えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
コーネル・デュプリーは「テキサスの荒くれギタリスト」との異名を持っているけれど、アルバム「Rolling Coconut Revue Japan Concert 1977 STUFF」を聴いて、本当にコーネルは「荒くれギタリスト」なんだと思った。1977年、「The Sea`s Must Live」をスローガンとした海の地球環境保全のためのベネフィットコンサートにSTUFFのメンバー、Gordon Edwards、Cornell Dupree、Richard Tee、Chris Parkerの4人がやってきていた。Eric Gale、Steve Gaddの2人は、スケジュールが合わなかったらしく、来なかったけれど、4人の演奏はすばらしく、Cornell Dupreeのささくれだったブルージーなギターが、ニューソウルから始まってフュージョンと呼ばれたインスト演奏に、響き渡って、ものすごくかっこいい。
ところで、この「Rolling Coconut Revue」、中村とうようのニュー・ミュージック・マガジンから思想的なところで批判されていたな。乱暴ないいかたをすれば、確か、今時、カリフォルニアのラブ・アンド・ピースに対する違和感というか、ローリング・ココナッツ・レビューには何とも言えぬ奇妙なイヤらしさを覚えた、とまで書かれていた。確かに4日間にわたって多数のミュージシャンの出演するコンサートのメッセージはほとんど届いていなかったらしいのだけれど、9年後に世界的に商業捕鯨は禁止されたのだった。ぼくは今、毎月WWF(世界自然保護基金)に少額だけれど、寄付をしているのだけれど。
やっぱこの4人組のSTUFFのこのコンサートの演奏は見たかったな。
ぼくはRoy Orbisonの歌と歌声がたまらなく大好きだ。このライブ・アルバム"BLACK & WHITE NIGHT"が収録された1988年9月30日の夜は、多分、Royの人生の中でもっとも華やかなハイライトだったのだろうと思う。1960年代の前半に数々のヒットを連発し、その後、人生の大きな悲劇に見舞われ、沈潜していたRoy。そして、この復活コンサートでまったくの健在ぶりを示し、それから、George Harrisonからの誘いでTraveling Wilburysを結成し、そのアルバムはグラミー賞も受賞する。その音楽人生の中で、つかの間の二度目の春を迎え、あっさりと、手を振り、空の向こうに旅立ってしまった。まるで、Roy自身の歌のように。
この"BLACK & WHITE NIGHT"、いっしょに演奏しているメンバーもすごい。Jackson Browne、Elvis Costello、T-Bone Burnett、J.D. Souther、Jennifer Warnes、k.d. lang、Bonnie Raitt、Bruce Springsteen、Tom Waits。残さたムービーを見ると、みんな、とても楽しそう。つづいていく失恋の歌の中で、その時間がなぜか至福のひと時になるのです。
このライブ・アルバムは特別なんだ。1960年代にアメリカ南部のソウルを支えたソング・ライター・コンビ、ダン・ペンとスプーナー・オールダムが1998年に再会し、U.K.とアイルランドをツアーしたそのライブ盤なのです。メンフィスのSTAXと肩を並べるアラバマの片田舎のレコーディング・スタジオ、Fameのミュージシャンである二人、ダン・ペンとスプーナー・オールダムの伝説を懐かしむではなしに、再び、美しく花が咲き誇っている幸せな時が、このアルバムを聴けば、そこにある。それらの名曲のの数々は肌や瞳の色を越えて、多くのアフリカン・アメリカンに歌われた。ぼくの胸の奥のどこかも、静かに火がついてチリチリ燃えてきたよ。
おはよー、こんなの聴いています。一度だけサン・ラは日本をツアーしたこことがあって、ぼくもそれを渋谷のクアトロで目撃したのだったけれど、このアルバム"Sun Ra Arkectra Live At Pi-Inn Tokyo, Japan, 8,8,1988"は同ツアーの新宿ピットインでの記録なのです。
これは忘れられない旅の記録のようなんもので、思い出して聴いてしまい、聴くと思い出してしまいます。ぼくの見たクアトロでの夜は、二部構成で、一部と二部の間で、控室からミュージシャンたちの奇声の気勢を上げる声が聞こえたり、演奏の途中で楽器を持たない男が舞台の袖から出てきて、ヨガのポーズをし始めたりした。ラストの大円団での全楽団員がダンスをしながら客席を練り歩く。会場には難しいジャズ・ファン、フリー・ミュージック好きのインテリ、ロック好きな人、パンクロッカー、ヒッピーみたいな人、仕事帰りのサラリーマン、いろんな人が詰めかけていた。そして、来日中のライオネル・ハンプトンの姿もあったのです。
ぼくはこのアルバムの中のラストを飾る子守唄かのような"Interstellar Lo-Way"が大好きなんだ。スピーカーから流れる音楽を聴きながら目をつぶり、星影の散歩に出かけてくるよ。
日本にぼくの大好きなベース・プレイヤーが二人いて、一人は細野晴臣さん、もう一人は松永孝義さん。細野さんは日本のロックの黎明期から活躍している、日本のポップス音楽の世界でもっとも重要な人で、松永孝義さんはあの伝説のレゲエ・インストュルメンタル・バンドの後期のベーシストをかわきりに、ありとあらゆる人たちの音楽をベースという目立たないようでもっとも重要なパートで支え続けた人。その松永孝義さんは2011年に急折してしまうのだけれど、彼が残した唯一のリーダ・アルバム"Main Man"のメンバーによるライブ演奏のアルバムが三回忌ということで発売され、聴いています。
この音楽の芯の太さを感じながら、なんとも楽しくゆったりした時間に身と心をゆだねてしまう、心地よいひと時が過ぎていきます。ラストのナンバーの後、ぼくは心の中でアンコールと叫んでしまう。One More Time. すると、空の向こうからメイン・マンの低弦の音が響きわたる。すると、誰かの呼ばわるような声も聞こえた。OK! メイン・マンは笑顔で答える。バッチシ最高!!
山口冨士夫もチャー坊こと柴田和志もいない今、まさしく伝説となった村八分のライブなのだけど、このアルバム「村八分 Underground Tapes 1979 京大西部講堂」は一瞬の再結成をとらえて、めちゃくちゃかっこいい。そのひとときの再結成の村八分こそ、やつらの憧れでもあったRolling Stonesの域に、本当に足を踏み入れたその時でもあった。本当に渋くディープな日本語でのブルーズ・ロックが演奏されているのです。
はみだしものはならずものの足跡を残し、もうここにはいない。そのことが不思議に感じれもし、今、戦前のような日本が始まってしまっていることに気づいてしまう。「くたびれて」の歌が胸に入り込みながら、見あきた風景がまだだらだらとつづいていって、さらに悪くなるようで、暗澹たるへどが出そうだぜ。一縷の望みは村八分と放送すらできないバンド名を名のったロックン・ロール・バンドが日本にいたということなのよ。「くたびれて」の詞です。おやずみZZZzzz.....
歩いても
歩いても
はてどなく
はてどなく
握りしめた手のひらはあせばかり
あせばかり
歩いては
立ち止まり
目を閉じて
振りかえる
心にしまった宝は 寂しさばかり
歩いては
草臥れて
振りかえり
草臥れて
握りしめた手のひらは 草臥れて
草臥れて
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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