えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
映画『Ryuichi Sakamoto: Diaries』を見て、坂本龍一さんの口述筆記で著した本『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』は買ってあって、積読になっていて、読んでいないままになってきたのを思い出し、読みました。面白くてほぼ一気読みです。口述筆記の坂本さんの人生を語った前著の『音楽は自由にする』が2009年の発売で、それ以降の自身の人生が語られております。『音楽は自由にする』も読んでみたくなりました。
目まぐるしくいくつも手がけた音楽の仕事以外に、病気のこと、死生観や、政治や社会に対する見方なども語られていて、とても興味深い。坂本さんが、最近は、普通のポップ・ミュージックから離れて、そのフィールドを映画の音楽やアートのインスタレーション(空間表現)の背景もしくは前景となる音楽、現代音楽、前衛音楽の方に広げていたこと知りました。東京都現代美術館の『坂本龍一 音を視る 時を聴く』をみそびれてしまったことが悔やまれます。
『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』のためにインタビューした鈴木正文さんの「あとがき」が秀逸にして、その交友も生々しくも記され、素晴らしい。その中で坂本龍一さんと東北ユースオーケストラに関するところでは目頭が熱くなりました。人生は無常で有限です。坂本龍一の音楽よ、永遠に。
『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』 坂本龍一
久慈悟郎監督の『ペリリュー 楽園のゲルニカ』を見ました。前の大戦での日本軍の悲惨な玉砕を扱ったアニメーションです。三等身のキャラクター以外は、リアルです。残酷なシーンもこの一見、かわいいキャラクターによって、見ていられるのかもしれません。原作は11巻にもなる武田一義さんの連載漫画で脚本も武田さんが書いておられます。前半、惨敗する日本軍が描かれ、後半になって、物語は動き始めますが、ネタバレになるので、ここでは、それがどのようなものなのかは述べません。
日本の映画でこれほど、戦争での戦闘の惨たらしさを描い映画をぼくが知らないのはどうしてでしょう? 『ペリリュー』の戦闘シーンはスティーヴン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』を思い起こさせます。戦闘を描けなかったことには、何か意識にものぼらない抑圧が日本人にはあるのかもしれません。などと書いていると、大岡昇平の小説の『野火』を映画化している市川崑監督や塚本晋也監督を思い出しました。あるのですな。
日本軍の戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」の悪しき呪いの言葉のことを考えてしまいます。『俘虜記』を書いた大岡昇平は、日本芸術院会員に選ばれた時に、自身が戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」に反し、フィリピンで捕虜になった経験から「国家からの栄誉は受けられない」と芸術院会員を辞退しました。そこには戦争を引き起こした国家への何とも表現しづらい拒否感もあったでしょう。そのような大岡昇平をぼくは正しいと思う。
閑話休題、『ペリリュー 楽園のゲルニカ』は戦争を描いたいくつかの名作に名を連ねられることとなるでしょう。そして、この映画を愛子内親王殿下もご覧になられたそうなのです。若い人もそれなり映画館でお見かけしました。希望の一筋です。
映画『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』公式サイト
VODで成瀬巳喜男監督の『浮雲』を見ました。1955年の映画です。原作は林芙美子の最後の名作。小津安二郎は「俺にできないシャシンは溝口(健二)の『祇園の姉妹』と成瀬の『浮雲』だけだ」と語っていたそうです。
戦後の大スター、高峰秀子が主演をし、戦中に植民地で出会った男、森雅之の演ずる富岡兼吾と戦後も不倫関係を続ける幸田ゆき子を演じております。幸田ゆき子の運命は一貫して下降線をたどり、見ていてつらくもなります。岡田茉莉子さんが薄幸な末路となる富岡の若いもう一人の不倫相手のおせいを演じていて、なるほど、明るいけれど、、はかなくも散ってしまい、印象的。森雅之の演じた富岡を見ながら、太宰治ってこんな男だったのかも、と思ってしまいました。
森雅之の富岡兼吾も、高峰秀子の幸田ゆき子も病的な自罰傾向にして、自滅的で、ぼくはそこに横たわる日本の惨めな敗戦を見てしまう。この『浮雲』は、1955年の当時、大ヒットして、キネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位、監督賞、主演女優賞、主演男優賞となった問題作にして、日本人の敗戦と戦後の悲劇がとりついたかのような異様な傑作だ、と思いました。
横浜の中華街で軽く食べ、飲みをした後、YOKOHAMA BUNTAIで"45th ANNIVERSARY TOUR MOTOHARU SANO AND THE COYOTE BAND"とタイトルされたコンサートを見ました。佐野元春さん、デヴュー45周年は、今のバンド、THE COYOTE BAND結成、20周年だそうです。45周年の音楽生活で、今もコンサートツアーをし、新しい楽曲を書き、新しいアルバムを発表し、ロックンロールを転がし続けています。かっこいい。
今夜のコンサートも新旧の楽曲をごちゃ混ぜにしたセットリストで、佐野元春さん自身もMCで言っていたのだけれど、決してノスタルジーにはならない、今を生きる音楽で素晴らしかったのです。音楽も素晴らしければ、生の演奏とシンクロするバックの巨大スクリーンに映される映像も素晴らしく、その相乗により、今の混迷する時代と世界を撃つメッセージもビシビシと伝わってきて、感動しました。
ところで、余談ではありますが、佐野元春のコンサートの後は、無性にイギリスのフロイト派の精神科医、R. D. レインの詩を読みたくなるんです。どうしてだろう。佐野元春さんはインタビューで自分のことを「ぼくみたいなはぐれもの」と言っていたのを思い出し、ぼくもぼく自身がそうだと共感してしまいます。
Keep on Rockin' forever!
錦糸町のすみだトリフォニーホールで『ケルティック・クリスマス2025』とタイトルされたコンサートを見ました。なんか『ケルティック・クリスマス』には毎年、来ています。今年の出演者です。
(シャロン・シャノンのグループの3人)
シャロン・シャノン(アコーディオン)
ジム・マレー(ギター)
キリアン・シャロン(バンジョー)
リアム・オ・メンリィ(ヴォーカル、ピアノ、ボーラン)
(ザ・ステップクルー・トップ3の3人)
キャラ・バトラー(アイリッシュ・ダンス)
ジョン・ピラツキ(オタワヴァレー・ステップ・ダンス、フィドル)
ネイサン・ピラツキ(オタワヴァレー・ステップ・ダンス)
ダン・ステイシー(オタワヴァレー・ステップ・ダンス、フィドル)
ポール・ブレイディ(ヴォーカル、ギター)
クレア・サンズ(ヴォーカル、フィドル、ギター)
みんな入れ代わり立ち代わり、歌ったり、演奏してくれたり、踊ってくれたりして楽しい。
踊りは超絶で、もしかしてこれがタップダンスの元祖だろうか?
リアム・オ・メンリィさんやポール・ブレイディさんの歌を聞いていると、そのメリスマ、独特のコブシにヴァン・モリソンを思い出す。そうか、これはアフリカン・アメリカンのソウルと並ぶアイルランドのソウル、ケルティック・ソウルに違いない。かっこいい。
リアム・オ・メンリィさんの容貌はジム・モリソンやガース・ハドソンのようだ。このような姿、顔の人の音楽はいいに決まっている。バンドがセッションのようになり、リアム・オ・メンリィさんはボブ・マーレイの"I Shot the Sheriff"を歌い始める。アイルランドの人びとも、ジャマイカの人びとも大英帝国から死ぬほど抑圧され、苦しめられた、そのような人たちなのであった。そのリアム・オ・メンリィさんは伝統を大切にするシンガーで、英語ではなく、古来からのアイルランドの言葉、ゲール語でも歌ってくれて、まるでケルトの聖なる何かが降り立つかのようでもあったのです。
シャロン・シャノンさんのアコーディオンはボタンだけのコンサーティーナみたいな楽器で、その少ないボタンを駆使して、どこまでもパワフルに飛んでいって、素晴しい。
今年も楽しい『ケルティック・クリスマス』でありました。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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