えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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C.G.ユングの著した「分析心理学」を読了する。フロイトやアドラーと並ぶ、心理学、精神分析学の源流となる大家が1935年にロンドンのダヴィストック・クリニックで行った講義と質疑応答を一冊の本にまためたもので、講義を受けたものは専門の研究者や医師たちばかりだったという。1935年にはユングの心理学を自然科学とは認めないものも多く、フロイト派の人たちと合い対峙する鋭いやりとりも採録されている。読んでいた難解な部分も多くあるのだけど、すごい臨場感があって、時は、ナチスのヒットラーが総統になりヨーロッパに暗い雲が覆う、そんな年であったことも、後半の議論を読むと、判明されてしまう。ユング、60歳、その古い古今東西の神話や物語への博学と人生についての深い思慮に、ぼくはたじたじとなり、畏怖の念さえ抱いてしまう。そのユングの剣がぼく自身に向けられていると承知しつつ、だからここそ、長文ながら心にとどめ置きたく、引用します。

「私は当然のことながら、患者に最善をつくそうとしていますが、心理学では、どんな犠牲を払ってでもといいというような態度で治そうとすべきではないということがきわめて重要なことなのです。治療者は患者に自分の意志や信念を押しつけないように過剰なまでに注意を払わなければなりません。患者にはある程度の自由を与えなければならないのです。人の運命を奪い去ることはできないのです。これは、ちょうど医学が自然に死んでゆくものを治せないのと全く同じです。患者の一層の発展のためといって、その人が耐えてゆかねばならない運命からその人を救うことが許されるのかどうかということは往々にして真に疑問です。はなはだしく馬鹿げたことをやっているような人をそこから救い出すことはそういった人の気性からいっても不可能です。もし、それを取り上げてしまったら、彼らは何の取り得もなくなってしまいます。ありのままの自分を受け入れ、託された人生を真面目に生きることによってのみ、われわれは真の価値と心理学的な発展を期待できるのです。罪や過ちや失敗はむしろわれわれにとって必要なものであり、そうしたものがなければ。われわれは発展への貴重な誘因を奪われてしまうことになります。その人の心に変化をもたらすことを聞かせても、それに注意を払わずにいってしまうのなら、その人を呼び戻しません。私は自然の味方なのです」

なんて厳しいことをユングは述べているのだろう、と思う。

偉大なるユング博士に少しだけ僭越ながらも反駁のようなことをするならば、ぼくは何か大切なことを誰かにプレゼントできるし、それは錬金術のように誰かの人生すらにも輝き暖かい灯りをともせるとも思うし、誰かから受けたプレゼントによって、ぼくの人生に暖かく輝く灯りがともることもあるのだと思うのです。というようなこともユングはどこかでいっていたような気もしてきました。

しばし、夢を見つづなくてはなりますまい。では、おやすみZZZzzz.....






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こんな夢を見た。ぼくは講堂か体育館のようなところで、100人ぐらいの人にかこまれて、アコースティック・ギターを持って歌をうたっている。数名のアコースティック・セットの奏者をしたがえて、ぼく持っているギターはいつものエピフォンのハミングバードで、マイクもスピーカーもなしに完全なアンプラグドでうたっている。パイプ椅子がまばらのしかなく、ほとんど立ったまま聴いてくれているホールを埋めつくすお客さまの真ん中にいて、ぼくはこう申し述べる。

「さぁ、最後から2曲目の歌となりました。みなさん、聴いてください」

そして、最近、また歌い始めた昔に作ったこんな歌をうたいい始める。

♪こんなにたくさん 涙が あふれでるから
 ぼくの汚れた 顔を ぬぐっておくれ
 たった一つの 心だけど
 いいかたは いろいろあるのさ
 One love, one heart
 One love, love, love, love, love

 山を越えて 来ておくれ
 川を渡って 会いにいくよ
 きみがドアを たたいてくれたら
 ほんとにたくさん涙があふれでる
 たったひとつの 心だけど
 溢れ出る熱い涙
 One love, one heart
 One love, love, love, love, love

気が付くとぼくの目の前に銀色の少しこぶりのかなだらいがおいてある。ぼくはお客さまに思い出したかのようにこうも申し述べる。

「今日は投げ銭となっております。心ある方はぼくの前にあるかなだらいにチップをお入れください」

すると、お客さまは入れかわり立ちかわり、かなだらいにチップを投げこんでくれて、100円や500円の銀貨でかなだらいはみるみるうちにいっぱいになり、そうか、みんなはぼくの歌を、もしかしてぼくをこんなにも好きでいてくれたのか、知らなかったと思い、感激する。そして、つづけて、こう申し述べる。

「ついにラストの曲になりました。みなさん、聴いてください」

なりやまない声援の中、ジョー・コッカーのこんな歌をうたい始める。

♪You are so beautiful, to me
 You are so beautiful, to me
 Can't you see?
 You're everything I hoped for, you're everything I need
 You are so beautiful, to me

そこで目が覚めた。こういう夢にはフロイトもユングもアドラーも必要ないのではないかと思いました。ゆめゆめうたがうことなかれ。
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文化学園服飾博物館に「魔除け 身にまとう祈る心」という展覧会を見にいった。その展覧会を見ながら、最近、大江健三郎の昔の小説を読んだこともあり、「トーテム」とか「記号論」とかそういう言葉が思い出された。中村雄二郎の「魔女ランダ考」とか山口昌男の「道化の民俗学」を背伸びして読んでいたものです。その背伸び癖はいまだに直らないのだけど。

昔の人は、ありとあらゆるものに畏敬の念を抱いていて、服装や服飾、ネックレスなど、その聖なる盾として、模様をほどこし、飾り、そして、祈りを込めて織り編んでいたらしいのだ。そうならば、あたり一面に模様を施したそれは輝くように美しい。

ぼくはそのような服やら装飾品、帽子を見ながら、ジャニス・ジョップリンのことをいつしか思い浮かべていた。彼女は1960年代に遅れてやってきたビートニクスからブルースの女王として登場し、短すぎる生涯を閉じるのだけど、いつも過剰なほど安物の装飾品やら、ビーズのじゃらじゃらした首飾り、ブレスレットを身にまとい、服はシャギーな原色の一面に模様のほどこされた、そのようなものだった。それはジャニスがその内側の傷つきやすさを守ろう、彼女を刺し貫く邪視から彼女を守るために、それとは気づかず身に着けていたようなことだったのではないかしら? ならば、ジャニスの安物のビーズの連なりは、何よりもまばゆくきらめいているのではなかろうか?

祈りのこめられたそのようなものを身につけること、そのようなものを大切な誰かに身につけてもらうことは、なんてすばしいことだろう、と思いました。
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平塚の前鳥神社に詣で、お参りをし、願いごとをし、御神籤をひきました。ここは「前鳥神社」とかいて「さきとりじんじゃ」と読みますが、こんな言葉をいただけたのです。神さまにも励まされ、がんばります。

「第二十番 御神籤

いそしみし
しるしはみえて
ゆたかにも
黄金(こがね)なみよる
小山田(おやまだ)のさと

運勢 大吉」

ゆめゆめうたがうことなかれ
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大江健三郎さんの著した「新しい人よ眼ざめよ」を読む。この小説は何度か人生の節目のような時に読み返してきて、これで何度目になるのだろうか?

イーヨとそのパパの二人がこの小説の主人公なのだが、いいコンビだなー、と思う。そのやりとりにはあるおかしみもあって、落語や漫才のぼけとつっこみみたいでもあるというと不謹慎だろうか? それは、知育に障害を持ってもいる息子、大江光さんと小説家の大江健三郎さんの魂の通信と交通の物語なのだった。

やはり、この連作集の中の一篇「魂が星のように降って、跗骨のところへ」は涙なしには読めませんでした。







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禅といえば、昔から「十牛図」が大好きでした。一から十までゆっくり無心に見てみてください。四宝の厳しい世界よりもぼくはこういうのがいいとも思うのです、などというと、和尚の「喝」という声も聞こえてきますね。

一、尋牛(じんぎゅう)

二、見跡(けんせき)

三、見牛(けんぎゅう)

四、得牛(とくぎゅう)

五、牧牛(ぼくぎゅう)

六、騎牛帰家(きぎゅうきか)

七、忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)

八、人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)

九、返本還源(へんぽんげんげん)

十、入てん垂手(にってんすいしゅ)
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曹洞宗のお坊さんと知り合う機会があって、仏教の四宝ということを教えていただいた。

諸行無常 - All worldly things are transitory.
諸法無我 - Idea that all things in the universe lack their own unchangeable substances.
涅槃寂静 - Enlightenment leads to serenity.
一切皆苦 - All things are causes of sufferings.

英訳してみてさらに日本語に戻すとこういうこととなり、それは正しい訳なのだろうか?

世界のすべてのことどもは変化する。
宇宙にあるすべてのことは不変である実態を欠いている。
悟りは静けさをもたらす。
すべてのことどもは苦しみのもととなる。

なるほど、カリフォルニアでジャック・ケラワックやアレン・ギンズバーク、ひいてはスティーヴ・ジョブスをとりこにしたその仏教は、ケラワックに「禅ヒッピー(The Dharma Bums)」という長編を書かせてもしまう。

さて、四宝の漢文にもどれば、その三つ目の宝である言葉「涅槃寂静」にたじろぎ、そこの「寂」という語を見つけ、天国とはもっとも苛烈な苦痛のもとである「寂」、寂しいところなのかと、激しく当惑してしまう。そして、とどめの一撃のような「一切皆苦」に打ちのめされたような気持ちにもなってしまうのだ。

なんて厳しい教えなんだろう。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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