えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

山崎晃司さんの著した『ムーン・ベアも月を見ている クマを知る、クマから学ぶ』を読みました。
山崎晃司さんはクマの保全と保護に尽力するクアの生態の研究者なのだけれど、ついさっきも人とクマの不幸な事故をニュースが報じていた。山でクマと会ったなら決して逃げてはいけないというのは、クマを研究している人ならば誰もが唱える鉄則だそうですが、野生と出会った時、人の心の動きはままならない、と山崎さん自身がおっしゃっておられます。そのような事故がすまやかにおさまり、人もクマもそれぞれに健やかに生きていける世界をぼくは願ってやみません。
さて、「ムーン・ベア」とは何だろうと問われれば、和名で「つきのわぐま」と呼ばれます。胸に下弦の月のマークをもつかわいいやつ。人気者の「クマモン」もつきのわぐまだと思うのだけれど、ほんもののつきのわぐまはもう九州にはいないらしい。悲しいね。ぼくはクマを思い、森を思い、川を思い、山を思い、日本を思い、世界を思い、そこは人間のためだけではないところだとも思うのです。山崎晃司さん、素敵な本を書いてくれて、ありがとう。
ところで、ぼくが、昔、弘法山をハイキングしていて、出会った大きな黒い野生の生きものは、猿ではなく、クマだったのかもしれん。


リタイアしたら、どう過ごそうかと、近ごろはよく考えます。したいこと。最近、始めたフライフィッシング。合気道をもっと極めたい。寄席通い。そして、旅をして、いろんなところのライブバーで弾いて、歌いたい。旅は急がず、列車でも車でもいいさ。好きなこと、楽しいことばかりで、過ぎていったら、どんなに素敵でしょう。苦あれば楽ありじゃないんだよ。楽、楽、楽!
昔、リオデジャネイロにカルトーラというサンビスタがいた。ブラジル最古のサンバ学校の作詞・作曲家であったのだが、ささいなことで、そこから離れ、流浪するような人生を歩いていた。(サンバ学校とは"Escola de samba"のことで、阿波踊りの連のようなものです。)左官をして糊口をしのぐ。レコードデビューしたのが六十歳を過ぎてからのこと。ブラジルにサンバ・リバイバル・ブームを巻き起こし、大人気に。レコードは売れに売れ、テレビにも出演し、一気に国民的歌手となり、時の大統領の会食にも呼ばれた。身寄りのないたくさんの子どもを引き取り、愛妻のジカとともに育てた。カルトーラ自身、大逆転の信じられないような素晴らしい人生だった、と述懐する。
そして、ぼくはたび重なる不運から返り咲いた、遅れてやってきたロックンローラー、ロイ・オービソンのことも思い出し、名曲「ブルー・バイユー」を口ずさむ。これは静かなる楽園の歌。
さて、終わりは始まり。おいらはどうしよう? 楽しいことしかやらないさ。もちろん、楽、楽、楽!
昔、リオデジャネイロにカルトーラというサンビスタがいた。ブラジル最古のサンバ学校の作詞・作曲家であったのだが、ささいなことで、そこから離れ、流浪するような人生を歩いていた。(サンバ学校とは"Escola de samba"のことで、阿波踊りの連のようなものです。)左官をして糊口をしのぐ。レコードデビューしたのが六十歳を過ぎてからのこと。ブラジルにサンバ・リバイバル・ブームを巻き起こし、大人気に。レコードは売れに売れ、テレビにも出演し、一気に国民的歌手となり、時の大統領の会食にも呼ばれた。身寄りのないたくさんの子どもを引き取り、愛妻のジカとともに育てた。カルトーラ自身、大逆転の信じられないような素晴らしい人生だった、と述懐する。
そして、ぼくはたび重なる不運から返り咲いた、遅れてやってきたロックンローラー、ロイ・オービソンのことも思い出し、名曲「ブルー・バイユー」を口ずさむ。これは静かなる楽園の歌。
さて、終わりは始まり。おいらはどうしよう? 楽しいことしかやらないさ。もちろん、楽、楽、楽!


また、うらたんざわ渓流釣場に行ってきた。三匹、釣れました。始めたばかりのフライフィッシングはキャッチ・アンド・リリースをむねとしているのだが、今日、釣れた一匹は、釣り針を深くまで飲み込んでいて、なんとか針をはずそうとして弱ってしまった。このまま放しても川のモクズとなりそうで切なくて、使うはずのない、けれど、買っておいたビクにいれて、家に持ち帰って、食べることにした。鱒の塩焼きはおいしい。
ぼくは日本人が食事の前に言う「いただきます」を思い出していた。「いただきます」は「いのちをいただきます」の「いただきます」だそう。時々、このことは思い出したほうがいいのさ。
もう、かなり昔のこと、井の頭公園で、友だちで集まって、焚火を燃やして、ビールやワインや食べ物をもちよってパーティーみたいなことをしたことがあった。あのころは牧歌的な時代でもあったことよ。今じゃおまわりさんがくるよね。焚火の炎って見ていて、ぜんぜん飽きないね、とみんなで同意する。そこにNON BANDのドラマーのタマガキくんもいた。誰かが焼き鳥を持ってきていた。ぼくはタマガキくんに、タマガキくんはベジタリアンとかにならないの、などと訊いた。その答えにタマガキくんは、生きものを殺して食うことはいいことだ、と言った。いただきますと言って、焼き鳥をガブリ。あの日の焚火はいつまでもおぼえているよ。
いただきます
ぼくは日本人が食事の前に言う「いただきます」を思い出していた。「いただきます」は「いのちをいただきます」の「いただきます」だそう。時々、このことは思い出したほうがいいのさ。
もう、かなり昔のこと、井の頭公園で、友だちで集まって、焚火を燃やして、ビールやワインや食べ物をもちよってパーティーみたいなことをしたことがあった。あのころは牧歌的な時代でもあったことよ。今じゃおまわりさんがくるよね。焚火の炎って見ていて、ぜんぜん飽きないね、とみんなで同意する。そこにNON BANDのドラマーのタマガキくんもいた。誰かが焼き鳥を持ってきていた。ぼくはタマガキくんに、タマガキくんはベジタリアンとかにならないの、などと訊いた。その答えにタマガキくんは、生きものを殺して食うことはいいことだ、と言った。いただきますと言って、焼き鳥をガブリ。あの日の焚火はいつまでもおぼえているよ。
いただきます


本村雅宏さんの著した『宇奈月小学校フライ教室日記 先生、釣りに行きませんか。』を読みました。およそ20年以上前、富山県黒部川の上流の小学校である先生がフライフィッシングを教え始めた、その記録の本で、子どもたちのキラキラ輝く瞳や笑顔が胸にせまってくるような読みものでした。本の帯にはこんな言葉もあります。
「富山県黒部川最上流の小学校で、とある教師がフライフィッシングの教室を開いた。身近な自然が、とたんにまぶしく輝き始めた。──いま注目の「環境教育」、時代に先駆けた9年間のリアルなドキュメント。せんせ。ほら。おさかな。つるよ。」
読みながら、何度も感動してしまいます。今、ぼくはフライフィッシングにはまりかけてもいるからね。もっと早くにフライフィッシングに出会っていれば、とも思いますが、ものごとはいつ始めてもいいんだし、ぼくの人生の中で、西の方へお日様の傾きだした今でよかったんだ。
宇奈月小学校も今はなくなり、この本の釣りに熱中した子どもたちのその後をつづった「あとがきにかえて」はちょっとほろ苦い。その「あとがきにかえて」を読みながら、ぼくはサン・テグジュペリの「星の王子さま」の有名な書き出しの一文を思い出してもいたのです。
「大人は、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」
けれども、ぼくは、フランスの偉大な小説家にして飛行機乗りのこの言葉にこう反駁したいのです。
「みんな、おぼえているよ。」


清水ハン栄治監督の『トゥルーノース』を見ました。北朝鮮の政治犯やそれに類すると当局が決めつけた人たち強制収容所をすこしだけ古っぽいアニメで描いた映画でした。
目をそむけたくなる地獄の環境の中でもヒューマニティの輝きがあって、それを描いた清水ハン栄治監督は素晴らしい。いくつもの映画賞を受賞しています。清水ハン栄治さんは横浜生まれの在日コリアンの四世だそうで、自身にとっても、とても切実な問題を深くリアルに取り上げるべく、この映画は取材に十年かかっているそうです。
一党独裁の国、この映画で描かれた国やその隣に広がる大きな国の残酷な指導者におれは疑問を投げかけたい。人権ということに関して、内政干渉ということはあるのかね?
それから、日本も入国管理局でのあいつぐ死亡が報道されていて、G7の会合などに首相は出席しているけれど、本当に日本は民主主義と人権の価値観を共有できているのかね?
ほぼ二年前の板門店での北朝鮮の金正恩国務委員長、米国のトランプ大統領、韓国の文在寅大統領の三者会談って何だったのかね?
この『トゥルーノース』にこそ真実の欠片はあって、世界中で見られるべき映画だと思います。
映画『トゥルーノース』公式サイト


スパイク・リー監督の『アメリカン・ユートピア』を見ました。デイヴィッド・バーンの2018年の最新アルバム「アメリカン・ユートピア」を基にした70歳まじかの白髪のデイヴィッド・バーン自身が11人ものミュージシャンたちと歌い、演奏し、踊るブロードウェイのミュージカルをそのまま、スパイク・リーがキャプチャした映画。
デイヴィッド・バーン、元気です。
なぜ、スパイク・リー監督なのかな、と疑問にも思って見てるいると、映画のラストの方で、その疑問も氷解しました。二人には熱い連帯があります。それは見てのお楽しみ。
デイヴィッド・バーンというとポストパンクの名バンド、Talking Heads。セカンドアルバムの"More Songs"とサードアルバムの"Fear of Music"は高校生のころ、よく聴いておりました。ライブの映画「ストップ・メイキング・センス」が評判のころ、デイヴィッドは、ぼくが演じているのはニューヨークの良き共和党員なんだよ、などと言っていて、しゃれのきつい人だな、とぼくは思っていたっけ。
この『アメリカン・ユートピア』で一番かっこいいのは、それまで、歌えや、踊れで、演奏していなかったバーンがギターを手渡されて、"I Zimbra"を鋭すぎるカッティングで弾き始めるところかな。ニューヨークの薄汚れたライブハウス、CBGBで演奏するTalking Headsって、どんなだったのだろう? ティナ・ウェイマスのベース、最高で大好きでした。けれど、再結成とかして欲しくはないよ。それよか、この「アメリカン・ユートピア」のミュージカルの客席に笑いながらティナとジェリー・ハリスン、クリス・フランツの三人がいて欲しい、などと思っていたのです。
映画『アメリカン・ユートピア』公式サイト


フライフィッシングの初心者セットを買い、うらたんざわ渓流釣場に行って、フライフィッシングをしてみました。うらたんざわ渓流釣場は、山道の車でしか行けないようなところで、それはそれは辺鄙なところで、自然の景観も美しく、人もがやがやしてなくて、とてもいいところでした。
写真は初めの一匹で、その後、アタリはあるのだけど、釣れません。もともとは釣れなくてもいいや、という気持ちで釣行に出かけたのですが、始めてしまうと、狩猟本能が目覚めます。
釣りをしている時は、魚のことを思っていて、仕事とか会社とか社会とかの人生のつまらないことを考えていなくて、これはストレスフリーだと実感します。
難しいといわれているフライラインをロッドで振って、虫に似せた小さな疑似餌を投げ飛ばすのも、それなりに慣れてきました。鱒がライズしてフライ食いつこうとするシーンを何度も見てしまい、あっ、と小さく声をあげているぼくがおり、ふと向こう岸を見ると、同じくフライフィッシングをしている女子が、入れ食い状態的に、何度も釣りあげて、さもこなれた手つきでランディングネットで魚を取り込み、そして、リリースしています。かっこいいなぁ。
ぼくが釣竿を携えて渓谷や山中のフィールドに出るのもそう遠い未来ではないはず。
うらたんざわ渓流釣場 【公式サイト】
