えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
インド独立の偉人、ガンディーについての本を読んだ。中島岳志著の「ガンディーからの<問い> 君は「欲望」を捨てられるか」という本です。
ぼくは実は欲望を捨てることについてはさしたる興味もないが、非暴力だの植民地からの英国の奴隷状態からのインド独立だのというキーワードから語られるガンディーには、何か惹かれるものがあって、読み進めたのです。この本はガンディーのことを知るための入門編みたいな本で、ガンディーの異性に関するスキャンダルについても書かれている。
なにごとも神格化は歪んでいるなと思いながら、ガンディーについても神格化は良くないとも思う。「塩の行進」のこととか、ガンディーが言葉を超えた実践と行動の人であることを知る。ガンディーの子どもは、ぐれて、奥さんには寂しい思いをさせてというような話を読み、聖人というより、インド愛国のお父さんというようなガンディーであったのだった。けれど、ガンディーは単なるしゃべるだけのベロヤではなく、口より実践と行動の人だったと納得した。独立運動として、自分たち生きていくには欠かせない塩ぐらいは、英国の植民地政府ではなく、自分たちの手で作ろうと、彼はそれを訴えるために独りで塩の行進を始めるのだけど、その行進は数十万人の大行進になり、それがインド独立の端初となる。そこにはドン・キホーテ、ラ・マンチャの男ののような愚か者的な真理の輝きがあった。その愚かさは今も輝いてもいる。
ぼくもガンディーの行進に続けているのだろうか?
日本には私小説という小説の中の一ジャンルがあって、それは、作者が作者からの視点で日常のこまごまとしたことと、その感想やら心境やらが語られる。別の名を「心境小説」、「感想小説」などと呼ばれるそれを書き続けた藤枝静男という眼科医師兼小説家がいたのだけど、初めて藤枝の小説を読了しました。その「悲しいだけ 欣求浄土」という文庫本は「悲しいだけ」、「欣求浄土」という二冊の単行本をまとめたもの。章という眼科医を主人公とする「欣求浄土」は「ごんぐじょうど」と呼ぶのだけど、その意味は極楽浄土を心から願い求めることというような意味であるらしい。「欣求浄土」の連作のラストの展開に狂気すれすれの覚醒みたいなものを感じ、頭がくらくらします。「悲しいだけ」も胸に染みる連作で、その中の「雉鳩帰る」に唐突に出てくる詩のようなものをうつし、今は亡き藤枝静男氏に敬意を評します。
釈迦曰く
愛欲を去り、犀角の如く、ただ一人歩めかしと
汝の命如何に終わるとも
流沙のマリアの如く
荒野に住む孤児の如く
はたまた冬の王の如く
自らを罰し
歩めかし汝
昔作った歌で最近、歌いたいなと思い歌っている歌があって、「アフリカ」とタイトルのある歌はこんな歌詞なのです。
「夢の中のアフリカの風は
夢の中でしか吹かない
ジャングルを吹き抜けて、砂漠に嵐がやってきた
夢の中のアフリカの歌は
夢の中でしか聞こえない
タムタムのリズムに合わせて、子どもたちが踊っている
夢の中のアフリカのきみには
夢の中でしか遭えないのさ
草原のソルジャーだった君は
今や街で歌うシンガーで
ビルに囲まれシャンティー・タウン
おんぼろギターを抱いて
心に奇妙な傷を持って
それはコズミックな傷で
この大きな世界のまん中で
ブルーズを歌っている
夢の中のアフリカの風は
夢の中でしか吹かない
ジャングルを吹き抜けて、砂漠に嵐がやってきた
夢の中のアフリカの歌は
夢の中でしか聞こえない
タムタムのリズムに合わせて、子どもたちが踊っている
夢の中のアフリカの風は
夢の中でしか遭えないのさ
ここはアフリカ? バビロンのアメリカ?
燃え落ちていくソドムとゴモラ?
Slave driverはdriveするけど
Fisher manは釣り糸をたれている
Pusher manは薬を売りつける
マンゴーの根株に腰掛けた君は
暗い雲と雨が通り過ぎて
行くのを待っている
夢の中のアフリカの風は
夢の中でしか吹かない
ジャングルを吹き抜けて、砂漠に嵐がやってきた」
この歌はとある古本屋に飾られていた、名前は失念した日本人画家かアフリカの人を描いた「昔は兵士だった今はギターを弾き歌うジョー」というような題のを絵を見て、何か心につき動かされるような何かがあって、作ったものなのです。21世紀にもなって、あい変わらずの世界で、失望もあり、この歌を歌っていると、この歌が自分によって作られた歌ではなく、誰かが耳元でささやいた悲しみのようなものだとも思えてしまう。その悲しみとは何だろうか? まるで、自然を蕩尽しつくし、搾取しつづけ、根絶やししつづける、この社会とその主人公たる人間という種族に向けたレクイエムのようだととも、歌いながら、思い、新しい人の現れるのを待つ、あるいは自分が新しい人にもなりたいとすら望む。
さて、小田急相模原のスクール・オブ・ロックで来る2011年4月23日の土曜の夜に、ぼくは弾き語るのだけど、この「アフリカ」という歌も歌うつもり。よければ、聞きにきてください。
スクール・オブ・ロックのページ
http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine
「夢の中のアフリカの風は
夢の中でしか吹かない
ジャングルを吹き抜けて、砂漠に嵐がやってきた
夢の中のアフリカの歌は
夢の中でしか聞こえない
タムタムのリズムに合わせて、子どもたちが踊っている
夢の中のアフリカのきみには
夢の中でしか遭えないのさ
草原のソルジャーだった君は
今や街で歌うシンガーで
ビルに囲まれシャンティー・タウン
おんぼろギターを抱いて
心に奇妙な傷を持って
それはコズミックな傷で
この大きな世界のまん中で
ブルーズを歌っている
夢の中のアフリカの風は
夢の中でしか吹かない
ジャングルを吹き抜けて、砂漠に嵐がやってきた
夢の中のアフリカの歌は
夢の中でしか聞こえない
タムタムのリズムに合わせて、子どもたちが踊っている
夢の中のアフリカの風は
夢の中でしか遭えないのさ
ここはアフリカ? バビロンのアメリカ?
燃え落ちていくソドムとゴモラ?
Slave driverはdriveするけど
Fisher manは釣り糸をたれている
Pusher manは薬を売りつける
マンゴーの根株に腰掛けた君は
暗い雲と雨が通り過ぎて
行くのを待っている
夢の中のアフリカの風は
夢の中でしか吹かない
ジャングルを吹き抜けて、砂漠に嵐がやってきた」
この歌はとある古本屋に飾られていた、名前は失念した日本人画家かアフリカの人を描いた「昔は兵士だった今はギターを弾き歌うジョー」というような題のを絵を見て、何か心につき動かされるような何かがあって、作ったものなのです。21世紀にもなって、あい変わらずの世界で、失望もあり、この歌を歌っていると、この歌が自分によって作られた歌ではなく、誰かが耳元でささやいた悲しみのようなものだとも思えてしまう。その悲しみとは何だろうか? まるで、自然を蕩尽しつくし、搾取しつづけ、根絶やししつづける、この社会とその主人公たる人間という種族に向けたレクイエムのようだととも、歌いながら、思い、新しい人の現れるのを待つ、あるいは自分が新しい人にもなりたいとすら望む。
さて、小田急相模原のスクール・オブ・ロックで来る2011年4月23日の土曜の夜に、ぼくは弾き語るのだけど、この「アフリカ」という歌も歌うつもり。よければ、聞きにきてください。
スクール・オブ・ロックのページ
http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine
"SLY & ROBBIE BLACK UHURU Chicago 84"というアルバムを聴いています。ジャマイカの先鋭的ボーカルトリオの1984年の全米ツアーをキャプチャーしたライブレコーディングです。Michael Roseのハリのあるリード・ボーカルとそれにからみつく二人はコーラスのDuckei Simpsonと紅一点のコーラスかわいらしいPuma Jones。1980年代のあのころに最も人気のあったRoots、Consciousnessなレゲエ・グループBlack Uhuruをリディムで支えたのは最強のSly DumbarのドラムスとRobbie Shakespearのベース。ライブで聴くと本当にこのリズム陣は最強で21世紀の今でも超えられるものはないのではないか。ライブだからさらにきわだつ。Uhuruとはスワヒリ語で自由の意味。なるたけ、でっかい音で聞くべし。
「AERA」誌の緊急増刊「東日本大震災 100人の証言」という雑誌を読んだのだけど、たくさんの有名な人たちがこの前の大震災について書いていて、例えば、内田樹氏の「物語の教訓はシンプル「金より命」「マニュアルより直感」」など、なるほどと思った。けれど、なんか、この人はこういうことを言うだろうみたいな文章が多くて、あまりおもしろくない。雑誌の前半を占めるこれらの文章の外野からの金持ち発言の辟易するところもあったのだけど、巻末の半分近くを占める「100人の証言」という特集は震災に会われたりした市井の人々のインタビュー集で、胸にせまる何かがあった。
ところで、かなり昔、静岡のあたりを一人で旅をしたことがある。知らない町の居酒屋で一人で呑んでいると、となりに腰掛けたおじさんがぼくに声をかけてきて、聞くと、雲仙普賢岳の火砕流の避難に会われた人で、家も仕事もマグマの巨大な炎に飲み込まれて失い、家族がちりぢりになり、今は、知らない町で一人で日雇いの仕事をしているという話を聞いた。子どもは東京の方にいて、かあちゃんはどこそこ、自分は静岡にいる。ぼくは、相槌を打ち、ためいきををもらすことしかできなかった。今、そのおじさんのことを思い出す。一期一会ではあったのだけど、今はどうしているのだろうか? 今ごろは、長崎の島原に戻り、家族そろって幸せな暮らしをしているに違いないではないかと、自分に言い聞かせる。
さて「AERA」という雑誌に戻り、「100人の証言」の一人として「私たちにできること」の項に、岩井俊二映画監督のインタビューが載っていて、現在ロサンゼルスに住む彼の故郷は仙台なのだそうだ。その「どんな状況でも咲き続ける「花」がある」と題されたインタビューは良かった。共感しました。みなさん立ち読みでもしてみてください。
ところで、かなり昔、静岡のあたりを一人で旅をしたことがある。知らない町の居酒屋で一人で呑んでいると、となりに腰掛けたおじさんがぼくに声をかけてきて、聞くと、雲仙普賢岳の火砕流の避難に会われた人で、家も仕事もマグマの巨大な炎に飲み込まれて失い、家族がちりぢりになり、今は、知らない町で一人で日雇いの仕事をしているという話を聞いた。子どもは東京の方にいて、かあちゃんはどこそこ、自分は静岡にいる。ぼくは、相槌を打ち、ためいきををもらすことしかできなかった。今、そのおじさんのことを思い出す。一期一会ではあったのだけど、今はどうしているのだろうか? 今ごろは、長崎の島原に戻り、家族そろって幸せな暮らしをしているに違いないではないかと、自分に言い聞かせる。
さて「AERA」という雑誌に戻り、「100人の証言」の一人として「私たちにできること」の項に、岩井俊二映画監督のインタビューが載っていて、現在ロサンゼルスに住む彼の故郷は仙台なのだそうだ。その「どんな状況でも咲き続ける「花」がある」と題されたインタビューは良かった。共感しました。みなさん立ち読みでもしてみてください。
ガンディーのことって何にも知らないなーと思い、読んでみたガンディー著の「獄中からの手紙」は、政治犯として収監されていたヤラヴァーダー中央刑務所から1930年に自ら興した修練場(アーシュラム)に向けての書簡集なのであった。簡単な言葉で綴られた手紙は修行者に向けての日常の心構えを説き、インドのヒンズー教とはこういうものなのかと、少しは知ることができました。訳者松本達雄さんによる解説を読むと、ガンディーが社会問題に目覚めたのは、二十四歳の時、兄を頼り、弁護士になるために渡った南アフリカで体験した過酷な人種差別によってだという。かの地で非暴力の闘争を開始したのは、目覚めて知ったヒンズー教にあるアヒンサーと呼ばれる愛に基づく戒律であったという。アヒンサーとは広義には愛のことで狭義には非暴力。訳註にあったガンジーが繰り返し唱えたマントラ(真言)。
「真理は存在する、真理のみが存在する。真理は唯一の神であり、それを悟るには、ただ一つの道あるのみ。手段は一つ、その手段とはアヒンサーである。わたしは決してアヒンサーを手放すことはいたしません。真理なる神よ、わたしがその御名においてこの誓いをたてる神よ、願わくは、アヒンサーを持続する力を授けたまわんことを」
このマントラの言葉の思いは、時代を下って、変わりながら変わらず、キング牧師やネルソン・マンデーラにも唱えられたのではなかろうか。
インストゥルメンタル・レゲエを演奏するバンドMute Beatというバンドが1970年代後半から1980年代にかけてあって、とても人気があって、とってもクールな演奏だったのだけど、多分そのバンドのリーダーであったトランペッターのこだま和文さんの著作「空をあおいで」を読んだ。前半がエッセーというか、日々の感想で、後半が「スティル エコー」という題の少年時代を回想的の描いた私小説。とても深い言葉は、この本のタイトルにある晴れわたった空の青さのようだ。じゃがたらの故江戸アケミにならって、ぼくはこだまさんをこだまちゃんと、今、呼んでみて、こだまちゃんはやっぱオーガスタス・パブロのピアニカが好きなのかと声をかけてみたくなった。こだまちゃん、こどものころ、胸を引き裂かれる悲しいこともあったのだけど、それでも幸せで楽しかったのだね。こだまちゃんといつか一緒に独特の音楽を演奏してみたい。それはほんものの音楽だよ。読み終わったあとの余韻に青い空から江戸アケミちゃんの声も聞こえてきた、ガッツデノリキレ、ガッツデノリキレ。
Mute Beat guest 江戸アケミ from じゃがたら - Organ's Melody
http://www.youtube.com/watch?v=lYb9OYw0-KQ