えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

「紅の巻」につづき、読んだ秋山真志さんの著した「職業外伝 白の巻」です。「白の巻」で紹介される職業は、イタコ、映画看板絵師、宮内庁式部職鵜匠、荻江流二代目家元、琵琶盲僧、蝋人形師、チンドン屋、流しの職業に就かれた八人の方々。目次を見るだけでわくわくしてしまいます。おもしろかった。チンドン屋、いまでも、健在なんですね。イタコはめっきり数が少なくなったそうだけど、沖縄のユタはどうなんだろう。
昔、ぼくもこの本が紹介するような職業に興味を惹かれたことがあって、一つはNHKのテレビで見た宮内庁での古文書やら古美術を修復する仕事、もう1つは宮大工。そんな仕事をする自分もあったろうに、その選択はしなかったのでした。好きなことを仕事をするのも、仕事にしてしまたことが好きで好きでたまらなくなるのも、最高なことだ。
あー、今日は成人式、みんな、これから素敵なことが待っているよ、いいじゃないですか。


東京都写真美術館で「北井一夫 いつか見た風景」展を見た。懐かしい既視感のようなもので胸がじんじんと騒ぎ、目がうるうるしてしまいました。写真って、その基本は好きなものを撮るってことなのかなあ、と思った。北井一夫さんの写真って、どこにでも旅している感じとカメラを向ける北井一夫さんの心の目線がとても低くからなのが、ぼくにとってとてもいい感じなのです。アメリカにロバート・フランクという写真家がいましたね、日本に小津安二郎という映画監督がいましたね、そんな人たちのことを思い出した。
すべては過ぎ去ってしまえ、過ぎ去ってしまえ、と思うことがあるのは、どうしてなんだろう。けれど、北井一夫さんの写真みたいな何かは残るでしょう。稚拙なものかもしれないけれど、きっと、ぼくでも好きなものなら、素敵な写真が撮れるはずさ。カメラが欲しくなってしまった。
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1714.html


飴細工師、俗曲師、銭湯絵師、へび屋、街頭紙芝居師、野州麻紙紙漉人、幇間、彫師、能装束師、席亭、見世物師、真剣師、日本にはいろんな職業があるものだ。秋山真志さん著した「職業外伝 紅の巻」を読んだのです。とてもおもしろかった。あぁ、あさっては成人の日ではないか。これから何かの職業に就こうという人も、リストラなどという変なカタカナで最近では呼ばれている解雇にあった人たちにも、この本はお薦めです。仕事観、職業観が広がり、さらには、生活、生活から紡がれる人生っていろいろあっていいんだなぁ、楽しいなぁ、と思いました。この本に出てきた彫刻家の平櫛田中の言葉をはたちになるみなさんの門出のはなむけに送りたい、とも思います。
「今日もお仕事、おまんまうまいよ、びんぼうごくらく、ながいきするよ」


レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」を読了したけれど、なんだかとっても難しかった。終章あたりでイスラム教への苛烈な批判と仏教の繰り返して尽きない称揚はこの文化人類学者らしからぬ、と思ってしまった。ぼくは仏教的な何かは好きなのだけど、何か違和を感じてしまった。
仏教といえば、ぼくは禅の十牛図が好きです。論理や修辞を越えた何がかあるような気がするのです。ぼくにとって大きな哲学は過ぎ去ろうとしているのかもしれない。
レヴィ=ストロースのこの「悲しき熱帯」でのイスラム教批判は彼のユダヤ人という出自と関係しているのだろうか、と不謹慎なことを考えてしまった。すみません。出自に安住せずに絶えず問い続けることこそ、彼の思想の初めの立ち位置なのだ、とも思い、なくなっていく言葉と人たちを祈りのように見つめるときもある。そこが好きです。いつか、この難しい本を再読してみたい。
仏教といえば、ぼくは禅の十牛図が好きです。論理や修辞を越えた何がかあるような気がするのです。ぼくにとって大きな哲学は過ぎ去ろうとしているのかもしれない。
レヴィ=ストロースのこの「悲しき熱帯」でのイスラム教批判は彼のユダヤ人という出自と関係しているのだろうか、と不謹慎なことを考えてしまった。すみません。出自に安住せずに絶えず問い続けることこそ、彼の思想の初めの立ち位置なのだ、とも思い、なくなっていく言葉と人たちを祈りのように見つめるときもある。そこが好きです。いつか、この難しい本を再読してみたい。


こんな夢を見た。今日はバンドのライブのある日、近所のギタリストと落ち合い、電車に乗ってライブハウスに向かうが、途中で持ってこようとしていた歌詞カードを忘れているのに気づく。家に引き返し歌詞カードを取ろうとし二階に上がるのだけど、そこは知らない大きなタイル敷きのお風呂のないバスルームのような部屋になっていて、死んだはずの犬、レオがいる。ぼくは、レオを撫で毛が柔らかくもあり、獣らしく少ししごわごわもしている。体毛は茶色と黒なのだが、鼻の毛が真っ黒なのはまさしくレオ。そこに母が来て、どうしたの、と聞くから、ぼくはレオを抱き上げて、ほら、レオが帰って来たよ、と答える。母は、それはレオそっくりだけど、レオじゃありませんよ、と言う。ぼくはレオじゃないのかな、と思いつつも、レオみたいだから、うれしい。
そこで目が覚めた。レオが、まだどこか近くにいるような気がした。
そこで目が覚めた。レオが、まだどこか近くにいるような気がした。


山梨県早川町の三里にある町営の温泉宿「ヘルシー美里」に泊りに行ってきました。身延線からバスに乗り一時間、何もない村にやってきたのではなく、人の暖かさと宿になった中学校と森や木、鳥たちのさえずりはあったのです。
ここは昔は三里中学校、のちの早川北中学校であったところで、古い木造の学校の外観がそのまま残っています。子ども連れの家族がたくさん来ていて、ちらほら、校庭だったところで子どもたちが遊んだりしています。夜には星空観察会、朝には餅つき大会などが催されていました。
夕食は猪鍋やら山女魚やらさしみこんにゃくやら、ここでとれたものがおいしかったです。そして、ここの温泉が素晴らしい。本当は鉱泉なのですが、その沸かし湯に入るのです。それが知られざる極上の湯でした。穴場見っけ!
http://www.hayakawa-eco.com/hmis


こんな初夢を見た。ぼくとある女の子は廃校となったある中学校に裸にバスタオルだけをまとい向かっていく。途中で誰かに会って気づかれないか少し不安でもあるけれど、気づかれてもいい、とも思う。なぜなら二人にはこのかっこうがちょうどいい。廃校に着く、コンクリート仕立ての校内は冷たくない水で水浸しになっている。ある時は踝まで水につかり、ある時には膝まで水につかり、二人はある部屋に向かって進んで行く。
そこで目が覚めた。禅師の未熟者め、という声が聞こえてきそうですな。警策でたたかれてしまうぼくです。
そこで目が覚めた。禅師の未熟者め、という声が聞こえてきそうですな。警策でたたかれてしまうぼくです。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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