えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

「ダブル・ファンタジー ジョンアンドヨーコ」展に行ってきました。ジョン・レノンとオノ・ヨーコとの出会いと別れまでの展覧会です。
ジョン・レノンに勝るとも劣らぬ、ぼくはオノ・ヨーコのファンなのです。昔、埼玉の美術館で見たオノ・ヨーコさんの大回顧展の感動は忘れられません。想像力を刺激される本当に今の時代を代表するぼくの大好きな芸術家だ。そんな彼女とともに歩いたロックンローラー、ジョン・レノンも大好きで、アルバムを何かあるたびに、よく聞いてしまう。
ジョン・レノンの"Starting Over"で始まり、オノ・ヨーコさんの"Hard Times Are Over"で締めくくられる、この展覧会の題名となっている"Double Fantasy"というジョンとヨーコの共作アルバムも素晴らしかった。他にもジョンとヨーコがお互いに曲をもちより、ともに歌い演奏した多分に政治的と評される"Some Time In New York City"も二人と時代の熱さがビニールのレコード盤につまっているようなかっこいいアルバムだった。
1980年のあの凶弾による事件がなければ、ジョン・レノンはその後の時代に何を歌っていたのだろう、といつも想像してしまう。
さて、2021年の2月18日まで会期の延びたこの展覧会で、ぼくのような年配者だけではなく、若い人もちらほら見かけました。ジョンとヨーコは永遠です。オノ・ヨーコさんは夢についてこんな風に言ったという。
「ひとりで見る夢は夢でしかない。しかし誰かと見る夢は現実だ」
DOUBLE FANTASY John & Yoko | ダブル・ファンタジー −ジョン&ヨーコ


秦野のひまわりヨガ道場で出会ったまーちゃん。楽しい思い出ばかりをぼくに残してくれました。舞踏や音楽、いろいろな芸術について造詣の深い人でもありました。
ある時、フランク・ザッパの演奏するラヴェルの「ボレロ」をかけながら、これ最高、とまーちゃんはぼくに教えてくれました。この「ボレロ」の音楽に合わせて、ゆうゆう大股で歩きながら、振り返りもせずに、片手をおげて、またな、と挨拶をし、笑顔で青空にかけられた階段を天まで登ってゆくまーちゃんを、昨日、ぼくは見たような気もするのです。
ある時、フランク・ザッパの演奏するラヴェルの「ボレロ」をかけながら、これ最高、とまーちゃんはぼくに教えてくれました。この「ボレロ」の音楽に合わせて、ゆうゆう大股で歩きながら、振り返りもせずに、片手をおげて、またな、と挨拶をし、笑顔で青空にかけられた階段を天まで登ってゆくまーちゃんを、昨日、ぼくは見たような気もするのです。


最近、新聞やらテレビで見るに新型コロナウィルスの感染者が増えています。すでにあの頃の2倍です。前の春に緊急事態宣言が出されたころ、ぼくはたいして自粛もせず、けれども人ごみは避けていました。あのころとは大きく異なり、世間には自粛ムードはあのころほどには、あまりありませんが、ぼくは、極端に走らずとも、自分の危険を感じるのをまず信じて、自分の判断で、右へならへをせずに、ある種の人ごみは避けた方がいいのかな、と思っています。ひ弱い自分のため、身近な人のため、新型コロナウィルスの感染者を受け入れて、日々奮闘している、医師や看護師の方々のためなのです。
伊丹十三の父であった戦前の映画監督、伊丹万作の「戦争責任者の問題」をなんとなく思い出し、読み返してみたところです。平易に書かれていながら、今でもこの伊丹万作の「戦争責任者の問題」は有効で、考えてしまいます。
伊丹万作 戦争責任者の問題 - 青空文庫
日本の季節はめぐるもので、そのうち春になるさ。
伊丹十三の父であった戦前の映画監督、伊丹万作の「戦争責任者の問題」をなんとなく思い出し、読み返してみたところです。平易に書かれていながら、今でもこの伊丹万作の「戦争責任者の問題」は有効で、考えてしまいます。
伊丹万作 戦争責任者の問題 - 青空文庫
日本の季節はめぐるもので、そのうち春になるさ。


つげ義春さんの漫画に「長八の宿」という名作があります。つげさんが西伊豆の松崎町にある日本旅館に泊まった時に、着想を得たというその旅館の予約が取れてしまって行ってきました。
漫画の中では「長八の宿 海風荘」となってるのだけど、本当の名前は「長八の宿 山光荘」です。長八というのは江戸時代後期に活躍した天才左官師、入江長八という人で松崎には入江長八の記念館や美術館があり、その美しく芸術的な漆喰細工、鏝絵を見ることができます。この山光荘にもそこかしこに長八の作品が飾られております。美しい夕焼け、なまこ壁の鄙びた町並み、飾らない素朴な人情、海のさざ波、おいしい魚料理、いい湯、この町の来るとほっとして、心がが軽やかに静まり、とても気持ちがよくなります。
つげ義春さんの「長八の宿」は舞台のみ本当の山光荘で、漫画と違って海岸から少し入った処にありあます。そして、物語や登場人物はすべて創作であるらしいのだけれども、帰りの松崎町から遠ざかる車の中で、なんだか、「長八の宿」に出てくるトヨちゃんやマリちゃん、ジッさんはどこに行ってしまったんだろう、などとぼくは思っていました。しみじみとした懐かしさと、大切なものを失ってしまったかのようなセンチメンタルな寂しさすら感じていたのでした。
漫画の中では「長八の宿 海風荘」となってるのだけど、本当の名前は「長八の宿 山光荘」です。長八というのは江戸時代後期に活躍した天才左官師、入江長八という人で松崎には入江長八の記念館や美術館があり、その美しく芸術的な漆喰細工、鏝絵を見ることができます。この山光荘にもそこかしこに長八の作品が飾られております。美しい夕焼け、なまこ壁の鄙びた町並み、飾らない素朴な人情、海のさざ波、おいしい魚料理、いい湯、この町の来るとほっとして、心がが軽やかに静まり、とても気持ちがよくなります。
つげ義春さんの「長八の宿」は舞台のみ本当の山光荘で、漫画と違って海岸から少し入った処にありあます。そして、物語や登場人物はすべて創作であるらしいのだけれども、帰りの松崎町から遠ざかる車の中で、なんだか、「長八の宿」に出てくるトヨちゃんやマリちゃん、ジッさんはどこに行ってしまったんだろう、などとぼくは思っていました。しみじみとした懐かしさと、大切なものを失ってしまったかのようなセンチメンタルな寂しさすら感じていたのでした。


日暮泰人さんの著した『ブルース百歌一望』を読了しました。
日暮さんというと日本のブルースのボスのような人で、この人がいなければ、日本でこんなにたくさんの人に、アメリカの大衆音楽、民俗音楽、民族音楽の中の一つのジャンルであるブルースが認知されなかっただろうし、聞かれなかっただろう。ぼくも大学生のころ、日暮さんらが主催する「P-Vine」というレーベルから発売されたブルースのレコードを漁り、買い、貪るように聴いていた。この『ブルース百歌一望』は、そんな日暮さんが、有名から無名までの100曲(実際は101曲)のブルースを聴きつつ、思ったり、想像したり、考えたことを一冊の本にまとまたもの。
どのようなことをブルースを聴きながら、日暮さんが思ったり、考えたりするかというと、それはブルースという音楽についての深い考察からアメリカの社会、日本の社会、歴史、人の生きざま、孤独、犯罪、希望、愛と、縦横無尽に語られているのです。例えば、この本から、ぼくはこんな日本の近代史について知ることにもなった。Luke Jordanの"Cocain Blues"を取り上げた「コカイン」の章の一部を、長くなりますが、引用します。
「1935年の国際連盟の統計によると、日本はコカインとヘロインの流通量で世界1位、モルヒネで4位とされている。第一次世界大戦に医療用に多く使われていたモルヒネのヨーロッパからの供給が途絶えたため、日本は独自に製造することになり、1916年には星製薬(SF作家、星新一の父親が創業した会社)がその製造に成功したという。日本はモルヒネを朝鮮で浸透させ多くの中毒者を生み出し、また中国ではアヘンを大量に売るようになる。コカの葉の最大供給国であるコロンビアから常に輸入して製造したという歴史があった。ドラッグで巨額の利益を出し、その資金を周辺諸国の植民地政策につぎ込むというのが戦前日本の暗い歴史の一端である」
さて、社会や麻薬、歴史のことを後にして、人のことについて歌ったブルースがやはりほとんどであったようなのだ。"Crossroad Blues"の中で「ウィリー・ブラウンに伝えてくれ」と呻くように歌ったRobert Johnsonの師匠すじにあたるWillie Brownの"Future Blues"の詞が「最期一分のブルース」の章に取り上げられている。これなんかは人生の最奥の何かが歌わているのではないかしら?
「未来のことなどわかりゃしない
過去のことは話せない
一分、一分が思えてくる
おれの最期にちがいないと
何分かが何時間のよう
何時間が何日かのよう
そうさ、何分かが何時間で
何時間が何日にも思えるのさ」
今や伝説ともいえる噺家、立川談志は「落語とは、人間の業の肯定である」といったという有名な話があるけれども、この本を読みながら、ぼくはたえず、その言葉を思い出してもいたのです。「業」には3つの意味があるそうなのです。
・仏語。人間の身・口・意によって行われる善悪の行為。
・前世の善悪の行為によって現世で受ける報い。「業が深い」「業をさらす」「業を滅する」
・理性によって制御できない心の働き。
『ブルース百歌一望』に中にも登場する"Blues impulse"、「ブルース衝動」という言葉、「業」とい言葉の3つ目の意味にぴったりなような気もする。
若いころ、ブルースという3つのコードしか出てこない、同じコード進行の繰り返す音楽を聴いて、その無限の広がりを知り、なんて自由な音楽なんだろうと思った。みんなにアメリカから海を越えてそのブルースという音楽を届ける大きな船の船長のようでもあった日暮泰人さん。
ボス、素敵な本を書いてくれて、ありがとう。


この前の夜、居酒屋で酒を飲んで家に帰ってきてお風呂に入り、テレビを付けたら、NHK-BSでローリング・ストーンズのキューバのハバナでの2016年のフリーコンサートを放映していて、日付が変わるラストまで見てしまっていた。素晴らしい演奏と120万人ものオーディエンスの一体感にとても感動する。
ステージを所狭しと駆け回るミック・ジャガーはスペイン語でMCをしていて、数年前までおれたちを聞くのって大変だったんじゃないか、本当に来れてうれしいよ、などと語りかけていて、キューバの人たちはイエーと歓声をあげていた。キューバの人たちがローリング・ストーンズのヒット曲の多くを知っていて、目の前のストーンズといっしょにコンサートで声を張り上げて歌っていたことは、別に不思議なことではない。多分、マイアミからのラジオ局からの音楽が、がんがんに入って来ているのだろう、と思う。思えば、バラク・オバマ政権下の最後の年のつかの間の春の時であった。
イギリスのロック・ミュージシャンはそこそこいいとこ出の、半分、赤い貴族みたいな人がけっこういたりする。「地の塩」という労働者階級を讃えた曲もあるローリング・ストーンズのミック・ジャガーとキース・リチャーズ、「ビコ」を歌ったピーター・ガブリエル、クラッシュのジョー・ストラマーのお父さんは世界中を飛び回る外交官だったりする。そうだ、このライブでの一番いいシーンは、おれの生涯の同志だよ、とミックがキースを紹介して、キースが「You Got The Silver」を歌い始めるところだな。
確か、1970年代の半ば頃、ストーンズのパリのライブをNHKで放映していて、三十何歳かのミック・ジャガーにステージに出る直前にフランス人がインタビューしていた。ミック、あなたも、四十歳が近いのだけれど、いつまで、腰を振ってロックンロールを歌っているんですか、と訊かれて、ミック・ジャガーは、ふざけるな、おれは死ぬまで、ロックンロールを歌う、と言って、ステージに飛び出していった。
今でも半世紀近く前のあの頃と同じく、ローリング・ストーンズはかっこいい。不滅のロックンローラーだ。
The Rolling Stones - Havana Moon - HD (2017)


昔、ここにあったらーめん屋さんによく行っていたのだけれど、いつの間にか行かなくなっていた。久しぶりに入って玉子とメンマとノリをトッピングした醤油らーめんを食べたらとても美味しい。お店が変わったのか、店長が変わったのだろうか、それとも、同じお店で味が進化したのだろうか? 雑味がなく深くしかもしつこくないスープとこしのある手打ち麺が絶品です。昔、来ていたころは醤油らーめんだけだったのだけれど、メニューも増え、味噌や塩、さがみブラックというのもある。全部の種類、食べてみたい。
Sagamihara欅
