えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
伊豆の松崎を夕日を見に旅しました。
着いたら、まずは土地の神様にお参りだと思い、伊那下神社に足を運んで行くと、町のほうぼうににしめ縄が張られて、秋のお祭りが催されており、御神楽が演ぜられておりました。子どもの舞う神楽を隣で見ていたお年を召した女のおかたは友だちに、いいねぇ、なんか涙が出てきちゃうよ、とおっしゃられておられ、本当に涙ぐんでおられました。すばらしくて、ぼくも感動したことはもちろんです。ふと、この舞っている子どもの大人になるころには、ぼくもこの涙ぐんでおられる人もこの世界にいないのかもしれない、などと思ってしまいます。そして、また、その時の子どもが神楽を舞うのでしょう。ささやかな町のお祭りです。こういうのを見ると、日本って素敵だなと思います。紅白のお餅がくばられておりました。
そして夕日です。
いつもと変わらぬ松崎町です。この静けさも好きです。
また来ますね。
着いたら、まずは土地の神様にお参りだと思い、伊那下神社に足を運んで行くと、町のほうぼうににしめ縄が張られて、秋のお祭りが催されており、御神楽が演ぜられておりました。子どもの舞う神楽を隣で見ていたお年を召した女のおかたは友だちに、いいねぇ、なんか涙が出てきちゃうよ、とおっしゃられておられ、本当に涙ぐんでおられました。すばらしくて、ぼくも感動したことはもちろんです。ふと、この舞っている子どもの大人になるころには、ぼくもこの涙ぐんでおられる人もこの世界にいないのかもしれない、などと思ってしまいます。そして、また、その時の子どもが神楽を舞うのでしょう。ささやかな町のお祭りです。こういうのを見ると、日本って素敵だなと思います。紅白のお餅がくばられておりました。
そして夕日です。
いつもと変わらぬ松崎町です。この静けさも好きです。
また来ますね。
横須賀美術館へ『猪熊弦一郎展』を見にいきました。海辺のお気に入りの美術館にときたま行きたくなります。
企画展の『猪熊弦一郎展』での初期の作品の脇にあった解説にパリに絵を描き、学び行ったパリでの猪熊自身の経験が載せられ、それは憧れの巨匠アンリ・マティスから「おまえの絵はうますぎる」と言われたそうなのです。『猪熊弦一郎展』の図録から猪熊自身の言葉を引用します。
のっぴきならない発言だった。つまり「自分の絵になっていない」ということなのだ。私は本当に恥ずかしくなってしまった。(中略)結局、うまく描くということは人に良くみてもらいたいと思うために描くということに通じている。技術の巧拙は自然なものなのだ。思ったことことを素直な、虚飾のない姿でカンバスにぶっつけることこそ一番大切だ「絵がうますぎる」という先生の言葉はそんな意味だ。ぐさりと急所を一突きされたようだった。
それ以来、具象から抽象まで、猪口は好きな絵を、好きなように描くようになったみたいなのでした。
ぼくが猪口弦一郎の絵を見て、とてもいいなと思う何かは、ヒューマニティーに通じるユーモアを感じるところだったりします。猪口が好きな何匹も飼っていた猫の絵がいいなぁ。
商業美術にも携わり、依頼されて上野駅に壁画を制作したり、伊勢丹の包装紙、週刊誌の「新潮」の表紙絵をてがけていたりもします。
絵を描く素晴らしい人生に、素晴らしい絵が残された。
併設の谷内六郎館に珍しくも初期の絵が飾られていて、独特な谷内六郎の世界の原点を見せられた気がして、鳥肌が立ちました。
さて海辺をドライブして家に帰るかな。
すごい本を読んでしまった。田坂広志さんの著した『死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説』。
この本に書かれている最先端量子科学の研究によれば「ゼロ・ポイント・フィールド」というものがあるかもしれないらしい。
「第一〇話 フィールドに移行した「我々の意識」は、どうなるのか」で亡き父のことが思い出され、身につまされ、「第一一話 死後、「我々の意識」は、どこまでも拡大していく」では、初めて、アーサー・C・クラーク原作、スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』のラストシーンの意味が少し分かったような気がした。なにより、この本を読みながら、死は存在しないというなら、生も存在せず、人生は夢のようなものではないか、と思案し始めていたのだけれど、その答えの端緒のようなことも「第一二話 あなたが夢から覚めるとき」に書かれていた。
この本との出会いも何だかシンクロニシティのような気がしてきた。大いなる励ましにみちた書物を、田坂広志さん、ありがとう。
この本に書かれている最先端量子科学の研究によれば「ゼロ・ポイント・フィールド」というものがあるかもしれないらしい。
「第一〇話 フィールドに移行した「我々の意識」は、どうなるのか」で亡き父のことが思い出され、身につまされ、「第一一話 死後、「我々の意識」は、どこまでも拡大していく」では、初めて、アーサー・C・クラーク原作、スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』のラストシーンの意味が少し分かったような気がした。なにより、この本を読みながら、死は存在しないというなら、生も存在せず、人生は夢のようなものではないか、と思案し始めていたのだけれど、その答えの端緒のようなことも「第一二話 あなたが夢から覚めるとき」に書かれていた。
この本との出会いも何だかシンクロニシティのような気がしてきた。大いなる励ましにみちた書物を、田坂広志さん、ありがとう。