えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

石井裕也監督の『月』を見ました。辺見庸さんが相模原のたまゆり園での凄惨な事件から着想を得た小説を原作にした映画です。
この映画はあくまでもフィクションであるとぼくは理解し、その描かれた人間ドラマは社会批評を越えて思想劇でもあり、そのテーマは、小説家や思想家、宗教学者が生涯をかけて答えを求め、答えられずにいるようなものでもあって、そのような深刻なことを二時間半の時間で映画化したものでもあります。否定的なものも含めていろんな見方が議論されていて、それでこそ、この映画が今という時代に必要とされているとぼくは思います。
主人公、堂島洋子役の宮沢りえさんの演技が圧巻ですが、その夫の堂島昌平の役のオダギリジョーさんの演技も素晴らしいです。洋子の同僚の坪内陽子を演じる二階堂ふみさんは、ふと、小津安二郎の映画の杉浦春子のようでもあります。小津安二郎は杉浦春子を自分の映画における四番バッターと呼び、杉浦春子がいなければ、映画が始まらないとも言っていたそうです。誰もが嫌がるであろう全うの汚れ役、悪役のさとくんを演じた磯村勇斗くんの熱演にエールを送りたいと思います。
問題作を次々に世に送り出し、この前、急折された異色のプロヂューサー、河村光庸さんが最後に残してくれたこの映画『月』がぼくを含む見た人に問いかける、そのような映画です。
10月13日公開、映画「月」オフィシャルサイト


この不穏な世界状況に神経がやられそうになっている自分を感じ、ふと京都の真言宗の寺、東寺では毎年、一月八日から「後七日御修法」という国家の安泰や世界平和祈願、祈祷が行われているのを思い出しました。昔、東京国立博物館での東寺に関する展覧会で非公開の祈祷所を再現した展示を見たことがあります。
そこで真言宗の寺院、高尾山薬王院有喜寺のある高尾山に金比羅台ルートというあまり人に知られていない登山道から登りました。登りの金比羅台ルートと下りの三号路はとても静かで、その路を「六根清浄」、「無病息災」、「世界平和」と心の中で唱えて歩きました。祈りなんて無意味だという人もいますが、もしかして祈りからすべては始まるのかもしれません。映画「キリエのうた」のキリエも祈っていたし…。神様、この世界に愛と安寧と平和をお与えください。
頂上や寺の境内には楽しそうな遠足の子どもたちがいっぱい。下りでは高尾山のケーブルカーに初めて乗ってみました。薬王院で御神籤をひけば「大吉」。
「第八十九大吉
一片無瑕玉
從今好琢磨
得遭高人識
方逢喜氣多
いっぺんきづなきたま
いまよりたくまするによし
こうじんにしるにあうことをえて
まさにききのおゝきにあわん」
ゆめゆめうたがふことなかれ


岩井俊二監督の『キリエのうた』を見ました。岩井俊二さんの映画は『Love Letter』のころからのファンで公開されるたびに見ています。昔、『リリイ・シュシュのすべて』を見た後、その暗さに打ちのめされて三カ月ほど鬱な気分になっていましたが、『キリエのうた』はそんなこともなく、とてもよかったです。感動しました。
今の時代の『スワロウテイル』みたいな音楽映画です。『スワロウテイル』はバブル経済とジャパン・アズ・ナンバーワンの残り香ただよう映画でしたが、あれからニ十七年、あまりに日本も変わってしまっていたことにも気づきます。東日本大震災後、『キリエのうた』では、主人公は路上を彷徨い、パソコン向けのレンタルスペースをねぐらとしてるかのようで、その主人公「キリエ」を演ずるアイナ・ジ・エンドの存在感は圧倒的に魅力的です。
老人の入ってきているぼくには三時間弱というこの映画は、おしっこを我慢するには、もはや、長かった。けれどこの三時間は必要だし、素晴らしかった。年をとるということは、困ったこともあったものですね。昔の自分も嚙みしめつつ、繰り返すも『キリエのうた』は今の最高の音楽映画なのです。
音楽映画『キリエのうた』


昼の部の寄席を見に新宿末廣亭に行きました。
今日の主任は三遊亭とん馬師匠。とん馬師匠が枕で話してくれる鸚鵡とかお猿さんの小噺は何度聴いても楽しいなぁ。ぼくもおぼえてしまいました。どっかで披露してみたい。
本題で演じてくれたのは「稽古屋」。江戸の世では芸事の稽古がはやっていたそうだ。ぼくもゴルフ教室とかボイストレーニングとかを習ったり、今は合氣道の道場に通っています。やっぱ、「稽古屋」のこういう世界がいいなぁ。幕が下がり、追い出しの太鼓を聞きながら、一歩、寄席の夢のような世界から外の出ると、日本は平和だけれど、紛争、戦争の絶えない世界に引き戻されるかのようで、ふと憂鬱になります。世界の平和を祈ります。




世田谷美術館で『土方久功と柚木沙弥郎―熱き体験と創作の愉しみ』と『雑誌に見るカットの世界』を見ました。
『土方久功と柚木沙弥郎―熱き体験と創作の愉しみ』での土方久功は戦時中にパラオ諸島の孤島、サタワル島に渡り、7年間、民族学的なフィールドワークをしつつ、島の人々と生活をともにし、生涯、その経験から創作し続けたという。ユーモラスでもある彫像やレリーフが楽しいです。「猫犬」という彫像がかわいいなぁ。柚木沙弥郎さんは100歳でまだ存命であられ、柳宗悦の民藝の思想と訪れたメキシコやインドに触発された巨大な染色作品を創作し続けた。ぼくも含めて、なぜ、人は異文化に憧れながら、ここに戻って来てしまうのだろう?
『雑誌に見るカットの世界』は岩波書店の思想誌『世界』のカット(口絵)の図画と暮しの手帖社の生活総合誌『暮しの手帳』のカットの図画が展示されていて興味深い。昔の『世界』の目次が展示されていて、昔の文学青年、今のなりかけの文学老人のぼくはわくわくしてしまいます。1950年代に、『世界』に三島由紀夫の「女形」を発表しているのを見て、少し驚く。『暮しの手帳』のカットはすべては編集長の花森安治が描いていた。花森安治は『暮しの手帳』の発行を一つの政治的で社会的な運動として見ていたというけれど、その美しいカットの原画を見ながら、こういう芸術もあるのかとも思う。ミュージアムショップで売っていた本『花森安治のデザイン』を買ってしまいました。
『土方久功と柚木沙弥郎―熱き体験と創作の愉しみ』での土方久功は戦時中にパラオ諸島の孤島、サタワル島に渡り、7年間、民族学的なフィールドワークをしつつ、島の人々と生活をともにし、生涯、その経験から創作し続けたという。ユーモラスでもある彫像やレリーフが楽しいです。「猫犬」という彫像がかわいいなぁ。柚木沙弥郎さんは100歳でまだ存命であられ、柳宗悦の民藝の思想と訪れたメキシコやインドに触発された巨大な染色作品を創作し続けた。ぼくも含めて、なぜ、人は異文化に憧れながら、ここに戻って来てしまうのだろう?
『雑誌に見るカットの世界』は岩波書店の思想誌『世界』のカット(口絵)の図画と暮しの手帖社の生活総合誌『暮しの手帳』のカットの図画が展示されていて興味深い。昔の『世界』の目次が展示されていて、昔の文学青年、今のなりかけの文学老人のぼくはわくわくしてしまいます。1950年代に、『世界』に三島由紀夫の「女形」を発表しているのを見て、少し驚く。『暮しの手帳』のカットはすべては編集長の花森安治が描いていた。花森安治は『暮しの手帳』の発行を一つの政治的で社会的な運動として見ていたというけれど、その美しいカットの原画を見ながら、こういう芸術もあるのかとも思う。ミュージアムショップで売っていた本『花森安治のデザイン』を買ってしまいました。


竹橋の東京国立近代美術館で『棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ』を見ました。
棟方志功は若い時、「日本のゴッホになる」と志を立てたそうだけれど、この『棟方志功展』を見て、ぼくは、棟方志功はあたかも日本のピカソのようでもあると思う。板画(棟方は自らの版画を板画と読んだ)や倭画(やまとえ、棟方は自らの肉筆画を倭画と呼んだ)の変転し、進化させようとする棟方の芸術をこの展覧会で見て、そう思った。
その芸術は若いころ出会った二人の人物に生涯、深く影響されてもいたと思う。その二人とは、民藝運動の創始者である柳宗悦と、国家神道に批判的でもあった日本浪漫派の祖ともいうべき国文学者の保田與重郎。さらに戦後、ぼくは、小津安二郎がその映画『麦秋』の中で登場人物に言わせた言葉「大和はまほろば」は、万葉集の時代にまで回帰しようとした日本主義の保田與重郎のそれであるかのようではあるまいかと想像していまう。
棟方志功は、その芸術の日本的なそのようなことに、自らの意志でキリスト教の十二使徒やベートーベンの「歓喜の歌」、ホイットマンの詞も混淆させてしまう。俗と聖、内と外を行き来し、まさに生きようとする。
たくさんの外国人も『棟方志功展』に来ていたのだが、どのような感想を持ったのだろうか?
それから午後、新宿末廣亭に行って寄席見物。
主任の入船亭扇辰師匠の人情噺「甲府い」の落ち、もしくは下げに目頭が熱くなりました。落語はいいねぇ。
いい一日となりました。
棟方志功は若い時、「日本のゴッホになる」と志を立てたそうだけれど、この『棟方志功展』を見て、ぼくは、棟方志功はあたかも日本のピカソのようでもあると思う。板画(棟方は自らの版画を板画と読んだ)や倭画(やまとえ、棟方は自らの肉筆画を倭画と呼んだ)の変転し、進化させようとする棟方の芸術をこの展覧会で見て、そう思った。
その芸術は若いころ出会った二人の人物に生涯、深く影響されてもいたと思う。その二人とは、民藝運動の創始者である柳宗悦と、国家神道に批判的でもあった日本浪漫派の祖ともいうべき国文学者の保田與重郎。さらに戦後、ぼくは、小津安二郎がその映画『麦秋』の中で登場人物に言わせた言葉「大和はまほろば」は、万葉集の時代にまで回帰しようとした日本主義の保田與重郎のそれであるかのようではあるまいかと想像していまう。
棟方志功は、その芸術の日本的なそのようなことに、自らの意志でキリスト教の十二使徒やベートーベンの「歓喜の歌」、ホイットマンの詞も混淆させてしまう。俗と聖、内と外を行き来し、まさに生きようとする。
たくさんの外国人も『棟方志功展』に来ていたのだが、どのような感想を持ったのだろうか?
それから午後、新宿末廣亭に行って寄席見物。
主任の入船亭扇辰師匠の人情噺「甲府い」の落ち、もしくは下げに目頭が熱くなりました。落語はいいねぇ。
いい一日となりました。
