えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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美術館をはしごしてしまった。世田谷美術館では『グランマ・モーゼス展 素敵な100年人生』と『ART/MUSIC わたしたちの創作は音楽とともにある』を、横須賀美術館では『いきものたちはわたしのかがみ ミロコマチコ』を見る。


『グランマ・モーゼス展 素敵な100年人生』

長生きするのはいいことだ。グランマ・モーゼスことアンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスが絵筆をとり始めたのが75歳の時で、彼女の人生はの始まりは1860年、亡くなったのは1961年。いまだにその絵がぼくを幸せな気持ちにしてくれる。


『ART/MUSIC わたしたちの創作は音楽とともにある』

「シャンバラ」と題された横尾忠則さんの大きなシルクスクリーンの版画が何枚も貼られたインド音楽の流れる部屋に圧倒される。なんかトリップするわ。

バスキアの絵を始めて見た。これも世田谷美術館が収蔵している絵画。とがった何かがささってくる。バスキアの没年齢が、ジム・モリソン、ジャニス・ジョップリン、ジミ・ヘンドリックスらと同じ27歳。27年組などとも呼ばれている。短かすぎる人生です。


『いきものたちはわたしのかがみ ミロコマチコ』

ミロコマチコという絵本作家、絵描きは知らなかった。母親や父親に連れられて小さな子どもがたさん見に来ている。初めの方の展示の近作の巨大な絵がすばらしく、感動して、ぼくは鳥肌が立っていた。その絵の黒い大きなわけのわからない生きものに、ある小さな女の子が、これなーに、と大きな声を出して、指をさして、絵にべったりと触れてしまっていた。すいません、絵に触れないでね、と係りの人が即座に注意していて、お母さんはおおあやまり。けれど、遅かったです。個人的な不謹慎にも笑ってしまった。もしかして、このような子どもの率直な驚きの気持ちに触れることは、ミロコマチコさんの本望かもしれない、と思う。ぼくも、心の中で、これなーに、と指さし、その自分に中に湧きのぼってくる驚きの気持ちが楽しかった。


いい一日になりました。
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この前、ビルボードライブ横浜に吾妻光良 And Swinging Boppersを見に行きました。

ぼくが学生のころから好きだったBoppers。とぎれることとなくゆるく活動してきた、ぼくより少し年上のお兄さん世代の彼らには、今、ライブを見ると特別な感慨もあるなぁ。その容貌がいい具合に老けていって、確かに、ぼくと同じ時代を生きてきたというような感傷も何だか、感じつつ、やっぱり、Swinging Boppersの音楽を聴くと、にやけたり、笑ったりしてしまうよ。

昔、インタビューでバンドを長続きさせる秘訣は、あまり熱心にやらないことです、などと言っていた吾妻さんだけれども、ライブを見るたびに、途切れることのないブルース愛、音楽愛を感じてしまいます。

楽しかった。
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初台にある新国立劇場のオペラパレスでワーグナーのオペラ『さまよえるオランダ人』を見ました。感動しました。

ぼくは、生きているうちに二つのオペラをいつか見たいと思っていて、一つはガーシュインの『ポギーとベス』、一つはワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』なのです。この『さまよえるオランダ人』はその前哨戦かもしれない。

昔、中上健次がインタビューで「物語の復権」ということを唱えていて、貧血症状の昨今の日本の小説を批判しつつ、ワーグナーの歌劇みたいに何回もたたみかけるような物語を作りたいと言っていたことを思い出したりした。そんな風にラストは怒涛の展会で、ぼくの目頭は熱くなる。さすが、クラシック愛好家の世界にワーグネリアンという人たちがいるわけだと納得。

ガーシュインの『トリスタンとイゾルデ』はニューヨークのメトロポリタン劇場での劇をそのまま撮影したのを映画館で見たことがあるのだけど、ガーシュインもワーグナーの影響を受けていそう。

やっぱり、三島由紀夫の小説もなんだか思い出した。そして、悲劇は高まり、究極の救いとなる。

決して、ルートの音にもどらない無限旋律ですか。催眠効果があるんじゃないのか。三幕目の一幕目は眠くなったりしたよ。

舞台美術がモダンでとてもかっこいい。

見どころ満載のオペラでした。

いつか見る『トリスタンとイゾルデ』がますます楽しみ。

さまよえるオランダ人 - オペラ - 新国立劇場
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水口憲哉さんの著した『桜鱒の棲む川 サクラマスよ、故郷の川をのぼれ!』を読みました。この本は、東京海洋大学の名誉教授であらせられる水口憲哉さんの、日本の河川から姿を消しつつあるサクラマスをどうやって再生させたらよいのか、その学術研究の成果がいくつものエッセイとして書かれた、少し難しい内容でありました。

「サクラマスよ、故郷の川をのぼれ」というのは、サクラマスというのは生まれたところの川から海にくだり、半年か一年を過ごしたあと、生まれたところの川を遡上する、その性質を述べた言葉で、あくまでも、サクラマスの故郷の川であって、観察者である人間にとっての故郷ではないところに、水口憲哉さんの生物に対してのやさしさを感じるようで、ぼくはうれしくもなる。

水口憲哉さんと同じく、ぼくも、原発を作り続け、ダムを作り続け、川を荒らしつづける日本の政治と行政に異を唱えたいと思う。環境省と水産庁が特定の魚を行政と政治、利権の都合によって、レッドデータブックの絶滅危惧種に出したり入れたりしているということをこの本『桜鱒の棲む川』で知り、その昔から続くご都合主義に唖然とする。「国破れて山河在り」というけれど、この三十年間、国政の失政がつづき、しかも、この国は山河すら破壊しつくそうとしているのかな?

『桜鱒の棲む川』にはサクラマスのしたたかな生き延びていく戦略のようなことについても書かれてれていて、それは微かな希の一筋ではあるのだけれども、この本の刊行は2010年でその後の今までの11年がどうなっているのか、とても気になり始めました。






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瀬戸内寂聴さんの著した『句集 ひとり』を読みました。句集と俳句についてのエッセーを組み合わせた本でした。本を読めば、死と孤独の匂いが立ち込め、圧倒されました。よくテレビなどで拝見される楽しいことを語る女のお坊さんの姿は、そこにはなく、その孤絶の厳しい美しさには、読みながらはっと息を呑む。一句だけ引用いたします。

御山のひとりに深き花の闇

これは寂聴さんが色紙にきまって書いていた俳句でもあるそう。「あとがき」に一遍上人の言葉が書かれていた。

生ぜしもひとりなり
死するもひとりなり
されば人とともに住すれども
ひとりなり
添いはつべき人
なきゆえなり







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国立近代美術館に『民藝の100年』展を見に行きました。


民藝という美学を創始した柳宗悦は、柳田國男と並ぶ、明治、大正、昭和の時代を生きた知の巨人だとぼくは思う。そう、柳田と柳の二人は、言葉と思想の矛盾をそのまま、考えぬいた国際派にして民族派であるような偉大な思想家であると思う。「民藝」とは、どこにでもあった手作りの日常品、茶碗や皿などの雑器に美しさを見つけ、日本の、台湾の、朝鮮の、アイヌの、沖縄の美を考察し、民俗がたらしめている民族とは、何かを深く考察する、そのようなこと。『民藝の100年』は、明治、大正、昭和と流れ進んだ、それを見ることができます。そして、それにあきたらず、ぽくは駒場の日本民藝館にも再び、何度でも足を運んでしまうでしょう。


「民」つながりのシンクロシティなのだろうか、夜はブルーノート東京に民謡クルセイダーズを見に行きました。


伝統とは「変わっていく変わらないもの」なのか、「変わらない変わっていくもの」なのか、誰が言ったことなのか、分からなく、忘れてしまったけれど、南米のコロンビアのリズム、クンビアで奏でられるホーハイ節を初めて聴いた時の驚きの喜びが思い出される。桜の咲くころはワシントDCの桜フェスティバルでの演奏が待っているそうです。踊って、巡って、世界中を進めよ、民謡クルセイダーズ。
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高森顕徹さんが監修し、高森光晴さんと大見滋紀さんの著した『歎異抄ってなんだろう』を読了しました。あー、吉本隆明の書いた親鸞についての本とくらべ、何と、わかりやすいことかと思いつつ、わかりやすいから、こんなんでいいのだろうかと疑心のわくぼくは、何とも救いがたい人間であることか。この『歎異抄ってなんだろう』は親鸞の語ったことを書いた唯円の歎異抄からいくばくかは離れて、親鸞聖人の説く「信」と「救い」について書かれておりました。この本のおしまいの章に歎異抄の原文が載せられていて、読み返すに、ぼくは、その歎異抄の第九章が一番好きです。ぼくなりに意訳すると、こんな内容なのです。

唯円「アホ禿さま、あっしには阿弥陀さまがお救いくださるというけれど、なんか、うれしいとも何とも感じられなーのです。どういうことでしょうか?」
親鸞「そーか、じつは、わたしもそれ、同じなんじゃ。なーんもうれしくもないし、信じているかもうたがわしい。そんな愚かで、いつもくよくよ悩んだりするあたしも阿弥陀さまは救ってくださった。なのとも頼もしいと思えませぬか、唯円ちゃん」
唯円「そうですな、なんか頼もしく、楽しく、うれしくなってきちゃいました」
親鸞「みんな、往生、間違いなしじゃ」

これは、落語のやっさん、くまさんですな。おあとがよろしいようで。






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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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