えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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宇沢弘文さんの著した「人間の経済」を読んだ。

この本のの序に書かれているのだけど、1983年のこと、文化功労者に宇沢さんが選ばれて、宮中での記念行事に招かれ、天皇制に違和感を持ちつつ、昭和天皇を前のしてすっかり舞いあがり、しどろもどろに自分の仕事について説明をしたそうです。天皇陛下が宇沢さんにおっしゃった言葉は、その後の勇気づけになったそう。

「君! 君は経済、経済というが、つまり人間の心が大事だと、そういいたいのだね」

成田空港問題の解決に向けて力をかしてほしいと宇沢さんに言った自民党の後藤田正晴さんの言葉も興味深い。

「自民党の幹部の中に『成田の問題は国家の威信にかかわる重要な問題だ。軍隊を投入して一気に解決すべきだ』という声が高まっていて、もう防ぎきれない。危機的状況だ。今まで運輸省から言われるので、立場上、警察を成田に投入してきたが、その結果として数多くの農民を傷つけ、地域の崩壊をもたらしてしまった。警察の威信はまさに地に堕ちた。今後、成田空港の問題を社会正義にかなうかたちで解決すべく真剣な努力をしないままでは、とても立ちいかない」

一方、左翼のシンパだと思われて、中国に招かれ、中国共産党にこんな題の報告書を宇沢さんは提出したそうです。

「資本主義的な搾取には市場的限界があるが、社会主義的搾取には限界がない」

これに理解を示し、弁護した趙紫陽は天安門事件とともに失脚し、亡くなるまで自宅軟禁されることになる。

「人間の経済」をぼくは社会的共通資本をとく経済学の本というより、アメリカの理想主義の滋養されたリベラリズムと破局的な日本の敗戦がもたらした末に得ることのできたヒューマニティ、この二つのために人生を歩んできた巨人のラスト・メッセージが書かれた大切な教科書であるかのように読んだのです。




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町田市立国際版画美術館で「横尾忠則 HANGA JUNGLE」展を見た。横尾忠則の版画作品の大回顧展なのです。多種多様に時代時代でさまざまに変転しながらも、とてもイマジネイティブで、やはり横尾さんは天才であった。

感じるのは死と生のコントラストであったり、廃墟と楽園であったり、豊かに含まれる相反的、分裂的な何か。エロスとタナトス。

この前、国立新美術館で「ミュシャ展」を見たのだけど、横尾忠則も出発点はポスターであったのか。横尾さんはビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットをもっとも影響を受けたグラフィックとして称揚していたけれど、彼のポスターの方がもっと早いではないか。きっと、1960年代に江戸の浮世絵も伝承する世界でもっとも先端のサイケデリックとして、横尾忠則さんのデザインしたポスターこそが、三島由紀夫から唐十郎までを触発し、挑発した日本のカウンター・カルチャーの震源地であったのだろう。そういえば、この展覧会には展示されていなかったけれど、1970年代では、サンタナの「ロータスの伝説」やマイルス・でデイヴィスの「アガルタの凱旋」のレコードジャケットも横尾さんの作品だったのを思い出した。

数人の大学生風の女子が見に来ていて、かっこいい、かっこいいを連発していた。もしかして近くの女子美術大学の画学生さんの集団だろうか。もう半世紀前の作品もそこには含まれていて、けれども、確かに、今でもかっこいんだよね。町田市立国際版画美術館は近いし、散歩がてら、もう一回は見に来たいと思った。

横尾忠則 HANGA JUNGLE
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こんな夢を見た。ぼくは高校の卒業式に行くところ、どんな服を着て出ようかと迷い、結局、黒いズボンと茶色い襟付きのシャツを選ぶ。高校に行く途中、道で、人と出会うのだけれど、誰もが礼服に白いネクタイをしている。このような茶色のシャツでぼくはいいのだろうかと気後れを感じる。歩いて行き、小さなトンネルを抜けると、細い道になっていて、その道に高校の生物部か何かの研究発表が展示している。ぼくはおもしろいなと思い、それを眺めていると、黒い学生服を着た男子がぼくに近づいて来て、その研究発表の説明をしてくれる。この男子はぼくの後輩だろうか、頼もしいなとぼくは思う。さらにその道を歩いて行くと、ぼくはいつのまにか教室にいる。教室では最後の授業を行っている。ぼくは、また遅刻してしまったと思う。先生が話し終わり、みんさん、ごきげんよう、いつまでも健やかにというようなことを言って、教室を去って行く。この先生とも、もう会うことはないかもしれないと思うと少し寂しい。生徒たちも三々五々、教室をあとにし、その中にぼくもいる。これが最後の授業だったんだ。階段を降り、げた箱の所まで来ると、体育館を見ておきたくなり、ドアを開けると、雑草の生えた崖しかない。体育館にはどうやって行くのだろうと思案していると、どうしたんだよと誰かの声がする。ぼくは体育館を見ておきたいんだよと、おらぶように答える。

そこで目が覚めた。こういう夢はどう解釈するのだろう? むずかしいな。臨床心理学の先生ならば、もうここにくる必要もなくなったのかもしれませんよと言ってくれるところかもしれない。とするならば、長い高校生活だったね。おめでとう。
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こんな夢を見た。ぼくはツアー会社の山菜採りツアーで知らない山の中にいる。山椒を見つけ、その見つけた山椒の葉で鞄の中をいっぱいにする。山菜採りを終え、観光バスに乗り、何種類もお風呂のある大きな温泉の施設に着き、そこで湯を浴びる。ぼくの名前が呼ばれ、受付に来てくださいとの館内放送を聞く。ぼくが受付に行くと、机の上に書類が広げられ、何人かの人が並んでいる。ぼくの順番になり、家に帰る時間ですよと係の人に言われる。ふと書類を見るとぼくの名前が記され、すい臓癌の疑いありと書かれている。ぼくはシャトルバスに乗せられ、町田駅の前に着く。横浜線の列車に乗ると、その車両はがらがらで、一人の小太りのキャップをかぶった女子がいる。その女子はキャップをとり、ぼくの隣の席に移動して来て、そのキャップを取った頭は高校の野球部の選手みたく丸刈りだ。その女子は、さっき山菜採りにいましたよねと、ぼくに声をかけてくる。ぼくは、こんなにたくさん山椒が採れたよと、その女子に鞄の中を見せてあげる。あっという間に最寄り駅に着き、ぼくは女子に挨拶をし、駅に降りると、その女子もぼくについて来る。あたりを見回すと、田舎のさびれた知らない駅で、駅名を書いた看板や表札もどこにも見当たらない。そして、ぼくを乗せていた車両が駅を出て行くのだが、それは小さな一両編成の小さな黒い貨物列車であった。あんな列車に乗っていたのかとぼくは驚き、この知らない名前もない駅からどうやって帰ろうかと不安になる。

そこで目が覚めた。そうか、昔、美術館で見たポール・デルヴォーの絵に出てくる黒い蒸気機関車は死への欲動なのだと気が付いた。それは、根源がエロスであるところの生と表裏一体の何かなのだ。あの小さな黒い貨物列車はぼくの棺なのかもしれないし、メンフィスのモダン・ブルースマン、Little Junior Parkerの歌う"Mystery Train"のようなものかもしれないのです。

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鈴木邦夫さんの著した「愛国者は信用できるか」を読んだ。この人、昔はばりばりの右翼武闘派だったのは菅野完さん著した「日本会議の研究」を読んで知った。三島由紀夫や野村秋介に置いてきぼりにれれたという思いはずぶんあるようだ。鈴木邦夫さんは穏やかになりました。

右翼と左翼という言い方があるけれど、最近の横尾忠則さんのインタビューでぼくは右翼でもあり左翼でもあるというようなことを言っていて、なるほど、そうだろうなと思った。河合隼雄は魂とは何かと問われ、線引きするとなくなってしまうものと答えていた。それは、右と左を線引きすということでもあるように思える。というようなことをこの本を読みながら、つらつらと考えていた。ぼくは、日本の昔のものとか、かなり好きで、しょっちゅう神社や寺に参っていたりする。ある時、誰かがぼくに言っている声が聞こえた。

「国なんか愛せないぞ。人民なんか愛せないぞ」

するともう一人の誰かがぼくに問いかける。

「そんな人生、むなしくはないかい?」

ぼくは答える。

「むなしくても、寂しくてもそれがいいんだよ」

そんなぼくが敬意を込めて鈴木邦夫さんの言葉を引用します。

「愛国心は国民一人一人が、心の中に持っていればいい。口に出して言ったら嘘になる。また他人を批判する時の道具になるし、凶器になりやすい。だから、胸の中に秘めておくか、どうしても言う必要がある時は、小声でそっと言ったらいい」

この本には鈴木邦夫さんの日本への、天皇陛下への恋闕があるように思いました。





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こんな夢を見た。ぼくは東北に向けて旅立つ。各駅列車とバスを乗り継ぎ、旅をしている。何もないような山間に大きなほたって小屋がぽつんと建っている。中に人がいる気配がしてぼくはそのほたって小屋に入っていくと、そこにはたくさんの人たちがいて、楽しくおしゃべりしていて、その中にはもう会わなくなったぼくの友だちもいる。その友だちに何か気後れしてぼくは声をかけず、その小屋を出る。すると、そこには富士山がある。目の前に雪をかぶった雄大な富士山があり、ぼくは、東北を旅しているかと思ったら、そこは山梨だったのかと思う。あたりはやはり何もない平原で、こんなところでぼくは宿を探さないといけないなと思う。こんなところに宿はあるのだろうかと少し不安になる。

そこで目が覚めた。富士山は日本一の山で、美しく気持ちよい。ところで、夢の中のぼくに宿が見つかっただろうか? 多分、「溶岩温泉」という鄙びた宿が見つかるのです。そこで、ほったて小屋で見た古い友だちと再会するでしょう。大吉夢。
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深沢七郎の「楢山節考」を読んだ。何度目かの「楢山節考」になるだろうか。読むたびに何かを感じさせてくれる。

昔、深沢七郎さんに会いに、深沢さんが自給自足生活をしていた埼玉のラブミー農場に行ったことがある。深沢七郎さんは「楢山節考」を昔のお経か何かのような巻き物の形で出版したいと言っていた。ぼくが読んだのは新潮社文庫版で他に「月のアペニン三」、「東京のプリンスたち」、「白鳥の死」を所収。

「東京のプリンスたち」も「楢山節考」と表裏をなす名作で、同じ主題を「楢山節考」では死の側から謳ったものだとすれば、「東京のプリンスたち」は生の側から謳ったものだというような気がする。

「白鳥の死」は深沢七郎が恩義と敬意を感じていた正宗白鳥の死についての短編で、深沢さんの生と死に関する見方が色濃くあらわされた一篇で、そこで「楢山節考」の主人公のおりんにはキリストと釈迦の両方ともはいっているつもりと書かれている。そうか、「楢山節考」はお経でもあり、聖書でもあったのか。

永遠の名作です。




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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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