えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
国立の猪口菜という居酒屋でスミ☆アヤコちゃんの歌を聴いた。猪口菜と書いて、「ちょこざい」と読む。スピード感があって、すごいリズムがはじけている「買い物ブギ」のバックの演奏と一体となったそのグルーブが最高。で、思った。同じ笠置シヅ子の「ジャングルブギ」をスミちゃんに歌って欲しい。
昔、黒澤明監督の名画、三船敏郎主演の「酔いどれ天使」の中、終戦直後の踊り場、ボール・ルームで歌って踊る笠置シヅ子とスミちゃんがタブってしまうんだな。映画の中での笠置シヅ子のすげーダンスと歌と東京キューバン・ボーイスのファンキーでダンサブル、ご機嫌な演奏とスミちゃんがシンクロしていた気がする。
自由で明るい人が好きです・・・
YouTubeに凄い動画がアップされている。あの伝説のブルーズマン、ロバート・ナイトホークのシカゴのゲットーの繁華街、マックスウェル・ストリートでのライブなのです。放浪のブルーズマンとは彼のことなのだ。ロバート・ジョンソンと並ぶ僕のフェイバリット・ブルーズマン。
一生さすらったのは、殺人のかどで追われて故郷のアーカンソー州セントへレナに帰れなかったという伝説すらある。生涯を旅してさまよったことは事実なのだ。裏町やハイウェイを。
悪魔のようなことを歌っているれど、なぜか美しい。そして、すさまじくブルー。こんなのに惹かれるおれもどうにかしていうのかも。
ブルースが少しでも気になる人は見てくらさいな。
http://www.youtube.com/watch?v=oypAbJj-fEs
一生さすらったのは、殺人のかどで追われて故郷のアーカンソー州セントへレナに帰れなかったという伝説すらある。生涯を旅してさまよったことは事実なのだ。裏町やハイウェイを。
悪魔のようなことを歌っているれど、なぜか美しい。そして、すさまじくブルー。こんなのに惹かれるおれもどうにかしていうのかも。
ブルースが少しでも気になる人は見てくらさいな。
http://www.youtube.com/watch?v=oypAbJj-fEs
Ruthie Foster(http://www.ruthiefoster.com/)を見に青山のCayに行った。店がいつの間にか移転していた。おしゃれなタイ料理のライブレストランに変わっていた。昔は壁に落書きだらけのところだったのに。タイ料理というと、トムヤンクンをライブ前に食べて、やっぱ、おいしかったです。
Ruthieはテキサスから来たSoul Sista。同じ同郷から女性のベースとドラムスを連れてきていた。Rutheiはギターを弾きながら歌う。なんか、どこかのホームパーティーで、Rutheiが友だち二人を連れてきて、ちょっと今夜は歌わせてよ、どうしても歌いたいことがあるのよって言って、歌い始めたようなライブだった。とても自然で飾らず、ソウルフルな歌で、バックのリズム陣の演奏もすばらしく重心が低くて気持ちいい。Rutheiはブルースというより、ゴスペルの感じだった。子どものころから日曜の南部の黒人教会で歌っていたのだと思う。そんな彼女と彼女の友だちが紛れ込んできて、歌って演奏した、素敵なパーティーみたいだったのです。Ruthei、またパーティーに来てね。
帰りに下北沢で下りて、昔、よく行っていた音楽喫茶「いーはとーぼ」(http://www.shimo-kitazawa.com/S45824.html)に行った。聞いたことのないマニアックな音楽がたくさんかかっていた。ここは変わらんねぇ。ほっとして、思わずまったり。Joao Gilbertoを聞きながらお店を後にする。
友だちにさせわれて秦野のバー"Street Cafe"(http://www.geocities.jp/sscafe_shin1/)にNOLA1416というバンドを見に行く。秦野の街のはずれ、駅から歩いて15分ぐらいのところに、こんなバーがあるのが不思議だ。バンドはニュー・オーリンズ臭ぷんぷんリズムでドラム、ベース、ギター、サックスの編成。久しぶりのあのゆるっとしたマーチのリズムを聴けた。時折、みかねぇさんの歌の入りまする。僭越ながら、ドラムはかなりのつわものと見た。いっしょに行った友だちに聞けば、ニューオーリンズで3年間、プロのドラマーとして生活していたことがある人だそう。なるほど。
遅れて、館野鴻さん登場。たてのひろしさんと読みます。1年ぶりにお会いした。2年前、ヨガのひまわり道場のパーティーの時、初めてお会いした時、たくさんのの自分で描かれた絵の絵葉書を見せてくれた。小さな虫や花の絵であった。その絵に惹きこまれた。その時、絵本を制作中で1年後、出版する予定だと聞いた。結局2年かかり、その絵本「しでむし」の見本版を今夜、もってきてくれていた。ついにできたのか。偕成社から、全国書店で4月6日に販売されるという。
ひろしさんの絵を見ると、小さなものを小さいもののその地べたにはりついたようなところから、目をこらして、どこまでも見つめているような視線が素敵だと思う。
石川拓治氏の著したこれは深くて衝撃的な本だ。たかが、リンゴ、されど、リンゴ。無農薬でリンゴを栽培しようとした青森の農家、木村秋則さんからの聞き書き。この本の前半四分の三以上は無農薬のリンゴの栽培の失敗による人生を転げ落ちていく記録になっていて、まさしくその話は、もの狂いの地獄巡りのようなすさまじさなのだ。悲惨さが実話であることによって、無限のような悪夢であるかのようであるのだけど、ある時、木村さんはあることに気づくのだった。そして、リンゴの花が咲き、小さな実をつける。形ある繋がりすら越えて、最後に種の別々を越えた、命の形のない繋がりが暗示される。震撼し、感動した。木村さんのリンゴ、食べてみたい。ガブッ。
1829年のデイヴィット・ウォーカーに始まり、2005年のバラク・オバマで了とするアメリカ合衆国での21もの黒人の演説集を読んだ。黒人たちへの残虐な死に至るまでのリンチやレイプなどの暴力は1960年代まで続いたことに驚きと共に、アメリカのもう一つの暗黒の裏面を見る思いがした。2009年に合衆国では黒人の大統領が登場したのだが、世界というのは、ある時、変わるのだ。
マルコム・Xは元祖ラッパーだと思い、おれ達を痛めつける白人たちに媚びるな、アンクル・トムになるなと、殴り返してやれと言っていたけれど、そんなマルコムをかっこいいとも思う。キング牧師の言葉は聖なる響きをもっているし、ガーベイの貿易船に乗り、救いの旅にも出たいのだけれど。
ぼくは、昔、夢を見たことがある。とても生々しく奇妙な夢だった。ぼくは、アメリカの南部で、富豪の息子だった。しかも、当時の黒人たちに寛容な理解のある白人だった。黒人のトミーはぼくに言っていた。おまえにはだまされない、おまえは偽善者だと。ぼくはトミーにいつも言っていた。つまるところ、肌の色を越えて、ぼくたちは同じ人間だと言っていたが、トミーは聞き入れない。
ぼくは黒人たちの音楽が大好きだった。土曜の夜には、バンガローのような小屋に住む黒人たちを呼んで、パーティーをいつもしていた。
ぼくには悩みがあった。メアリーのことだった。同じく富豪の娘である白人のメアリーと恋に落ちていたけれど、メアリーの両親に結婚を強く反対されていた。なぜなら、ぼくの黒人に対する寛容のためだった。黒人たちとのことでぼくは地域からも孤立していた。メアリー以外に本当に友だちも恋人もいなかった。黒人たちと仲良くしたがるぼくは、ぼくのこれからの没落を信じていたし、それでいいとも思っていた。そんな夢だった。
今、ぼくには、ゾラ・ニール・ハーストンやトニ・モリソンらの黒人の女性の演説の思慮深いやさしさがしっくりくる。ゾラはこんな風に言っている。
「私から人種が消えることがある。私は私。・・・そのとき宇宙的ゾラが生まれる。私はいかなる人種にも、いかなる時間にも属さない。自分自身の運命の数珠玉を操る永遠の女。
アメリ市民と黒人という別々の感情は持っていない。私はただ「大きな魂」の断片で、その領域で揺れ動く。私の国で、正しかろうが、そうでなかろうが。
ときおり差別を感じるけれど怒ったりはしない。私はただびっくりする。えっ、私と一緒にいる楽しみを捨てるっていうの。それは私の及ばぬところ」