えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

今日は大好きなジャニス・ジョップリンが空の向こうに旅立った日ではないですか。ラストアルバムの"Pearl"を聴きながら、そのアルバムにバックの演奏だけは録音されていて、ジャニスは詞を残し、歌声は吹き込まれなかった"Buried Alive In The Blues"を意訳してみたのです。ジャニス、空の向こうで愛は見つかったよね・・・
♪♪♪
不運な地すべりにすべては捕えられ
ありとあらゆところから何かが押しよせて
あたしの気楽な旅は蹴とばされてしまった
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまったの
日曜の夜ぐらいはみんなベッドで眠りこけているのにな
あたしは通りにいて 頭の中でわけのわからないおしゃべりを一人ぼっちでしている
口もきけない壁の石がわたしのただ一人の話相手だから 何にも聞いてはくれないんだね
だから あたしはわめいたよ
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまったって
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまった
だれかあたしを愛して 助けてください ブルーズに生きながらも葬り去られてしまったあたしを
あたしは慈悲を乞い 雨の中で祈っている
こんな責め苦を一人ぼっちで受けとめるのなんてできっこない
あたしの頭の中は何かでめちゃくちゃにされてしまって
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまったの
ほんとうにたいへんなことだよ ブルーズに生きながらも葬り去られてしまうってことは
たいへんなことだよ 生きながらも葬り去られてしまうってことは
みんながあなたのとなりで歩いていても ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう
だれもあなたのことなんて気にしないから ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう
どんなに大好きな人に手をのばしても ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう
なんにもやりすごすことができないから ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう
ひどい時だよ 悪い運命に転げ落ちて
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう 本当に邪悪な時だよ
葬り去られ
葬り去られ
葬り去られ
葬り去られ
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう 本当に邪悪な時だよ♪♪♪
♪♪♪
不運な地すべりにすべては捕えられ
ありとあらゆところから何かが押しよせて
あたしの気楽な旅は蹴とばされてしまった
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまったの
日曜の夜ぐらいはみんなベッドで眠りこけているのにな
あたしは通りにいて 頭の中でわけのわからないおしゃべりを一人ぼっちでしている
口もきけない壁の石がわたしのただ一人の話相手だから 何にも聞いてはくれないんだね
だから あたしはわめいたよ
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまったって
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまった
だれかあたしを愛して 助けてください ブルーズに生きながらも葬り去られてしまったあたしを
あたしは慈悲を乞い 雨の中で祈っている
こんな責め苦を一人ぼっちで受けとめるのなんてできっこない
あたしの頭の中は何かでめちゃくちゃにされてしまって
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまったの
ほんとうにたいへんなことだよ ブルーズに生きながらも葬り去られてしまうってことは
たいへんなことだよ 生きながらも葬り去られてしまうってことは
みんながあなたのとなりで歩いていても ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう
だれもあなたのことなんて気にしないから ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう
どんなに大好きな人に手をのばしても ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう
なんにもやりすごすことができないから ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう
ひどい時だよ 悪い運命に転げ落ちて
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう 本当に邪悪な時だよ
葬り去られ
葬り去られ
葬り去られ
葬り去られ
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう 本当に邪悪な時だよ♪♪♪


こんな夢を見た。ぼくは自分の部屋にいる。いつもすわっているカーペットのあたりにのぼくの昔から使っているブルーのフレームの眼鏡の柄の折れているのを見つける。お気に入りの眼鏡だから、ぼくは同じようなデザインの新しい眼鏡を買うしかないかなと思う。
そこで目が覚めた。眠る前に蚊がまとわりついてくるので、蚊取り線香を取り出す時に偶然、なくしたと思っていた柄のおれた黄色いフレームの眼鏡を見つけたことが夢にも反映されたのでだろうか? それとも、この前の会社の飲み会で女子から青いフレームの眼鏡が似合うのなんて素敵と言われたことが出てきたのだろうか? はたまた、眼鏡を変えるということは、新しい世界の見方、見え方を発見するということだろうか? ぼくはいつだってブルーにふちどられた眼鏡をかけて明日を見たいと思っていたのかもしれないけれど、それを見たことはなかったのです。で、ぼくの心の中で河合隼雄先生はぼくに、もう眼鏡は必要ないのですかと問いかけるのかもしれません。ぼくは、こう答えるような気もするのです。それがもらえるとするなら、今がよく見える眼鏡をください。
そこで目が覚めた。眠る前に蚊がまとわりついてくるので、蚊取り線香を取り出す時に偶然、なくしたと思っていた柄のおれた黄色いフレームの眼鏡を見つけたことが夢にも反映されたのでだろうか? それとも、この前の会社の飲み会で女子から青いフレームの眼鏡が似合うのなんて素敵と言われたことが出てきたのだろうか? はたまた、眼鏡を変えるということは、新しい世界の見方、見え方を発見するということだろうか? ぼくはいつだってブルーにふちどられた眼鏡をかけて明日を見たいと思っていたのかもしれないけれど、それを見たことはなかったのです。で、ぼくの心の中で河合隼雄先生はぼくに、もう眼鏡は必要ないのですかと問いかけるのかもしれません。ぼくは、こう答えるような気もするのです。それがもらえるとするなら、今がよく見える眼鏡をください。


前谷彰さんの訳・解説の「ブッダの教え ~真訳・スッタニパータ~」を読了した。
やはり、これとは別の本「ブッダのことば スッタニパータ」の中村元先生の訳がいかに格調高く、すばらしいものだったかを、今さらながらも思いおこしてしまう。さらに平易な口語訳である「ブッダの教え ~真訳・スッタニパータ~」のそのわかりやすさから、解説はながめる程度として、経典の原文の訳をそのまま読み、何かを感じるのがよいのではなかろうか、などとも思ってしまった。
「スッタニパータ」で説かれている「犀の一角の経」はとくに大好きで、その中で「犀の一角のように、たったひとりで歩みなさい」と何度も謳われるのだけど、ぼくは悟りから永遠かとも思われる距離でへだたっているらしいことを感じもする。中村元さんはこれを「犀の角のようにただ独り歩め」と訳していて、その言葉はぼくを何度も惹きつけるのだけれど、誰かとある時、手をつなぐことも素敵なことだということも確かなことではないかしら。きっと、すべてを手放さなくてはならない時も、いつかはやってくるのです。
ここにあると思えば、ここにはなく、ここにはないと思ったなら、ここにある、とあの人は教えてくれていると思うから。
やはり、これとは別の本「ブッダのことば スッタニパータ」の中村元先生の訳がいかに格調高く、すばらしいものだったかを、今さらながらも思いおこしてしまう。さらに平易な口語訳である「ブッダの教え ~真訳・スッタニパータ~」のそのわかりやすさから、解説はながめる程度として、経典の原文の訳をそのまま読み、何かを感じるのがよいのではなかろうか、などとも思ってしまった。
「スッタニパータ」で説かれている「犀の一角の経」はとくに大好きで、その中で「犀の一角のように、たったひとりで歩みなさい」と何度も謳われるのだけど、ぼくは悟りから永遠かとも思われる距離でへだたっているらしいことを感じもする。中村元さんはこれを「犀の角のようにただ独り歩め」と訳していて、その言葉はぼくを何度も惹きつけるのだけれど、誰かとある時、手をつなぐことも素敵なことだということも確かなことではないかしら。きっと、すべてを手放さなくてはならない時も、いつかはやってくるのです。
ここにあると思えば、ここにはなく、ここにはないと思ったなら、ここにある、とあの人は教えてくれていると思うから。


めぐろパーシモンホールに「巨竹オーケストラ スアール・アグン 来日公演2016 ~祝祭の音楽 ジェゴク・大地の響き~」を見に行きました。
インドネシアのバリ島からやって来た竹でできたマリンバみたいな打楽器のオーケストラのコンサートです。この竹の打楽器を使う音楽は、ガムランなどの音楽の盛んなバリでもごく限られた地域でしか見れない貴重なものだそうです。
これぐらい豊かな倍音の音楽は世界中をさがしてもなかなか見つからないのではないかしら? ホールがその倍音のヴァイブレーションで豊かにうねっています。南の島から来た究極のアンビエント・ミュージックかもしれません。生で聴く願いはかなったとして、あとはその南の島の深い森の奥の村で、神さまを奉るというそれを聴いてみたい。
ダンサーもきれいで素敵でした。
(写真は撮影を開演前に許可されたものです)
スアール・アグン 来日公演 - プランクトン


町田市立国際版画美術館に「デイビッド・ホックニー版画展」を見に行った。展覧会初日のサービスとして入場料がただで見れました。ラッキーです。
デイビッド・ホックニーってポップ・アートのメイン・ストリートを歩いていたイギリス人だったのですね。初期のころのアメリカのL. A.に移住する前のイギリス時代の作品はジョン・レノンのドロウイングみたいなのだけど、アメリカに行ってから、ピカソやマチスの影響も隠そうとぜず、色彩が美しく爆発する。
版画ではく、絵画が一点だけ展示されていて、それはあの有名な「スプリンクラー」でした。「雨」とか「プール」のブルーがとてもきれい。すべての作品にメロディーやリズムがやどっているようにも感じたのです。よかった。
デイヴィッド・ホックニー版画展


こんな夢を見た。ぼくは自分の家のとある部屋にいる。その中には、一部、これから色を塗ったり、形を組み立てなくてはならない、完成されていないものもあるのだけれど、その部屋にはさまざまな神さまの青や緑、エメラルド色の鉱物の彫像が四方八方に置かれている。いつの間にか父親が通信販売か何かでこれらの数えきれない像を取り寄せたのだろうか? ぼくはそれらを見ながら、それらの神々の笑みの恵みの中にもいて、自分がおごそかにで安らかな気持にもなっていることを発見し、その部屋で、神々の彫像を眺めている。
そこで目が覚めた。芥川龍之介の「神神の微笑」という小説は、どんな物語だっただろうか? ふと、江戸には八百八町があり、八百万の神が御座していたのだろうかとも思う。夢から覚めても、四方八方の数えきれない笑みを含んだ神々から見つめられているような不思議さがぼくに残っていた。
そこで目が覚めた。芥川龍之介の「神神の微笑」という小説は、どんな物語だっただろうか? ふと、江戸には八百八町があり、八百万の神が御座していたのだろうかとも思う。夢から覚めても、四方八方の数えきれない笑みを含んだ神々から見つめられているような不思議さがぼくに残っていた。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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