えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

こんな夢を見た。ぼくは大学の構内にいる。昔、学園祭シーズンにコンサートを見に来たことのあるところで、横浜国立大学か神奈川大学かどこかで、その時は、ブルースか何かを聴きに来たのだと思いだす。もしくはフールズとかボ・ガンボスとかを見に来たことのある大学だ。そこに猿がたくさんいる。猿の毛むくじゃらの体のそこここに蚤がわいている。ぼくはその蚤を取ってあげたいと思いながら躊躇している。
歩いて校庭に出る。そこにも猿がたくさんいる。その猿たちには蚤はわいていない。猿たちが親しげに近づいてくる。そうか、猿って類人猿っていう種類もあるのだから、本当は人間に近い仲間なんだなと思う。近づいて来る猿と友だちになれそうだ。そこで目が覚めた。
いかれた夢だろうか? ウィリアム・ブレイクという英国の詩人を思い出しました。
歩いて校庭に出る。そこにも猿がたくさんいる。その猿たちには蚤はわいていない。猿たちが親しげに近づいてくる。そうか、猿って類人猿っていう種類もあるのだから、本当は人間に近い仲間なんだなと思う。近づいて来る猿と友だちになれそうだ。そこで目が覚めた。
いかれた夢だろうか? ウィリアム・ブレイクという英国の詩人を思い出しました。


この前、やっと友だちのみかねともりぶカップルの農と自然やら動物やらをテーマにした曲を演奏するバンド、「やまやま」をやっと見ることができた。小田急線の伊勢原駅の南口を降りて左にまがって歩いてすぐの居酒屋さん豆穂というお店でのライブを聴いたのです。カップルのお二人以外のメンバーとして本郷修史さん(key) 大竹弘行さん(b) ピンチョス北原さん(per) の入った演奏は、森や山や野原を駆けまわる子どものような驚きのを歌にしたような音楽であった。なんと言ったらいいのか、ひょっこりひょうたん島なので、とっても楽しく、良かった~。
で、その演奏された豆穂というお店でずっと呑みたいと思っていぼくにとっての幻の埼玉の日本酒「神亀」にも出会えたのです。このお店、お酒にしろ食べ物にしろ、こだわりが感じられて、しかも値段もそれほど高くない。伊勢原に行ったなら立ち寄ってしまいそうなお店「豆穂」と、またまた見たい、聴きたい「やまやま」なのです。
みかねさんのページ
http://pocopana.web.fc2.com/index.html
もりぶくんのページ
http://members.jcom.home.ne.jp/moribu-sax/


こんな夢を見た。ぼくはどこかの川のほとりにいる。そんなに大きな川ではないけれど、小川というほど小さくもない。のどかに川を眺めている。すると浅い岸の方から川の真ん中の方に逃げていくように泳ぐ魚の背ビレが見える。あっと、思うと空の方からその魚の名を教えてくれるやさしい母の声がする。そうなのかと、思う。秋のはじまりのなんとものどかな景色が回りに広がっている。しばらくして、ぼくは岸から車を停めている方に歩いて行こうとする。今度、この川に来る時はのんびり釣りをすることを思い浮かべ、魚が釣れてもリリースしてあげることを思い描く。なんとも、穏やかで平和な日になりそうだと思う。
そこで、目がさめた。さめたら、川に釣りに行きたくなった。そして、釣れても魚を放してあげるのです。夢の中で母らしき声で教えてくれた魚の名は忘れてしまった。
そこで、目がさめた。さめたら、川に釣りに行きたくなった。そして、釣れても魚を放してあげるのです。夢の中で母らしき声で教えてくれた魚の名は忘れてしまった。


Sam Cookeの2枚のライブアルバムを黒盤と白盤と称した友だちがいた。黒盤とはマイアミのゲットー最深部の黒人クラブで演奏された"One Night Stand: Live at the Harlem Square Club 63"のことで、白盤とはニューヨークの高級サパークラブで金持ちの白人たちを前にした"SAM COOKE AT THE COPA RECORDED LIVE at the Copacabana,New York City July 7th&8th,1964"で、本当にこの2枚は空気が違う。黒盤は圧倒的に熱狂的で、白盤はどこかおとなしいのだけれど、反骨の人、Sam Cookeは、Bob Dylanのプロテスト・ソング"Blowin' In The Wind"を歌っていたりする。
やっぱ、白盤はどこか、よそ行きのSamって気がして、ぼくがリズム・アンド・ブルースを知り始めたころ、本当に毎日のように聴いたのは黒盤の方であった。どっちが本当のSamかというと、やはり黒盤だと思うのは、Samのもともとのシンガーとしての出発点がゴスペルであったことを思い出してのことです。
若かりしころ歌った黒人教会の中の熱狂が、マイアミではSamにもっと歌えと取り憑いていたのかもしれない。そのSamが歌に迷った時、レコードを何度も何度も聴いていた歌手がいるという。その人は1945年ごろから1960年まで活躍していたSamの少しお兄さんのような歳のFive Blind Boys Of Mississippiのリード・ボーカルであったArchie Brownleeという人で、35歳で夭折してしまう。あとを追うようにSamも4年後に逝ってしまうのだった。あのSam Cookeも歌に迷うのかと思い、Samが尊敬していたArchieの歌を聴く。Archieのスムーズでいながら深く響くブルージーな歌声に、ぼくの胸はしめつけられ、感極まるArchieの"yeah!"と歌い叫ぶ声は、何か世界で一番大切なものを奪われた赤ん坊の泣きわめく魂のようなのだ。その"yeah!"の叫びはSamに歌い継がれ、Janis JoplinやJim Morrisonの"yeah!"の叫びとなっていったのかもしれない。敬虔なキリスト者のみなさま、こんなことを言って、すみませぬ。
Archie Brownleeを紹介したかったのです。どこかでCDやレコードを見かけたら、ぜひ買って、聴いてみてください。
Let's Have Church- The Original Five Blind Boys Of Mississippi
http://www.youtube.com/watch?v=5nqwmIbt2y8
Archieのpreachを聴いて、おやすみZZZZZzzzz.......


子どもの頃には何かそうなりたいものというのが漠然とあって、人はそれを夢と言うらしいけれど、ぼくにも確かその夢があって、それはまずはミュージシャンになることであったり、次が作家になることであったりした。今思うと、現実感のない夢だなーと、思う。しかしです。そんな夢もほとんど叶っているのではないかと気がついた。ときたま、ライブハウスやバーでバンドや弾き語りをして歌っていたりするし、その音源をMySpaceっていうインターネットのサイトで公開してるし、実は昔、CDも出したことがあるのです。昔出したCDなどを今聴くと、ぼくの歌が今よりも更にへたっぴで微笑ましかったりする。足すに、小説家の書くエッセイような文章をブログに書いて、知らない人に読んでもらったりしている。
だけれども、悔しくもあるけれど、そのミュージシャンとか何とかについては、無収入のようなものなのな。それで、歌っりする以外のことの方が収入があるので、仕事と言ったりする。人間の頭の中には「仕事」と「遊び」という二項対立があって、たくさんの日本人は「仕事」の方が「遊び」より大事だと考えているらしい。仕事してお金をもらっていたりして、けれど、ぼくはお金は困らない程度にあればよい。
わしゃ、「遊び」でいいような気がしてきておるよ、「遊び」で。
話を元に戻して夢についてだけれど、それは叶うものなのかもしれない。
夢を忘れずに、遊びを大切に。
ぼくのMySpaceのページ
http://www.myspace.com/eikiyotaka
だけれども、悔しくもあるけれど、そのミュージシャンとか何とかについては、無収入のようなものなのな。それで、歌っりする以外のことの方が収入があるので、仕事と言ったりする。人間の頭の中には「仕事」と「遊び」という二項対立があって、たくさんの日本人は「仕事」の方が「遊び」より大事だと考えているらしい。仕事してお金をもらっていたりして、けれど、ぼくはお金は困らない程度にあればよい。
わしゃ、「遊び」でいいような気がしてきておるよ、「遊び」で。
話を元に戻して夢についてだけれど、それは叶うものなのかもしれない。
夢を忘れずに、遊びを大切に。
ぼくのMySpaceのページ
http://www.myspace.com/eikiyotaka


あー、失職中の間を、今、思い返してみると、それは神様がくれたほんの短い夏休みのようだったと、思う。楽しいとか、楽しくないとかを抜きにして、本当に短い、ちょっと変わった時間をぼくはもらったのだろうか?
さらに思い描けば、人生がそのフィナーレを迎える時、ぼくはそれを短い夏休みのようだったと、感じるのかもしれない。想いの翼は広がり、肉体は生きて、数十年、百数十年だけれど、魂は無限に限りなく近い有限を生きることができ、この地球での肉体での人生が終われば、人はそれぞれの果てしない遠くへ帰ってゆく。地球で出会った友だちやら、親やら兄弟とは、その果てしない向こうでは、もう会えなくなってしまう。それぞれの魂は、果てしない遠くの別々のところからやって来ているからである。
ぼくたちはかけがえのない夏休みを生きている。そして、夏休みを思い出すでしょう。
さらに思い描けば、人生がそのフィナーレを迎える時、ぼくはそれを短い夏休みのようだったと、感じるのかもしれない。想いの翼は広がり、肉体は生きて、数十年、百数十年だけれど、魂は無限に限りなく近い有限を生きることができ、この地球での肉体での人生が終われば、人はそれぞれの果てしない遠くへ帰ってゆく。地球で出会った友だちやら、親やら兄弟とは、その果てしない向こうでは、もう会えなくなってしまう。それぞれの魂は、果てしない遠くの別々のところからやって来ているからである。
ぼくたちはかけがえのない夏休みを生きている。そして、夏休みを思い出すでしょう。


お金が少しは貯まったら買って聴きたいと思っていたボックスCDセットというのがあったのです。ついに買ってしまった。それはCD4枚組のWoody Guthrieの"My Dusty Road"。あのBob Dylanは、アメリカ音楽の精髄を知りたければ、Woody GuthrieとRobert Johnsonを聴くべきだと言っていた。ほとんど、聴いたことのなかったWoodyの歌を聴いて、すごい親近感がわいてしまった。
いくつか思ったことがあります。
一、ぼくが英語が分かればよかたなーと思った。やっぱWoodyの言葉のおもしろさをネイティブ・スピーカーとして分かったらなーと、思いました。
一、赤狩り、レッドパージの時代の人だと思った。なんか、社会や世相を歌った歌も多くて、そこも大きな魅力。
一、土臭い放浪の香りと反骨精神。ぼくはWoodyをパンクの元祖だと思うよ。ClashのJoe Strummerのお父さん的な存在で、カントリーやブルーズを歌うルーツのシンガー。このボックスセットに入っていた一枚のジャケット写真のギターを見よ。かっちょいい。(おっと暴力はいけないか?)
だから、冬が来る前に、ぼくは寝袋とギターを持って旅に出たくなりました。そして、自分にとってつまらない歌を歌って一億円稼ぐよりも、Woodyのようにいつまでも、いろんな人の中で深い思い出として残るのならば、今のぼくはWoodyみたいななのが好きだし、そっちを選びます。
Woodyみたく好きに歌いたい。
旅に出たい。
できればあの娘と・・・
おやすみZZZzzzz......
訂正:赤狩りの時代1950年代というよりも、大戦期1940年代に活躍した人です。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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