えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
ブレイディみかこさんと鴻上尚史さんの対談をまとめた本「何とかならない時代の幸福論」が面白くて一気読みしたのですが、読み終わって、溜息が出てしまった。日本って何周、周回遅れなのだろう。ぼくがずっと生きてきた日本は30年間止まりっぱなしだったようでもあるのです。
そういえば、アメリカで右翼の新興宗教みたいな人たちが海の向こうのかの国の国会議事堂を占拠しているのをCNNで見て、何てアメリカさんも遅れてしまった国になってしまったのだろうと思った。しかも、これは、1970年ごろに日本の若い新左翼の学生が達成したかったことではないのか? なんという歴史のアイロニーで、時が経つとはこういうことなのだろうか? その後の新政権での大統領就任式での若い詩人の言葉に溢れる希望に感激したのだけれども、今じゃ、「希望」という言葉も日本では死語かもしれない。
あー、閉塞してばかりではいられない。ブレイディみかこさんと鴻上尚史さんのように、いやなことはいやと言い、好きなことをしぶとくやり続け、愛すべき人を愛し続けるしかない。
そういえば、アメリカで右翼の新興宗教みたいな人たちが海の向こうのかの国の国会議事堂を占拠しているのをCNNで見て、何てアメリカさんも遅れてしまった国になってしまったのだろうと思った。しかも、これは、1970年ごろに日本の若い新左翼の学生が達成したかったことではないのか? なんという歴史のアイロニーで、時が経つとはこういうことなのだろうか? その後の新政権での大統領就任式での若い詩人の言葉に溢れる希望に感激したのだけれども、今じゃ、「希望」という言葉も日本では死語かもしれない。
あー、閉塞してばかりではいられない。ブレイディみかこさんと鴻上尚史さんのように、いやなことはいやと言い、好きなことをしぶとくやり続け、愛すべき人を愛し続けるしかない。
横浜美術館に「トライアローグ」展を見に行きました。近代以降、印象派の後から現代までのアートのコレクションを誇る横浜美術館、愛知県美術館、富山県美術館の合同企画だけあり、見ごたえがあり、とてもおもしろかったです。多分、この三館を合わせると、収集したコレクション数は4万点を越え、5万点に近いらしい。これらの膨大な中から19世紀が終わる頃以降のよりすぐりの120点余りが、展示されていて、素晴らしかったです。
ぽつんと飾られたイヴ・タンギーの絵に、ぼくの心のどこかで何かに感傷し、鳥肌がたってきていた。今のぼくの心のどこかにはタンギーの絵に強く反応してしまう何かがあるのだろう。
芸術は決してむずかしくはない。考えるものでもない。先ずは感じるものなんだ。
横浜はこんなに素敵な美術館があっていいなぁ。相模原市にもいつか、美術館できないかな、と思ってしまいますが、その横浜美術館のこの「トライアローグ」展の後、2023年まで改修工事のために休館するという。新しくなった横浜美術館も楽しみですね。
トライアローグ:横浜美術館・愛知県美術館・富山県美術館
福永壮志監督の『アイヌモシリ』を見ました。
アイヌ民族の近年、行われなくなってしまった祭礼「イオマンテ」について、現代の視点から描かれています。どんなに観光化されようが、ある民族の祭りには、生活やら死への考え方、道徳などの起源ともなるある民族のもっとも大切なエートスが伝えられているような気がするのです。淡々とした描き方の中に、この『アイヌモシリ』は、近年、途絶えてしまった「イオマンテ」などの諸々のことについて、問いを鋭く発しているようにも思え、ぼくは、口をつぐまざるえなく、簡単な答えを出せそうにはないのだけれども。
この映画のエンドロールを見ながら、深く感動している自分がおりました。古く伝えられたアイヌの心も、アイヌモシリ(アイヌ語で「人間の静かなる大地」を意味する言葉、また16世紀以降で、北海道を指すアイヌ語の地名)の自然や動物たちも美しい。
アイヌモシリ
「新収蔵品展」を見に、平塚市美術館に行ってきました。昔、三岸好太郎の「海洋を渡る蝶」を見たことがあったのですが、再び、いつか見てみたいと思っていて、この「新収蔵品展」で展示されているらしいことを知り、足を運んだ次第です。この絵を描いた年、昭和九年、1934年に31歳で亡くなっています。夭折の画家の最期の、不思議で清明な輝きがぼくを惹きつけたし、今でも見入ってしまう。
同時開催で「宮川慶子展」が広々としたロビーで観覧料金、無料で行われていました。若い造形作家である彼女の親戚に伯父さんに僧侶であられる人がおり、その伯父さんの読むお経が、彼女の創作の出発点になっているらしい。もしかして仏教のいわんとする空からやってきているかもしれない、かわいらしい空想の動物たちのオブジェにぼくは微笑んでおりました。
新収蔵品展 国際興業コレクションを中心に
宮川慶子展ー生命は自分自身だけでは完結できないようになっているらしい
千葉市美術館の「田中一村展」にドライブがてら行ってきました。
生涯にわたる田中一村の絵を見て、50歳を過ぎて、南の琳派とも呼ばれる自分の、自分らしい、自分にしか描けないような世界に開眼し始めたたことを知りました。無一文同然で奄美大島に渡ったのです。そこでも紬工場の染色工として働きながら、自分の絵を追求していきます。そして、1969年、61歳で美しすぎる代表作「アダンの海辺」を描きます。実物で見るその絵の美しさは、何かこの世のものとは思えないような気配すら漂わせ、「田中一村展」で飾られておりました。ぼくは、われを忘れて、その絵の前にたたずみ、見続けておりました。
田中一村展 ―千葉市美術館収蔵全作品
篠原勝之さんの著した私小説集『骨風』を読んだ。
私小説とは日本の明治からの小説技法で、もっぱら作者の身辺雑記を書くもの。私小説の大家としては、徳田秋声があげられる。読みながら、中上健次のある種の小説を思い出した。中上が身辺を書きながら故郷の紀州、熊野の地を思うように、篠原さんは東京や山梨での身辺を書きつつ、少年時代の北海道、父や母、弟を思い出す。全部で八編で「骨風」、「矩形と玉」、「花喰い」、「鹿が転ぶ」、「蠅ダマシ」、「風の玉子」、「今日は はればれ」、「影踏み」。
その中の何篇かに深沢七郎さんのことが出てくる。一時期、篠原さんは深沢さんのラブミー農場に居候して、自給自足の農業の手伝いをしていた。ぼくもその手伝いをしてみたいと、思い立ち、ラブミー農場を訪ねたことがある。いるはずのクマさんこと篠原さんがいない。クマさんがいると思ったんですけど、いないですね、どうしたんでしょうか、と深沢さんに聞いてみると、深沢さんは、クマはよー、最近、テレビとかで生意気なことしゃべるようになったから、追い出してやった、と言っていた。クマさんはそのころよくテレビに出演していた。いま、この短編集を読み、クマさんが深沢さんおことを親方と呼んでいたのを知った。
伝染病蔓延るこの今の世の中を、深沢七郎さんは、どう言うのだろうと、想像してみるに、深沢さんは、みんな、病気になって死んでいけばいいんだよ、人間、みんな、死ぬんじゃねーか、と答える予感。そのことにぼくは返答を窮してしまう。深沢さんは、えばるものが大っ嫌いだった。こんなこともしゃべってくれた。この前、畑一面がセイタカアワダチソウか何かの雑草におおわれてよ、憎たらしくなって、ぜんぶ引っこ抜いてやった、せいせいしたよ。
さて深沢七郎さんを親方にもつ篠原勝之さんの小説集『骨風』に戻り、クマさんは自分のためにこれらを書きつつ、それは人のための祈りでもあるような気がした。救いとは何なのかぼくにはよくわからない。人は思い出を残し、誰でも死んでいき、それは自然そのもののようなのだ。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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