えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
夜中、ずっと、明日はどこに行こうかと考えていたのですが、気仙沼まで行こうと心を決める。石巻線から気仙沼線を乗継をし、気仙沼線の柳津駅から気仙沼駅までの間は震災の被害で不通になっていたのを、BRT(バス高速輸送システム)というバスで進みます。一般道やそのバス専用の道で進みます。バスで走っていると、やたらとキャタピラ駆動のシャベルカーが広い土地をやたらと整地している。そうか、この広いいたるところが震災の時に津波に流されたのか、と気づき、そのすさまじさを少しだけ感じました。そして、そこかしこに、プレハブ作りのお店やコンビニエンス・ストアーがあって、人間って何てたくましんだろう、とたのもしくなりました。
その昔、ぼくは東北を何度も旅をしたことがあった。青春18切符で一周、したことなども何回もあるのです。でも、近頃はやめていました。理由といえば、なんとなく福島第一原発事故由来の放射能が気になっていたし、震災のあった地域を物見遊山で観光することに躊躇する気持ちががあったことは確かなのです。旅する気になったきっかけは、最近、読んだ「震災以降」という本の中で、編者の太田伸幸さんが東北を旅しよう、と書いていたことを読んだことによる。ぼくは、もともと東北の文化にどかか惹かれているところがあって、例えば、友川カズキの歌が好きだし、寺山修司の短歌や演劇も好き、宮澤賢治の詩や童話はいはずもがな、大好きです。J. F. ケネディが最も尊敬する政治家としてあげる米沢の上杉鷹山のことなど、興味はつきない。それで、東北へ鈍行列車で小さな旅に発ったのです。
酔っぱらって新宿駅のホームのところせましといろんなものが並んでいる売店を覗いてみて、思わず買ってしまった忌野清志郎の詩集「エリーゼのために」を読んでいます。この本の清志郎自身のあとがきによると、この本での清志郎はバンド・マンではなくて、ブルース・マンなのだそうだ。バンド・マンからブルース・マンへの距離はどのぐらいあるのだろうか、などと思いをめぐらし、ページをめくっていると、こんな言葉が目に飛び込んできた。
「お前が好きさ おいらそれしか言えない
ほかの言葉しらない
だけど言葉で何が言える」
金子マリのコーラスも聞こえてきそうな素敵なリフレイン。なんてフレッシュなんだろう。けれども、今年もあの日が近づいてきたな。永遠だよ、忌野清志郎。