えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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このところ、George Floydさんの警官をによる殺害に端を発した全米での抗議のデモをCNNやtwitterで追いかけるかのように見ています。デモで声をあげる人たちを見ていると、Robert Flankの写真集「アメリカ人(The Americans)」や一年ほど前に長野の清里フォトアートミュージアムで見た展覧会を何やら思い出してしまう。


この既視感はどうしてなんだろう? Robertはきっと今ごろ、天国から降りてきて、瞬きもせずに写真を撮りつづけているのではないかしら? スイス人の写真家で生涯、アメリカに移り住んだRobert Flankがどうして、あんなにもアメリカが好きで写真を撮りつづけたのか、わかる気もして、それは、そうだ、ニュースで見る抗議の声をあげるどの顔もまぎれもない人生の主人公の顔をしているではないか。


あー、アメリカ、広大な大地にへばりつく移民の国、アメリカ、そのアメリカ人たちよ、この400年もの間つづいた悪魔の不正義をどうか乗り越えてくれ、とぼくは祈っていて、それを信じているものでもあるのです。
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ミネアポリスの警察官に黒人のジョージ・フロイドさんが無抵抗のまま膝で首を絞められ殺されたことにショックを受けています。ジョージの最期の言葉"I can't breathe"を掲げて、全米でデモが広がっています。ある人種とかある民族ならば、ナチスに殺されたユダヤ人のように、無抵抗に殺されてもいいのだろうか? 「暴力反対」の言葉すら空語のように思えてしまう。抗議する彼らへの共感と敬意ともに、ジョージ・フロイドさんを悼み、昔、読んだ精神科医でありアルジェリア独立運動の闘志でもあったフランツ・ファノンの「黒人の生体験」の中の言葉を引用させてください。

「しかし私は自分の全存在を賭してこの切断を拒否する。私は自分の心が世界と同じくらい広大なのを感ずる。真実、私の心は最も深い河と同じくらい深いのだ。私の胸は無限に広がる力をもっている。私はこの世へのささげ物だ。だのにその私に不具者の謙譲さを勧めるのか。きのう私は世界に目を開いたとき、空が顛倒するのを見た。私は身を起こそうとした。だが内臓を摘出された沈黙が翼もなえて私の方に逆流してきた。無責任に、〈虚無〉と〈無限〉に馬乗りになって、私はさめざめと泣き出した」

ジョージ・フロイドさんは、ブラック・コミュニティの中で若くして死んでいく人たちのことに心を痛めて、銃規制の運動をするようないい人だったそうです。

How the killing of George Floyd has upended America
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首相官邸のための忖度で報道機関としては、まったく信用のならないものとなったNHKだけれど、昨日、なんとなく、昔の3チャンネル、教育放送、今のEテレで「バリバラ桜を見る会~バリアフリーと多様性の宴~ 第2部」を見ました。笑いながら、感動している自分がいた。これは、民放も含めて沈滞するテレビ・コンテンツの中で、ひさびさの超ヒット作ではなかろうか。大笑いしつつも、今の日本に真摯に問いを発していて、面白くて、素晴らして、しかも感動した。

それから、小田急相模原のエルトピートで何度かお見かけしたTASKEさんも、とても元気そうでした。

次回は5月7日(木)夜8時からだそうです。見なくっちゃ。

NHK バリバラ
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平日には労働をいそしみ、土曜日や日曜日、休日につかの間の自由の時を持つぼくの少ない楽しみが、ライブ・バーにギターを持って歌いに行く、美術館に行き、展覧会を見る、映画を見るの三つぐらいなのですが、新型コロナウィルス禍でそのどれもできなくなってしまい、疫病の晴れる春の日を待つ身となってしまった。とてもつまりません。そんな中、小さな映画館が無くならないように「仮設の映画館」というこんな動きもできました。けれど、ヴァーチャルもなくはないが、やっぱ何か足りないと感じているぼくは、回復の日、また散歩がてら、ライブバーや美術館、映画館に行くのを待ちわびているのです。

配信での鑑賞料金を劇場に分配「仮設の映画館」4月25日開館、上映作品続々決定 : 映画ニュース - 映画.com

仮設の映画館
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日テレの金曜ロードシネマクラブで「アナと雪の女王」を放映していて見始めたらおもしろくておしまいまで見てしまった。この大ヒットしたディズニーの映画をまだ見ておりませんでした。見ながら、アニメーションは手書きからコンピューターグラフィックスに変わっているのだけど、子どものころ見た「101匹わんちゃん大行進」とか「ダンボ」も思い出す。どれもみんなすばらしい。

この「アナと雪の女王」、若い人の間では「「アナと雪の女王」は雅子皇后陛下説」があるそうだ。多分、雅子皇后陛下によってこの30年間の冬の時代の日本がもたらされたというのではなくて、若い女子たちは、雅子様によって冬の時代から春の到来がやってくていると想像し、のぞみの一筋を感じているのかもしれない。雅子様のあまりの良い方への変りぶりに、ぼくも驚き、昔々にあったこととか伝統とかはないがしろにできないぞ、と考えているぼくは、ほっと胸をなでおろしていたりするのです。

アナと雪の女王|ディズニー公式 - Disney
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ある居酒屋のようなバーのようなライブバーのようなところで、天皇の代替わりの儀式「即位礼正殿の儀」をインターネットでの中継を見ていると、隣にいた女子から天皇制について意見を求められ、ぼくは、ああいうものは自然にいつかなくなって、天皇は世界平和財団とかの理事長になるといいのでは、と答えたのであった。いつかとは、いつなのかはわからなくて、世界の平和と日本人の幸福を祈る天皇ならば、普通の自由のない天皇陛下にはまったくお気の毒ではあるけれど、そのいつかは永遠に先のばしになってもよいとも思う。すると、若い女子の、天皇さんがいなくなると、日本はばらばらなっちゃうよ、との意見に、ぼくはなるほどと首肯してしまう切迫したリアリズムも感じていたのです。

中継を見ていると、天皇陛下がお言葉を述べられ、その中には、「国民と苦楽を共に」や「国民に寄り添いながら」という言葉もあり、その後の総理大臣の「万歳三唱」という木偶の坊の雄叫びのようなものとの乖離に、ぼくはひどく嫌悪感をともなうとまどいを感じ、困惑してしまう。

この儀式も明治政府によって伝統を切断され、改竄されたのであろうか? 高御座に立たれた陛下の表情にどこか怒りがにじんでいたように感じたのは、ぼくの想像的投影だけであろうか? 陛下の御心を察するのは難しいのだけど。

インターネットで見たところによれば、天皇制反対の声も見られ、デモも行われたらしい。ぼくはその意見にとくに賛成でもないのだけれど、まだ日本は、どこぞの国とは違って、まともな国なんだ、と安堵したのです。

実際に会ってしまえば、陛下とはなぜか、とても親しい友だちとなれそうな気がする不思議。実際に会えば、ぼくは、万歳とはとなえず、近頃はどんなご様子ですか、とご挨拶してしまいそうなのですが。

天皇、皇后、両陛下、ご即位、おめでとうございます。
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あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」で二つの展示物が展示されていて喧しい。ネットのニュースで見た一つは韓国の作家による従軍慰安婦像のようで、一つは昭和天皇の写真(昔は御真影といったという)が焼け落ちたものだという。ぼくは従軍慰安婦像はまったく問題にはならないだろうと思っていて、むしろ、右翼にとって不快なのは昭和天皇のインスタレーションの方だと思っていた。

昔、戦争画展というのをどこかの美術館で見たことがあるのだが、つまらない戦争協力の写真の中で、心ゆさぶられる絵もあったと記憶している。展覧会とはそういうものではないか?

ところで、ぼくはこの展覧会に今の天皇陛下がご観覧になられるところを想像してみる。従軍慰安婦像を陛下が静かに長い間、無言で鑑賞してすぎてゆく。昭和天皇の写真が焼け落ちたインスタレーションを見る陛下にすぐにおつきの人がこのように弁解をするかもしれない。

「申し訳ありません。このような展示物は今すぐ、撤去いたします」

すると、陛下はこのように述べられるのではなかろうか。

「撤去はいけません。このような展示物も日本のためではないでしょうか」

その昔、仁徳天皇はこういったそうだ。

「煙立つ民のかまどは賑ひにけり」

さて、伝統とは、保守とは、伝統を保守するとは何だろうか? 右翼の一水会は今の政府の執り行う大嘗祭につて、こう激しくツイッターで抗議している。

「今月26日、皇居・東御苑において大嘗祭のための地鎮祭が行われ、清水建設による大嘗宮建設工事がはじまった。新帝陛下の御大礼の無事の挙行を願うばかりであるが、憂うべき事態が起こっている。計画では、大嘗宮の中心をなす悠紀殿・主基殿の屋根を茅葺から板葺に、膳屋をプレハブにするというのだ」

「新自由主義の余波なのか知らないが、なんでもかんでもコストダウンすれば良いという話ではない。しかも、ことは我が国において至尊・至貴の祭祀である大嘗祭である。清水建設は予定価格の半額で入札したという。ならば、敷地面積は縮小しても、歴史に例のない異常な改変などせず、古式は残すべきだ」

「国産戦闘機を開発する努力もせず、宗主国から欠陥戦闘機を割高で売りつけられる。大多数の国民の生活の苦しさには目もくれず、消費増税で大企業の内部留保を膨らませる。何よりも大切な天皇陛下の大嘗祭は、プレハブで。安倍政権は「保守」を名乗りながら、何を保守すべきなのか全く理解していない」

ぼくは、あいちトリエンナーレの物議をかもしている二つの展示物について、ここまま展示すべきだと思いながら、大嘗祭の現政府の執り行いについては、一水会と同じく、強い不快感を表明してはばかりません。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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