えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
夜、NHKBSで黒澤明監督の「夢」が放映されていた。見始めたら、止められなく、最後まで見てしまった。8つのストーリーのオムニバス形式。すべてのお話は黒澤監督の見た夢だというが、この映画、何度か見ているのだが、昔見た印象と違い、一話目の「日照り雨」と二話目の「桃畑」がいいなぁ。「日照り雨」は天気雨の日、狐の嫁入りを見た少年の話。見てはいけない神聖なものを見てしまった少年が虹のふもとの狐の国に謝りに行く。そこは花畑にかかる虹の向こう。二話目の「桃畑」に出てくる切り倒された桃畑に残った一本の小さな桃の木が愛おしい。三話目以降、物語は陰鬱になり、終末観すら漂わす。八話目の「水車のある村」でちょっと救われる感じ。笠智衆の演じる老人のセリフ「夜は暗いもんじゃ」になるほどと思い、「生きることはおもしろい」にそうかな(?)と思った。
最近、ローリング・ストーンズの映画を撮った監督、マーチン・スコセッシがビンセント・ヴァン・ゴッホ役で出ている。彼にはこうセリフがある。「こんな景色を前にして描かずにはいられない」とゴッホは言う。それはそうだ。描かずにはいられないだろうし、歌わずにはいられないことだっておこるさ。耳に包帯を巻いているゴッホに主人公は聞いてみる。「その包帯はどうしたんですか? 大丈夫ですか?」と。ゴッホは答える。「うまく描けないので耳を切り取ったのだ」と。史実の中のゴッホはその耳を娼婦である恋人に贈ったのだ。
話が映画からそれてしまった。「桃畑」にもどそう。映画とは夢でもある。そしてこの映画は「夢」。きみが見知らぬ女の子に魅かれたなら、その娘は失われた桃畑の桃の精なんだ。きっと、きみだけに舞を踊ってくれるでしょう。
おやすみ。
このまえ、12月12日(金)ミュージックスクールGroove(http://msgroove.jp/index.html)のパーティーでの演奏記念のページを作ったんじゃ。
http://members2.jcom.home.ne.jp/kysakai/dynamo/dynamo.htm
サウンドをクリックすると音も聴けるぞ。オーディエンスのざわめきも生なましく、かっこいいかも。
http://members2.jcom.home.ne.jp/kysakai/dynamo/present.mp3
けれど携帯でアクセスしている人は気をつけなはれ。3メガぐらいあるから、お金かかるかもよ。
この音、上出来だ。せっちゃんとみほちゃんのおんなリズム隊がいいではないか。おそるべし。ねっちこく重く低くグルーブしている。きんちゃんの美しいキーボードににしやんのかっこいいギター。わしのソウルフルな歌。いいではないか。
これは、ヘッドホンを頭にかぶってでかい音で聞きなはれ。爆音に身をゆだねよう。中学生の頃よく聴いていたLed Zepplinのレコードには"Play it loud!"と書いていたんじゃ。Pink FloydやGenesisのレコードのジャケットにも"Play it loud!"って書いてあったんじゃ。Roxy Musicのレコードには書いてあったけなぁ? "Play it loud!"って忘れていた基本かもしれん。でかい音でいこー。
Play it loud!
http://members2.jcom.home.ne.jp/kysakai/dynamo/dynamo.htm
サウンドをクリックすると音も聴けるぞ。オーディエンスのざわめきも生なましく、かっこいいかも。
http://members2.jcom.home.ne.jp/kysakai/dynamo/present.mp3
けれど携帯でアクセスしている人は気をつけなはれ。3メガぐらいあるから、お金かかるかもよ。
この音、上出来だ。せっちゃんとみほちゃんのおんなリズム隊がいいではないか。おそるべし。ねっちこく重く低くグルーブしている。きんちゃんの美しいキーボードににしやんのかっこいいギター。わしのソウルフルな歌。いいではないか。
これは、ヘッドホンを頭にかぶってでかい音で聞きなはれ。爆音に身をゆだねよう。中学生の頃よく聴いていたLed Zepplinのレコードには"Play it loud!"と書いていたんじゃ。Pink FloydやGenesisのレコードのジャケットにも"Play it loud!"って書いてあったんじゃ。Roxy Musicのレコードには書いてあったけなぁ? "Play it loud!"って忘れていた基本かもしれん。でかい音でいこー。
Play it loud!
事情があってエコ検定という試験を受けねばならず、その教科書みたいな本を読んでいた。その本に書かれている環境悪化を表す数値などを見ると、絶望的というか、それが、人類に端を発したものならば、他の地球の生き物に迷惑をかけずに、人類は終わってしまってもいいのかもしれないとも思う。
エコ検定の教科書みたいな本をサックに入れて背負い、自転車で町を走ると、少なからぬ家がクリスマスのデコレーション、イルミネーションできらびやかに飾っているが、その光景が反エコなのだとも感じるけれど、この人たちこそ、この祭りの終わりが来るのを、意識の底の方で確かに感じていて、終わろうとするこの世の春を謳歌しようとしてるのかもしれないと思い、説教じみた反感などみじんも感じず、もっと、歌え、もっと煌びやかに派手に踊れとすら思う。この時代、この船は沈むだろう。人類は生き延びることができるだろうか?
子どものころ、夏休みに山梨と神奈川の県境にキャンプに行って、その星空、たくさんの星のきらめき、本当に天の川のようで、感嘆したことがあった。口をあんぐり開けて、夜空を見あげて、きれいと言っているぼくがいた。あのころは、きっと町の灯りはもっと暗かったはず。夜は暗いんだよ。明るい夜で、なくしたものもあると思う。
アイザック・アシモフのSF小説に「夜来たる」という名作があって、6つ太陽のある星の話で、その星には常に太陽が輝き、その星の住民は夜を知らない。その星に何千年に一度という夜がやってくる。世界は真っ暗になり、住民は無数の星の煌めきを初めて見る。夜を知らない人たちは、それが恐い、美しい。
暗い夜を知るべきだよ。
エコ検定の教科書みたいな本をサックに入れて背負い、自転車で町を走ると、少なからぬ家がクリスマスのデコレーション、イルミネーションできらびやかに飾っているが、その光景が反エコなのだとも感じるけれど、この人たちこそ、この祭りの終わりが来るのを、意識の底の方で確かに感じていて、終わろうとするこの世の春を謳歌しようとしてるのかもしれないと思い、説教じみた反感などみじんも感じず、もっと、歌え、もっと煌びやかに派手に踊れとすら思う。この時代、この船は沈むだろう。人類は生き延びることができるだろうか?
子どものころ、夏休みに山梨と神奈川の県境にキャンプに行って、その星空、たくさんの星のきらめき、本当に天の川のようで、感嘆したことがあった。口をあんぐり開けて、夜空を見あげて、きれいと言っているぼくがいた。あのころは、きっと町の灯りはもっと暗かったはず。夜は暗いんだよ。明るい夜で、なくしたものもあると思う。
アイザック・アシモフのSF小説に「夜来たる」という名作があって、6つ太陽のある星の話で、その星には常に太陽が輝き、その星の住民は夜を知らない。その星に何千年に一度という夜がやってくる。世界は真っ暗になり、住民は無数の星の煌めきを初めて見る。夜を知らない人たちは、それが恐い、美しい。
暗い夜を知るべきだよ。
会社帰りに相模大野のラシエットに行き、ピアノの渋谷毅とボーカルの金子マリのギグを見る。会社の仕事が長引き、ファースト・セットはもう終わっていた。セカンド・セットからの見聞。ゲストとしていきなり小川美潮が登場。デビュー当時のチャクラのころよりも今の方が好きだなぁ。ただそこにいて、立って、ただ好きな歌を歌っているという感じが良いです。オリジナルの歌を歌っている姿は、少女の心を残した大人の歌手という感じ。若い女性の方、こういう大人を目指しましょう。金子マリ、この人もすくっと立って、自分の歌を歌っているだけというのがいいなぁ。二人ともその人がそのまま歌となっていると思った。すべてがシンガーなのです。うまい歌手はたくさんいるけど、こういうのにはぼくは弱いし、かなわんなぁ。それに渋谷毅のピアノが静かに美しく強く歌う。ルンルン。
ここ数年、ぼくのオーディオセットでもっとも音が鳴らされたアーティストがジョアン・ジルベルト。このギターの弾き語りのミュージシャンがボサ・ノバを発明したと言われている。ブラジルのバイーア州のサルバドール市から大都会のリオデジャネイロに出たきたジョアンはナラ・レオンらの住むアパートに移り住み、そこで、引きこもり、風呂場で毎日毎日、ギターと自分の歌でサンバの複雑なリズムと哀愁のメロディーを奏でようとして練習に励み、半年後に自分のスタイルを神から受け取る。50年前の話です。ジョアンの音楽をライブで始めてぼくが聴くはずだったけど、結局の来日中止となってしまった。酷い腰痛のジョアンはブラジルから日本へのフライトが耐えられないとドクターストップがかかった。しかたないのだし、今はジョアンの回復を祈るのみ。がんばれ、ジョアン。いつか、お願いだから、ぼくに生でそのギターと歌を聴かせておくれよ。
波乱万丈の長い人生だったけど、まだまだ続くのさ。1970年代には、ブラジル社会の変化、軍事政権に耐えられなくなって、ブラジルを旅立ち、ホテル住まいの亡命生活のような日々もあったという。1980年代にブラジルに戻ってきた時には、心無い人たちからの裏切り者というレッテルの拒絶すらあったという。しかし、その音楽の美しさは強かった。ブラジルの音楽大使のようなカタエーノ・ベローゾは21世紀になった今、もっともいいのは沈黙だけど、それ以上のものはジョアン・ジルベルトだけだという。物静かだけど、美しくやさしい自由の具現者、ジョアン。
ジョアンはブラジルのポルトガル語のさまざまな曲になんと美しい命を吹き込む。自分自身の作曲作詞はあまりないのだけど、このジョアンのこの短い詞を紹介し、回復を祈って、ジョアンに送ります。
「オバララー
歌は愛
オバララーを聞けば
心は幸福
この歌を聞けば 愛が見つかる
君の心を 誰かがわかってくれる
だから この歌をお聞きよ オバララー」
オバララーはジョアンのこと?
波乱万丈の長い人生だったけど、まだまだ続くのさ。1970年代には、ブラジル社会の変化、軍事政権に耐えられなくなって、ブラジルを旅立ち、ホテル住まいの亡命生活のような日々もあったという。1980年代にブラジルに戻ってきた時には、心無い人たちからの裏切り者というレッテルの拒絶すらあったという。しかし、その音楽の美しさは強かった。ブラジルの音楽大使のようなカタエーノ・ベローゾは21世紀になった今、もっともいいのは沈黙だけど、それ以上のものはジョアン・ジルベルトだけだという。物静かだけど、美しくやさしい自由の具現者、ジョアン。
ジョアンはブラジルのポルトガル語のさまざまな曲になんと美しい命を吹き込む。自分自身の作曲作詞はあまりないのだけど、このジョアンのこの短い詞を紹介し、回復を祈って、ジョアンに送ります。
「オバララー
歌は愛
オバララーを聞けば
心は幸福
この歌を聞けば 愛が見つかる
君の心を 誰かがわかってくれる
だから この歌をお聞きよ オバララー」
オバララーはジョアンのこと?
Year End Partyを日本語にすると、忘年会ですが、ぼくが歌を習っているスクールGroove(http://msgroove.jp/)での忘年会で歌を歌った。実は、この歌を歌うのは世界広しといえども、ぼく一人しかいない歌で、しかも、それを作ったのは、ぼくではないらしい。ある日ある時、ぼくの胸に降ってきた歌で、降らせたのは誰だかわからなく、わからないまま、歌いつづけるしかないだろう。こんなクリスマスの歌だけど、ぼくが作ったのではない、この歌が大好きで、12月になると歌いたくてしかたなくて、今年は歌う機会があったことに、この歌の本当の作者(だれだかは、わからないけど、知っている)に感謝をしている。こんな詞とそれに音楽まで添えられて、胸に降ってきた夜を経験したことがあることは確かなのだ。だから、歌う。今年だって、きっと、まだまだ続く。
「クリスマスイブの夜
雪の降り積もったこの町に
たくさんの星が降ってきて
ぼくの長靴に入ってきたのさ
ぼくは空飛ぶブーツをもらったよ
世界中の星空駆け抜けて
なきべそかいている子供たちのために
プレゼントをしに出かけよう
ぼくの古い長靴は
いくつかの星屑を吸い込み
いまや空飛ぶブーツになった
ぼくはぼくの正しい願いをかなえる時さ
広がり始めた暗い雲をふりはらって
満天に星空を輝かせ
泣きべそかいている子どもたちのために
この歌声だけを胸に響かせよう」
演奏してくれたみほちゃん、せっちゃん、きんちゃん、にしやん、ありがとう。すばらしかったよ。
「クリスマスイブの夜
雪の降り積もったこの町に
たくさんの星が降ってきて
ぼくの長靴に入ってきたのさ
ぼくは空飛ぶブーツをもらったよ
世界中の星空駆け抜けて
なきべそかいている子供たちのために
プレゼントをしに出かけよう
ぼくの古い長靴は
いくつかの星屑を吸い込み
いまや空飛ぶブーツになった
ぼくはぼくの正しい願いをかなえる時さ
広がり始めた暗い雲をふりはらって
満天に星空を輝かせ
泣きべそかいている子どもたちのために
この歌声だけを胸に響かせよう」
演奏してくれたみほちゃん、せっちゃん、きんちゃん、にしやん、ありがとう。すばらしかったよ。