えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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新宿末廣亭令和六年五月下席昼の部を見に行きました。見た演目を書き出してみます。前座の笑福亭羽太郎くんの「秘伝書」、二つ目の桂笹丸くんの「十徳」、三笑亭可龍師匠の「初天神」、一矢さんの「相撲漫談」、立川談之輔師匠の漫談、古今亭今輔師匠の「悪質商法騙され自慢」、ピロキさんの漫談、春風亭昇之進師匠の「お血脈」、桂歌助師匠の「桃太郎」、坂本頼光さんの活動写真弁士、神田陽子師匠の「五郎正宗孝子伝」の始まりのところ、桂幸丸師匠の漫談で中入りとなりました。春風亭昇吉師匠の「権助提灯」、ねづっちさんの漫談、桂竹丸師匠の漫談、三遊亭圓丸師匠の「堪忍袋」、きょうこさんの和妻、主任は桂枝太郎師匠の「茶の湯」。

後ろに座っていた年配のご婦人は、落語家さんには、漫談じゃなくて、落語をやって欲しいわよね、などと一緒に来ていた人に愚痴っておりました。ぼくも、そうだよな、と思ったりします。

今日、一等、印象に残ったのは、色もので、きょうこさんの和妻。着物を着て、座って演ずるこれは江戸様の手品、奇術。ありし日の吉原の茶屋ではこのような出しものがあったのではなかろうか、とぼくは想像をたくましくし、またしても、宝井其角の吉原を詠んだこんなダブルミーニングの俳句を思い出したのでありました。

 闇の夜は吉原ばかり月夜かな

和妻師 きょうこ
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白石和彌監督の『碁盤斬り』を見ました。元になった話は落語の『柳田格之進』で遊廓、吉原もからむ人情噺。

すべてのシーンが過度の明るさを廃し、美しい光と構図を持っていて、上品の浮世絵のよう。

一人娘と長屋に暮らす篆刻造りを生業とする浪人の武士、柳田格之進を演ずる主演の草彅剛さんの抑えた演技が素晴らしく、しかも、後半、怒りの感情を爆発させ、ダイナミックな大立ち回りもあり、そこも見せる。そして、柳田格之進の娘、吉原に身請けとなるお絹を演ずる清原果耶さんの可憐さ。けれども、映画のラストは落語の筋から離れて、映画的エンターテイメントとして、潤色されていて、そこも、とても良い。

吉原の大店の女将、お庚を演ずる小泉今日子さんも光っている。このお庚という役は、五歳で吉原に売られ、ついに女将に上りつめる冷っとしていながらも、どこか人情のある女性なのだ。この映画の中の吉原を見ながら、遊女による放火で何度も消失したという、苦海とも呼ばれた吉原という町を思い、江戸の俳諧師、宝井其角の二つの意味のあるこんな句を思い出していたのだった。

 闇の夜は吉原ばかり月夜かな

とまれ、ぼくは、柳田格之進のような人にどこか憧れてしまう。柳田格之進よ、もっと歩いてゆけよ。素晴らしい時代劇『碁盤斬り』が日本の映画史に加わったようなのです。

映画『碁盤斬り』公式サイト
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東京オペラシティコンサートホールで『パソナグループ「夢オーケストラ」第15回チャリティコンサート~能登半島地震 復興支援~』を見ました。演目は、べートーヴェンの「ロマンス第2番 へ長調」、クライスラーの「愛の悲しみ」と「愛の喜び」、ベートーヴェンの「交響曲第9番」。

数人の客演と指揮者を除き、オーケストラもコーラスもパソナグループの社員かその協力会社の社員であることに驚く。ぼくの友だちもコーラスに参加しているのですが、それぞれ、会社の勤務の後にこれを練習しているのだと思うと、人間の可能性について、ぼくは思いいたってしまう。

素晴らしき演奏に、指揮者の曽我大介さんの素晴らしい人間性も垣間見られ、演奏の後、「交響曲第9番」について、平和の方へ世界が進んでいることを信じることから始めなければ、平和は来ないし、そうすれば、いつか世界は平和になるのじゃないか、とおっしゃっておられた。プログラムに載せられた「交響曲第9番」の第4楽章のシラーによる詩にもこうあるではないか。

♪♪♪
君(歓喜)の柔らかな翼の下
時流が強く切り離したものを
君の不思議な力は再び結び合わせ、
すべての人々は兄弟となる♪♪♪

これらの演奏と合唱はぼくの胸に確かに力強く届き、その喜びの声は今日の曇り空の上まで響いているかのようでした。貴族からの庇護をよしとしない根っから民主主義者、自由主義者だったベートーヴェンも、空の向こうで、この市民オーケストラと市民のコーラスに喜んでいるのではないか、そんなコンサートでした。
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京都を一泊の旅をしました。

お目当ては京都国立博物館での他の地への巡回はしないらしい『雪舟伝説―画聖(カリスマ)の誕生―』展。雪舟の絵を見たいがために何度か上野の東京国立博物館に何度か足を運んだけれど、いつも展示しておらず、今回の『雪舟伝説』では国宝・重要文化財となっているもの全ての六点の絵画が鑑賞できるという。雪舟の絵というのは日本的でありながら、雪舟が留学し、中国の明の絵画に学んだということも越えて、すぐれて、一つの文化を越えて、汎世界的、宇宙的であるように感じる。ついにこの目で雪舟の絵の実物を見れたことで、感慨もひとしおです。雪舟以外にも、雪舟に影響を受けた絵画を紹介してる。雪舟は室町時代に生きた人であの能という世界的舞台芸術を完成させた世阿弥と同じ時代を生きた人であることにぼくは驚いてしまう。室町時代から下る安土桃山時代から明治まで雪舟はあらゆる絵師から画祖とあがめられ、尊敬され、模写されてきたそうだ。長谷川等伯の雪舟の絵の構図そのままの絵は国宝にもなっていて、その絵を見ながら、隣にいた年配の女性の方はその友だちに、すごいねー、これ国宝だよ、などと話していた。その「すごいねー」の言葉にはお金には決して換算できない永遠なる日本の美が雪舟を含めてあるのだと思った。

その後、京都国立博物館の近くの三十三間堂に参ってみる。千躯もある千手観音に圧倒され、仏威のありがたさを感じておりました。

そして、浄土真宗大谷派のもっとも大きな寺、本山寺院である東本願寺こと真宗本廟に行ってみる。ぼくは親鸞の説いた教えに近ごろは惹かれて、浄土真宗大谷派の雑誌「同胞」を毎月、購読していたりするものであります。はるか昔の大学生のころ、ここを訪れ、華美な装飾のない静かなここの本堂にいたく強く魅かれ、ずっと記憶に残っている大寺院でございます。縁があったのですな。ところが、本堂には入れたけれど、金障子が閉まっていて、親鸞聖人の御真影や阿弥陀様がおがめなく、何かものたりない。地元の人から「お東さん」と呼ばれるそこを後にした。

夕食は少し電車に乗り「赤垣屋」という太田和彦さんにも紹介されていた居酒屋に行きました。どの料理も本格派の美味しさがございます。国内、海外から旅行客、地元の人で満席で、カウンターに座ったぼくは店主の板前さんの包丁さばきにほれぼれとします。おいしくて一杯、食べて、飲んでしまった。

次の日、東本願寺の金障子は午後四時ぐらいに閉まっていたのを知り、再び参ってみることにしました。金障子は開いておりました。正座をし、親鸞聖人の御真影を拝み、教え通りの「南無阿弥陀仏」と唱え、座をくずし、あぐらをかいていると、ぼくの目の前に僧侶が現れ、そこに座り、何人もの、たくさん黒い袈裟を着た僧侶が体育館よりも広い本堂一杯に正座し、ぼくは取り囲まれてしまいました。驚き、ぼくはその場で正座をしなおします。そして、若い女性の僧侶が親鸞聖人の御真影の前に座り「南無阿弥陀仏」と三度唱えると、ぼくの回りの何十人もの僧侶が「正信偈」か「阿弥陀経」かはぼくはに判然しませんが、読経しはじめ、ぼくのまわりの三百六十度からありがたき言葉が響きわたり、届きます。朝の勤行だったのでしょうか、予想外のすごい経験をしました。その全体の姿を思い浮かべると滑稽でもありますが、これもありがたきご縁。生きていく力をもらいました。

平安神宮でお参りをしました。祈りと願いは「世界平和」と「心身健全」。広大な神域に清らかなそよ風が吹いているかのようでもあります。

京都市京セラ美術館での『村上隆もののけ展』を見に行きました。気になっていた現代美術家ですが、ぼくが見る初めての村上隆さんの展覧会です。もともと村上隆さんは東京芸術大学のころは日本画を専攻していて、江戸時代の尾形光琳らの琳派の画家を尊敬していることなどを初めて知りました。なんと、ぼくと同じ学年であるらしい。敗戦国日本のある種のゆがんだコンプレックスと、そこから出発し、跳躍する日本への愛を村上さんは描いているらしい。なるほどと思いました。以外にもとても面白かった。大江健三郎いうところの「Late Style(晩年様式)」の老年を歩いていく村上隆さんのこれからの作品、表現にぼくは興味津々であります。

京都駅のところにある「東洋亭」という洋食レストランでハンバーグランチを食べ、白ワインをデカンタで飲み、酔いどれてしまった。とてもおいしかった。そして、新幹線の「のぞみ」に乗って帰ってきました。

楽しかった。
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浅草演芸ホール令和六年五月中席昼の部に行って参りました。今日は、落語芸術協会の山遊亭金太郎師匠、雲龍亭雨花師匠、松林伯知師匠のめでたい真打披露興行。

見た演目を書き出してみます。前座の桂しょう治くんの「狸札」、二つ目の三遊亭遊七くんの「雑俳」、片岡一郎さんの活動写真弁士、笑福亭羽光師匠の「感想文」、橘ノ圓満師匠の「猫と金魚」、一玄亭米多朗師匠の「がまの油」、桂小文治師匠の「蒟蒻問答」で一回目の仲入りとなりました。山田邦子さんのお楽しみの漫談、神田紅師匠の講談「お富与三郎」、三遊亭笑遊師匠の「湯番屋」、コント青年団のコント、春風亭昇太師匠の「鷺とり」ど二回目の仲入りです。真打昇進披露口上がありまして、山遊亭金太郎師匠の「後生鰻」、松林伯知師匠の講談「湯水の行水」、東京ボーイズの歌謡漫談、桂南なん師匠の「辰巳の辻占」、春雨や雷蔵師匠の「金婚旅行」、ボンボンブラザ-スの曲芸、主任をつとめる雲龍亭雨花師匠の「子別れ」。

三遊亭笑遊師匠の滑稽噺「湯番屋」は強烈に印象に残りましたが、主任の雲龍亭雨花師匠の人情噺「子別れ」について述べねばなりますまい。噺家さんの人生が自然にそかはかとなく溢れるかのようで、深く響く素晴らしき噺でございました。寄席はパラダイス。
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友だちに誘われて、初めて女子プロレスを見ました。会場は後楽園ホールで、スターダムという団体。すごい迫力です。はり手やエルボー、キックで体を撃つ鈍いボソッとかいう音が響いて、耳に届きます。選手の「バカヤロー」とか「コレデオワリ」とか「イテー」というおたけびが聞こえ、組わざを決められそうになると、セコンドが「動け動け」とわめきます。痛みに耐える体と心の強靭さの競い合いは、青春のパッションとパッションのぶつかり合いでもあります。面白さを越えて、ぼくは感動していました。
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落語と能楽の鑑賞にずいぶん夢中となってしまった。落語は生きているものちちのためにあり、能は死んでしまった人たち、この世にあってはならないものたちに捧げられ、むしろあっていいのだと説いているように思えるけれど、両者に共通していることは、生きていることの痛みをやわらげ、救ってくれるようにも思えることだ。

今日、見た能楽の狂言は「入間川」、能は「加茂物狂」であった。狂女は舞いを踊り、その舞いは美しくなり、愛おしい人との再会もとげるのだが、それらもすべては流れ去り、鏡の松のみそこに残されるのだった。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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