えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

小田幸子さんが監修し、スペースオフィスのお二人が執筆しマンガを描いた『マンガでわかる能・狂言』を読みました。読んでしまったころ、スペースオフィスのお二人、時松はるなさんとかめうみさんがこの本を国立能楽堂で売っていたのだと気付きました。とても解りやすく能と狂言について書かれており、しかも、いろいろな能・狂言のあらすじも書かれていて、マンガも美しく、楽しい。
能や狂言には、日本人が何を大切に思い、何を信じて生きてきたかも表されていると、何度か能楽の舞台を見て、ぼくは思います。ふと、この世界に誇れる芸術がこれからも末永く続いていくように、若い人にも、実際に各地の能楽堂に足をはこんで能楽を知ってほしいと、ぼくは願ってやみません。
マンガでわかる能・狂言


国立能楽堂に能楽を見に行きました。
見た狂言は和泉流『梟山伏』。梟の巣を取り除いてしまい、梟に取り憑かれた人なかろではなく、加持祈祷する僧侶も取り憑かれてしまう滑稽話。
能は観世流『巴』。木曽義仲につかえた女武士、巴御前が添い遂げられなかった悲しさを語る。プレトークとして、観世流のシテ方の安藤貴康さんの能とはどのようなものなのかの解説付き。能とは神仏への捧げ物であるのは、松の描かれた舞台の鏡板から、やさしく解きおこしていただけました。能は深くて、いいなぁ。後シテの登場の詠じた言葉がとても印象的だったので記しておきます。
「落花空しきを知る。流水心無うして自ずから。澄める心。たらちねの罪も報いも因果の苦しみ。今は浮かまん御法の功力に。草木国土も成仏なれば。況んや生ある直道の弔ひ。かれこれ何れも頼もしや頼もしや。あらありがたや」








香港のアナスタシア・チャン監督の『燈火(ネオン)は消えず』を見ました。ノスタルジーこそぼくの心を動かす、そんな齢になっている自分を再び発見するかのような映画です。しかも、後半には小津安二郎の映画のような展開になり、ぼくは驚いてしまいます。あるものがなくなっていくのは何て寂しいことでしょう。付き加えるに、このネオンというのは、民主主義のメタファーであるかもしれないとぼくは思ってしまう。自由な香港もネオンが消えるように消えた。なんだか涙が出てくる。
映画『燈火(ネオン)は消えず』公式サイト
