えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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渋谷のサクラホールに『沖縄のウタ拝2022』を見に行きました。

二部構成の一部の後、右隣にいた女子がそのまた向こうの女子に、どうだった、と聞かれ、沖縄のうらみつらみを感じた、と答えていましたが、その声は涙に濡れているようでした。

音楽と映像て綴られる沖縄の近現代を表した叙事詩は、その願いと祈りで未来を照射するよう。

フィナーレはCoccoの踊り。子どものころバレエをしていたというバレリーナそのもののほっそりとした手足の長い彼女の全身を舞わせる踊りの美しさは沖縄そのものでもあるようなのです。

劇場を出て、ぼくは、戦争のない世界に行きたいな、と思っていました。戦争のない沖縄では足りません。戦争のない日本でも足りません。ぼくは戦争のない世界に行きたいのです。

沖縄のウタ拝 2022
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中江功監督の『Dr.コトー診療所』を見ました。こういうラストの大団円は好きだなぁ。

映画を見ながら、なんだか、「ヒポクラテスの誓い」ということを思い出してしまっていた。

「・この医術を教えてくれた師を実の親のように敬い、自らの財産を分け与えて、必要ある時には助ける。
 ・師の子孫を自身の兄弟のように見て、彼らが学ばんとすれば報酬なしにこの術を教える。
 ・著作や講義その他あらゆる方法で、医術の知識を師や自らの息子、また、医の規則に則って誓約で結ばれている弟子達に分かち与え、それ以外の誰にも与えない。
 ・自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。
 ・依頼されても人を殺す薬を与えない。
 ・同様に婦人を流産させる道具を与えない。
 ・生涯を純粋と神聖を貫き、医術を行う。
 ・どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。
 ・医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。
 この誓いを守り続ける限り、私は人生と医術とを享受し、全ての人から尊敬されるであろう!
 しかし、万が一、この誓いを破る時、私はその反対の運命を賜るだろう」

時代遅れのところもあるかもしれないけれど、ただただ人のためにという本質は変わらない。ぼくはぼくの人生において、人のためにと労をいとわずに、何かをしたことがいくらばかりであっただろうか、などとも映画館を出てから、考えてこんでしまう。誰かのためにということは本当に素敵なことです。

映画の中の南の方の小さな島に、その素敵な人、大丈夫ですよ、といってその手をさしのべ治療に全霊をかけるその人、ドクター・コトーは確かにいたようなのです。

映画「Dr.コトー診療所」公式サイト
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若竹千佐子さんの著した『おらおらでひとりいぐも』を読んだ。

この小説を読みながら、これはすぐれて現代小説なのではないかと思いはじめていた。この『おらおらひとりいぐも』には、「ポリフォニー(多声・和声)」があり、ジェームズ・ジョイスの「意識の流れ」があり、ガブリエル・ガルシア・マルケスの「魔術的リアリズム」があり、確固たる「ナラティブ(語り口)」を持っている。

若竹千佐子さんは、岩手県の遠野出身で、東京に若くして出てきて、夫の死別の後、小説を書く教室に通いつづけながら、63歳でデビューした『おらおらひとりいぐも』で芥川賞を取ったという。その標準語と東北弁のいりまじった文体は圧倒的で素晴らしく面白い。東北の出身でこの小説に感涙したという、ぼくに紹介してくれた友だちに感謝します。ありがとう。

読後、ぼくはなぜか、映画『フェリーニのアマルコルド』や深沢七郎の小説を思い出すようであったのはどうしてだろう?






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石牟礼道子さんと藤原新也さんの対談集である『なみだふるはな』を読む。石牟礼道子さんの水俣を語る故郷を愛おしむ言葉は美しい。そして、藤原新也さんのこんな言葉にぼくは強くゆさぶられる思いがした。引用します。

「そのメカニズムは不明ですが、こうしてみると原発三十基分の放射能はすでに世界を覆っているのではないかとも考えられる。そんな中で申しわけないと思うのは、福島の場合もそうですが、ほかの罪のない動植物も巻き添えにしていることです。実は現地で一番ショックを受けたのは飯館村の線量の高い地区の地面で番のアリが狂ったようにエンドレス状態で輪を描いてグルグル回転していたあの光景です。ああやって回りながら死ぬのでしょう。あの狂ったアリは、水俣病にかかって鼻の先でくるくる踊って海に飛び込む「踊り猫」そのものなんです。その光景を見て自分に罪を感じました。
 そのような大罪を犯した僕たちは滅びてもいい。というよりも滅びるべきだと僕は思っております。つまりこの地球上の0.01パーセントに過ぎない人間が99.99パーセントの生物の命を奪おうとしている。そういう生物は滅びるべきです」

ぼくにとってこの言葉は、なんとも重い問いのように思えに考え込んでしまう。そして、やはりぼくは命への捧げもののような石牟礼道子さんの美しい詩や詞でもある言葉に戻ってゆく。いや、戻ってゆこう。






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藤沢の蔵まえギャラリーでの山内若菜さんの展覧会『江島縁起 龍と天女』展を見に行きました。小さな古民家に大作が二点。重ねて何度も描き足された大きな絵に、命と魂を感じ、そのマチエールに圧倒されてしまいます。素晴らしいかった。
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世田谷美術館に『藤原新也・祈り』展を見に行った。

展覧会のはじまりのところの大きな蓮の写真に感激の鳥肌がたつ。ぼくは40年来、藤原さんの写真や文、表現を追い続けけてきたのです。

この前、NHKの「日曜美術館」で藤原新也の特集を放送していて、藤原さんは「目の性善説」というようなことをおっしゃっておられた。目は本来、美しいものを求めており、目はそれを見たいと思っている、というような内容だった。日本の普通の景色から香港や渋谷を舞台にしたニュース的なもの、インドやトルコ、中国、アメリカの放浪の旅、バリ島や沖ノ島まで、すべてが何かしら美しい。そして、ラストのところの展示での言葉は痛切にも、今、日本に撮りたいという景色がなくなってきているということだった。

家に帰り、買ったままなぜかほったらかしにしていた藤原さんの最新の写真集であり、この『藤原新也・祈り』展の図録である『祈り』を見る。そして、読む。ここでもまた圧倒された。その写真集を見ながら、その中の「旅」という文を読みながら、ぼくは、その昔、寺山修司の本か何かで知った、全世界の反抗の発火点となった1968年の五月革命のフランスのパリのナンテール大学にあったという落書きの言葉を思い出していた。

「敷石の下は砂浜だ」

まったくその通り。世界は騒然として再び敷石ははがされるのかもしれない。そうでなくとも、いつか敷石は朽ちるだろう。世界に美しい何かが残ることを祈るのみ。
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相模原市の牧原の福寿院での阿字観の会に行って参りました。




阿字観は勝手に行うと危険だといわれており、ちゃんと習いたかったのです。福寿院で若いお坊様に真言宗の正しい阿字観を教えていただけました。1時間の会のうち、瞑想の時間が正味5分間で前後に長い準備と後始末の時間があり、お坊様は、阿字観の観想をすべて、ここ、道場に置いていきなさい、と指導されます。

会の前に里山の集落を散策し、会では半袈裟を組んだ足も痛くならなかったし、いい時間でした。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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