えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
DRY&HEAVYでボーカルを取っていたLikkle MaiのDRY&HEAVY脱退後から3枚目のソロアルバム"mairation"を聴いています。Likkle Maiが何曲かボーカルを取っているDRY&HEAVYの"FULL CONTACT"は良くきいていたっけ。そのころの友だちのリキタケくんが入った代々木公園でのフリー・ライブは良かったなぁ。リキタケくんのレゲエのストイックなギターはぼくは大ファンだったのだ。その後、重鎮ベースのHEAVY、リキタケくん、Likkleらが抜けてDRY&HEAVYはどうなったんだ? わしゃ、よく知らん。
"mairation"はとある立川のバーの開店前に録音機材を持ち込んで、ベーシック・トラックを録ったという。なるほど、手作りっぽい温かみのあるいい音じゃ。しかも重心はしっかりしておる。DRY&HEAVY在籍時は想像つかんことだったが、Likkleは多くの歌を日本語で歌っている。なんとも、かわいらしい声で歌っているんだが、これが、紫煙ただようクラブにあつまる人たちに向けてというより、立川の町のスーパーで買い物をしている普通のおじさん、おばさん、にいちゃんやねーちゃんに向けてのような歌なのだ。しかも、メッセージ・ソングばかりなのだが、この目線の低さがいいなぁ。
「あー 雲が流れても やなぎの木は揺れるだけ
あー 夕闇迫っても やなぎの木は揺れるだけ
My Willow Tree 風に乗って 心旅立つ 思いのまま
My Willow Tree 力抜いて 瞳を閉じて 無為自然に」
と歌われる"Willow Tree"が、控えめな表現の中で、何故か、まぎれもないラスタ賛歌に聞こえてしまう。
この前、農業を始めた友だちからその彼らの畑を見せてもらった時、ふと、かなり昔に、小説「楢山節考」を著した深沢七郎さんのラブミー農場を訪問した時のことを思い出した。埼玉のなだらかな半田舎にあるそこで深沢さんといろんな話をした。
深沢さんはぼくに訊いたのだと思う。
「小説なんて読むの?」
「はい、読みますけど」
「お、こわい。で、どんな小説家を読むの」
「まず、深沢さん。それに中上健次とか谷崎潤一郎とか武田泰淳とか三島由紀夫が好きです」
「中上健次の「枯木灘」はいいねー。谷崎潤一郎はいいねー。武田泰淳は東洋大学にいたなー。三島はいいけどよ、最後は変な風になっちまいやがってよ」
武田泰淳は東洋大学で中国文学の先生をしていたのだっけ。三島由紀夫について語る時は、にがにがしいというより、残念そうな感じだった。
深沢さんは音楽のことを訊いてきた。
「音楽なんて好きなの?」
「ええ、最近、友川かずきが好きです」
「この前、友川はここに来て、畑の草、抜いていったよ。友川はいいんだけどよ、あの難しいような詞は、歌っていうより文学って感じじゃないか? おれはエルビス・プレスリーみたいな、好きだの、惚れたの、恋だの、なんだのって歌っているのが好きよ。ああいう簡単なのが歌っていうんじゃないかね? あっ、そうだ、ロッド・スティワート、聴く?」
そう言って、深沢さんはロッド・スティワートのレコードをかけてくれた。ラブミー農場のラブミーはエルビス・プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」から来ているらしい。
ぼくは深沢さんに少しミーハー的なことを訊いてみた。
「クマさんとか来るんですか?」
「クマはよ、最近、テレビとかに出て、偉そうなこと言ってやがるから、破門にしてやった。ハハハ」
と笑う。クマさんとは最近でも北野武のテレビ番組「たけしの誰でもピカソ」に出演している鉄のゲージツ家クマさんのこと。なんか、クマさんって深沢さんの魂を一番継いでいるなぁとふと思う。破門された時は寂しかっただろうなー。
ぼくとぼくと一緒に来た友だちと二人で畑の草取りをした。草取りとは雑草取りのことです。夕方、深沢さんの作ってくれたカレーライスがおいしかった。
深沢さんが見たという戦争未亡人の遺品か何かの話をしてくれた。深沢さんが見たというものは、ある大きな紙に戦死した夫の命日とその日からの毎年が書かれていて、毎年毎年の一年毎にその未亡人の自分の陰毛がテープか何かで止められているものだったそうだ。
「あれには感動したよ」
深沢さんは独言のように言った。
「今度は一人一人別々に来な」
と深沢さんは別れ際に言った。帰路、一緒に来た友だちこう訊かれた。
「どう思った?」
「人嫌いの変人のおじいさんって感じでしたね」
その数年後に深沢さんは逝ってしまった。
などと思い出し、ネット・サーフィンしていると、深沢さんの、雑誌に掲載されて以来、ある事件によって、決して書籍にはならなかった発行禁止のような「風流夢譚」が読めるページを発見した。あぁ、こんな小説だったのか? その他の深沢七郎の小説やエッセイも再読したくなった。
「風流夢譚」の読めるページ
http://azure2004.sakura.ne.jp/s_hukazawa/huryumutan.htm
クマさんのページ
http://www.kuma-3.com/
深沢さんはぼくに訊いたのだと思う。
「小説なんて読むの?」
「はい、読みますけど」
「お、こわい。で、どんな小説家を読むの」
「まず、深沢さん。それに中上健次とか谷崎潤一郎とか武田泰淳とか三島由紀夫が好きです」
「中上健次の「枯木灘」はいいねー。谷崎潤一郎はいいねー。武田泰淳は東洋大学にいたなー。三島はいいけどよ、最後は変な風になっちまいやがってよ」
武田泰淳は東洋大学で中国文学の先生をしていたのだっけ。三島由紀夫について語る時は、にがにがしいというより、残念そうな感じだった。
深沢さんは音楽のことを訊いてきた。
「音楽なんて好きなの?」
「ええ、最近、友川かずきが好きです」
「この前、友川はここに来て、畑の草、抜いていったよ。友川はいいんだけどよ、あの難しいような詞は、歌っていうより文学って感じじゃないか? おれはエルビス・プレスリーみたいな、好きだの、惚れたの、恋だの、なんだのって歌っているのが好きよ。ああいう簡単なのが歌っていうんじゃないかね? あっ、そうだ、ロッド・スティワート、聴く?」
そう言って、深沢さんはロッド・スティワートのレコードをかけてくれた。ラブミー農場のラブミーはエルビス・プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」から来ているらしい。
ぼくは深沢さんに少しミーハー的なことを訊いてみた。
「クマさんとか来るんですか?」
「クマはよ、最近、テレビとかに出て、偉そうなこと言ってやがるから、破門にしてやった。ハハハ」
と笑う。クマさんとは最近でも北野武のテレビ番組「たけしの誰でもピカソ」に出演している鉄のゲージツ家クマさんのこと。なんか、クマさんって深沢さんの魂を一番継いでいるなぁとふと思う。破門された時は寂しかっただろうなー。
ぼくとぼくと一緒に来た友だちと二人で畑の草取りをした。草取りとは雑草取りのことです。夕方、深沢さんの作ってくれたカレーライスがおいしかった。
深沢さんが見たという戦争未亡人の遺品か何かの話をしてくれた。深沢さんが見たというものは、ある大きな紙に戦死した夫の命日とその日からの毎年が書かれていて、毎年毎年の一年毎にその未亡人の自分の陰毛がテープか何かで止められているものだったそうだ。
「あれには感動したよ」
深沢さんは独言のように言った。
「今度は一人一人別々に来な」
と深沢さんは別れ際に言った。帰路、一緒に来た友だちこう訊かれた。
「どう思った?」
「人嫌いの変人のおじいさんって感じでしたね」
その数年後に深沢さんは逝ってしまった。
などと思い出し、ネット・サーフィンしていると、深沢さんの、雑誌に掲載されて以来、ある事件によって、決して書籍にはならなかった発行禁止のような「風流夢譚」が読めるページを発見した。あぁ、こんな小説だったのか? その他の深沢七郎の小説やエッセイも再読したくなった。
「風流夢譚」の読めるページ
http://azure2004.sakura.ne.jp/s_hukazawa/huryumutan.htm
クマさんのページ
http://www.kuma-3.com/
最近、久しぶりにEXCELのVBAで家にいながらプログラミングをしている。こんなことをやっていると、よくもまぁ、長い間、こんな仕事を続けてきたものだと思う。始めてしまったことは、なかなかやめられないというのは、ぼくの性分なんだが、例えば、車もめったに乗り換えない。
コンサートに行ったり、展覧会で絵を見たり、居酒屋でお酒を飲んだり、温泉に入ったり、知らない町をぶらついたり、歌を歌ったり、ギターを弾いたり、コースでゴルフをしたり、自転車で遠くまで行ったり、それらのぼくの好きなことは、ぼくにエモーショナルな感動を与えてくれるけれど、プログラミングすることには、そういう感動はあまり感じなくなってしまった。大切な誰かのためにソフトウェアを作っているのだったら、できあがった時に、エモーショナルな感動もあるだろうなぁ。
プログラミングというのは棋士が将棋を指すことに似ている。将棋盤ではなく、プログラマーはディスプレイを見ながら、自分が組んだソース・コードがどう振舞うかを考え続けている。そういやって、作られたシステムが銀行のATMで、携帯の中で、CDプレイヤーの中でなど、生活のありとあらゆる場所で使われているのを人はあまり意識しない。
プログラミングしていると、個人事業主という生き方もあるかもしれないとふと思う。けれど、ありとあらゆるところで使われているコンピュータ・システムだけど、初めてそれらを作ること、プログラミングすることが、ふと退屈に思えてしまった。それは、この前、ある農業を始めた友だちに案内されて、色んな野菜が育つ畑の中をたたずんだからかもしれない。土と太陽と水が野菜を育てていて、それはまさしく恵みだと思った。
失業状態からいつ脱するのだろうか? 今日も不採用通知が届いていたなぁ。まっ、おれは大丈夫か。
コンサートに行ったり、展覧会で絵を見たり、居酒屋でお酒を飲んだり、温泉に入ったり、知らない町をぶらついたり、歌を歌ったり、ギターを弾いたり、コースでゴルフをしたり、自転車で遠くまで行ったり、それらのぼくの好きなことは、ぼくにエモーショナルな感動を与えてくれるけれど、プログラミングすることには、そういう感動はあまり感じなくなってしまった。大切な誰かのためにソフトウェアを作っているのだったら、できあがった時に、エモーショナルな感動もあるだろうなぁ。
プログラミングというのは棋士が将棋を指すことに似ている。将棋盤ではなく、プログラマーはディスプレイを見ながら、自分が組んだソース・コードがどう振舞うかを考え続けている。そういやって、作られたシステムが銀行のATMで、携帯の中で、CDプレイヤーの中でなど、生活のありとあらゆる場所で使われているのを人はあまり意識しない。
プログラミングしていると、個人事業主という生き方もあるかもしれないとふと思う。けれど、ありとあらゆるところで使われているコンピュータ・システムだけど、初めてそれらを作ること、プログラミングすることが、ふと退屈に思えてしまった。それは、この前、ある農業を始めた友だちに案内されて、色んな野菜が育つ畑の中をたたずんだからかもしれない。土と太陽と水が野菜を育てていて、それはまさしく恵みだと思った。
失業状態からいつ脱するのだろうか? 今日も不採用通知が届いていたなぁ。まっ、おれは大丈夫か。
こんな夢を見た。というより、夢の中でこんな男に出会った。それは白人のアメリカ人で、なにやら、あの娘をだれにも渡したくないんだよと、何度も何度もぼくに語りかける。なんか、変な人だなぁとぼくは、少しだけ抗議の意味も込めて、その人に言ってしまう。うるさいなぁ、あなた、いったい何なんですか? あなた、いったい、誰なんですか? 彼は答える。おれはジョー・ディマジオってものだよ。ぼくは、びっくりし、へっ? 目が覚めた。
目が覚めて、今ごろ、空の上の遠い国では、ジョーとマリリン・モンローことノーマ・ジーンが20歳のころの若さに戻り、なんの痛みも辛さもない、永遠と続くかのようなお花畑をそぞろ歩きしているのだろうか? と思った。
目が覚めて、今ごろ、空の上の遠い国では、ジョーとマリリン・モンローことノーマ・ジーンが20歳のころの若さに戻り、なんの痛みも辛さもない、永遠と続くかのようなお花畑をそぞろ歩きしているのだろうか? と思った。
この前の渋谷のオーチャード・ホールでのライブを見て、昔、テレビのCMで流れていたRy Cooderの曲が聞きたくなった。そのCMというのは小説家の片岡義男がナレーションなぞをやっていて、かっこつけた感じがいやみだとも思っていた。その後、片岡義男の小説ではなく、ロックやジャズについて書いたエッセイを読んで、とてもおもしろく、ファンになるのだけど、当時はなんか、片岡義男も西海岸のロック文化もかったるい感じで、少し避けていたのだね。年月とともにぼくも変わったのかな?
そのCMで流れていたのは"Big City"という曲らしい。アルバム"Slide Area"の日本で発売されたレコードにのみ入っていた曲で、再発売されているどの"Slide Area"にも収録されなくなった。で、幻の一曲というわけだよ。最近、再発された"Slide Area"にもこの曲は入っていない。
その"Big City"の詞の中の"You got money, honey, I got time"というフレーズがぼくの頭の中のどこかにいつも引っかかっていたのを思い出したのだ。そしてそれをYouTubeで見つけてしまう。聴いてみてください。やっぱ、かっこいいよ。ああ、けれどレコードかCDで音源が欲しい。
ライクーダー BIG CITY
http://www.youtube.com/watch?v=ueKLSLyMJoA
You got money, honey, I got time.
そのCMで流れていたのは"Big City"という曲らしい。アルバム"Slide Area"の日本で発売されたレコードにのみ入っていた曲で、再発売されているどの"Slide Area"にも収録されなくなった。で、幻の一曲というわけだよ。最近、再発された"Slide Area"にもこの曲は入っていない。
その"Big City"の詞の中の"You got money, honey, I got time"というフレーズがぼくの頭の中のどこかにいつも引っかかっていたのを思い出したのだ。そしてそれをYouTubeで見つけてしまう。聴いてみてください。やっぱ、かっこいいよ。ああ、けれどレコードかCDで音源が欲しい。
ライクーダー BIG CITY
http://www.youtube.com/watch?v=ueKLSLyMJoA
You got money, honey, I got time.
ライ・クーダー(ギター&ボーカル)とニック・ロウ(ベース&ボーカル)のライブを見に、渋谷のオーチャード・ホールに行ってきた。ライとニックの他にライの息子のヨアキム・クーダーがドラムスで、そのヨアキムの嫁ともう一人の女性がコーラスに入る。黒いジーンズに地味めな赤いアロハ・シャツみたいな服のライと、同じく黒いジーンズに黒いシャツのニックは、普段の日常の延長のような感じで、ふらっと渋谷のコンサート・ホールに立ち寄り、好きに演奏していったというような感じ。その自由さが何とも良かった。おれはこんなにギターを弾くのが好きだし、ベースを弾くのが好きだし、もっと歌うのが好きなんだよみたいな二人なのだった。根っからの音楽人って感じなんです。いいなぁ。
最近、ライ・クーダーってやっぱ凄いと思い直している。なんせ、ならずものやはみだしもの、日のあたらない人たちの歌ばかりを、そんなカバーや自作曲を歌いつづけて、40年近くなるのだから、柔和な顔に秘められてはいるけれど、ロックが本来持っていた反骨の魂そのもののようだとも思う。それにギタリストとしてのライ・クーダーを聴けば、ギターという楽器の持つ可能性と多様性をありとあらゆる形で引き出そうとしているではないか。ボーカルも朴訥だけど、やさしい声でガーンと歌う。
相手をするニック・ロウはイギリスの伊達な不良の音楽バカでクール。かっこいい。
みかけはやさしそうだけど、二人ともかっこいい本物の不良だ。しかも、すげーかっちょいい音楽を奏でるときやがる。
最近、ライ・クーダーってやっぱ凄いと思い直している。なんせ、ならずものやはみだしもの、日のあたらない人たちの歌ばかりを、そんなカバーや自作曲を歌いつづけて、40年近くなるのだから、柔和な顔に秘められてはいるけれど、ロックが本来持っていた反骨の魂そのもののようだとも思う。それにギタリストとしてのライ・クーダーを聴けば、ギターという楽器の持つ可能性と多様性をありとあらゆる形で引き出そうとしているではないか。ボーカルも朴訥だけど、やさしい声でガーンと歌う。
相手をするニック・ロウはイギリスの伊達な不良の音楽バカでクール。かっこいい。
みかけはやさしそうだけど、二人ともかっこいい本物の不良だ。しかも、すげーかっちょいい音楽を奏でるときやがる。