えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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バズ・ラーマン監督の『エルヴィス』を見ました。

トム・ハンクスが「スノーマン」を名のる悪徳マネージャーの気持ち悪いトム・パーカーを怪演していて、このトム・パーカーを語りべとして物語は進んでいきます。エルヴィス・プレスリー役のオースティン・バトラーは文句なくかっこいい。

BBキングとかリトル・リチャードとかぼくの大好きなブラック・ミュージックのヒーロがたくさん出てきます。南部のブルースやゴスペルから受けついだものエルヴィスには確かにあって、それは、乗りうつった魂のようなものでもあったのではないかしら?

ぼくが若かりしころ、エルヴィスのサン・レーベルのアルバムを気にいってよく聴いていました。クールなロックンロールが最高で、バラードの「Blue Moon」を聴いて、こんな寂しい歌はどこにもないと思いました。今でもそう思います。エルヴィスはこの寂しさから逃れるために、ロックンロールを歌い、そして、オーディエンスの女の子たちの絶叫もまじった大声援を受けるのことが生きているということだったのではないかしら?

ジョン・レノンはエルヴィスを兵役に行った時に死んだのさ、と言っていましたが、この映画でも大きく取り上げられている1968年の「Elvis Come Back Special」をぼくは昔、レンタルビデオで見て、それは、それはかっこよく、ジョン、それはちょっと違うのではないか、と思っていました。ビートルズの初期のジョン・レノンの歌い方はすごくエルヴィス・プレスリーに似ている、とも思うのですが、どうだろうか?

最期は四十二歳の若さでステージに立つために多用していた市販薬の乱用でぼろぼろになって死んでしまったエルヴィス。あなたは世界を変えるために神さまがつかわした本物の特別なシンガーです。

映画『エルヴィス』オフィシャルサイト - Warner Bros
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二泊三日の沖縄旅行に行ってきました。


1990年代に沖縄には度々、旅をしていたのです。その昔の時、沖縄を訪れるたびに、眩暈のするようなデジャヴ(既視感)を感じ、このデジャヴは何だろうと、いつも不思議に思って、何度も旅をしていたのです。今回の旅ではそのデジャヴはあまり感じません。どうしてだろうと思って那覇の街を歩いていけば、1990年代にはなかった沖縄の人から本土とか内地とか呼ばれている所のお店がとても増えているのに気づく。昔、来た時は、三越デパートとローソンのコンビニしかなかったのが、今ではコンビニは増え、何でもあります。それがデジャヴを感じさせる景色の何かを無くさせておりました。沖縄復帰から50年、本土並みといわれ、けれど、沖縄県の県民所得は日本で一番低く、不謹慎と言われてしまうかもしれないけれど、豊かになって失われたものもあるような気がします。あの頃は「ゆいレール」と呼ばれるモノレールも走ってなかった。1990年代は沖縄にとっての何かのはざかい期だったのだと思う。あれから50年、これから50年。COCCOの歌う最新アルバムからの「ラブレター」の詞を思い出してしまう。

アメリカ世(ユ)
りっかりっか湯
大和世(ヤマトゥユ)から
沖縄世(ウチナーユ)


けれど、公設市場のあたりの街並みはあまり変わっていないようでした。公設市場は今は建て替え工事中で、今はプレハブの仮住まい。そこで食べたてびち(豚足)はとても美味しかったです。夜八時半ごろ、与世山澄子さんのジャズソングを聴きに行こうと思い「Interlude」まで足を伸ばしましたが、開いておりませんでした。残念。



そういえば「ひめゆりの塔」って行ったことなかったな、と思い、訪れ、その後、平和祈念公園に行きました。「ひめゆり平和祈念資料館」と「沖縄県平和祈念資料館」を見学。見ながら、普通の市民を巻き込んだ沖縄戦は地獄だった、と思う。県民の四分の一が亡くなる地獄であった。日本よ、繰り返すな。「沖縄県平和祈念資料館」では明治の所謂「沖縄処分」からの展示で、リアルな本当の歴史が分かります。勉強にもなりました。そして、ドライブしながら、あー、海がきれい。その後、斎場御嶽(セーファーウタキ)へ行きました。慰霊の旅らしくにもなりました。夜は桜坂劇場で吾妻光良&The Swinging Boppersのライブを見ました。初の沖縄公演で気合のはいったノリノリで楽しく素晴らしい音楽。主催者の好意でBoppersの打ち上げにも参加できてしまい、吾妻さんともお話できました。長年の憧れのミュージシャンとの飲み会が楽しい。















帰りの那覇空港で飛行機を見て、名残惜しく寂しい。ぼくは沖縄が大好きです。また旅したいです。本島にもまた来たいし、今度は離島にも行ってみたいな。




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舘野鴻さんの著した『ソロ沼のものがたり』を読みました。どこかの山の奥深くの森に住む小さな生きものたちを主人公にした生と死の物語でした。みんな、生きて死んでいきます。当たり前のことのようですが、それが素晴らしい。この物語を読んだこれからは、ぼくは、歩いていると、足元に小さな生きものの気配を感じてしまいそうです。

なんだか、深沢七郎の小説を思い出してしまう。この『ソロ沼のものがたり』を深沢さんの『楢山節考』のようにぼくは何度も読み返すでしょう。それから、仏教の法華経の教えには、生きとし生けるものはすべて仏になることが出来ると説き、この世のすべてのもの、私たち人間も動物も草木もすべてに尊い命があり、差別なんて無い、無駄なんて無い、みんな一緒だということだそうです。『ソロ沼のものがたり』はそのような物語でもあるみたいなのです。






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山梨県の小菅村の小菅川にフライフィッシングをしに行きました。


夜明けの直後の五時に家を発ち、着いたのは七時過ぎぐらいで、「ほうれん坊の森」というキャンプ場の駐車場に車を停め、歩きながら、入渓点を探します。たいがい「C&R区間 えさ釣り禁止」と看板が立っているところが入渓点らしく、そこからなかば藪漕ぎのようなになりながら渓谷を下り、川に着き、毛鉤を投げます。これを何度か繰り返せども、魚の気配はなかなか感じることはできず、あるところで、やっと数匹の魚を見つけ、ある魚は、時々ライズ(魚が水面もしくは水面直下に流れてくる餌を捕食すること)をして、何かを食べているようえでした。魚はなかなか毛鉤をくわえてくれず、ぼくは何度もいろんなパターンの毛鉤を試しました。やはり釣れず、渓谷を上がります。


そして、ある所から入渓してみると、川岸の横に簡易的な広い駐車場があり、たくさんの車が駐車している。川を見ると決して少ない数ではない魚が見える。初心者のぼくのようなものは、初めからここに来ればよかったんだ、と思いましたよ。けれど、何度も毛鉤を投げども釣れません。


気がつけば、お昼の十二時を過ぎているではない。てくてくと歩いて車を停めたところまで戻り、車を走らせ「道の駅 こすげ」のレストランでミートソースのスパゲッティを食べました。おいしかったです。「道の駅 こすげ」の隣にある温泉「小菅の湯」でお風呂にも入りました。もしかして一匹も釣れないかもしれないけれど、日帰りの小旅行としてはよかった、などというのは、負け惜しみの独り言です。


午後、少しの間だけ釣りをして帰ろうかなと思い、さっき、車のたくさん停まっていた川原に戻りました。何度も、何度も毛鉤をふりこんでも釣れませんでした。


いつの間にか夕まずめの時間がやってきたらしいのです。川の流れの緩い静かなところにライズがあり川の面にわっかがひろがって、ぼくはその方に向かって毛鉤を投げます。釣れません。また他のところの川に面にわっかが広がります。釣れません。また、わっか広がりその方に毛鉤をなげます。何度も何度も、繰り返しているうちに、ぼくは、毛鉤を投げるのをやめ、わっかが何度もひろがる静かな川をただ見ていました。すると、魚たちの声が聞こえてくるようです。

「ぼくたちも生きているよ。えいちゃんみたく、生きているよ。
 わたしたちも生きているわ。えいちゃんみたく、生きているわ。」


そのころには、釣り人のほとんどはいなくなっておりました。静かな川に夕暮れがちかづいてきているようでした。

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梅雨が明け、町田の薬師池公園の蓮の花が見ごろをむかえています。「大賀ハス」と呼ぶそうです。美しい。朝早く来たかいがありました。
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文芸雑誌「新潮」の2022年7月号を買って、読んでしまった。坂本龍一さんのインタビューから構成した連載「坂本龍一 ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読みたかったからなのです。

この「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」というのは、もしかして坂本さんは夏目漱石が好きなのかな、と思いました。夏目漱石が英語教師をしていたころ、教え子が「I love you.」を「我、君を愛す」と直訳したところ、日本人はそんなことは言いません、月が綺麗ですね、とでも訳しておきなさい、と指摘した、という話が残っております。この坂本さんは「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」にも夏目漱石の話が出てきますし、「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」も何かの訳なのでしょうか?

率直に、自らが罹患した病気のこと、音楽観、芸術観、人生観、世界観について、坂本さんは語っておられました。この人ほど、変わってしまった人、変節を経た人をぼくは知らないように思う。そして、その変節が美しい方への変節で、こんな老いた人にぼくはなりたい、と思わせてしまいます。数年前、NHKの「細野晴臣イエローマジックショー」に出演した時には、昔の若いころの自分に会ったら、絶対にぶんなぐってやりますよ、などと笑いながら坂本さんは細野晴臣さんや高橋幸宏さんらとおしゃべりをしていました。坂本さんの若いころの佳曲「千のナイフ」の冒頭には、ボコーダーでの毛沢東の詩の朗読が収められていますが、今、この毛沢東の詩を坂本さんはどう読むのだろうか?

読みながら、これを「新潮」に発表したのは、坂本さんのお父さんが三島由紀夫を担当した新潮社の伝説的な編集者だったからなのかな、などとふと思う。

「愛に救われた」という章での新型コロナウィルス禍で面会禁止となり、坂本さんのパートナー(事実婚?)とのスマホのライトを使ったやりとりが、あまりにナイーブで心温まります。「死後の世界」の章で映画「コンタクト」を引き合いに語られる世界観は、それはそれは素晴らしいもので、ぼくは何度もその章を読み返してしまっていました。

来月号も予約したよ。
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相模大野の駅から歩いて10分かからないところにこんなおいしいタイ料理のレストランがあるとは知らなかった。「シーハー」というタイの生ビールを飲んだのだけれど、こういう外国からの人のやっている料理屋さんで失望することの多い、生ビールもとてもおいしかった。ここもお客さんは女の人が多い。女の人の多い料理屋さん、居酒屋、レストランははずれなし、というぼくの説も、また当たってしまった。ごちそうさま。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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