えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ



新宿ロフトで『一人ぼっちは絵描きになる』と題された友川カズキさんのデビュー50周年のコンサートを見ました。
ぼくは高校生だったころから友川さんのファンなのです。高校の頃、パンクロックが好きで、友川さんを初めて知った時は、一人でアコースティック・ギターをかき鳴らして、弾き語りをして、パンクロックをしている人がいるようで、とても驚きました。その友川さんとぼくが同じように年を取り、こうしてコンサートで会っていることが、当たり前のことであっても、なんだか不思議です。
今夜も詩の魂が爆発しているかのような凄いコンサートでした。バックのミュージシャンは石塚俊明さん(ドラム)、永畑雅人さん(ピアノ)、山本久土(ギター)さん、松井亜由美さん(バイオリン)の4名の方々で、その音の塊は自由に暴れまくっておりました。素晴らしいです。
石塚俊明さん、永畑雅人さん、松井亜由美さんの御三方は1970年代からの友川さんの盟友ではないかしら。そして、永畑雅人さんと松井亜由美さんはパスカルズの人で、つながった縁を感じます。
友川さんのMCはいつものように時事ネタを含み、楽しく饒舌で、少しの毒も含んだもので、韓国が大変なことになっていると言い、韓国の詩人、金芝河のことを歌った「囚われのうた」を聴くことができました。歌の始まりに詩の朗読がありました。
どうってこたあねえよ
朝鮮野郎の血を吸って咲く菊の花さ
かっぱらっていった鉄の器を溶かして鍛え上げた日本刀さ
三島由紀夫がどうのこうのとぬるい、寝ぼけたことを言ってんじゃねーよと、ぼくは言葉の石礫の一撃をくらったようなのです。そして、アンコールで石塚俊明さんのドラムスだけをバックに歌った「とどを殺すな」に世界の暗澹を思い、ぼくは涙します。


クリストファー・ボルグリ監督の『ドリーム・シナリオ』を見ました。ある平凡な大学教授の男がいろんな人の夢に現れたことから始まるシュールな物語でした。やがて人々の見る夢は悪夢となり、主人公の生活は暗転していく。ユーモアのないブラック・ユーモアにぼくは怖いような気持ちとなりました。昔は口吻による噂話、今ではネットにとびかうデマをこの悪夢は連想させもします。怖い、怖い。ラストのシーンは荘子の「胡蝶の夢」ではありますまい。
映画『ドリーム・シナリオ』オフィシャルサイト


駒場公園内にある日本近代文学館で『協力企画展 三島由紀夫生誕100年祭』を見ました。『協力企画展』となっているのは山中湖文学の森三島由紀夫文学館との協力というこであろう。来年の1月14日が三島由紀夫の誕生日で生誕から100年だそうです。それは昭和100年ということでもあります。小さな展覧会でした。
1970年11月25日に自衛隊の駐屯地で撒かれた檄文が大きなパネルとなって展示されていました。ぼくはそれを全文、読んでみましたが、その文が最後の小説である『豊饒の海』や後期の最も重要な短篇である『英霊の聲』とどう繋がっているのか分からず、むしろ、大きな矛盾のようでもあるようで、困惑してしまいます。
三島由紀夫は自決の直前に自身の展覧会を開いていて、それは「書物の河」「舞台の河」「肉体の河」「行動の河」の四つの河に分かれ、すべてが、「豊饒の海」へ流れ入るように構成となっていたそうです。小説『豊饒の海』の帰結を知っているぼくは、それが空恐ろしいようにも感じるのです。
ぼくの父は三島由紀夫の数歳、年下ですが、戦争というものを知っている世代です。その父が話していたことですが、数歳、年上の父の同僚が会社を定年で退職した時、その退社式の終わりに、いきなり、皇居の方に向かい「天皇陛下万歳」を三唱をしたそうです。三島由紀夫のような多くの市井の人もいたのでしょうか?
三島由紀夫の書いた手紙も展示されていました。その中で、ニューヨークからの手紙で、同じくニューヨークに来ていた大江健三郎と落ち合い、楽しく過ごしたことなども書かれていて、ぼくは何だか、ほっとしてしまいました。
三島由紀夫を読んだことのない人は、是非、『潮騒』か『近代能楽集』、『午後の曳航』のどれかを読んでみてください。どれも長い小説ではありません。それが面白いとなれば、最後の小説となった四冊の長篇の『豊饒の海』をお勧めします。


大手町の日経ホールで「第八十八回大手町落語会」を見ました。見た演目を記します。前座の柳亭市助くんの「まんじゅう怖い」、二つ目の柳亭信楽くんの「俺の夢」、三遊亭わん丈師匠の「壺算」、柳家権太楼師匠の「言い訳座頭」で仲入りとなりました。林家正蔵師匠の「蛸坊主」、主任は柳家さん喬師匠で「芝浜」。
古典落語の三巨匠(柳家権太楼師匠、林家正蔵師匠、柳家さん喬師匠)の揃い踏み。このお三方に、春風亭一朝師匠と五街道雲助師匠もお揃いになりますならば、などと妄想いたします。そんな落語会があろば、是非とも見てみたいと存じます。
柳家権太楼師匠の「言い訳座頭」と柳家さん喬師匠の「芝浜」の噺の時は同じ大晦日。柳家権太楼師匠は枕で柳家さん喬師匠のことをいじりたおしておりました。いわく、柳家さん喬師匠はまだお見えになっていないけど、来たら、年末なんで「芝浜」やりなよ、すると、あの人、三十分かそこらの噺を七十分やるよ、聴いている方はたまったもんじゃない、でお客さん、大爆笑。「言い訳座頭」は滑稽噺でシングルレコードならB面で、「芝浜」は人情噺でA面か。「言い訳座頭」でおおいに笑い、もっとも師走に寄席や落語会でかかることの多い「芝浜」でとてもしんみりとした年の瀬の風情を味わえ、最高でございました。「芝浜」での、とくにおしまいのおかみさんのモノローグに泣けました。
林家正蔵師匠の「蛸坊主」はとても珍しい噺で、関西の落語家の、どうして東京の落語家はこんなに持ちねたが多いのか、笑いにそんなの必要ないじゃないか、というのを聞いたことがありますが、東京の落語家は、落語は笑いと同時に、昔から伝わる文化で、それを絶やしてはいけない、と真摯に考えているのではないかしら? そこから、柳家小三治師匠の無理に笑わせようとするな、が出てくるのかもしれません。ばくは、笑えるという以外にも、落語のそこはかないほのぼのやしみじみも好きなのです。


半藤一利さんの著した『其角俳句と江戸の春』を読みました。宝井其角の俳句とそれに伴う半藤一利さんの一頁と少しのエッセイを読めば、この本からは江戸の涼しく気持ちのよい風が吹いてくるかのようですな。と同時に、ぼくは柄谷行人さんの著した『日本近代文学の起源』などを思い出してしまいます。江戸の世までは「俳諧師」と呼ばれ、明治による近代の訪れから「俳人」と呼ばれることになったのは、跳躍なのか下降なのかは、ぼくには分からぬ。正岡子規の「写生文」のことなども考えてしまう。『其角俳句と江戸の春』によれば、中国の古典、日本の古典、故事を知っていれば、さらに深読みでき、ふむふむなるほどと首肯できる句も宝井其角の俳句にはたくさんあるのだが、それよりも、ぼくは江戸の風に吹かれたいだけなのかもしれません。
其角俳句と江戸の春


渋谷のさくらホールで「沖縄のウタ拝」を見ました。「沖縄のウタ拝」とはピアノを弾く辺土名直子さんの主催する年に一回の音楽と舞踏と映像のプロジェクトなのです。そこにCoccoが舞踏で誘われ、去年、初めて見た「沖縄のウタ拝」では、すばらしい歌も披露されておりました。そして、今年も見に来たという次第。
一部と二部の約一時間づつの二部構成の、この「沖縄のウタ拝」は前半は「静」、後半は「動」といった按配で、沖縄の過去と現在の心が伝わってきて、沖縄からの未来へのメッセージが指し示され、ぼくはそのメッセージを確かに受け取ったように思われますぞ。
二部のおしまいのCoccoさんの踊りが見たことのないようなあまりに美しさで、ぼくの眼は刮目してしまう。ところが、来年は、この九年間つづいた沖縄、東京、大阪とかけめぐるこのコンサートは諸般の都合で行うことができなくなったとのこと。ぼくは、いつかの再開と再会を願わずにはおられません。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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