えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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友だちからかなり面白いよと言われていたジョン・レノン・ミュージアムに行って来た。さいたま新都心の駅を降りて、すぐ目の前にさいたまスーパーアリーナという競技場だかコンサート会場だかがあって、その中の一角にある。

ジョンは星になった愛と平和の伝道者みたいな展示だったら嫌だなぁ、かなわんなぁと恐れていたんだけど、そんなことはなかった。

彼の歌のほとんどがプライベートの日記のようだとも思う。例えば、ミュージアムに手書きの歌詞のあった"Dear Prudence "はインドにいろんな友だちと旅した時、自分の殻に閉じこもり、気が変になってしまった女性の友だちに向けて書かれていて、それは本当に私信のようなのだ。訳してみます。

「親愛なるプルーデンスさん 外に出て遊ぼうよ
親愛なるプルーデンスさん 新しい日に出会えるよ
お日さまは昇って 空は青く
きみがそうであるように 美しい
親愛なるプルーデンスさん 外に出て遊ぼうよ

親愛なるプルーデンスさん 目を開いてごらんよ
親愛なるプルーデンスさん 明るい空を見てごらんよ
風はそよぎ 鳥は歌い
きみは すべてのある何かなのかもよ
親愛なるプルーデンスさん どうして目を開かないんだい

見回してごらんよ

親愛なるプルーデンスさん 笑顔を見せてごらんよ
親愛なるプルーデンスさん かわいい子どもみたいにさ
雲がたんぽぽのつながりみたくなるよ
ぼくにもう一度 笑顔を見せてごらんよ
親愛なるプルーデンスさん どうしてぼくに笑ってくれないの

親愛なるプルーデンスさん 外に出て遊ぼうよ
親愛なるプルーデンスさん 新しい日に出会えるよ
お日さまは昇って 空は青く
きみがそうであるように 美しい
親愛なるプルーデンスさん 外に出て遊ぼうよ」

昔見たジョン・レノンをドキュメントした映画の中で、浮浪者風の頭がいってしまっている男がレノン・オノ邸の中にまぎれこんで来て、二人はその男に食事をふるまうというシーンがあった。詞のことを、本当は何を意味しているんだみたいなことをジョン・レノンは聞かれて、詞は単なる言葉遊びだと答えていた。いつも世界平和について考えているのかと聞かれて、考えていないと答え、考えるのは自分のこと、ヨーコのこと、今朝は快便だったとかトーストがうまく焼けたとかみたいなことを考えていると言っていた。同じくその映画の中で、散歩の途中でファンから声をかけられる。ビートルズは活動を再開しないのかいと聞かれて、明日するかもしれないぞ、おれは直感で動くからねって、気さくに答えていた。

ビートルズはタフだと思う。19世紀には奴隷貿易の中継地で栄えた落ちぶれた港町が生んだバンドで、神話のような必然を感じてしまう。そんな町でジョン・レノンはあの子とは遊ぶな、つきあうなと言われていた不良だった。1955年にエルビス・プレスリーがアメリカ南部の黒人の鉱堀で見つけたビートを発破させたロックン・ロールだけが救いだった。そして、この続きは、このミュージアムに来て、見てみるのも良いかもしれない。

楽器やくたびれた包装紙の裏に書かれた手書きの歌詞、衣装や普段のお気に入りの服や愛用の眼鏡を見たぼくは思ったのだった。おれも歌いたいなぁ。ジョン・レノンやビートルズの歌ではなく、自分の歌をね。

ぼくはぼくがいろんな友だちに声をかけて作ったバンドの名前をChairs(椅子たち)としたのだった。けれど、それはジョン・レノンが、自分にはロックン・ロールしかできなくて、それにいつも帰っていく、そのロックン・ロールとは椅子みたいな単純にそこにあるものだと言っていたのに由来している。かっこいいでしょ。まだまだやるぞ。
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恵比寿のガーデンシネマに「扉をたたく人(http://www.tobira-movie.jp/)」という映画を見に行った。どんな映画かと聞かれれば、その宣伝コピーには「扉を閉ざしたニューヨーク-移民の青年の出会いと“ジャンベ”の響きが孤独な大学教授の心の扉を開く」とある。音楽っぽい映画はなんだか見に行きたくなるのです。スター不在のこの映画は去年アメリカでわずか4つの映画館で封を切られ、しかしながら口コミで評判となり、最終的には270館で上映されたという。登場人物はわずか4人。大学教授、シリアからの移民してきたパレスチナ人の青年、青年の恋人でセネガルから移民、青年の母親。場所はニューヨーク。

青年の母親がミシガンからニューヨークに青年に会いにきて、青年から恋人を紹介されて、なんて肌の色の黒い人と思うのだが、話しているうちに、わかりあえるというようなシーンがとてもよく、心がほんわかしたりした。ドラムをたたくことは、誰かのハートをノックするということかのように、青年からジャンベを教えてもらい、少しずつ大学教授の心は開き、自らもジャンベをたたく。訪問者の打ち鳴らすアフリカの通信のリズムは誰かの閉じた心をたたいて、扉の開くのを待っている。ぼくも待ってるのだ。
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この前、忌野清志郎のインタビューを読んでいたら、天才は生きてるうちは認められないと思っていたって言っていた。そう言えば、絵描きのゴッホやこのまえ展覧会を見たゴーギャンも、ブルース・マンのロバート・ジョンソンも、詩人でたくさんの素敵な童話を残した宮澤賢治も、最近知った俳人の住宅顕信も生きているうちは少ない人しか知らない人であった。ぼくの好きな人はそういう人がけっこういる。

人は思い出を残すのだけど、自分で本を作って残したらどうだろう? なんか、いろんな人に詞はいいねって、よく言われることがあるんだ。きみは天才かいって自問する声が聞こえれば、ぼくの小学生みたいな詞を思い浮かべ、違うと答えるしかないのだけど、それはぼく以外が決めること。しかし、なんのかんの言っても、生きているうちに認められる天才の方がやっぱ、断然多いのは分かっているのだけど・・・。

出版費用のためにも、仕事さがしをしないといかん。早く見つかるとハローワークからいっぱいお金をもらえるらしい。本はCD付きにしたいなぁ。
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きららさんのひまわりヨガどころ(http://walls-and-bridges.com/kirara/)でのライブパーティーに行った。午後の四時過ぎから、木村秀子さん(http://blog.goo.ne.jp/slowfast_1973/)のピアノの演奏でみかねぇさん(http://pocopana.web.fc2.com/index.html)が歌い、きららさんが踊る。いくつもの歌が歌われるのが、流れとなり、今日のテーマである海のかわいらしい物語を聴くようでもあった。秦野での海のオペラッタ。オペラッタってのはオペラのような大きなワグナーのように荘厳なものではなく、庶民のオペラッタ。バケラッタ、オペラッタ。

「闇鍋人生、人生でたとこ勝負、ごった煮飛び入りライブ」とタイトルされた二部の飛び入りライブではぼくも歌ってしまった。お父さん、お母さん、子供たちの前で歌ったという感じ。みんなが鳴らす打楽器の鳴り物が楽しい。新しい歌も一曲、歌ってしまった。最近はめったに歌など作らないのだけど、なぜか作ってしまったんだな。オペラッタのト書き風に言うと、登場人物二人、いつも雨を降らす雨女と漂流してたどりついたリュックを背にした会社を首にされた男で、場所は雨の降る続ける水の島で晴れてるときも何故か雨は降り止まない。こんど聴いておくれ。いっぱいいろんな人も歌った。楽しかった。

今日、一番感動したのは人間のすばらしいパフォーマンスではなかったのです。蛍がいるというので夜、川原まで見に行った。森の闇の中を子どもたちのがやがやわいわいいう声を聞きながら歩いて抜けて、すると小さな川と田んぼがあって、そこかしかに蛍が見つかる。子どもたちの歓声。ぼくの頭の上をゆっくり光が移動してゆく。本当の蛍ってともしびみたく淡くなくって、ほんのかすかに青みがかって強くつよく白く光る。こんな歌を歌っているのかも。

「ぼくは光ってる。きれいでしょ。ぼくを発見してよ。ぼくは生きている」

蛍さんたちのコンサートでした。
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竹橋の国立近代美術館に「ゴーギャン展」を見に行った。ゴーギャンというとサマセット・モームの「月と六ペンス」という小説を思い出す。どの流派にも属さない19世紀末の絵かきの異端児、反逆児は月のような手に届かない最高に美しいもの求めながら、六ペンスに苦しんでいた。つまり、貧乏とまわりの無理解。34歳で絵筆を取り始め、55歳で1960年代のロックスターのように薬物の過剰摂取によって南の島で逝ってしまうまで終生、それはつきまとった。

「我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこに行くのか」という大きな絵が飾られた部屋の中に入ったその時、ぼくに鳥肌すら立ったのだった。

「月と六ペンス」のことを一生懸命ぼくに話してくれた友だちには、最近会っていないけれど、どうしているんだろう? 今度会ったときには、きみに新しい歌を聞かせてあげる。
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昨日の昼、家のパソコンが調子悪くなって、結局、リカバリーCDというのでやっと直った。Windowsのサービスパック3というのをメッセージにまかせてインストールしてしまたったのが原因だた推測した。メールが消えた。いろんなソフトを再インストールした。おれの時間と労力を返せと言いたくなった。iTunesはCドライブにしかインストールできないのか? メーラーは古いNetscapeをやめて、Operaを使うことにした。ブラウザもOperaで、たまに動かないページのときのみInternetExplorerを使うことにする。

パソコンって便利だとは思う。アマゾンでCDや本を買えるし、知らないことを調べたり、ブログで友だちの近況を知ったりできるし、ハローワークの求人票も家で見れてしまう。このVAIOも8年目ぐらいだろうか? ただ、人の時間をこの道具は無駄に食べてはいないか?

機械より人間とか生き物の方が好き。
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高尾山に自転車で行ってきた。往復で40km以上です。薬王院にお参りをしながら、頂上まで登った。山道を登っていると、たくさんの鳥の声が聞こえる。修験道の霊験あらたかなこのお山は、いろんな生き物の暮らす清水と緑豊かなお山であるらしい。このお山に高速道路のトンネルを造るという計画が30年前からあり、着工されつつある。疑問というか反対!

この前、ジョー・ヒルという人の「20世紀の幽霊たち」とい小説集を読んだのだけど、その中に「木だって幽霊になる」という書き出しで始まる「死樹」という小説があって、本当に短いその物語に感動した。庭の大木を伐った主人公が、その庭で急に風が吹き、何かがむせび泣く気配を感じるという話だった。

ぼくは、この高尾山でも自然が蹂躙された草木や生き物の泣き声を聞くことになるのだろうかと思い、さらに、ぼくの住んでいる相模原も子どものころは、森も深く、カブトムシやクワガタもたくさんいて、雑草ばかりの原っぱが続いていて、その景色が幽霊みたく今でもここにあって、幻みたく見えたりもするのです。

高尾山の自然をまもる市民の会のホームページ
http://www.naturetakao.com/
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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