えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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1960年代といえば、オーティス・レディングらのソウル・ミュージックの黄金の隆盛時代なのだが、その時代にたくさんの素晴らしい音楽、ヒット・チューンを量産していたアメリカ南部のスタジオとして、テネシー州メンフィスのスタックス・レコードのスタックス・レコーディング・スタジオと並んで、アラバマ州の片田舎、マスクル・ショールズにはフェームのマスクル・ショールズ・レコーディング・スタジオがあった。スタックスと同様にこのフェームのスタジオにも黒人と白人の混成のハウス・バンドを抱え、日々、さまざまなミュージシャンを迎え、素晴らしいソウル・ミュージックを量産していたのだけど、そのフェームの看板娘といえば、キャンディ・ステイトンで、彼女のフェーム時代のコンプリート録音集"CANDI STATON EVIDENCE THE COMPLETE FAME RECORDS MASTER"が素晴らしい。

キャンディのしゃがれたというより割れたような声が、ゴスペル仕込みの唱法と相まって、なんともブルージーでかっこよく、フェーム・ギャングと呼ばれた、スタジオのバンドは、当時、ジェームズ・ブラウンのバンドと並ぶ最強のソウル・バンドともいわれ、衆目の的となっていたそうだ。しかも、その音楽の音の空気感が、なんとも暖かく心地良い。曲目にはソウル・ミュージック好きの垂涎の名曲が並ぶ。

ジャケットの裏にはこんな言葉があった。"48 tracks recorded by the Southen Soul diva with producer Rick Hall"。けれども、キャンディのこのルックスはぼくにとっては、サザン・ソウルの女神というよりは、やっぱ、看板娘なわけです。そんなキャンディが今年の初夏に来日します。とても楽しみ。










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数年前、ぼくは初めてオグリ昌也くんのギター弾き語りの歌を小田急相模原のバー、スクールオブロックで聴いたのだった。カントリーブルースでの日本語オリジナルの弾き語りをぼくはいいなと思い、その後も、何度か、スクールオブロックで聴いた。いつか、スクールオブロックにはオグリくんの絵が何枚も飾られていた。ある一枚の絵に惹かれ、オグリくんに、売ってくれないか、と話しかけたことがある。オグリくんに、あれは売り物じゃないですから、とあっさりこ断られた。しかし、数ヶ月後、ぼくが欲しかった絵は、スクールオブロックから無くなっていた。どうしたのだろう、と思った。さらに数ヶ月たち、風の便りでオグリくんは神奈川県から西の方へ帰っていたことを知った。ぼくは心のなかで、ひとりごちた。オグリくんがどういう理由で神奈川から離れていったかはよくは知らないけれど、例えば、オグリくん、放射能からは逃げられても、きみもぼくもブルースからは逃れられないのさ。ぼくたちはそういうやつらなんだ。ブルースは忘れない方がいい。

今でもオグリくんは歌っているというのも風の便りで聞いた。数ヶ月後、スクールオブロックの近所の雑貨屋、ぼくはエルトピートで歌うこととなった。歌う前に、いろんなものが雑然と売られている、大きなおもちゃ箱のような店内を見てまわると、ぼくの欲しかったオグリくんの絵が飾られていた。あれも売っているのですかと尋ねると、売っているとの答え。ぼくは、ずっと心のなかで気になっていたあの絵を手に入れた。今は、ぼくの家の部屋に飾れているのです。

オグリくん、また再び、どこかでいっしょにライブして、お酒を呑もう。その時はおごってあげるよ、きみがブルースを忘れない限りは。ブルースは忘れない方がいい。



オグリ昌也くんのmyspace
http://www.myspace.com/oggy6954

オグリ昌也くんmyspaceの中にある画集のページ
http://www.myspace.com/oggy6954/photos/albums/album/408203#mssrc=SitesPhotos_SP_AlbumCover_ViewAlbum
http://www.myspace.com/oggy6954/photos/albums/album/210639#mssrc=SitesPhotos_SP_AlbumTitle_ViewAlbum


スクールオブロックのブログ
http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine

エルトピートのページ
http://www.el-topito.com/
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おれも山口冨士夫やKeith Richardsに負けちゃあいけないと、町田のWest Voxのセッションでおきてやぶりのオリジナル曲「メキシコの山」を歌ってしまった。メキシコの山にはよくUFOが出るそうな。そんなことよか、Rock'n' Roll万歳。ブルースを忘れちゃいけないよ。こんな詞です。では、おやすみZZZzzz.....

あの高い山に登れ
あの高い山に登れ
あの高い山に登れ
リュック・サックにブルーズを詰め込んで

てっぺんまで登れ
てっぺんまで登れ
てっぺんまで登れば
ごきげんなものがいっぱいあるぜ

そりゃああの娘はいいやつさ
どこまでもおいらに意地悪するぜ
キリマンジャロを越えて ヒマラヤの峰を渡り
あのメキシコの山の向こうまで行くぜ



町田 west vox プレゼンツ 「what’s going on session」のページ
http://voxsession.web.fc2.com/index.html
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ヴィム・ヴェンダース監督の最新作「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」を見た。この映画を見て、ピナ・バウシュという偉大な舞踏家がドイツにいたことを知った。彼女の死後、ピナの主催する舞踏集団、ヴッパタール舞踏団の団員たちが、ピナ・バウシュの思い出を語り、彼ら、彼女らの自由を歌うような、エモーショナルな、そして、圧倒的なダンスが3D映像で飛び出してくる。そのダンスとは、もしかしてクラシック・バレイから出発しているのかもしれないけれど、クラシックバレーの枠を越え、奔放に自由で、むしり日本の大野一雄の舞踏を思い出させもする。映画の中で、団員の一人が、ピナも死んで、大野一雄も死んでしまった、と語っていた。同時代を併走するものとして、ピナと大野一雄は影響を与えあったのだろうか。やはり、そんな彼らの舞踏を生で見てみたい、と思った。そして、映画については、ヴェンダースの映像だけれど、やっぱ、なんかかっこいいんだよ。久しぶりに見たヴェンダースの映画にうれしくなってしまった。
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写真家の藤原新也が、大江健三郎などではなく、石牟礼道子こそ、ノーベル文学賞にふさわしいと言っていたのが気になり、彼女の最も有名な著作である「苦海浄土 わが水俣病」を読んだ。南の国、九州の熊本での公害病を告発する書は、身もだえするような息づかいの郷土とその郷土にうち捨てられるかのようにいまわす人たちへ愛み満ちた枕経のような物語でもあった。

この本を読みながら二人の作家を思い出しもした。その二人とは中上健次と深沢七郎。石牟礼さんよりも若い中上健次にいたっては文体すら影響を受けているように感じた。それは、中上が紀州の被差別部落を旅したルポルタージュ「紀の国・根の国の物語」。

石牟礼道子さんに戻れば、その文章の力は三島由紀夫を越え、谷崎潤一郎のように美しく、柳田国男のような口碑の夢と現が表れ、それらが読後感として久方ぶりの重たい言葉の芸術を読み終えた疲労感すら感じさせる。まさに文学です。ぼくも、石牟礼道子さんこそ、ノーベル文学賞にふさわしい、と思う。










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弁ブルースの元祖といわれるコージー大内さんのセカンド・アルバム「ばってんブルース」が気にいって、毎晩、聴いている。弁ブルースとは、地方なまりの言葉で歌うカントリー・ブルースのことで、大内さんは翻訳が必要なほどの強い九州筑後地方のなまりでブルースを歌う。ブルースの流派としてはテキサスのライトニン・ホプキンス流だけれど、そのリアルさと深いフィーリングでブルースというジャンルをも越えてしまっているのは、このアルバムに入っている涙なしには聞けない「大鶴村のサイレン」。それでもやっぱこれはロックするブルーズだ。

また近いうちに、ライブバーみたいなところに生のコージーブルース、コージーのロックを聴きに行きたいのです。RESPECT!


コージー大内さんのホームページ
http://kozyouchi.adliv.jp/









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今年のアカデミー賞が全編モノクロのサイレント映画だという。ノスタルジックなものの好きなぼくは見に行ってしまった。その映画ミシェル・アザナヴィシウス監督の「アーティスト」の題名の意味は映画の途中であかされるのだけど、この前に見た「ヒューゴの不思議な発明」と同じく、この「アーティスト」も自己言及的なテーマで、それは、映画による映画についての映画なのであることを考えると、もしかして、映画という芸術表現は終焉を迎えつつあるのかもしれない、と思った。それんついては、こういうことです。例えば、ジャズという音楽表現を思い出し、1970年代にアート・オブ・アンサンブル・オブ・シカゴがジャズによるジャズについての、総括をするような音を奏でていたことを連想したからでもある。いいや、そういことでもないのかな、と考えなおすのは、フェリーニ監督の「8 1/2」もフランソワ・トリフォーの「アメリカの夜」も映画による映画の映画ではないか。そして、この「アーティスト」という映画を見すすめてていくと、この映画が古いサイレント、モノクロ映画の焼き直しではなくて、むしろ、アバンギャルドな実験的な映画でもるような気がしてきた。あっ、初めの方に出てくるシーンは、明らかにフリッツ・ラングへのオマージュだ。けれども、この映画のシンプルでスウィートな物語はとても素敵だ。映画は時代を映す鏡のようなものでもあって、世界の未明はノスタルジーによって明けるのかもしれません。ビューティフルなラスト・シーンに乾杯。おやすみZZZzzz.....
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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