えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

映画館で見たいと思っていながら見ていなかったジュリアン・ジャロルド監督の『ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出』をオンデマンドで見ました。時のエリザベス王女は英国王から先の大戦の戦勝記念の祝賀行事の日(1945年の戦争の終わった年)に一晩だけの外出を許される、その一夜を映画にした物語。これは事実に基ずく物語で、けれどもエリザベス女王の口からはその夜がどのような夜だったかは生涯、明かされることはなかったそう。ガラスの靴は履いていなかっただろうけれども、生涯に一夜限りのシンデレラ・ストーリーのシンデレラは十二時過ぎても宮殿に帰ることはなかったというのがこの映画の物語。素敵な映画でした。
ところで、ぼくは反王室でも反皇室でもないけれど、イギリスの王室も日本の皇室も、遠い未来のいつか(それは多分ぼくの生のあるうちにはやってこないでしょう)に、なくなってしまうのではないか、となんとなく思っている。イギリスの王室も、日本の皇室も、その時は、世界にとても大切で美しい夢のような思い出を残して。王室の最後の日には人々はこぞって「王様万歳」と唱和し、皇室最後の日には人々はこぞって「天皇陛下万歳」と唱和するのではないかしら。ぼくが何を想像しているのか、わかるかしら? 「地上とは思い出ならずや」とは稲垣足穂の言葉だが、この世界を形作るもっとも大事なものの一つは思い出なのではなかろうか? そして、地上とは夢のようなものではなかろうか?
世界の人々は、エリザベス女王の逝去に際し、とても悲しんでいるようなのがニュースで伝えられています。ぼくもその悲しみの声に唱和したいと思っています。
映画『ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出』 公式サイト




アナ・アランチスさんの著した『死にゆくあなたへ 緩和ケア医が教える生き方・死に方・看取り方』を旅先の宿で一気読みしてしまった。アナ・アランチスさんはブラジルで医師をしておられ、終末期の医療での緩和ケア医をしておられるとのこと。緩和ケア医とはどのようなものかというと著者自らこの本の「はじめに」の章に端的に書かれておられる。
「私は死にゆく人のケアをしています」
読み終われば、死というものがなんだか、普通のことのように思われてくる。確かに普通のことなんだ。それは誰にでも必ずいつか訪れることでもある。死を語ることはある意味、難しい。なぜかというと、生きている人は経験したことのないことだから。
この本はハウトゥー本の体裁をとっているけれど、ぼくは死について、死を看取る事の指南よりも更にその物語を読みたいと思った。安岡章太郎の小説『海辺の光景』はどんな物語だたっただろうか? 再読したい。
「死へ進む過程: 4つの元素の分解」での章では、東洋では自然は土・水・火・空気の4つの元素から成り立ち、人の死においてもそれぞれの崩壊においての現象が見られるとしていて、興味深かった。これはアナ・アランチスさんのもちろん、経験したことではなく、架空の物語であると思うけれど、原典は何なのだろうか? 『チベット死者の書』? それとも何かの仏典?
秘密が解き明かされる時は、いつか必ず来るのだから、静かに待っていればいいような気がしてきました。


こんな夢を見た。ぼくはどこかの南の方の島の浅瀬のエメラルドブルーの海で知らない女の人と手をつないで、ばた足で泳いでいる。ゆっくりと水面を渡っていく二人をなぜか上の方から、もう一人のぼくが俯瞰で見ていて、その景色が美しい絵か映画のようだと思っている。
そこで目が覚めた。長いこと海で泳いだことのないのを思い出した。澄んだ海にかこまれた小さな島を旅したい。この前、沖縄の那覇空港のお土産屋さんで買ったホタルガラスのブレスレットの青があまりに奇麗だから、こんな夢を見た? それともマティスの絵の青の色?
そこで目が覚めた。長いこと海で泳いだことのないのを思い出した。澄んだ海にかこまれた小さな島を旅したい。この前、沖縄の那覇空港のお土産屋さんで買ったホタルガラスのブレスレットの青があまりに奇麗だから、こんな夢を見た? それともマティスの絵の青の色?


西里扶甬子さんの著した『フクシマ・アンソロジー ジャーナリストの写真歌集』を読みました。この前「もやい.next」展を見に行った時に売られていた本です。著者の西里扶甬子さんもその場におられ、サインをしましょうか、と声をかけられたのですが、断ってしまっていた。サインよりもぼくは握手をして欲しかったのだけれども、このコロナウィルス禍の中、憚られ、頼めませんでした。
西里扶甬子さんは福島の原発事故んの時にドイツの公共放送のクルーとして、取材を始められ、フリーのジャーナリストとなった今も継続して福島の事故地域を見つめつづけておられる。短歌と写真の合わさったこの『フクシマ・アンソロジー』には、写真と並ばれることにもより、言葉の力、詩の力というものを、ぼくはとても感じました。本の背表紙にこんな短歌があげられてる。
病えてその身の一部削除され復興疎外の加害者とされ
人のもたらした災害は今もつづいている。忘れたらならん。放射能という害毒をまき散らした電力会社はそれを「無主物」とかぬかしておったことを本を読みながら思い出し、むかむか腹が立ってどうしようもない。この本に立ちあらわれる被害者のかたがたや著者の西里扶甬子さんのやさしさにぼくの心は少し救われるようなのだが、だから、やはり忘れたらならん。


町田市民文学館ことばらんどで『竹上妙の絵本と木版画 たけがみZOO展 ~いきものと目が合った!~』を見ました。生きものの絵を見ると喜んでしましまいます。絵の中に一つひとつの命があって躍動しています。命は閉じ込められない、そんな何かでもあるように思います。素晴らしい。竹上妙さんは町田に在住していて、「たけがみたえ」という作家名で絵本も出しておられる。新進の版画家、竹上妙さんは木版画で熊谷守一大賞に何度も応募し、2013年には入賞しておられ、ぼくは熊谷守一の描く猫の絵を思い出していました。アマゾンでたけがみたえさんの絵本「みたらみられた」を注文してしまったよ。
そのままぼくは町田市立国際版画美術館に歩いて移動し、『長谷川潔 1891-1980展 ― 日常にひそむ神秘 ―』を見ました。若いころフランスのパリに移住し、パリで客死した銅版画家。フランスでその才能を謳歌していた時のフランスで出版された「竹取物語」の挿絵の作品がそれはそれはとても美しい。その後、第二次世界大戦が勃発し、フランスに在住し、日本に戻らず、長谷川は苦悩し、「万物はすべて同じ」という天啓を得る。その時のことを長谷川はこう言っている。
「画題を探すために散歩をしていたところ、一本の樹が不意に「ボンジュール」と語りかけてきた。私も「ボンジュール」と答える。すると、その樹が実に素晴らしいものに見えてきた」
第二次世界大戦の終結後、長谷川はパリ中央監獄、ドランシー収容所に収監されてしまう。友人・知人の助力もあり、一か月後に釈放されるが、精神的なショックは激しく、しばらくは創作できなくなった。いつしか、再び作品を創作できるようになり、沈潜したような象徴的、哲学的な作品を日本に帰国せず、発表しつづけ、1980年に死去し、89年の生涯を閉じる。その白から黒、黒から白へのグラディエーションの静かな作品にぼくの心はは激しく心を動かされました。
