えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

東京国際映画祭で小津安二郎監督の『秋刀魚の味』と『秋日和』を見ました。
小津の映画の中のセリフって、なかなかユーモアがあるなと思います。観客に何度も笑いのさざなみが起こります。
『秋日和』での岡田茉莉子さんが物語を作る重要な役を演じています。『晩春』、『麦秋』、『東京物語』での名女優、杉村春子のような役です。ある時の宴席で岡田茉莉子さんは、小津安二郎に監督にとっての四番バッターは誰ですかと聞いたそうです。小津は杉村春子だよと答えたそうですが、照れ屋の小津安二郎は岡田さんに杉村春子を見習いなさいと伝えたかったのかもしれません。
『秋刀魚の味』も『秋日和』もついには胸にしみじみときますな。両方とも外国人のお客さんも多い。気がつけば外国の人が眼を真っ赤にして、『秋刀魚の味』では、映画の終盤、いろんなところからすすり泣きが聞こえておりました。




『大人の遠足BOOK駅からウォーキング関東』をたよりに町田の芹が谷公園や恩田川を散歩しました。すっかり秋日和です。
途中で寄った町田市立国際版画美術館での『揚州周延 明治を描きつくした浮世絵師』について書かねばなるまい。小津安二郎の映画の中の赤いケトルみたいな赤が、はっと目を引くような奇麗さです。川瀬巴水、伊東深水らの他の明治以降の絵師以前の柄谷行人さん曰く(個我と外界が切り離され、風景は移ろいゆき過ぎ去っていく、そのような)「風景を発見する」前の絵師だという気がしました。揚州周延にとって明治は江戸の近くのそこにあったようなのです。
散歩をしながらの俳句が浮かびました。お恥ずかしながら披露いたします。
空に溶け少しが残る鰯雲
柿の実の歩道に落ちし痕ありき
秋の午後バトミントンの羽根の飛ぶ


下北沢のラカーニャでMitch Greenhillのライブを見ました。Mitch Greenhillはぼくもよく知らなかったのだけれど、ボストンのフォークシーンのレジェンド。彼の小さな歌たちが慈雨のようにぼくの心に沁みました。
Mitchのオリジナル曲は穏やかに瞑想的で美しい。しかし、ここで、ぼくは、同じくらいの重要なMitchが今晩、カバーして取り上げたミュージシャンをあげてみる。
Mississippi John Hurt
Greatfull Dead
Peter, Paul and Mary
Skip James
Rosalie Sorrels
Willie Dixon
Bob Dylan
Billie Holiday
Rolling Stones
Barbecue Bob
Blind Boy Fuller
Dellmore Brothers
George Gershwin
Doc Watson
Mitchのお父さんは、音楽プロデュースの会社を経営していて、Mitchは、子どものころSkip Jamesらブルーズマンが家に遊びに来て、ギターを弾き、歌うを歌うのを生で聴いたそうだ。素晴らしいぼく好みのラインナップです。ありがとう。特にBillie Holidayの"God Bless the Child"は爆撃にあっているガザの子どもたちのことを思い、目頭が熱くなる。
今回のコンサートはプライベートで日本に来る予定(いわゆる観光旅行)のMitchに音楽事務所、いわゆる伝説的な呼び屋「トムズキャビン」の麻田浩さんが知古であったMitch Greenhillに声をかけて実現したそう。だから、回数は少なく、東京と金沢だけ。
Mitchさん、日本旅行を存分に楽しんでください。


東京国際映画祭で小津安二郎監督の『非常線の女』を見ました。
なんと、1933年の無声映画にライブのジャズ演奏付きです。ジャズ演奏をバックにした小津の無声映画がこれまた、ひとつひとつの画面割り、映像がスタイリッシュでかっこい。もちろん、ロウポジションのカメラなど後の小津調の萌芽があり、そのモンタージュは独特のものがあります。そう、30年早すぎたヌーベルバーグのようです。マイルス・デイヴィスが音楽を担当したルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』のようです。
娘むすめした若かりし田中絹代を初めて見ました。コケティッシュにかわいらしい。1930年代の東京という舞台にも驚く。こんなモダンな街だったのか。そして、田中絹代の恋の敵役の水久保澄子という今は忘れ去られた、どこか陰のある女優がなんとも魅力的。何度か自殺未遂を企てた彼女は、フィリピン人の結婚詐欺の事件というのあり、終戦の混乱期から行方不明ということだそう。
小津安二郎は戦前、戦中、戦後の時代の激変をどう見ていたのだろう? その答えは映画の中のどこかにあると思うのです。


東京国際映画祭で小津安二郎監督の『父ありき』を見ました。
戦中の映画でこの『父ありき』ではすでに小津調の要素、ローポジションのカメラや家族の別れの劇などは、出そろっていたことになんだかぼくは感心したりします。
公開時は94分ある映画だったのだけれど、戦後、GHQの検閲によって87分の版しか残されていなかったのを、1990年代のペレストロイカ時にロシアで発見されたフィルムをもとに、カットされた部分も可能な限りデジタル修復した今年の92分の版が上映された。その新たに修正・追加されたところに、宴会で武運長久を祈る「正気歌」(「死しては忠義の鬼となり、極天皇基を護らん」という詩)を詩吟する場面とラスト・シーンに「海ゆかば」の音声が加わり、映画は今までの版とはまったく違う印象を残す。
この映画の公開は1942年で、直接の戦争のシーンは出さずとも、戦時と戦争を、まったく戦意の高揚しない暗鬱な形で表現していて、圧巻の「序破急」の「急」であります。『父ありき』の「海ゆかば」は笠智衆演ずる父の沈鬱な鎮魂歌となり、さらに、佐野周二演ずる結婚したばかりの子の暗い未来や敗戦という暗い日本の未来も予感するかのようなのだ。小津安二郎、恐るべし。


