えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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国立能楽堂へ狂言・和泉流「岩橋」と能・金剛流「雪」を見に行きました。

狂言を見るたびに、これは落語のルーツかと思ってしまう。「岩橋」でも、落語の与太郎みたいな無粋ものの夫が出てきて和歌が覚えられなく、やっと覚えて、新婚の妻に詠むと、という話。

能の「雪」についてはプログラムから「あらすじ」を引用したい。

 諸国一見の旅僧が摂津国(現在の大阪府)の天王寺を訪れる途中、野田の里に通りかかると、突然大雪が降り始めます。晴れるのを待っていると、雪中から美しい女人が現れ、己の迷いを晴らしてほしいと僧に頼みます。
 女人の正体は雪の精でした。雪の精は月光の下でたおやかな舞を舞い、夜明けとともに姿を消します。

美しいのう。美しい日本人の死生観、自然観だと思う。劇と舞い、音曲がすべておしまいになり、何もかも去り、鏡板の松の絵のみ残されております。余情、余韻。
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新宿末廣亭に落語を聴きに行きました。昼の部に団体客が半分近く占めて、噺家さんたち、それを狙ったのか、今日は古典落語がちと少なかったような気がして、ちと悔しい。ぼくが寄席に来るのは、横丁の長屋のあの愛すべきはっつぁん、くまさん、与太郎に会いに行くということもあるのです。けれども、古今亭寿輔師匠の咄す新作「英語会話」に爆笑し、主任の桂幸丸師匠の昭和歌謡を題材にした漫談が笑いながら何か懐かしくしんみり。じじぃのおいらは昭和のあの頃は良かったと思うのでした。
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田中眞澄さんの著した『小津安二郎と戦争』を読了した。東京国際映画祭でたくさん小津安二郎の映画を見た時、有楽町の映画館の近くの三省堂書店で買ったものです。

この本の中に「小津安二郎陣中日誌」というのがあり、145頁から227頁までの長さ。表紙には「禁公開 例えば僕が戦死してもこの日記の内容を公表しまたは記載することは堅くお断り下さい。どうか僕をジャナリズムの敗残兵にしないでくれ」とある。その「小津安二郎陣中日誌」の153頁から179頁までが中国国民党もしくは中国共産党の抗日ビラ、日本人への宣撫ビラの写しなのだ。これは軍規への重大な違反かもしれず、その書き写した文の数はおびただしい数におよび、収集していたともいえる。そんようなものを収集していた小津安二郎は何を考え、何を思っていたのだろうか? もしかして、白兵戦や捕虜の殺害を目のあたりにした、そのような兵士としての戦争の中で、正気を保つためのことではなかったか?

この「小津安二郎陣中日誌」には撮るべき戦争を題材にしての映画のためのシナリオのメモのようのものがあるのだが、小津や戦争映画は終生、撮らなかった。いや、ぼくは撮らなかったのではなく、撮れなかったのだと思う。けれども、小津安二郎はその家族劇の中で多くの戦争に関する言及を残した。最後の映画『秋刀魚の味』では以下のようなセリフのやりとりがある。

「艦長、なんで日本は戦争に負けたのでしょうね」
「負けてよかったじゃないか」
「そうかもしれねえな。バカな野郎がいばらなくなっただけでもね」

その「泉」というバーでのシーンにたくさんの無念の戦死者の声が響いているような気がした。バー「泉」は「黄泉」なのかもしれない。

ぼくは、小津安二郎が、戦争を撮らずとも、もっとも戦争について映画の中で語った映画監督であると思う。







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『大人の遠足BOOK 駅からウォーキング関東』の「二宮尊徳ゆかりの地と酒匂川」をたよりに散歩。




これは桜か、これは朝顔か、季節はずれの狂い咲きだろうか、という景色に出くわす。地球環境の温暖化は本当のことかもしれない。今、十一月。

小田原市尊徳記念館を見学した。二宮尊徳は偉人だと思う。なぜ、紙幣の肖像にならないのかと思っていたら、記念館には終戦後のGHQ下で短い期間に紙幣の肖像となっていたのを展示していた。二十年ぐらい前、記念館は訪れたことがあったのだけれども、その時と同じ人がところどころで解説してくれる。その人も確か、二十年前と同じ。ぼくもその解説してくれた人も二十年の齢を重ねた。見学者はぼく一人で、ぼくのような人間ではなく、この二宮尊徳という人を、若い人にもっと知って欲しいとも思う。

尊徳記念館の向かいにある「エプーゼ」という喫茶店でコーヒーを飲み、パウンドケーキを食べ、とてもおいしい。店内の雰囲気もいい。「エプーゼ」が近所にあれば週に一回は通ってしまいそうな、何か素敵なところだった。
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狛江のAdd 9thに濱口祐自さんのギターを聴きに行きました。この荒んだ出口すら見えないような暗い世界の中で、濱口さんのギターの響きは岩清水のようさらさらと湧くかのようで、そのきれいな水が心に染みます。心地よかったです。
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今、イスラエル(ネタニヤフ極右政権)が行っている病院や難民キャンプを爆撃してたくさんの子どもたちを殺しているのは鬼畜の所業ではあるまいか? しかもライフラインを停止し、民族浄化のようなことをしている。それを面白がって喜んでいるイスラエル人もいるという。絶望。

高橋真樹さんの著した『ぼくの村は壁で囲まれた―パレスチナに生きる子どもたち』を読んでみる。読み進めるのがつらくなる。世界の人たちの見て見ぬふりがこんなことをまねいた。壁はなくなれ!

Stop genocide in Gaza!






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東京国際映画祭で小津安二郎監督の『東京暮色』と『彼岸花』を見ました。

『東京暮色』は小津安二郎のもう一つのいつもとは少し違う、『東京物語』が明ならば、『東京暮色』は暗として相並ぶ並ぶ暗く重い名画だと思う。別れ別れとなり偶然に再会した親子を演じた山田五十鈴と有馬稲子さんに胸をつぶされました。批評家に酷評され興行成績もたちいかなかったそうだけれど、今『東京暮色』を見て、ぼくは震撼してしまう。

これはぼくの想像だけれど、小津監督は(役の中で)ネコちゃん(有馬稲子さんの愛称)を殺しちゃったよ、悪いことしたな、と言って、次回作の『彼岸花』を撮ったのではなかろうか? 小津安二郎は(百回撮り直しがあろうとも)スタッフや役者にはやさしい人だったそうだ。

『彼岸花』は『東京暮色』と違い、軽みも楽しさもある作品で主演は有馬稲子さんで、その分からず屋の父を演じたのは佐分利信。佐分利信の分からず屋具合が度を越していて滑稽で笑えてしまう。

『彼岸花』のラストのクラス会のシーンで笠智衆が詩吟するシーンがあるのだけれど、英語の字幕を見て、その詩吟が楠木正成の忠君の歌であるのを知った。このクラス会のシーンに登場する父たちは、戦場に行き、生きのびて帰国した男たちで、静かに戦場で死んだ朋輩を思って詩吟を聞いている。『彼岸花』は戦争が終わり十三年目の映画なのだった。もう一つ聞き逃せないセリフも別のシーンにある。妻の田中絹代が戦時を懐かしみ、あの頃が一番、家族が一体で生きている感じがよかった、と言われ、佐分利信の演じる夫は、おれは嫌だね、あの時代に戻るのは、つまらない奴がいばっていて、と答える。

いかんせん、東京国際映画祭も終わり、ぼくの小津安二郎映画祭も一旦はおしまいです。小津安二郎の映画って同じ人がいつも同じように出てくる。そんなスクリーンの中の父や母、娘、娘の友だち、親戚、飲み屋の仲居さん、会社の同僚、バーのママ、いろんな人たちとしばしの別れが、なんだか寂しい。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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