えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
こんな夢を見た。ぼくはどこかのライブ・ハウスのオープン・マイクで弾き語りをする。そのオープン・マイクの後、出演した人たちと数軒、飲みに行き、酔っぱらい、ある友人の家に数人で泊めてもらうことにする。夜通し、その友人宅でみんなとおしゃべりをしている。その友人が、もう朝の五時だから、みなさん、家に帰る時間だよと告げる。そうか、ぼくはもう帰ろうと思い、帰ろうとするのだが、ぼくの持って来たギターの入っているバッグが見当たらない。友人にぼくのギターのバッグは見なかったかと尋ねると、あの部屋の隅に立てかけけてあるのがそうではないかと友人は答える。見知らぬ昔風の合皮製のギター・バッグがそこにはあり、中身を覗いてみると、ぼくが、今、欲しいフェンダー社製のテレキャスター・シン・ラインが入っている。これではなくて、ぼくの持って来たギターはハーモニーのパーラー・ギターかヤマハのダイナミック・ギターなのだ。ぼくはギターを失くしてしまったと思うと同時に、今、ぼくのいるところは夢の中なのなだから、夢から覚めればいいんだと思う。
そこで目が覚めた。目が覚めたら、やはりぼくはギターを失くしてはおらず、ぼくの部屋のギター・スタンドにそのギターは立てかけてあった。こういう夢、自分が夢を見ていることに気づく夢を明晰夢と呼ぶらしいのだが、ぼくはしばしば見てしまう。ぼくは荘子の有名な「胡蝶の夢」の話を思い出してしまう。ウィキペディアにあったその訳文です。
「以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か私にはわからない。荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである」
中国には「邯鄲の枕」という話もあるらしい。同じくウィキペディアから引用します。
「趙の時代に「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮揚がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った」
夢をとても神聖なものだと考え、夢に理想を叶える力があると信じるマーレー半島のセマイ族の三つの教えです。
「・夢では恐怖や困難に打ち勝つ事・夢の中ではいつも快楽を選択する事・夢では確かな結果を出す事」
Life is a dream time? 目覚めはするのですが、ぼくはまだ夢の操縦士にはなれていないようです。
そこで目が覚めた。目が覚めたら、やはりぼくはギターを失くしてはおらず、ぼくの部屋のギター・スタンドにそのギターは立てかけてあった。こういう夢、自分が夢を見ていることに気づく夢を明晰夢と呼ぶらしいのだが、ぼくはしばしば見てしまう。ぼくは荘子の有名な「胡蝶の夢」の話を思い出してしまう。ウィキペディアにあったその訳文です。
「以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か私にはわからない。荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである」
中国には「邯鄲の枕」という話もあるらしい。同じくウィキペディアから引用します。
「趙の時代に「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮揚がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った」
夢をとても神聖なものだと考え、夢に理想を叶える力があると信じるマーレー半島のセマイ族の三つの教えです。
「・夢では恐怖や困難に打ち勝つ事・夢の中ではいつも快楽を選択する事・夢では確かな結果を出す事」
Life is a dream time? 目覚めはするのですが、ぼくはまだ夢の操縦士にはなれていないようです。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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