺は当時の「人間的事実の発生」によっぽどうんざりしていたのだろう。」
この後にさらに今の日本、世界に向けての渡辺一夫を枕にした、人のヒューマンティを鋭く説く文章はつづくのだけれど、それはこの本を買うか、立ち読みするか、図書館で取り寄せてもらってください。このなかば忘れ去られている渡辺一夫の本を再読したくなりました。


昼過ぎには帰ろうと思っていたのですが、夕方前の五時すぎまで、うらたんざわ渓流釣場にいてしまいました。
こんなことがありました。このうらたんざわ渓流釣場に来ると、必ずおられ、お会いする親子がおります。お父さんと女の子。そのお二人の後ろの方を釣竿を持って歩いていると、お父さんのこんな声が聞こえました。いつもお父さんの近くにいなくてもいいんだよ。好きにどこでも、したいところで釣りをしていいんだよ。お父さんの自由と自立を育むようなその言葉は素晴らしいけれど、ぼくは女の子の心の内の声が聞こえたような気がして、お父さんにそっとこんなことを耳うちしたい、と思っていたのです。お嬢ちゃんは大好きな父ちゃんと一緒に釣りがしたいんだよ、と。
お昼ごろにカップラーメンを食べようと休憩所に行きました。休憩所にはお湯のポットと電子レンジがあり、持ってきたお弁当を温めたり、カップラーメンを作ったりできます。そこにさっきの親子がおられ、お父さんは他の釣り人と話をしておられます。お父さんはこんなのことをおっしゃっておられました。この子は天才だよ、さっきの天気雨の時に入れ食いで、連続して十五匹、釣りあげたんだよ、と。釣り人は答えます。そりゃすごいね、おれなんか今日はまだ一匹だ、と。女の子はそれを黙って、ニコニコしながら聞いております。天気雨の中、つきつぎと釣りあげていく女の子の姿が目に浮かぶかのようです。お父さんと釣りをしに来て、夏の日のいい思い出ができましたね。
うらたんざわ渓流釣場 【公式サイト】


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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