えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
半藤一利さん、加藤陽子さん、保坂正康さんの鼎談を収めた『太平洋戦争の道 1931-1941』を読みました。『太平洋戦争の道』の太平洋戦争前の歴史の批評、語りを読むことは、何だか戦争に傾いていっているのではないかと、訝われる今の時代のぼくにとっての悪魔祓いのようなことでもあるような気がし、ぼくは何ごとかを話しつづけ、歌い続けます。そう、日本がこれからもずっと戦後であることを願ってやみません。半藤一利さん、加藤陽子さんはファンで何冊も本を読んでいるのだけれども、残された人生、後の世代、子どもたちのためにも、この悪魔祓いはやめないのです。
若松英輔さんの著した『悲しみのなかの真実 石牟礼道子 苦海浄土』を読みました。NHK、Eテレの番組「100分で名著」を本にしたものなのです。
この本を読みながら、石牟礼道子さんの『苦海浄土』を再読したくなったのはいうまでもない。ぼくは石牟礼さんこそは日本人で三番目のノーベル文学賞に相応しいと思っていたのだけれど、石牟礼さんは逝ってしまい、もうこの世界にはおらず、けれど、今も空の上か地の底の方で、言葉をもたない人、ありとあらゆる生きものになりかわり、悲しく愛おしい言葉を歌うように綴っていることでしょう。
ふと、ちかごろの異常気象、世界中が「苦海」のようでもあるような気もしてくる。けれども、水俣は想像を絶する苦しみであったことを『苦海浄土』を読むと、感ぜられ、そこに一筋の光も見えてくると思い、読んだことのない人は、ぜひ、石牟礼道子さんの『苦海浄土』を、『椿の海の記』を読んでみてください。
そして、水俣病は、その補償をめぐっていまだ裁判の続く患者たちの戦いは、今も終わっていない。
この本を読みながら、石牟礼道子さんの『苦海浄土』を再読したくなったのはいうまでもない。ぼくは石牟礼さんこそは日本人で三番目のノーベル文学賞に相応しいと思っていたのだけれど、石牟礼さんは逝ってしまい、もうこの世界にはおらず、けれど、今も空の上か地の底の方で、言葉をもたない人、ありとあらゆる生きものになりかわり、悲しく愛おしい言葉を歌うように綴っていることでしょう。
ふと、ちかごろの異常気象、世界中が「苦海」のようでもあるような気もしてくる。けれども、水俣は想像を絶する苦しみであったことを『苦海浄土』を読むと、感ぜられ、そこに一筋の光も見えてくると思い、読んだことのない人は、ぜひ、石牟礼道子さんの『苦海浄土』を、『椿の海の記』を読んでみてください。
そして、水俣病は、その補償をめぐっていまだ裁判の続く患者たちの戦いは、今も終わっていない。
オレール監督のアニメーション映画『ジュゼップ 戦場の画家』を見ました。
第二次世界大戦下、スペインから難民としてフランスに逃れた画家ジュゼップ・バルトリの生涯をいくつかのエピソードで切り取った詩的な映画はアニメーションというより、何かとても動く絵画的な映画でした。その絵画の動きも、それほどダイナミックには動かず、昔、テレビ朝日で放映されていた『まんが日本昔ばなし』を思い出してしまった。
物語が始まるのは第二次大戦の時で、当時、ヨーロッパにはヒットラーのドイツ、ムッソリーニのイタリア、フランコのスペインという全体主義、独裁の国歌があり、これを嫌い、バルセロナからフランスに逃れて来た、画家が主人公で、その難民収容所でも、フランスの憲兵たちから、共産主義のアカと罵られて、虐待される。その画家、ジュセップと、一人の良心を持った憲兵、セルジュとのちょっと不思議な友情がセルジュの語りによって描かれていました。
ぼくが一番好きなシーンは、難民収容所の脱走に成功したらしく、メキシコに渡ったジュセップがフリーダ・カーロに誘惑されるところ。若くしてメキシコの民族を代表するとも呼ばれた大画家フリーダは、ジュセップにこんなことを語りかける。
「あなたの絵はどうして線ばかりなの? 世界をよく見てみなさい。線でできているものなんか、ひとつもないのよ。世界は形と色のせめぎ合いで成り立っている。それが描けたら、あなたはもっと凄い画家になれるわ」
このセリフを聞いて、ぼくはなぜか、鳥肌立っていた。
ジュセップはフリーダの誘惑にあっさり降伏したらしいけれど、生涯、線で描くことはやまなかった。その引っ搔き傷のような線は、戦争で見た悪夢を退散させ、悪魔祓いをするために何度も引き裂いた引っ搔き傷ではなかったのではあるまいか。戦争の悪夢の悪魔祓い師、ジュゼップ・バルトリは死後、世紀をまたぐ戦争のやまない二十一世紀にまた発見された。
映画『ジュゼップ 戦場の画家』公式サイト
日本語で詩を書くアメリカのミシガン生まれの詩人、アーサー・ビナードさんが著し、編集した、第二次世界大戦の経験者からの語り聞きの『知らなかった、ぼくらの戦争』を読了しました。アーサー・ビナードさんは日本やアメリカのいろんな人の戦争の実体験を聞き、その感想を書いておられます。
今日は令和3年の8月15日、日本が第二次世界大戦で敗戦した日で、死者たちの戻って来るという盂蘭盆会。『知らなかった、ぼくらの戦争』を読みながら、ぼくの父は、日本の中国での傀儡国家、満州国で敗戦を迎え、敗戦後の数年間をシベリアで抑留し、日本に帰国するという、経験を持つのに、それについては何も語り、教えてくれることはなかったことを思い出す。何も語らずに逝ってしまった父のことを、ぼくは少し狡いと、いつも思ってしまう。そんな父の語らなかった言葉を聞きたくて、『知らなかった、ぼくらの戦争』のような本を読んでいるともいえます。
たくさんの市井の人が体験した戦争について語っておられ、この本に収められています。その中にはちらほらと有名な方の言葉もあって、最後の章でスタジオ・ジブリの高畑勲さんが語っておられ、加害者としての戦争は描けていない、いつかそれを描きたいと言っておられます。この『知らなかった、ぼくらの戦争』に治めれているのは日本人とアメリカ人の言葉しかありません。自らを一等国民などと称して、特別視して、抑圧者であった日本や日本人のことを、東南アジアや中国の人たちはどう思っていたのでしょうか? その問いでこの本は締めくくられているようにも思う。
唯一の生き延びる道だという「戦後づくり」ということについてのアーサー・ビナードさんの後書きの一部を引用して、ぼくはこの感想文を締めくくります。
アメリカの詩人、エドナ・セントビンセント・ミレーは一九四〇年に「平和」をこう定義づけた。
「平和とは、どこかで進行している戦争を知らずにいられる、つかの間の優雅な無知だ」―
ミレーは一九五〇年のこの世を去ってしまったが、もし彼女が日本の「戦後」に触れていたなら、定義の時間軸をもっと長くして「つかの間」はやめて、ただ「優雅な無知」と表現したのかもしれない。
いや、単なる「優雅な無知」だったら、七十年はつづかないだろう。
たとえ「優雅な無知」ですごしている人たちが比較的多くても、中にはあの戦争を背負って後始末しながら日々、「平和」を生み出している人がいる。その営みがあって「戦後」という日本語は、現在も意味をなしているのじゃないか。
昨日、うらたんざわ渓流釣場から家路への天気雨の中、車を運転していて、ちょうど小倉橋のところのインターチェンジで圏央道に入ろうとしたところで、大きくて奇麗な虹を見たんだ。相模原の台地にかかった大きな虹。相模原って悪いことも起こって、相模原の市民ってまとまりがなくて、けれども、大丈夫だ、っていうサインとか、大げさかもしれないけれど、啓示のように思えました。あんな美しい虹は初めて見たよ。
(運転中だったので写真はありません。)
(運転中だったので写真はありません。)
山田洋次監督の『キネマの神様』を見ました。おもしろかった。
舞台は2019年と2020年の古い老舗のフィルム上映の映画館。沢田研二さんの演ずる競馬で借金をし、酒浸りなだめなおじいさん、ゴウが松竹の大船の映画撮影所で助監督をしていたころの青春時代を回想するところから始まります。
沢田研二さんは新型コロナウィルス由来の肺炎で亡くなってしまった親友の志村けんさんの代役で、セリフとか、いかにも志村けんさん向けに書かれていたのだけれども、ジュリーのだめおじいさんとして、見事に演じきっております。すばらしい。ジュリーは年をとっても、太っても、なんかかっこいいなぁ。
回想シーンの1950年ごろだと思われる大船撮影所の空気が戦後の日本の青春という感じで、とても素敵です。この回想シーンは小津安二郎へのオマージュとなっており、撮影している映画は「東京物語」ではなく「東京の物語」。
小津安二郎らしき監督を演じているのはリリー・フランキーで自然な名演技なのです。若き日のゴウを菅田将暉くんが演じ、その恋人の淑子を永野芽郁さんがなんともかわいらしい。みんな、あのころのウブで夢も希望もはっきりと見れていた、そんな日本人になりきり、演じきっている。
そんななか、特に出色なのは銀幕女優、桂園子を演じる北川景子さん。北川景子さんの演じる女優が、小津映画の伝説の名女優、原節子に見えてきます。
そして、ゴウが若き日に書いた脚本と折り重なるかのように訪れる終幕の映画の魔法、マジック! とっても楽しめました。
映画『キネマの神様』公式サイト
東京都現代美術館に『GNKYO 横尾忠則』展を見ました。横尾さん自身がプロデュースした大展覧会を見ながら、横尾忠則さんはかっこいいと思い、横尾さんの絵画に内包されているエネルギーに圧倒されていました。ポスターから絵画へ、今でも、枯れることなく、ぼくが思うに奇想の人、横尾忠則さんはグラフィックというか、具象の二次元の表現の圧倒的なアバンギャルドだと思う。描き続けてきた三叉路や滝の絵のシリーズも面白い。近年の「寒山拾得」(中国唐の時代の高僧、寒山と拾得のこと。文殊菩薩もんじゅぼさつ、普賢菩薩ふげんぼさつの生まれ変わりといわれる。二人とも奇行が多く、詩人としても有名で、禅画の画題としてよく用いられている)の絵は横尾さんの人生の今の到達点でもあるかのようだ。図録を買ったのだけれど、それに横尾さんのインタビューが掲載されていて、近ごろでは自分の人生はもう残り少ないと感じておられて、描いても、描かなくても、毎日アトリエに行くそうだ。百歳を越えても、もちろん、描き続けてください。
併設されていた『Journals 日々、記す』展もおもしろかった。この『Journals 日々、記す』展の照屋勇賢さんのマクドナルドの包装紙を切り抜いて、ニューヨークのマディソンアベニューの実際に生えている樹木を造形したいくつもの作品を見ていたら、感動して、鳥肌が立ってきていた。これらは照屋さんによれば「高校生の時に授業で聞いた「どんぐりには樫の木の記憶が入っている」というアリストテレスの自然哲学を思い出し紙袋の中で眠っている森を呼び覚ましてやろう、と考えた」ということだそうです。これらは二十一世紀のアクチュアルで、未来すらも呼び覚ます概念の具象だとも思いました。
GENKYO 横尾忠則 [原郷から幻境へ、そして現況は?]
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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