えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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山口淑子さんも今年、召されてしまったのかと思い、追悼の気持ちも込めて彼女の著した「私の履歴書 「李香蘭」を生きて」を読んだ。日本経済新聞の連載がとても好評で単行本になっています。波乱万丈を絵に描いたような人生だった。そして、前の大戦中に中国がどのようなことになっていたか、この本を読むと、その空気の中につれていかれるようなのだけど、山口淑子さんは日本のことを祖国と呼び、中国のことを母国と呼ぶ。敗戦の時、とめどもなく涙を流した理由はこの本に書いてあった。

「私の祖国日本と母国中国の若者が、もう殺しあわなくていいのが心底うれしかった。「死ななくてすむのよ、終わったのよ」。私は同じ言葉を呪文のように繰り返しながら、路地から路地へ三時間も洋車(ヤンチョー 日本の人力車に似てる)を走らせていた」

「李香蘭」と書いて中国では「リーシャンラン」と呼ぶ。美しい響きです。おやすみZZZzzz.....






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戦争をしつづけるアジアの果ての国の帝都に怪しげな版画を彫りつづけた風変わりな男がいた。そんな男の展覧会「鬼才の画人 谷中安規展 1930年代の夢と現実」を見に、町田市立国際版画美術館に行きました。

島国の向こうのアジアの大陸の混乱が増すにつれ、その特異な版画家の奇想は純度を深めたかのようなのだった。そして、かの国がもうひとつの西の果ての大きな大きな鷲に国に敗戦をした、そのおよそ一年後、焼け跡に自ら作った掘立小屋で餓死した姿で彼は見つかる。展覧会に掲げられていた谷中安規の年表を見つつ、そういう死に方があったのかと軽い衝撃の眩暈のようなものすら感じた。何かに憑りつかれたかのような、時代が生んだ版画家は、時代にも殉じ、芸術にも殉じ、その秘められた狂気のようなものにも殉じたのだと思った。

ひるがえって、瀬戸内寂聴さんや半藤一利さん、宮崎駿さんら、実際の戦争を体験している人たちの言う、今が戦前のようだ、というのは本当だろうか。

http://taninaka.hanga-museum.jp
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いくつになっても新たな発見と新しい自分への変化とかはあるもので、ぼくは、ぼくが所謂、共産主義とか社会主義とかに魅かれてしまうような人間だと思っていたのだけれど、もしも、それらの理想社会らしきものが実現したならば、そこから、まっさきに逃げ出してしまうだろう、とも思った。例えば、人知れず、何も功をなさず、若くして自らの命を絶ってしまうような人がいたとして、そういう人は理想社会の党からはまったく無意味な存在だと言われてしまうのではなかろうか?

昔、見たフェデリコ・フェリーニの映画「道」の中で、道化師がジェルソミーナに石を拾い上げ、こんな石でもここにある意味はあるんだよ、と語りかける、そんなシーンを思い出す。人生も人も数値化なんて、できるのだろうか、できるわけないじゃないか。こんなことを考えていると、ぼくはますます現代社会のはぐれもの、だめ人間になっていくようで、それはそれで仕方ないさ、とため息まじりでいつものようにブルーズを歌い始めてしまう。もしかして、ロックンロールもブルーズもたいして役にはたたなくて、けれど、そこには自由というものが確かにあるような気がするのだよ。役に立たないからこそ素晴らしい。

みんなもブルーズを忘れない方がいい。たまにはロックンロールで踊った方がいい。
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このアルバム"Time Flies When You're Having Fun"は2009年の時に1940年生まれのスモーキー・ロビンソンが69歳の時に出したアルバムで、まさに時を超えた美しさと素晴らしさを持っています。スモーキーの若々しい声はもちろんのこと、すべての曲がコンピュータを使わない生楽器で演奏されていて、それは瑞々しい。

ボブ・ディランはスモーキーのこと「現代アメリカ最高の詩人」と敬意を込めて呼んでいました。美しい歌を作る人です。

自分は好きなことをずっと仕事にしてきた、それは素晴らしいことで、このアルバムは私のそういう素晴らしい人生を描いてもいる、とスモーキーはインタビューで語ったとのこと。このアルバムの初めを飾るかみしめるようなバラード"Time Flies"をつたなく意訳してみました。

「朝が明ける
きみはどうしてそんなにはやく行ってしまうのだろう
離れてしまっても
ぼくは彼女をまだ失いたくはないのです

ぼくたちはここに横たわって
それがずっとつづいたらなって思っている
そうすれば、ぼくたちはとても特別な時を得ることができるでしょう

そんな特別な何か
それががこれまでにもあったかもしれないけれど
きみも止まってしまって欲しくはないような
はじめての時のようなのです

老いた賢人の言葉を
みんなが知っているように
楽しい時はすぐにすぎていってしまう

父なる時
今夜はもっとゆっくり楽しもう
母なる地球
彼女は導かれているのです

すべてがうまくいく、そんな感じだよ
ぼくの愛おしい人は
愛すべきすべてなんです

そんな特別な何か
それががこれまでにもあったかもしれないけれど
きみも止まってしまって欲しくはないような
はじめての時のようなのです

老いた賢人の言葉を
みんなが知っているように
楽しい時はすぐにすぎていってしまう」

おはよう。そして、今日の夜はぼくも聖蹟桜ヶ丘のルーズボックス(http://loosevox.iii.vc)でライブです。ぼくも最高の詩人なのです。楽しみますよ。







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昔から五木寛之という作家の書くものが好きで、ベストセラーになるような本は読んできたのだけれども、それよりも、ぼくが五木さんに感謝しなくてはならないのは、若いころ、どこかの放送局のラジオ番組でスペインのユパンキ、今は無きソヴィエト連邦のヴィソツキというギター弾き語りの偉大なシンガーを教えてもらったことだ。スペインとソ連という地球の裏側同士の二人のシンガーのあるかないのかの共通点と言えば、「孤高」ならぬ「孤独」という言葉のような気もして、思い出し、最近の五木寛之さんの著作「孤独の力」を読んだ。

この本でも書かれているのだけど、それは、「孤高」ではなく「孤独」で、その違いはどこまでも人や時代の波に分け入っていくようでもあり、読み進めるうちにぼくは日本のロックの黎明期の伝説のロック・バンド「村八分」のチャー坊こと柴田和志の歌う「草臥れて」を思い出したのだった。こんな詞です。

「歩いても
歩いても
はてどなく
はてどなく
握りしめた手のひらはあせばかり
あせばかり

歩いては
立ち止まり
目を閉じて
振りかえる
心にしまった宝は 寂しさばかり

歩いては
草臥れて
振りかえり
草臥れて
握りしめた手のひらは 草臥れて
草臥れて」

とりとめのない文章になってしまったけれど、五木さんは人間はもともと一人でほっつき歩いて旅をする、そんなもって生まれた欲望がありはしないか、と書いていた。あぁ、ぼくはと言えば、一人でほっつき歩いて旅をするのが、確かに好きなんだよ、と思う。長くはなるが、蓮如の「額に王法、こころに仏法」をひもとく、この本の後ろの方に出てきたこんな言葉にぼくは、ぎくりとしたのです。

「世間の秩序とか国法とか、そういうものに対して徹底的に逆らって一揆を起こすようなことは避けなければならない。逆に、こころの中で、いちばん大事なのはこういうものであるという、信心というか、信念というものを持ちながらも、社会の中ではそれを表に直接表さない・・・・・・これは二重生活の仕方であり、ある意味ではダブルスパイみたいな生き方なのだが。
 しかしこうした生き方は実際にはよくあると思う。目的のために「社会を離脱せよ」とか「家庭を離れよ」とか「友人を捨てよ」とか、そういうことを言うのではなくて、それなりにちゃんと暮らしつつ、こころの片隅に、孤独の力というものを、じっと、ひそかに、養いつづけている人
 思想、あるいは信念というものが生まれてくるのは、つねに、両者を否定するのではなく、また両者を融合させるのでもなく、それぞれの違ったものを同時に、二重に、内部に共存させるという、いちばん難しい道によってであるのだ」

だから、ぼくも、知らない町も、知っている町も、一人ほっつき歩いてしまうのだろうか。







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リチャード・カーティス監督の最新映画「アバウト・タイム 愛おしい時間について」を海老名のTOHOシネマズに見に行きました。イギリスの中流家庭の生活ってこんな感じなのか、と思いながら、その普遍的なテーマとこの映画の持つヒューマニティにどんどん引き込まれてしまいました。

ぼくは押入れやクローゼットの中でタイム・トラベルなんてできませんが、ドーナル・グリーソンの演じる主人公のティムって自分とどこか似ているような気がして、親近感がわきます。そして、レイチェル・マクアダムスの演じるメアリーの笑顔がとてもまぶしいのです。

リチャード・カーティスさん、今作を持って映画監督から引退されるというのですが、とても残念です。そのラストの作品がどんな人にもぼくはお薦めしたい心温まる名作となっていました。

http://abouttime-movie.jp
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「ヨコハマトリエンナーレ2014」を見に行きました。売っているわけではないので、市というのは適切じゃないですが、3年に1回、横浜で開かれている現代美術の雑多な見本市のようなものです。かなり昔、この展覧会を見て、へんてこりんないろんなものが展示されてあって、以外におもしろいものだ、と思って、今回は2回目です。

前に見たときは、へんてこりんなアートのお祭りのような感じでしたが、今回はまったく違う空気感がありました。サブ・タイトルである「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」にも表現されてもいる、ある不穏な時代の下、芸術家たちのうめき声、やばいぞ、やばいぞ、という囁き声みたいなものが木霊していたようなのです。華氏451の451度とは、本が燃えてしまう世界で、ナチスの焚書を思い出しもします。今は世界がまぎれもない戦前なのかもしれないという、そんな戦慄すべき悪い予感のようなものすら感じてしまいました。

暗い時代の雲がたれこめる中、ぼくは、芸術にも、それを創り出す人にも、それを見る人にも、悪い何かにあらがうパワーがあると信じたいんです。ですよね。

http://www.yokohamatriennale.jp/2014/index.html
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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