えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

マーティン・スコセッシ監督の「沈黙 -サイレンス-」を見て、感動して、それから、原作である遠藤周作の小説「沈黙」もと思い、読んでしまったところです。
読んでいる最中、狐狸庵先生こと遠藤周作自身が、この「沈黙」に出てくるとても大切な人物であるキチジローのことを自分のことだと言っていたのを知り、なんだか、作品の秘密のとても大事な何かの一つが解きあかされたように感じいってしまった。キチジローについては実際に小説を読むか、映画を見て欲しいのだけど、もしかして、この弱くていくじなしの全然立派じゃないだめなやつが一番キリストを愛し、信じていたのかもしれません。
何かを信じるってどういうことだろうか? しかも逆境の中で、そのふきつづける嵐の中で命までも奪われたり、奪われそうになったりしながらも、信じつづける、もしくは信じつづけてしまうということって、どんなことだろうか? この本を読んで、その答えが少し近づき、さらにわからなくなったような気もするのです。
マーティン・スコセッシ監督は英訳で「沈黙」を読んだそうです。それは"Shusaku Endo SILENCE"。日本文学も世界にその素晴らしさが紹介されているのですね。


諏訪湖を旅して、四社をめぐって来ました。四社とは諏訪大社上社前宮、諏訪大社上社本宮、諏訪大社下社秋宮、諏訪大社下社春宮の四社です。
茅野の駅を降りて、諏訪大社上社前宮に向かいます。小高い所に雪につつまれたある古い社です。
それから、諏訪大社上社本宮に向かいます。ここでの大きな人の背丈の何倍もある和太鼓の大きさに驚く。叩いたなら、どんな音がするのだろう?
てくてく、上諏訪に駅に向かって歩いていると、かりんちゃんバスというバス停を見つけ、バスが来るのをしばらく待って、バスに乗った、小学生がたくさんで、スクールバスのようでした。
上諏訪の駅から下諏訪の駅まで一駅、下諏訪の駅を降りて、諏訪大社下社秋宮に向かい、お参り。
旧中山道を歩きます。
諏訪大社下社春宮へ。御神籤をひくとお諏訪さまからのありがたきお諭し。
「信濃国一宮
諏訪大社おみくじ
43番 大吉
風吹けば
風吹く万ま々に
港よしと
百船千船
うらつどいつ々」
万治の仏に無病息災をお頼みしました。
下諏訪の駅から上諏訪の駅に戻る。夕方、宿に入り温泉につかり、街も近くなので、居酒屋の夕食を食べに、お酒を飲みに出かけました。入ったのは「ばんや」という居酒屋で、諏訪大社のお神酒ともあなる日本酒「真澄」を飲みながら、鹿肉や馬肉を食します。そこで、右となりにいた、日本のグラフィックデザインのくわわけでもあり、数々の居酒屋についての本も著している太田和彦さんにそっくりな人に声をかけられて、楽しくおしゃべりもしていました。山が好きだといっていたその人は、ぼくがあこがれもする太田和彦さん、その人かも知れず、諏訪大社、御柱祭、御神渡り、はてや、長野県の予防医学についてお話を聞かせていただきました。長野県の予防医学を進めた若月俊一医師は頼まれもせず、いろんな村を訪れ、予防の医学を説き、今では長野は日本一の長寿県です。そして、気候が暖かくなりここ数年は見られていない御神渡り。「御神渡り」と書いて、「おみわたり」と読みます。諏訪湖全面が凍結し、氷上に上社から下社までつづくせりあがった氷の道ができるそれを、上社の男の神さまが下社の女の神さまに会いにいったしるしだと伝わっています。ありとあらゆるところに神さまの顕現を見てきた日本人。そういえば、子どもの頃は冬はもっと寒くて、毎朝、霜柱が神奈川県でも立っていたように思い出します。あの太田和彦さんに似た人は、もう一軒、顔を出したい店があると言い置きして、出ていきました。やっぱ、太田和彦さん、その人だったのかな?
次の朝、もしかして、御神渡りが見れるのではないかと思い、諏訪湖の湖畔に行ってみましたが、神さまの逢瀬のあとは見れませんでした。けれど、湖畔を歩き、古い明治時代の建物の諏訪市美術館に入ると「上諏訪中学校+源馬菜穂 ―わたしの風景―」と題された展覧会が開かれ、そこに源馬菜穂さんの美しい御神渡りを描いた絵を見ました。とても良かった。
湖畔をてくてくと歩き、ハーモ美術館へ。アンリ・ルソー、カミーユ・ボンボア、アンドレ・ボーシャン、ルイ・ヴィヴァン、グランマ・モーゼズらの素朴派と呼ばれる人たちの絵がすばらしく、それから、グランド・ピアノが真ん中に置かれた併設のコンサート・ホールにところせましと飾られた敬虔なカソリック教徒でもあったジョルジュ・ルオーの版画に圧倒される。
そういえば、電車の中では読みかけの遠藤周作の「沈黙」を読んでおりました。帰りの列車の中で、いつか、御神渡りを見てみたいと思うのです。
茅野の駅を降りて、諏訪大社上社前宮に向かいます。小高い所に雪につつまれたある古い社です。
それから、諏訪大社上社本宮に向かいます。ここでの大きな人の背丈の何倍もある和太鼓の大きさに驚く。叩いたなら、どんな音がするのだろう?
てくてく、上諏訪に駅に向かって歩いていると、かりんちゃんバスというバス停を見つけ、バスが来るのをしばらく待って、バスに乗った、小学生がたくさんで、スクールバスのようでした。
上諏訪の駅から下諏訪の駅まで一駅、下諏訪の駅を降りて、諏訪大社下社秋宮に向かい、お参り。
旧中山道を歩きます。
諏訪大社下社春宮へ。御神籤をひくとお諏訪さまからのありがたきお諭し。
「信濃国一宮
諏訪大社おみくじ
43番 大吉
風吹けば
風吹く万ま々に
港よしと
百船千船
うらつどいつ々」
万治の仏に無病息災をお頼みしました。
下諏訪の駅から上諏訪の駅に戻る。夕方、宿に入り温泉につかり、街も近くなので、居酒屋の夕食を食べに、お酒を飲みに出かけました。入ったのは「ばんや」という居酒屋で、諏訪大社のお神酒ともあなる日本酒「真澄」を飲みながら、鹿肉や馬肉を食します。そこで、右となりにいた、日本のグラフィックデザインのくわわけでもあり、数々の居酒屋についての本も著している太田和彦さんにそっくりな人に声をかけられて、楽しくおしゃべりもしていました。山が好きだといっていたその人は、ぼくがあこがれもする太田和彦さん、その人かも知れず、諏訪大社、御柱祭、御神渡り、はてや、長野県の予防医学についてお話を聞かせていただきました。長野県の予防医学を進めた若月俊一医師は頼まれもせず、いろんな村を訪れ、予防の医学を説き、今では長野は日本一の長寿県です。そして、気候が暖かくなりここ数年は見られていない御神渡り。「御神渡り」と書いて、「おみわたり」と読みます。諏訪湖全面が凍結し、氷上に上社から下社までつづくせりあがった氷の道ができるそれを、上社の男の神さまが下社の女の神さまに会いにいったしるしだと伝わっています。ありとあらゆるところに神さまの顕現を見てきた日本人。そういえば、子どもの頃は冬はもっと寒くて、毎朝、霜柱が神奈川県でも立っていたように思い出します。あの太田和彦さんに似た人は、もう一軒、顔を出したい店があると言い置きして、出ていきました。やっぱ、太田和彦さん、その人だったのかな?
次の朝、もしかして、御神渡りが見れるのではないかと思い、諏訪湖の湖畔に行ってみましたが、神さまの逢瀬のあとは見れませんでした。けれど、湖畔を歩き、古い明治時代の建物の諏訪市美術館に入ると「上諏訪中学校+源馬菜穂 ―わたしの風景―」と題された展覧会が開かれ、そこに源馬菜穂さんの美しい御神渡りを描いた絵を見ました。とても良かった。
湖畔をてくてくと歩き、ハーモ美術館へ。アンリ・ルソー、カミーユ・ボンボア、アンドレ・ボーシャン、ルイ・ヴィヴァン、グランマ・モーゼズらの素朴派と呼ばれる人たちの絵がすばらしく、それから、グランド・ピアノが真ん中に置かれた併設のコンサート・ホールにところせましと飾られた敬虔なカソリック教徒でもあったジョルジュ・ルオーの版画に圧倒される。
そういえば、電車の中では読みかけの遠藤周作の「沈黙」を読んでおりました。帰りの列車の中で、いつか、御神渡りを見てみたいと思うのです。


このライブ・アルバムは特別なんだ。1960年代にアメリカ南部のソウルを支えたソング・ライター・コンビ、ダン・ペンとスプーナー・オールダムが1998年に再会し、U.K.とアイルランドをツアーしたそのライブ盤なのです。メンフィスのSTAXと肩を並べるアラバマの片田舎のレコーディング・スタジオ、Fameのミュージシャンである二人、ダン・ペンとスプーナー・オールダムの伝説を懐かしむではなしに、再び、美しく花が咲き誇っている幸せな時が、このアルバムを聴けば、そこにある。それらの名曲のの数々は肌や瞳の色を越えて、多くのアフリカン・アメリカンに歌われた。ぼくの胸の奥のどこかも、静かに火がついてチリチリ燃えてきたよ。


おはよー、Lennie Hibbertの"Creation"を聴いています。レニーはジャマイカのカソリック系の学校、Alpha's Boys Schoolの音楽の先生だったんだよ。不良の更生施設でもあったそこでたくさんのミュージシャンを育てたんだ。レニーの教え子からあの伝説のスカバンド、Ska-Talitesも生まれたんだよ。ロック・ステディ―のリズムにのったレニーのヴィブラフォーンの響きがとてもすがすがしく清らかで気持ちいい。
Alpha Boys School official site


こんな夢を見た。ぼくは大きな工場か学校のようなところの大きな廊下にいる。その廊下に面してたくさんの食堂がある。ぼくが着ていた緑色のコートを着ていないことに気づく。そういえば、廊下の椅子に、着ていたコートを脱いで、置いた記憶がうっすっらある。広い廊下のいろんな椅子を見てみるが、コートは見つからない。ぼくは隣にいた女の人に、ぼくの着ていた緑色のコートを知りませんかと声をかけてみる。その女の人は、わかったもんじゃないですよ、ここではいろんな人のいろんな物がなくなっているんですからねと答える。ぼくは、それはもしかしてどろぼう? とたずねてみるが、女の人は何かを隠しているかのように答えない。あの緑色のコートはお気に入りのコートだったから、ぼくはその廊下で再びコートを探し始め、食堂の中も探そうかと思案し始める。
そこで目が覚めた。夢だからコートは失くしていないと思い、安堵した。ロシア文学の原点ともいわれるニコライ・ゴーゴリの「外套」ってどんな小説だったかしら? ユーリー・ノルシュテイン監督の短編アニメーション「外套」を紹介します。
そこで目が覚めた。夢だからコートは失くしていないと思い、安堵した。ロシア文学の原点ともいわれるニコライ・ゴーゴリの「外套」ってどんな小説だったかしら? ユーリー・ノルシュテイン監督の短編アニメーション「外套」を紹介します。


こんな夢を見た。ぼくはとあるオフィスに出勤する。席に着こうとすると、ぼくの席の後ろに三枚の通知書が並べられている。一枚はこれから数か月のカレンダーらしく、あとの二枚には何かの指示が書かれているらしい。席に座ると、コンピューターのキーボードがエボニーとアイボリーが入り混じったピアノのキーボードになっている。ぼくはそのピアノのキーボードでセロニアス・モンクの「リフレクションズ」を弾き始める。なにかファンクションがピアノのキーボードの下に並んでいるので、「PF2」と書かれたキーを押してみると、自分の弾いたフレーズの一部が無限ループをし始める。それに乗せて、ぼくはアドリブを弾き始める。楽しい。静まりかえったオフィスにぼくのピアノだけが響いている。
そこで目が覚めた。目が覚めると、かけっぱなしたCD「セロニアス・アローン・イン・サン・フランシスコ」のラストの曲「リフレクションズ」がかかっていた。実際のぼくはピアノを弾けないのです。ピアノって叩けば音は出るけどね。ましてや難曲のセロニアス・モンクの曲なんてとてもとても。なんか、気持ちのいい清らかな夢でした。そして、ぼくの愛するセロニアス・モンク。
そこで目が覚めた。目が覚めると、かけっぱなしたCD「セロニアス・アローン・イン・サン・フランシスコ」のラストの曲「リフレクションズ」がかかっていた。実際のぼくはピアノを弾けないのです。ピアノって叩けば音は出るけどね。ましてや難曲のセロニアス・モンクの曲なんてとてもとても。なんか、気持ちのいい清らかな夢でした。そして、ぼくの愛するセロニアス・モンク。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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