えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
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ヨシフ・スターリンの恐るべき狂った圧政のソビエト連邦のシベリアの極寒の地の強制収容所から、書きものという方法を奪われた帰還兵たちによって、記憶という手段で、俳号、北溟子こと山本幡男さんからの遺書がその妻、モジミさんに戦後、手渡される、辺見じゅんさんの著したそんなノン・フィクション「収容所(ラーゲリ)からの遺書」を読んだ。
辺見さんが「あとがき」に書かれているように、過酷な状況に置かれてもなお人間らしく生きるとはどういうことか、ということが、胸に重く響く。愛する家族への最後の手紙であると同時に今の時代への警句でもあるかのような、その届けられた遺書がどのようなものかは、本書を読んでいただくとして、死を覚悟した晩年の山本幡男さんの言葉を引用してこの本を紹介します。
「野本さん、釈迦はね、世界最大のセンチメンタリストなんだよ。キリストは詩人なんだ。ぼくはね、なんのとりえもない凡人だけど、どんなときでもセンチメンタリストでありつづけたい。結局ね、パトスだけがわれわれ人間にとって最初の審判者であり最後の審判者なんだ。そう思えてきたよ」
ぼくはこのパトスを受苦をともなう他者への共感と訳してみる。誤訳かもしれないけれど・・・おやすみ、ZZZzzz.....
辺見さんが「あとがき」に書かれているように、過酷な状況に置かれてもなお人間らしく生きるとはどういうことか、ということが、胸に重く響く。愛する家族への最後の手紙であると同時に今の時代への警句でもあるかのような、その届けられた遺書がどのようなものかは、本書を読んでいただくとして、死を覚悟した晩年の山本幡男さんの言葉を引用してこの本を紹介します。
「野本さん、釈迦はね、世界最大のセンチメンタリストなんだよ。キリストは詩人なんだ。ぼくはね、なんのとりえもない凡人だけど、どんなときでもセンチメンタリストでありつづけたい。結局ね、パトスだけがわれわれ人間にとって最初の審判者であり最後の審判者なんだ。そう思えてきたよ」
ぼくはこのパトスを受苦をともなう他者への共感と訳してみる。誤訳かもしれないけれど・・・おやすみ、ZZZzzz.....
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数年前、再会した古友だちから連絡があり、職場の同僚だか先輩だかが演劇をしていて、それを見に行かないかと誘われたのが、無頼組合の芝居を見た最初であった。それは、「HARD DAYS騎士」という演劇で、座長、白川孝さん自ら演じる私立探偵、風吹淳平を主人公とする涙あり笑いありの活劇もの。それから1年後ぐらいだろうか、再び誘われて、その探偵ものシリーズの続きでもある「ストレンジャー インザ 騎士」を見に行って、やはり感動してしまった。今回見たのは、そのまた続きの「ホンキィ・トンク騎士」で、さらなる感動で胸がじーんとしてしまった。
芝居を見る前に、風吹探偵は、(小川直美演じる)その助手の鶴田紅は、(大平美由紀演じる)情報屋の藤キリコは、(酒井秀人演じる)元ヤクザの南雲徹は、(桑山えり子演じる)女刑事の西園寺静は、どうしているのだろう、などと架空の人物に思いをはせ、物語の舞台のベイ・シティーは今はどんなふうなのだろう、と想像してみる。そして、芝居が始まると、またその登場人物たちに会え、ベイ・シティーという街に自分が再びいるようで、何か、うれしかった。
物語の人物や舞台である街が心に住みつき、根をおろしてしまうというようなことを久しぶりに感じてしまった。感動のうちに芝居が幕をおろし、ぼくは劇場から冬の始まった新宿の街に出て、家路に向かう。
再び風吹探偵やその仲間たちからの風の便りを心待ちにすることにします。
http://www.buraikumiai.com/
芝居を見る前に、風吹探偵は、(小川直美演じる)その助手の鶴田紅は、(大平美由紀演じる)情報屋の藤キリコは、(酒井秀人演じる)元ヤクザの南雲徹は、(桑山えり子演じる)女刑事の西園寺静は、どうしているのだろう、などと架空の人物に思いをはせ、物語の舞台のベイ・シティーは今はどんなふうなのだろう、と想像してみる。そして、芝居が始まると、またその登場人物たちに会え、ベイ・シティーという街に自分が再びいるようで、何か、うれしかった。
物語の人物や舞台である街が心に住みつき、根をおろしてしまうというようなことを久しぶりに感じてしまった。感動のうちに芝居が幕をおろし、ぼくは劇場から冬の始まった新宿の街に出て、家路に向かう。
再び風吹探偵やその仲間たちからの風の便りを心待ちにすることにします。
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初めてベリー・ダンスというものを見た。セクシーでした。これはアラブの遊女の踊りなのかな、と不謹慎にも思ってしまったが、はずれているとも言えないのではないかしら。昔、バリのダンスを見た時、重要なことをする前の鳥となった男女の愛の確かめ合いのようだと想像したのだが、ベリー・ダンスもそのようであった。ミック・ジャガーやティナ・ターナーのダンスもそのようであるだろう。人はそれを前戯と呼ぶらしいのだが、生きるものの根源の営みでもあるにちがいない。ダンス、万歳!
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戦争ものの大衆小説を著し、今はもう忘れさられたような作家、棟田博の「サイパンから来た列車」を読む。二編収められていて一つは小品の「サイパンから来た列車」、もう一つは中編の「ポッポ班長万歳」。こてこての戦記文学ではなく戦争を背景した淡い笑い、ユーモアと悲哀の涙を誘う珠玉の作品が二つで、かのオー・ヘンリーの名作を思い起こさせる。ぼくは10年後の日本はどこかの国と戦争でもしているのではあるまいかと、昨今の風潮に悪い予感をおぼえ、どんな時にも、どこか善良に生きたいと心貧しくも願いつつ、こんな本に手が伸びてしまう。その悪い予感がはずれたらいいと思い、このような読書が悪魔祓いのまじないのようでもあると感じてしまう。
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ゆるーいハイキングということで、小田急線向ヶ丘遊園駅から歩いて15分のところの日本民家園に行ってみた。ここは昔、遊園地だったあたりで、月日とともに変わりゆき、今では、かなり広い丘というか、もしくは小高い山の中の森に日本各地からの古民家が移築されていて、1時間ほどのハイキング・コースになっている。
昔の日本家屋はけっこう広いんだな、と思った。いくつか、家屋の中も見学できるようになっていて、平日の人の少ない昼間に枕を持ってやってきて、これらの古い家屋の中で昼寝などをしたい、などと思った。どんな、夢をこの古い家たちはぼくに見せてくれるのだろう?
あるイギリス人はイラク戦争に向かうアメリカ人を見て、彼らは敗れ、彼らの牧場に帰っていくだろう、と言ったそうだが、ぼくたちはこれからの100年をかけて、ぼくたちの里山に帰っていくのではなかろうか、そんなことを夢見るように思い浮かべた。アフリカ人ならば、草原に帰っていき、南アメリカではアンデスの湖のほとりに帰っていく。バビロンにはもう戻らない。その時、ぼくたちの水車小屋では蕎麦豆から蕎麦粉にする、かたかたという音が聞こえてきそうな気もしてきて、午後の懐かしい夢が、麦わらの匂いとともにやって来そうだった。
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映画「オン・ザ・ロード」がとてもおもしろかったので、ジャック・ケルアックの原作を本当にとても久しぶりに読み返してみた。昔は「路上」と題されていたこの長編小説が今は文庫本として映画と同じく「オン・ザ・ロード」と題されて河出書房新社から出されていて、昔は確か古本屋で単行本を買ってよんだことを思い出し、なんとも便利な世の中になったものだ、と思う。その昔、読んだ単行本の「路上」が青山南さんの訳であったのかは思い出せなく、今、読み終えた「オン・ザ・ロード」の青山さんの日本語もすばらしく、イマジネイティブ。
このジャック・ケルアックの路上が無ければ、ボブ・ディランやジム・モリソン、ルー・リードらのロックン・ロールの伝説の人たちも登場してこなかっただろう。特にジム・モリソンの詞と詩はケルアックの散文に込められた詩の心の延長線上に位置するようにも思われた。
「オン・ザ・ロード」は話の筋もないような北米大陸を放浪する物語でもあるのだが、ケルアックのとりとめもない散文は韻律を伴うかのような詩の美しさが宝石のようにきらめいている。訳した青山南さんに敬意を表しつつ、例えば、第3章の7のラストを引用させて、この本を自由を求める誰にでも薦めたいのです。
「西部もこのあたりになると、ワイオミングの州でもそうだったが、夜は、星々がローマ花火のようにでかく、まるで先祖の森を見失った達磨王子が北斗七星の柄のなかの空間を転々とひたすら旅して森をふたたび見つけようとしているかのように孤独だ。そんな風に星々がゆっくり夜を回しているうち、じっさいに朝日が昇る時間よりもずっと早くに、大きな赤い光が、西カンザスのほう、灰褐色の荒涼とした土地のはるか向こうに現れ、鳥たちがデンヴァーで囀りを始めた」
「オン・ザ・ロード」の英雄ともいうべき自由そのもであるような登場人物、ディーン・モリアーティことニール・キャサディは42歳で1968年にメキシコの路上で全裸で死んでいるのを発見され、ディーンを追いかける語り部のサル・パラダイスことジャック・ケルアックもその翌年、47歳で、その精神的跡継ぎともいうべき若者たち、ヒッピー・ムーブメントのアメリカの長い髪をした反戦の子どもたちに大酒を飲みながら悪態をつき、孤独のうちに逝ってしまう。
ジャックによって残されたのは驚きのような人生への賛美に満ちた散文と韻文で、知らない荒野の遠くを指差すような、生きよ、という声が聞こえてくる。そして、同時に兄弟のような呼びかけで、どこまでも、いかれたバスでドライブしようぜ、というニールの声も聞こえてくる。Yes, yes, yes!
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風邪をひいたりして体調が悪くなり熱にうなされていつも見る夢がある。こんな夢です。
ぼくの部屋の窓から連なる高くて大きな山脈が見えて、その山々が遠いのに迫るように見えてきて、なんてきれいなんだろう、と思うと、魂のような、または霊魂のようなものが、肉の体から抜けだして、その山脈のどこかの一番高くて厳しい山の頂上付近に自分がいる。きりたったその山から見えるその山からの景色のそのあまりの高さに怖くも感じられるのだけれど、その清浄なる美しさに何か浄化されていき魂の根本から治癒されるようにも感じる。山から自分の霊が肉の体に戻ると、その美しい山脈に見とれている自分がいて、その時、目を覚ましてしまう。
さて、「ユング自伝」からの引用です。
「背景のどこか奥深いところで、私はいつも自分が二人の人物であることを知っていた。一人は私の両親の息子で、学校に通っていて、他の多くの少年たちより利口でも、注意深くても、勤勉でも、礼儀正しくも、身ぎれいでもなかった。もう一人の人物は、おとなで――実際老いており――懐疑的で人を信用せず、人間からは疎遠だが、自然すなわち大地、太陽、月、天候、あらゆる生き物には近く、なかでも、夜、夢、『神』が直接に彼の中で作るいっさいのものとは近かった。(中略)卑劣で、虚栄心に満ち、嘘つきで、嫌なくらい自己中心的な『人間』よりも、高い山、川、湖、木、花、動物などは、神の本性をよりよく表していた」
ぼくは山からもやってきたのかもしれない。ぼくは誰なんだろう? おやずみZZZzzz.....
ぼくの部屋の窓から連なる高くて大きな山脈が見えて、その山々が遠いのに迫るように見えてきて、なんてきれいなんだろう、と思うと、魂のような、または霊魂のようなものが、肉の体から抜けだして、その山脈のどこかの一番高くて厳しい山の頂上付近に自分がいる。きりたったその山から見えるその山からの景色のそのあまりの高さに怖くも感じられるのだけれど、その清浄なる美しさに何か浄化されていき魂の根本から治癒されるようにも感じる。山から自分の霊が肉の体に戻ると、その美しい山脈に見とれている自分がいて、その時、目を覚ましてしまう。
さて、「ユング自伝」からの引用です。
「背景のどこか奥深いところで、私はいつも自分が二人の人物であることを知っていた。一人は私の両親の息子で、学校に通っていて、他の多くの少年たちより利口でも、注意深くても、勤勉でも、礼儀正しくも、身ぎれいでもなかった。もう一人の人物は、おとなで――実際老いており――懐疑的で人を信用せず、人間からは疎遠だが、自然すなわち大地、太陽、月、天候、あらゆる生き物には近く、なかでも、夜、夢、『神』が直接に彼の中で作るいっさいのものとは近かった。(中略)卑劣で、虚栄心に満ち、嘘つきで、嫌なくらい自己中心的な『人間』よりも、高い山、川、湖、木、花、動物などは、神の本性をよりよく表していた」
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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