えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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来年の2015年はドアーズ結成50年の年だそうで、近所のタワーレコードで「文藝別冊 ドアーズ 結成50年 最も過激な伝説」という本を見かけ、買ってしまい、読んでしまった。

いろんな人が、ドアーズについて、もしくは今ではもうレイ・マンザレクもジム・モリソンのこの世にはいないドアーズ触発されて、かってなことを書いている。100人の人がいれば100通りのドアーズがあって、そのたくさんのドアを開けると、どんな景色があるのだろうか。

そんなドアーズが結成されたのが50年前の1965年でレイ・マンザレクはカリフォルニアのビーチでジム・モリソンと再会し、その時、ジムはこんな歌を作ったと、朗々と歌い始めたという。つたなく"Moonlight Drive"を訳してみました。

「月まで泳いでいこう
潮をのぼり越えていく
街が隠れて眠っている夜に狙いをさだめ
今夜は泳いでいこう
おれたちは何度でもやるつもり
月光のドライブで
海のほとりに車を駐車する

月まで泳いでいこう
潮をのぼり越えていく
世界を待つことなんて諦めてしまって
おれたちのやりかたで重なり合う
何も開かれていなくていい
何も選ばれない
ただ、月光のドライブで
川に足をふみ入れている

月まで泳いでいこう
潮をのぼり越えていく
きみは手をおれをつかまえようとする
けれど、おれはきみを導くことなんてできないのさ
愛することは簡単なことだし
おまえが滑っていくのをじっと見つめている
月光のドライブで
濡れた森の中を落ちていくよ

さぁ、楽しもうぜ
ちょっとひと乗りしようぜ
海のほとりを落ちていく
もっとぴったりと
もっときつく
今夜は溺れて
どこまでもどこまでも落ちていく」

あぁ、ジム・モリソンにとって愛とはどこまでも落下していくことなのだろうか。この本の中で陣野俊史さんが「レイ・マンザレク フィクションとノンフィクション」で書いているのだけど、この時、レイはジムにすごいじゃないか、おれたち、バンドをやろうぜ、と持ち掛け、ジムはうなづいながらも、こんなふうなことを言い自分の夭折をほのめかしたとレイは回想録を書いている。

「「俺は、自分が流れ星みたいなものだってわかっている。夜、大勢の人と外に出て、ビーチにいるとしよう。誰かが空を指さして、こう言うのさ。「見て! 流れ星!」って。みんなは話すやめて、星を見上げる。そして「ああ!」って口にする。星は人々の心を一瞬だけ捉まえて、そして消え去るんだ」
 そして、彼は、深い、人を信用しきった目で、私を見た。賢明な、未来を予知する目だった…。」

確かにその人は永遠に二十七歳で、けれども、もっとも誰よりも年老いてしまった賢人で、どこまでも遠くまで行った人なのではあるまいか。






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橋本のMOVIXに石井裕也監督の「バンクーバーの朝日」を見に行く。カナダに移民した日系人の野球チームの話だった。

スポ根も、ちかごろはやりの愛国も、ぼくにとっては苦手というか、ぴんと来ないというか、だから、だるくなるような映画かもしれない、などと想像していたのだけど、そんなことはありませんでした。

主演の妻夫木聡って不思議な役者だなと思う。存在感のない存在感というか、この透明な感じは他にはいないだろう。どこにもいないようなのだけど、ありとあらゆるところにいるという、そんな存在感だと思う。

ストーリーは淡々として、宮崎あおい演じる日本語教師との恋話とかあるのかな、思っていたら、そんなのはなかった。

父役の佐藤浩一は名優だと思う。プロフェッショナル中のプロフェッショナル。

それから、カナダの昔の田舎の街を再現したセットの美術がすばらしい。

高畑充希演じる妹の"I will keep on loving this country."がぼくの胸に入り込み、映画の物語は暗転する。あぁ、'Asahi'は夢のように消えていったカナダのマイナー・リーグの野球チームなのだけど、その夢の中にほんのしばらくぼくもいたらしいのです。

http://www.vancouver-asahi.jp
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アゴタ・クリストフの著した「第三の嘘」を読了する。「悪童日記」と「ふたりの証拠」に続き、これで双子のリュカとクラウスの登場する三部作のすべてを読んでしまった。

一作ごとに文体が変わり、物語に矛盾も生じ、その一作一作の中にも残された謎のようなものが残り、解決されない、つじつまの合わない悪夢にさまよったかのようだ。そして、この悪夢から覚ましてくれるらしい、唯一かもしれない方法も、おしまいにはほのめかされているのだけど、そのほのめかしが何か怖く絶望的ですらある。興味のある人はぜひ三冊、はしょらずに読んでみてください。この物語が、まるでブラックホールのような暗い人を惹きつける重力のようなものを持っているようなのを感じてもらえると思う。

そして、ハンガリーに中上健次のような小説書きがいたのかとも思った。クリストフにとってのハンガリーの実在の町クーセグは、中上の紀州新宮のようではないか。佐藤亜紀さんのこの本への書評にこんな文章があるらしいのけど、これは中上のいう崩壊した路地への喪失感に近似しているように思えた。

「<いつかいた場所>への帰還が現実にある土地への帰還などではなく、「第三の嘘」そのままに、想像と現実の合わせ鏡でできた迷路を辿って、本当はいるとも思っていない、もう1人との似もつかない自分に会いに行く、悪魔のような経験であることも、そうした読者にはわかるに違いない」

クリストフ自身のこの小説の解説です。

「この小説であらいざらい述べようとしたのは、別離-祖国との、母語との、自らの子供時代との別離-の痛みです。私はハンガリーに帰省することがありますが、自分に親しいそうした過去のなごりはいっさい見出すことができません。自分の場所はどこにもないという気が、つくづくします」

いまやフランスでもなくスイスでもなく、祖国ハンガリーでもない、空の上にいるアゴタにおやすみZZZzzz.....






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小田急相模原のスクールオブロックで飲んで帰って、テレビを付けると衆議院選で自分の望んだような結果にはなっていないようであることを知った。今日の夕方、電車の中でブレイディみかこさんの著した「ザ・レフト UK左翼セレブ列伝」を読了したのは、偶然を超えた何かの必然のようにも感じてしまう。

ぼくはみかこさんの書くエッセイが大好きなのです。みかこさんはイギリスの生粋の労働者階級の男性と結婚し、一児の母となり、今のブライトンの公営住宅に住み、保育士をしながら、暮らしているという。

みかこさんの文章を読むと、アメリカと並ぶもう一つのリアルなロックン・ロールの母国の自由の振幅は、アメリカすらも超えてしまったのではないか、と思うのだった。

「ザ・レフト UK左翼セレブ列伝」での登場人物は、そうそうたる面子で、あげれば12人、ケン・ローチ、J・K・ローリング、ローワン・アトキンソン、べズ、イアン・マッケラン、ラッセル・ブランド、モリッシー、コートニー・パイン、ダニー・ボイル、ビリー・ブラッグ、ジュリー・バーチル、ジャスティン・ファイシャヌといった面々なのだけど、大概の日本人にはなじみうすいのかもしれない。しかし、これは、パンク・ロック以降のブリティッシュ・ロック好きには、是非の付くお薦め本。

この本からイギリスの生々しい言論の内情を知ると、その昔、一世紀以上も前、ドイツ人のカール・マルクスが、なぜ、ドイツではなくイギリスのロンドンで執筆を続けるのかと問われて、ここ以上に自由なところ、自由にものを考えられるところはない、と答えた、そのロンドンの自由に納得してしまう。

みかこさんも書いているのだけど、その自由を表すもうひとつの言葉として、寛容ということがあり、さらに言えば包摂ということだと思う。かたや、日本には、排外主義を礼賛したような本ばかりを集めたコーナーがどこの本屋にあったりして、おぞましいばかり。そして、ぼくにとっては、永井荷風の「断腸亭日記」のような歌を歌い、文を書きつらねる、そのような時代がやってきつつあるのかもしれないのだけれど。なんというか、今回の選挙結果に暗澹たる気持ちもあるのです。






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片岡義男さんの著した「日本語の外へ」を読んだ。どういう内容かというと、片岡さんがあとがきで述べられている「アメリカとはなにか、英語つまりスタンダード・アメリカン・イングリッシュとはなにか、日本語とはなにか、そして日本とはなになのか」というようなことについての長大で重い論考なのだった。

湾岸戦争を経て、日本での経済的に下り坂が続き、出口も見えなくなった20世紀の終盤の書物なのだけれども、けっして内容は古くなっていない。真にアクチュアルな考察は、時代を超えた普遍性を持っているのだと思うし、ハワイに生まれ育った英語しか話さない日系二世の父と、日本語の島根県の方言しか話さなかったらしい母を持つ、真正のバイリンガルだと思われる片岡さんの論は鋭い。だからこそ、その言葉という問題は筆者の魂の底の方まで錨を下ろしているようでもある。

この本の中で何度も「考え抜く」という言葉が出てきて、それを片岡義男さんは実践し、その結果、この本を締めくくる「僕の国は畑に出来た穴だった」は痛みすら伴う冷徹な分析で、筆者の言うところの「僕の国」であるところの日本の明日をどのような方向に進ませたらいいのか、いくつものヒントを含んでいるような気がした。






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レンタルのDVDで借りていたアキ・カウリスマキ監督の「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」と「レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う」の2本を夜中に見る。2本ともとんがり頭のようなリーゼント・ヘアーのロック・バンドを主人公にした、かたやアメリカを旅する、かたやヨーロッパを旅するロード・ムービーなのであった。

これは崩壊した宇宙のような映画だな、と思った。「崩壊した宇宙」とはライ・クーダーが自分のアルバム「ジャズ」を失敗作だと認めて、そうインタビューで答えていたその「崩壊した宇宙」なのです。けれど、ぼくは「ジャズ」というアルバムは「パラダイス・アンド・ランチ」や「チキン・スキン・ミュージック」と同じぐらい大好きなのだけど。おっと、脱線してしまった。

この「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」も、「レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う」も崩壊した宇宙のようにとりとめもなく、ぼくも何度か気持ちよく眠たくなってしまったのだけど、もしかして、その崩壊した宇宙も美しい。とくに「レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う」はその不思議さがルイス・ブニュエルの映画のようで不可解なわけのわからない自由すらも感じさせる。

フィンランドの生んだこの映画狂が映画監督になってしまったアキ・カウリスマキにはえあれ。

もちろん、レニングラード・カウボーイズ、めちゃかっこいいです。
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加藤直樹さんの著した「九月、東京の路上で」を読む。

副題である「1923年関東大震災ジェノサイドの残響」が表しているように、90年前の東京や横浜が、つい近年のルアンダやボスニア・ヘルツェゴビナで立ち現われたような残虐さで市民がもう一方の市民、マイノリティたちを一方的に殺害し、その多くの殺人者がほとんどまったくといってもいいような何の罪にも問われないという信じられない光景が現れたという。

この本の前半は本当に読んでいて、苦しかった。後半に書かれていたほんの少しの良心が輝いていた。

そうだ、この本でも紹介されていたぼくの好きな民俗学者であり詩人であり国文学者でもあった折口信夫の「砂けぶり」を引用します。

「焼け原に 芽を出した
ごふつくばりの力芝(チカラシバ)め
  だが きさまが憎めない
  たつた 一かたまりの 青々した草だもの

両国の上で、水の色を見よう。
せめてもの やすらひに─。
身にしむ水の色だ。
  死骸よ。この間、浮き出さずに居れ

水死の女の 印象
黒くちゞかんだ 藤の葉
よごれ朽(クサ)つて 静かな髪の毛
─あゝ そこにも こゝにも

横浜からあるいて 来ました。
疲れきつたからだです─。
そんなに おどろかさないでください。
朝鮮人になつちまひたい 気がします

深川だ。
あゝ まつさをな空だ─。
野菜でも作らう。
この青天井のするどさ。

  夜になつた─。
また 蝋燭と流言の夜だ。
  まつくらな町で 金棒ひいて
  夜警に出掛けようか

井戸のなかへ
毒を入れてまはると言ふ人々─。
われわれを叱つて下さる
神々のつかはしめ だらう

かはゆい子どもが─
  大道で しばつて居たつけ─。
  あの音─。
   帰順民のむくろの─。

命をもつて 目賭した
一瞬の芸術
苦痛に陶酔した
涅槃の 大恐怖

おん身らは 誰をころしたと思ふ。
  かの尊い 御名(ミナ)において─。
  おそろしい呪文だ。
   万歳 ばんざあい

我らの死は、
涅槃を無視する─。
  擾乱(ジョウラン)の 歓喜と
  飽満する 痛苦と」

折口は、人間の凄まじさあさましさを痛感した、此気持ちは三カ月や半年、元通りにならなかった、と述懐している。ぼくたちはこれを繰り返さないようにこれを忘れないほうがいい。ぼくたちは違う人間同士、手を結び合ったほうがいい。そして、寂しさに泣くほど、しばしば孤独であったほうがいいのかもしれない。








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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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