えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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親戚のある行事で九州に行きました。半世紀近くぶりだろうか、福岡県の北九州市の小倉駅から日田彦山線で父の実家のあった田川郡の真崎の最寄り駅、豊前川崎駅に向かう。

会えば、親戚は懐かしいと歓待してくれます。親戚はみんな九州におり、ぼくの父だけ関東に移り住んだという歴史もあって、従兄弟から車の中で、すぐに空になるビール瓶とお酒の徳利、日本酒の一升瓶が一本づつならぶ父の六人兄弟の豪快きまわりない大酒の宴会の話を聞き、酒井家が小倉藩の武士の出であり、維新の戦争の時に負け、田川の山の中で半商半農で身を立てる話も聞く。

日田彦山線のここら辺りは、明治以降に炭鉱となり、八幡製鉄所とともに、近代化、第二次世界大戦後の復興を支える、屋台骨ともいえる地域となる、そんな数奇な運命の所。

帰りの雨降る列車の中、二日酔い気味ながら、田舎の風景を見て、ぼくはとても穏やかな気持ちになりました。
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クリストファー・カーの著した『最期に見る夢―終末期体験の奇跡』を読みました。友人の島田啓介さんが訳しています。アメリカのホスピスの医師の書いた本です。

延命治療を絶って、日々を過ごし人たちの見た夢や会話から人生とは何だろう、と考える。読み進めるのが時に辛くなる。特に「死を語る子どもの言葉」など。それは誰にでもやってくることなのだけれども。

ぼくはフロイト、ユングの説く夢に関心があって、ユング派の医師である河合隼雄さんの本は本当にたくさん読んできたけれど、この『最期に見る夢』を読みながら、夢とは解釈したり、分析、解析したり、ましてや、それで占ったりするものではなく、そのまま感じ、生きるものではないだろうか、と思いました。

「夢の解釈を越えて」の章の献辞、アメリカのカトリック教会、厳律シトー会(トラピスト)の修道司祭、作家のトマス・マートンの言葉をあげて、この拙文をしめくくりたいと思います。

「人生とは問題を解くことではなく、神秘を生きることだ。」






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この前、うらたんざわ渓流釣場に行った時のこと、ぼくは人気のいない下流のエリアで、ロッドを振り、フライを投げておりました。そして、ネットをはみだすほどの初めての尺越えの、虹鱒を釣りあげたのです。

びっくりして、ぼくは記念の写真も撮らずに、すぐに魚を水の中に放してあげました。大概は放した魚は一目散に川の流れの向こうに向かうものですが、その大きな虹鱒は、ぼくの近くの辺りの水の中でふた回りほど泳いで円を描き、ゆっくりと流れの向こうに消えて行きました。その姿から、ぼくは水の中の生きものから何かの友愛のような信号を送られたような気持ちになったのです。

ぼくは思うことが身勝手でナイーブすぎますかな?

あー、なんて裏丹沢の紅葉がきれいなのでしょう。
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リーズル・トミー監督の『リスペクト』を見ました。アレサ・フランクリンの伝記映画。幼少のころの思い出から30歳でのあの1972年の伝説のチャーチコンサートまでが描かれれています。

なんでも、この映画のプロジェクトはアレサの存命のころから進められていて、主演のジェニファー・ハドソンはアレサ自身もこの人ならと認めていたという。ジェニファー・ハドソン、すさまじい歌唱力で歌っている姿はアレサが乗り移っているかのようです。

輝かしいアメリカナンバーワンのシンガーは苦悩の人生の中で、歌がなによりもの武器で、自由、Freedomと敬意、Respectを求めてやまない青春時代を過ごしておりました。一番、好きなシーンはアラバマのマッスル・ショールズにあるフェイムスタジオでミュージシャンたちとセッションし、レコーディングするところ。本当に片田舎のスタジオでミュージシャンの多くは白人で、なにこれ、とアレサは思うが、演奏してみると、すばらしくソウルフルなサウンドにアレサはのっていく。扉を叩いて、時代の開けられた、歴史的な瞬間に立ち会ったような気持ちになりました。

おっと、これ以上のネタバレはしない、しない。

アレサの父である黒人教会のもっとも有名な牧師のC.L.フランクリン師を演じているフォレスト・ウィテカーがみごとです。この稀代の複雑な人格の牧師をある意味、名演していて、素晴らしい。

さてアレサのアルバムでぼくの推薦は、"Aretha Gospel"、"I Never Loved A Man The Way I Love You"、"Amazing Grace"の3つかな。がつんとやられてください。


ぼくが映画館の店主ならば、この『リスペクト』とドキュメタリー映画『アメイジング・グレイス』の上映を同時開催します。『リスペクト』を見て、つづいて『アメイジング・グレイス』を見て、完璧だ。

映画『リスペクト』公式サイト





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東京オペラシティのアートギャラリーへ「和田誠展」を見に行きました。生涯、ポップアートを駆け抜けた膨大な作品のかずかず。映画の「怪盗ルビー」や「麻雀放浪記」もあるし、週間文春の表紙の絵は和田誠さんだった。映画のポスター、レコードジャケット。煙草のハイライトのパッケージデザインも和田さんによるものなのか。そのどれも、見ていて楽しくなります。和田さんってユーモアの人でもあったんだな。辛辣なユーモア、あたたかいユーモア、いろんなユーモア。懐かしいけど、古くならない、そんな和田誠の作品を見ながら、時を忘れてしまう。
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平塚市美術館で「物語る遠藤彰子展」を見ました。初期の楽園シリーズは、たくさん、近所に緑が残り、狸や猪も出没したという移住した相模原市の田園風景にインスパイアされたものだそう。そして、世界に新たな具象画がここにありと発見された、絶賛された街のシリーズ。世紀は21世紀になり、500号を越えて、キャンバスを2枚、3枚つなげて1000号、1500号の巨大な物語絵巻物の壮大な壁画のような近年の作品に圧倒されます。その絵の中のどこかに過去の自分、もしくは未来の自分がいるような気がしてしまい、その自分の姿や自分に近しい人たちの姿がないか、絵の中に探してもおりました。

同時開催されていた「湘南の日本画」。現代になり、日本画が伝統から3歩も4歩も跳躍している、そんな新しさを感じもしました。洋画、もしくは西洋画、日本画という区切りがあるけれど、もしかして、心に響く絵があるだけではないかしら。
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ぼくの通う心身統一合氣道会雄心館町田道場、その心身統一合氣道会の会長であられる藤平信一さんの著された本『心と体が自在に使える「気の呼吸」』を読みました。

普段、雄心館の館長であられる吉田雄二館長のいわれておられることと同じことが、書かれております。

そこに仏教の禅にも通じる世界観、哲学がちらほらと結び合わされ書かれてもおります。気を臍下の一点に合わせ、そして、忘れてしまいなさい、と説く。その心は一点にもとらわれてしまってはならない。養生に何も無理をすることなかれ。

この『気の呼吸』に書かれておりました「菜根譚」の一説を引用しつつ、この本の紹介いたします。

「風、疎竹に来る 風過ぎて、竹に声を留めず」

技だけではない合氣道、この言葉は合氣道の心のひとつでもあるようなのです。







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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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