えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
加島美術という画廊に「小早川秋聲―無限のひろがりと寂けさと―」展を見に行く。
小早川秋聲が単に戦争画だけの日本画家でなく、戦争画がその残した多くの画業に一部であることを知るのだが、あまり広くはない画廊に小早川の最も有名な「國の盾」は飾られてあった。もとは「軍神」という題であったこの絵は、この絵の依頼主であった陸軍から受け取りを拒否され、その時は、桜舞う背景であったものが、戦後、幾度かの改作が小早川自身の筆によって加えられ、背景は垂らしこみという手法で黒く塗りつぶされ「國の盾」となったそうなのである。ある美術批評家はこれを平和を志向する戦後社会との妥協であるとし、ある美術批評家は兵士の真実に迫ろうとしてのことだという。
ぼくは小早川秋聲の画集を加島美術で買い、家でそれを見つつ、その画集の中ほどの頁に「國の盾」があって、それを、それを戦争経験者であった亡き父の部屋に置いておくことを想像してみる。父は、あの画集は何だ、あの本の中に変な絵があったな、あんな絵は父さんはもう見たくないのだよ、というのかもしれないし、いわないのかもしれない。それよりも、父はすでに奈辺のありとあらゆるところにいて、ぼくの見たものなどは、常にすでに見ているような気がした。
さて、小早川秋聲のことにもどり、小早川は戦後、大病の後、父を継ぐの僧籍に戻り、絵筆はあまりとらないようになり、観音菩薩などの仏画、富士、月、日の出、日の入りなどの絵を時々描くようになる。画業を始めたころのきらびやかさはそこになく、淡く慈しむ光が、この世も、あちらの世界もやさしく包むかのようなのだ。
小早川秋聲―無限のひろがりと寂けさと― | 加島美術
ブレイディみかこさんの著した「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」がおもしろくて、一気読みしてしまった。
みかこさんは、日本の福岡に生まれ、イギリスと日本の間に行き来するうちにアイルランド系のイギリス人と暮らすようになり、結婚し、子どももでき、今はイギリスのブライトンという町の元公営住宅地に暮らしている。元底辺中学校に通うことになった中学生になる息子をとりまくいろいろな話が十六話。一話一話がおもしろく、イギリスと日本の違うところと、それでも地続きの同じ時代の世界にいる共通なとこと、そこから透けて見えてくる日本について考えさせられ、しまいには、子どもたちの持つ希望というようなものに十六回も感動してしまった。
ときおり出てくるみかこさんとその大型トラックの運転手をしている旦那さんの会話が漫才のボケとツッコミのようにおもしろかったりして、そこに割って入り、はっとするようなことを口から漏らしていたりする中学生の「ぼく」。例えば、二つのルーツを持つ両親に生まれた子を「ハーフ」というのは差別で、「ダブル」といった方が良いらしいのだけれど、それもどこか差別であるかもしれず、中学生の「ぼく」は「ハーフ・アンド・ハーフ」でいいんじゃない、半分と半分を足したら「1」になる、などという。なるほどなぁ。もっと詳しい内容は本を読んでお知りくださいとみなさまにお勧めします。
さて、この話は今も新潮社の「波」に連在中で、続編が本となるでしょう。もちろん楽しみです。
このムービーはみかこさんぼ大好きなJohnny RottenことJohn LydonのSex Pistols解散後のバンド、Public Image Ltdです。この本のプロモーションのインターネットでのインタビューを見たら、ぼくも好きなこのバンドのTシャツを着ていた。おやすみZZZzzz.....
ブレイディみかこさんの著した「女たちのテロル」を読む。三人の女性、日本の金子文子、イングランドのエミリー・デイヴィソン、アイルランドのマーガレット・スキニダーの生涯が並走して語られるこの本を読みながら、良い方にも悪い方にも時代が変わる時、怒れる若い女たちが立ち現れるのだろうかと、思う。この三人を表すだろう言葉を、サフラジェットが19世紀の終わりから20世紀の始まりにかけてイギリスで女性参政権を求めて戦った女たちのことであるということわりをいれて、そのエミリー・デイヴィソンの最期の文章をこの本から引用します。
真のサフラジェットとは、自分自身の魂を持たんとする女性の決意を体現するものだ。
神の言葉は永遠の真実である。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の魂を失ったら、何の得があるだろう?」
そして、この理念を実現するために、もっとも進歩的なフェミニストたちは、今日、すべての犠牲を払っても徹底的に抵抗するに至ったのだ。
(Tom Robinson Bandの"Right On Sister"に出てくる"Suffragette city"とはこのことだったのか。)
Right on sister!
小林正樹監督の「東京裁判」を見ました。4時間50分にわたる長編ドキュメンタリー映画は「東京裁判」と呼ばれた極東国際軍事裁判(The International Military Tribunal for the Far East)、第二次世界大戦の敗戦の日本の戦争遂行者たちの裁判のアメリカ合衆国に残された記録映像とその裁判のは背景となる戦中のニュース映像などがさしはさまれる。4時間50分の間、眠くならずに、おもしろい。この映画は日本のみならず、世界のかけがえのない財産で、何か、世界がおかしくなり始めた時も、そうでないときも周期的にリバイバル上映してほしい。中学校や高校の視聴覚室で現代史の教材として、なにも補足説明せずに上映してほしい。反戦にして反骨の映画監督、小林正樹、偉大なり。
(ここからちょっとネタバレあります)
驚くことに、戦争犯罪人の弁護をアメリカ人の弁護士がとても真摯に熱心にしていること。ただ、それらの弁護のほとんどは、判決の時、判事たちに却下されている。ただ全員を無罪とするインドからの判事のような人もいたのだ。
28人の被告が指名されたのだが、それは、改造して作った法廷の被告席が28席しかなかったからという。その1席が空白なのは、1日目の法廷で前の席の東条英機の頭を叩いたり、泣いたり喚いたりする、民間人にしてたった一人の被告として、法廷に座らされた大川周明が、その奇行ゆえに退席させられ、精神病院に送られ、法廷にもどることを許されなかったことによる。ぼくはその時代随一の頭脳の大川周明が、まだ世界にたくさんの植民地の残るアジアやアフリカにある中、法廷で悪名高い「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」のイデオロギーを永遠と長時間ぶち、発信されるのを恐れたのかなと思う。けれども、当時の日本の軍部や政府は大川周明のそれとは違う植民地主義の他人族への抑圧の血にまみれていた。ABCD包囲網もことやら、南京虐殺のことも映画の出てくる。
裁判の終盤になり弁論席に座る姿の登場する、すべての勲章を外した陸軍の軍服姿の東条英機のふてぶてしさは、検察官や判事たちの逆鱗にふれたかのようだ。そして、マッカーサーの指示によりアメリカの主席検察官が天皇に戦争責任はないとの誘導的な証言を被告から取ろうとする。東条英機(元首相)は、その旨の証言をし、裁判は急速に結審に向かう。ちかごろの東条英機の靖国神社への合祀や天皇の参拝についてどう考えればいいのだろう? 憲法九条を擁護する梅原猛のもう一つの論、いわゆる「怨霊史観」に従えば、日本への怨みを呑んで死刑された東条英機のために東条神社を作るべきかもしれない。
こんな軍隊とかたくさん出てくる映画を見つつも、ぼくはやはり軍国主義は嫌で、それを復古しようとする人がたくさんいて、そんな人らが大きな力を握っているかのような今の日本が危うく、居心地悪く感じるよ。
映画『東京裁判』
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プロフィール
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えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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