えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

シアン・ヘダー監督の『Coda コーダ あいのうた』を見ました。
この映画のタイトルである「コーダ/CODA」とは、Child of Deaf Adults」の略語で日本語でいえば「聾唖の親を持つ子供」という意味らしい。障碍者のする謙譲とか障碍者への憐みとかこの世界から永久に無くなればいいんだ。世界に必要なのは思いやりで、人は自由で平等です。
映画にもどり、愛にあふれた素晴らしいファミリー・ドラマでした。
昔の日本映画もこんなファミリー・ドラマの映画がたくさんあったと思い出すようでもありました。
舞台の町は漁師の港町で、漁師の港町ってアメリカでも日本でも世界中、こんな感じなのだろうか?
アメリカの映画に出ている俳優さんって抜群にうまい。
主演のエミリア・ジョーンズが演じたルビーにコーラスを教える先生役のエウヘニオ・デルベスが途中から宮本亜門さんに見えてきてしまった。もしかして、宮本亜門さんってこんな風に演技指導しているのではないかしら? そんなわけないか。
この映画、音楽がフックにもなっていて、そこも魅力。コーラスのアレンジでのマーヴィン・ゲイ&タミー・テレルの「You're All I Need To Get By」とかデヴィッド・ボウイの「スターマン」とか素晴らしいです。
後ろの方の席で映画の途中からだれかがずっとすすり泣いておりましけれど、ぼくはこの映画を見てとても暖かい気持ちになりました。
映画『Coda コーダ あいのうた』公式サイト


"Chara 30th ANNIVERSARY Premium Symphonic Concert 2022 – Chara’s Time Machine –"を見に、渋谷の東急のところにあるオーチャードホールに行きました。マエストロ栁澤寿男さんが指揮する東京フィルハーモニー交響楽団をバックにデビュー30年の間のいろんな曲をCharaは歌っておりました。
あー、このシンガーと同じ時代を、同じ言葉をしゃべる同じ国で生きれこれてよかった、とぼくほ本当に思います。そういえばぼくは思い出す。デビューして数年目の時に、彼女は音楽雑誌のインタビューで、あたしは歌もあまりうまくないから、作詞作曲に専念しようとも思うの、と語っておりました。ぼくはCharaの当時のホームページにあったメールフォームを通して、偉そうに、へたかうまいかほ分からないけれど、あなたは唯一無二の歌手なんだから、決して歌うことを止めてはいけない、と送ったことがあったのです。今夜の記念すべきコンサートにも唯一無二のシンガーがそこにはいて、その歌にぼくは30年前に聴いた時以上に、その歌も進化していて、感動してしまうのです。
近頃はエモいという言葉があるそうですが、エモーショナルな彼女の歌は、エモーショナルとういことにおいて、ぼくの知る限り、今や世界一だとも思っています。いっしょに行った友だちに、コンサートの後に、歌いながら叫んだり、囁いたり、Charaの歌はエモーショナル、という感想をぼくが述べると、友だちは、歌声が楽器みたいだね、と言っておりました。ぼくも、確かに楽器みたいだ、と思い、しかも、地声から裏声まで、いろんな音を奏でる、魔法のエフェクターが付いているみたいなのです。
コンサートの後半、オペラグラスで見ていると、彼女がグルービーにすごくのっているのが分かります。しかも、フルオーケストラをバックに。なんてやつだ。
最近の恋の調子はどう?、とMCして歌いだしたラストの一曲はフェミニズムもポリティカルコレクトネスもへったくれももない"Happy toy"。Charaのラブソングは素晴らしい。この歌で有史以来、人類の半分を縛っていた軛は断たれ、魂は解き放たれたのです。この会場には若い女子たちもたくさん来ていてCharaの自由に生き方に憧れもあるのだろうか? 最近の恋の調子はどう? 不調ばっかだけと、きみの歌は最高だよ。


釣り、フライフィッシングに行こうと、朝早く起きたはいいが、なんだか軽い二日酔いぎみでした。残っていた小さな理性が働き、もしかいて、酒気が残っているのではないかと思われ、夕方五時から新型コロナウィルスワクチン接種の予約もあって、釣りに行くのをとりやめ、そのまま眠ってしまっていました。
遅い朝ご飯の後、そうだと思い立ち、ぜひ見ておかねば、と思っていた平塚市美術館の展覧会『けずる絵、ひっかく絵』を見に行きました。
まずは平塚市美術館で同時開催中の展覧会『リアルのゆくえ』を見ます。現実を写し取ろうとする具象絵画の展覧会。本物の手にしか見えない佐藤洋次さんのシリコーンで作られた義手に驚く。深堀隆介さんの一年か二年前に樹脂で作られた一合升で泳ぐ金魚の江戸情緒の涼やかな美しさよ。
さて、お目当ての『けずる絵、ひっかく絵』です。埼玉県の丸木美術館で見た山内若菜さんの巨大な日本画に再会しました。圧倒的なマチエールの絵の凄みから現われるそれは、頭でっかちになった現代美術がもしかして忘れてしまったかもしれないもの「祈り」であるような気がして、ぼくは佇み、ただ見入ってしまっていました。
家に帰り、パンフレットを見ていたら、山内若菜さんのこんな言葉が深く印象に残りました。
「描いているうちに、展示しているうちにしわができ亀裂や穴が生まれ、その亀裂を見ていたら、レーナード・コーエンの「すべてのものに亀裂がある。そして、それが光の入る唯一の場所」(Anthem)という歌詞を見つけました。今、この世界は亀裂だらけなのではないか、という素材からの発見。穴こそ光が入る。傷口からこそ希望が見えるのだと気がつきました。」






こんな夢を見た。ぼくは父と母から、おまえは本当は大学を卒業してはいないんだろう、と責められている。ぼくは卒業したと答えるが、父と母に聞き入れられず、どんな卒業論文を書いたのか、と聞かれる。ぼくは武田泰淳について書いた、と答える。父に、現代文学か、くだらん、それも嘘だろう、となじられ、どんな卒業論文なのか、武田泰淳がどんな作家なのか、説明しろと言われる。ぼくは、武田泰淳について中国にとても深い関わりがあり、第二次世界大戦の中国大陸での従軍体験のある作家であることなどを説明し始め、小説「ひかりごけ」のストーリーを話し始める。すると、母とぼくはその「ひかりごけ」の物語の中に入り込んでいるようなのだ。その物語の中で、とあるひなびた食堂で、金箔をふりかけた不思議な食べものを見る。これを食べてしまえば、母もぼくも、ひかりごけのうっすらとぼんやり吸い込むような光を身にまとうことになるんだ、と思い、躊躇している。
そこで目が覚めた。ぼくは連日のウクライナでの戦争のニュースに神経がまいってしまっているのだろうか? 誰も殺したくない、と思いつつ、殺し、殺され、今も死んでいっている若い兵士のことを思う。谷川俊太郎さん作詞、武満徹さん作曲の反戦歌「死んだ男の残したものは」が耳に聴こえてくるようなのです。
そこで目が覚めた。ぼくは連日のウクライナでの戦争のニュースに神経がまいってしまっているのだろうか? 誰も殺したくない、と思いつつ、殺し、殺され、今も死んでいっている若い兵士のことを思う。谷川俊太郎さん作詞、武満徹さん作曲の反戦歌「死んだ男の残したものは」が耳に聴こえてくるようなのです。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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