えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
八王子市夢美術館で『川瀬巴水 旅と郷愁の風景』を見ました。川瀬巴水のいわゆる新版画を鑑賞していると、なんともいえないような懐かしさを感じて、なんだか泣きたいような気持ちになります。柄谷行人さんは、その著書『日本近代文学の起源』で近代になり初めて日本人は「風景」を発見したというけれど、ぼくの川瀬巴水の版画を見ての感情の高ぶりも、その近代人の「風景」の発見によるのだろううか、などと考えます。むしろ、川瀬巴水の「風景」とは一瞬にして風のように過ぎ去る景色なのではないかしら? 川瀬巴水は旅の名所よりもありきたりな景色を好んだといいます。その余情はすぐれた俳句のようでもあって、あー、それこそが「風景」なんだと、せんかたないことを考えてしまいつつ、なんでもない夕暮れの風景の薄明かるい窓や寂しげな人影に、なんだか、ぼくは泣きたくもなるのです。
町田市国際版画美術館に『版画の青春 小野忠重と版画運動 ―激動の1930-40年代を版画に刻んだ若者たち―』を見に行きました。
この展覧会の大きなテーマである戦前から戦争期の小野忠重の主導した版画運動に、ぼくは何だか「ナロードニキ」という言葉を思い出す。「ナロードニキ(narodniki)」というロシア語を訳せば「人民の中へ」となり、「人民」とは貧しい農民な工場労働者のことで、たしか、五木寛之さんの昔の小説だかエッセイだかで知った言葉で、ロシア革命の時のスローガンであったと記憶しているのだが、青春を鼓舞するスローガンはあらぬ方向へと流され、実践と現実に負けてしまう。小野忠重たちはどうだったのだろうか?
残された版画はあるものは苦悩に満ちて美しく、あるものは清澄に美しく、それぞれなのだが、彼らがあからさまな戦争協力の作品を残さなかったのはよいことのような気もした。戦前、戦中、戦後を生きていくとはどういうことだろう? これからの日本が永久に戦後であることを願うばかりです。
クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』を見ました。「原爆の父」とも呼ばれるロバート・オッペンハイマーその人を、二つの事件、原爆開発の「マンハッタン・プロジェクト」と「レッド・パージ(赤狩り)」を軸に描いています。
この映画のもっとも大きなテーマは原爆を開発し、それを日本の二つの都市、広島と長崎に投下されたことのオッペンハイマー博士の苦悩であることは間違いありません。オッペンハイマーの一人称的な物語のこの映画には、実際の広島と長崎は直接は描かれていないのだけれども、戦後、原爆を開発した博士の心の闇と狂気は広がっていくかのようなのです。ついにオッペンハイマーは科学者の良心に断罪され、世界の暗い絶望の未来すら悪夢の中にほのめかされる。
ハリウッド的なエンターテイメントの向こうに、クリストファー・ノーラン監督は自分の国の加害ということについてに、アメリカの映画史上、初めて向き合っているようで、ある種、アメリカの歴史の中でも画期的な映画でもあると思いました。
映画のエンドロールを見ながら、ぼくは、広島と長崎の原爆の被害による死者を哀悼の祈りを捧げ、世界は二度とこのようなことを繰り返さないであってくれと願います。
映画『オッペンハイマー』公式|3月29日(金)公開
新宿末廣亭四月上席昼の部に行ってまいりました。見た演目を書き出してみます。前座の桃月庵ぼんぼりくんの「手紙無筆」、二つ目柳家緑太くんの「たらちね」、三遊亭窓輝師匠の「もぐら泥」、柳家小さん師匠の「長屋の花見」、立花家あまねさんの民謡、桃月庵白酒師匠の「子ほめ」、古今亭菊千代師匠の「権助魚」、三増紋之助さんの曲ごま、林家種平師匠の「ぼやき酒屋」、柳家権太楼師匠の「つる」で中入りとなりました。三遊亭志う歌師匠の「荒大名の茶の湯」、ロケット団の漫才、入船亭扇遊師匠の「狸さい」、古今亭志ん彌師匠の「無精床」、翁家勝丸さんの太神楽、主任は柳家小袁治師匠の「ねずみ」でした。
落語で三遊亭志う歌師匠の「荒大名の茶の湯」や柳家小袁治師匠の「ねずみ」は初めて聴く噺ではないかしら。特に印象に残った噺は、桃月庵白酒師匠の「子ほめ」、林家種平師匠の「ぼやき酒屋」、柳家権太楼師匠の「つる」なとでございました。けれど、寄席で眠くなるというのもおつなものですな。
今日の末廣亭の夜の部では新たに真打ちとなる三遊亭えん丈師匠と林家つる子師匠の祝いの席であるらしい。めでたいねー。ところで、あたしは、日本テレビの人気番組「笑点」の大喜利の林家木久扇師匠を継ぐ新メンバーは林家つる子師匠と予想しているのだが、どうだろう? 当たったら誰かビール一杯おごってくんろ。
渋谷のNHKホールで開催されている「第25回NHK全国俳句大会」に行ってまいりました。正岡子規の「写生文」のことは知っておりましたが、俳人の方々の講評を聞くにつれ、「季語の現場に立つ」、「説明をしない」、「瞬間を詠む」などということが、なるほどと感じられ、とても印象に残りました。瞬間を詠むと、そこには過去も未来も現れるらしいのです。説明をしないこととは、小津安二郎の映画のようでもあります。小津安二郎は、描けないところにこそ、余情や余韻の映画のよさ、本質があり、映画の2時間は俳句の十七文字と同じく、あまりにも短く、逆にそこが長所だと述べられておりました。入賞作はどれもすばらしい俳句ばかりです。勉強になりました。
最近、テレビでよくお見受けする夏井いつきさんも講者や選評者として出ておられ、テレビで梅沢富美男さんの句をけちょんけちょんにけなす、とがった姿とはまったく違い、実際はとても柔和で朗らかな人であります。あのテレビでの夏井さんは、テレビのために面白おかしく作られた姿なのでしょう。
おっと、少し本題から脱線しましたな。俳句はぼくを惹きつけます。賞など取らなくていいから、ずっと詠みつづける所存であります。そこで今日、詠んだ、まだまだの一句。
未だ咲かぬ桜もありし桜花
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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